骨董商に気をつけろ!
「……打ちひしがれてるなぁ」
大人びた苦笑を浮かべる、私の従兄。困ったときの敬之兄さん頼りです。悩みがある時は、いつも三日月商店へ行って、兄さんカウンセラーに相談しています。今回の突っ走ってしまった行動のことでも、お世話になっているのです。
「だーいじょーぶだって。男の子がキスぐらいで」
それは少し私を傷つけますよ、お兄様。私にはこんなに大きな事態でも、夏生ちゃんには些事。こんな空しいことがありましょうか。……いいえ、いいのでしょう。些細なことであって欲しいと願うくせに、夏生ちゃんのなかに何かが残っていて欲しいと思うのは、私のワガママです。
「夏生君は三日月にちょくちょく来てくれてるしね。大丈夫だって! ……それにしても穣は、夏生君が本当に好きなんだねぇ」
そうです。私は、思った以上に夏生ちゃんが恋しいんです。どうして、勢いに任せてキスをしてしまったんでしょう。こうして思い悩むくらいなら、あんなところでふざけるべきではなかったのです。笑った顔を見ると、泣きそうになるんです。触れたら、切なくて眉が下がるんです。ふざけていないと、目も心も夏生ちゃんに張り付いたまま、離れなくなってしまうんです。
兄さんは、しょうがないなぁ、という風に頭をくしゃくしゃしてくれます。
「夏生君は敏感な子だから、穣の反応に気づいても、知らない振りしてくれると思うよ。……いい子だよね」
にっこり、私の大好きな大輪の花の笑みです。
そこでです。――カランと、来客を知らせるベルが鳴りました。振り向いた兄さんの顔が、一気に明るくなりました。
「おや、いらっしゃいませ! 久しぶりですね」
私はぎょっとしました。そこにいたのは、水墨調の妖怪画から抜け出てきたような、年齢不詳の和服姿の男性でした。
「穣、この方は『土倉真倉』という骨董屋さんの御主人であり、作家業もされている、夢野久先生ですよ」
私が名乗りますと、甘川? と、すうっと通る、とても低い声で呟き、乾いた咳をします。なんとなく不気味な印象の方です。
「そうそう、この子は甘川先生のお子さんですよ」
彼は暗い髪の奥で目を丸くしました。その表情もまた、幽霊じみていて気味が悪いのです……。
「……こんなに大きくなられて……」
「夢野先生は清秀さんのお弟子さんなんですよ」
「あ! 父の……、」
清秀とは父の名です。しかし、弟子? 何のです?
「古道具屋を営んでおります、夢野久です。甘川先生は、私のものかきの師なのです……」
肌は驚くほど不健康に白く、病弱そうに痩せた体は痛々しいです。青光りするほどつややかな黒髪は、艶かしく細い首筋や頬に垂れて、どことなくだらしない和装の胸元は少しはだけています。平安の貴婦人のように口元を和服の袖で覆っていますが、ちらりと見えるその唇はドキッとするほど赤くて色っぽい、です。
「敬之兄さんとはどういったお知り合いですか?」
「森栖君は、幼少のころ甘川家によく預けられていましてね……、」
「そうそう。ウチは共働きだったからね~。両親が『甘川家に少年が奉公に来てる』とか勘違いして、夢野さんにお守りしてもらっていたんだ。夢野先生は実に生気みなぎる方でしたね」
この薄気味悪い人が……いや、綺麗だったのは想像できますが……「生気みなぎる」、ですか。
「ゴホゴホ……若いときなんて、体ばっかり丈夫で心は酷く淋しいばっかりなんです……。はて、甘川先生のお子さんは、確かお嬢さんではなかったかしらん」
「確かに、私は女です。訳あってこのような扮装を」
「ほう」
そういって、長い前髪の隙間から、まじまじと私を見つめます。よく見ると、この人今でも美人さんです。不意に、赤い唇が縦に割り開かれました。
「ところで甘川君。君はアルバイトはしているかな」
「いいえ、まだ……」
「どうです。私のお手伝いをしてみませんか」
「夢野先生のお店で、ですか?」
「先生は付けなくて結構」
そう忠告をして、懐からショップカードと思しき和紙の名刺大のものを取り出し、私に差し出します。
古道具『土倉真倉』とか、なんとか。黒地に、赤字のおどろおどろしいフォントで書かれています。なんて不吉なデザイン。表の記載情報はそれだけしかなく、裏には、よろよろとした地図が付けられています。
「ははは、夢野先生ってば、お客も無いのにアルバイトを雇うんですか」
兄さん、失礼な発言!
「なぁに、商品を綺麗に保ったり、身の回りの世話など、していただくことはたくさんあります……。どれも容易な仕事ばかりですよ。たいした対価は差し上げられませんが、そのぶん時間は定めませんから、好きな時に、遊びに来る気持ちで来て頂ければいいんです。……ね?」
袖を口元に当てたまま、とろりとした色気ある表情をしていました。
「気が向いた時にいらして下さい……」
激しく咳き込みました。細い腰が、折れそうに揺れるので気が気じゃありません。
「あの、」私は気になっていたことを聞こうとしました。「貴方は父の弟子だとおっしゃいましたが、父がものかきをしていたとは初耳なのです」
そうです。父は、教職を辞めた後は、ひどく病弱で働くことさえ出来無いようだったと聞きます。
「ああ、そうですね……。彼の著作は全部私が持っていますからね」
そのような大事な遺品を、あの母さんがよく手放しましたね。それとも、母さんにすら秘密裏に筆を執っていたのでしょうか。
「清秀さんは、いろいろ書き溜めていたそうだよ」と、兄さん。「かくいう夢野先生も職業作家じゃあないんですけどね!」
また失礼そうなことを笑顔で言う兄さんです。
「たまたま、甘川先生の著作を目に入れる機会を得た私は、無茶言って弟子入りしたのです……」
知らなかったとうなだれると、夢野さんはゆらり、首を傾げて妖艶な笑みを見せました。
「甘川先生は、私だけが知る、私だけの先生でしたから」
そうして兄さんと夢野さんは商談に入りました。夢野さんは、最初の不気味さよりは、無性…もとい両性の人形のような、艶っぽさの方が勝った印象となりました。
結局、私は、夢野さんの摩訶不思議な魅力に魅せられて、お手伝いを引き受けました。この骨董商兼作家の夢野さんは、私にとって少々衝撃的な人間だったため、こうして長く紹介してみました。
かくして、私はアルバイト先・兼第二の人生相談の相手を得たのです。
ただし、私の乙女生活の本筋にはほとんど現れません、ということも、追記しておきます。




