乙女のピンチ(ゴルフ編4)
ゴルフ編完結です。
美波店長の講習が続く。ゴルフ未経験者のゴルフ講習だ。
「菊元さん、両足の幅はどうやって決めてるのでしょう」
えっ、足の幅ですか?スタンスのことかな。え~~と・・・
「一般的にはだいたい肩幅くらいが基準だといいます。私もスタンスは肩幅のイメージで構えています」
「えっ、肩幅のイメージですか?ちょっともう一度構えて貰えませんか?」
美波店長は何か驚いているようだ。そのことが少し不思議だが、もう私は美波店長を神の如く崇めている。促された通り素直に構える。こんな感じがいつも通りのアドレスなのですが、如何なものでしょう?どこか問題がありますでしょうか?
「ふ~~ん、それが菊元さんの肩幅のイメージですか」
はい、一切の偽りも疑念もなくこれが肩幅のイメージそのものです。
「じゃあ、まずは両膝をぴったりとつけて下さい。踵もです。ぴったりと(気を付け!)の状態でお願いします」
あっ、両膝を付ける。踵も付ける。(気を付け!)の状態ですね。了解です。はい。
「はい、いいです。じゃあ次につま先を開いて90度の角度を作って下さい」
つま先を開く。角度は90度、直角ですね。こんな感じでしょうか。
「次は踵を広げて両足を平行にして下さい」
踵を動かして両足を平行。これでいいでしょうか。
「はい、よくできました。今のその幅が菊元さんの肩幅です」
んっ、えぇ~、これが肩幅ですか?何だかすごく窮屈というか狭い感じなのですが。じゃあ今までアドレスで取っていたスタンスは何だったのでしょう。実際の肩幅よりも、かなり広かったという事なのでしょうか。
「ちょっと計ってみますか?私が掌を一杯に開いた時の親指と小指との距離が、大体20センチ弱なので・・・」
美波店長が私の足元に座り込んで、私のスタンスの長さを測定している。
「うん、だいたい親指と親指の間で35センチというところですね。まあ、本当は測るまでもありません。肩幅とは、その人の(足の長さ×√2)となります。中学校の図形の問題ですね。実はこの肩幅の長さというのは、武術においても、と~っても大切になってくる長さなんです」
へぇ~、そういうものなのですか。私にはよく分りません。
「じゃあ今度は自然に歩いて貰えませんか。速足でもなくゆっくりでもない、いつも通り、普通に歩く歩幅です」
自然に歩く。こんな感じでしょうか?一歩、二歩、三歩・・・
「はい、ストップ!」
美波店長の掛け声で、右脚を一歩踏み出した状態で、私は動きを止めた。
「はい、そのまま体の向きを変えてつま先の位置を揃えて下さい」
あっ、はい。私は体を左に回す。両足のつま先の位置が揃った。
「じゃあ、その幅をもう一度計ってみましょうか。私の掌の長さが20センチ弱・・・はい、35センチくらい。さっきと全く同じ長さですね」
ああ、ホントだ。さっき少しゴルフのスタンスとしては狭いと思った足幅そのものだ。
「人間が自然に歩く時の歩幅、それがその人にとっての肩幅です。武術において”自然体で立つ"、”自然体で動く”ということはとても大切な事です。従って自然な歩幅、すなわち肩幅もとても大切という訳です」
はぁ、そんなものなのでしょうか。まあ、主席師範様が仰せられるくらいなのですから、そうなのでしょうね。
「じゃあ、その足の幅を意識して、もう少し打ってみますか?」
あっ、はい。打ってみます。もちろん、打たせて頂きます。
では・・・ボールをセットして・・・踵を揃えて・・・つま先90度、足を平行・・・これで肩幅、スタンスOK。目は薄目、決してボールを凝視しない。クラブを上げて・・・右脚体重にして・・・右脚股関節の上で・・・クルン!
(パシュ~~!!)
やっぱりナイスショット。少し窮屈な感じはするけどショット自体は完璧だ。
「またまたいい球でましたけど、菊元さん的にはどんな感じですか?」
う~~ん、慣れの問題かと思いますが、やっぱり少しスタンスが窮屈かと。
「それなら親指の幅一個分くらいは調整してもいいかも知れません。そこは人それぞれ、個性と感覚の問題です。ただ、ここは大事なところです。もし本番中に(あれっ、調子が崩れてきたな)と思ったら、まず足の幅が広くなっていないか確認して下さい。さっき、人の体とは本人が思っている以上に力が入ってしまうものと言いましたが、力が入ることに因って無意識に変わってきてしまうのが両足の幅です。そして大概は広がっていく傾向です」
あっ、はい、なるほど。気をつけます。何だか異常に説得力がありますね。
「ところで・・・」
そう前置きして、美波店長が私のゴルフバッグを覗き込んだ。
「知らなかったんですけどゴルフのバットって、ずいぶん沢山あるんですね」
はい、バットとは言いませんが。13本まで持っていいルールです。13本いつも使うとは限りませんが。
「こんな打つところが平らなバットってあるんですね」
一本のアイアンを取り出して美波店長が言う。
ああ、それ、アイアンって言います。これまで打ってたユーティリティは別名ハイブリッドと呼ばれててウッドとアイアンの中間的位置付けのクラブです。
「ふ~~ん、でもこれだけ形が違っては、厳密には打ち方とかも変わってきたりしないんですか?」
あっ、どうでしょう?厳密には変わってくるかも知れません。でもそればプロの人とかアマチュアでも上手な人とか、いずれにせよ私レベルのゴルファーは、全くこれまで意識したことはありません。
「ふ~~ん、でもこれって大変な違いですよ。頭の丸い子たちは棒の前側に打つ所が位置してて、平べったい子たちは棒の後ろ側です。少なくとも2センチは違うじゃないですか。打つボールの大きさを考えても、相対的にその差は決して小さくありません。それで打ち方が同じって、私には少し違和感があります」
それはそうかも知れませんが、さっきも言いましたけど、そもそも私レベルの腕ではあまり関係がないというか・・・
「何かちょっと納得できかねますね。一度この平べったい子で打ってもらえませんか?」
はあ、じゃあ3打目、4打目で使用頻度の高い8番アイアンを打ってみますね。
まあ3打目、4打目で使用するって言ってもティーショットがちゃんと当たった時の打数ですが。
私は8番アイアンを手にする。7番アイアンより上のクラブでは私的には全く当たる気ががしないのだ。これは本番のコースでも同じこと。従って6番、7番アイアンはいつもただのお飾りなのだ。もしかしたら、これまで一度もコースで打ったことがないかも知れない。
8番アイアンを手にした私は、ホールをセットし、先般の要領でアドレスを取る。ユーティリティクラブより若干シャフトが短くなったこともあり、当たらないと言う気はしない。では・・・目は薄目、右脚体重、股関節の上で・・・クルン!
(カッ!)
固い金属製のヘッドがボールを叩く乾いた音。私的にはこれもナイスショットの範疇だ。本番もこの調子なら、まさかまさかの110台出ちゃうかも。ホント、店長頼って良かった~~~あれっ?満足な気分で美波店長のお顔を拝見すると・・・何だか少し曇った表情。私、なにかお気に召さないことしましたっけ?
「あの~~今の打ち方、何か悪かったでしょうか?」
恐る恐る美波店長に問う。
「そうですね。あまり良い打ち方ではなかったですね。体全体に力が入っていました。ちょっと、そのバット、見せて頂けません?それと、さっきまで打ってた先の丸い子も」
ああ、はい、どうぞ。まだ1球しか打っていない8番アイアンとユーティリティクラブを店長に手渡す私。両方のクラブを手にした店長が、それぞれのヘッドを眺めたり触ったりしている。何かお気付きの点がおありでしょうか?どこかのタイミングで、(バットではなくクラブです)ってお話したいけど、そのタイミングがなかなかやってこない。
「へぇ~~、意外ですね、これは」
おっと、何が意外なのでしょう?伺います。是非とも伺いたいです。
「この頭の部分、丸い子よりも平べったい子の方が重いんですね」
ああ、そこですか。まあアイアンはその名の通り、ヘッドは鉄製ですからね。じゃあユーティリティのヘッドは何でできてるって問われても困るのですけれど。やっぱりプラスチックかな
「その一番大きなジャイアンみたいな子、ちょっと触らせてもらえません?」
ジャイアンみたいな子ってドライバーのことです?はい、どうぞ。
私は美波店長にバッグから引き抜いたドライバーを手渡す。
「うわっ、軽っ!」
そうなんですよ。私もゴルフを始めた時に驚いたんですが、一番長くてヘッドも大きいドライバーが最も軽くて、一番短いサンドウェッジが重いんですよね。ゴルフ始めた当初はとてもそのことが不思議でした。
「だったらなおさらですね。菊元さんのさっきの打ち方、すごく全身に力が入ってました。思いのほか力が入ってしまうものという人間の特性がそのまま出てしまった格好です。多分、バットが短くなって打ち易く感じたのでしょう。その結果、力が入ってしまった」
そうなんですか?全く自分では自覚できていませんでした。
「ボールの重さは同じですよね。それをより重たいもので打つんですから、力む必要は全くないはずです。それとやっぱり形状ですよね。体積のないものでボールを叩く方が、体積のあるものでボールを叩くよりも、より力が必要な気がしちゃうんですよ。そんなところが菊元さんの力みの原因かと推測されます。菊元さんは、どうも見た目に騙され易いタイプのようですね」
はい、見た目に騙されるタイプです。過去、異性関係におきましても・・・って、苦い記憶を呼び起こすの、止めて貰えません?
「まだボール、たっぷり残ってますしね、じゃあ一番重たいバットで力を抜いて打つ練習をしてみましょうか」
「バットじゃなく、クラブって呼びます、こいつら」
やっと言えた。美波店長は実に優しそうな笑顔を返してくれた。
ゴルフ未経験者による至高のゴルフレッスンは、その後1時間にも及んだのだった。
木曜日の夜9時過ぎ、充電プラグに刺さっているスマホがテーブルの上で震えた。こんな時間に誰だろう?何か仕事のトラブルかしら?あっ、美波店長からだ。何だか心が弾む。一体何だろ、この気持ち。
「はい、菊元です」
「ああ、夜分に恐縮です。芝山です。いま菊元さん、ご自宅ですか?」
「あっ、はい。もうお風呂も入って、後はベッドに潜り込むだけの状態です」
「そうですか。そんな時間に申し訳ないです。ところでゴルフ、明後日の土曜日ですよね。いや、実はですね、うちのワタルがどうしても菊元さんに渡したいものがあるって言うんで預かってるんですよ」
えっ?ワタルさん?あのワタルさんが私に??またまた心が小躍りする。
「夜遅くにご迷惑だとは思うんですが、もしよかったら今から車飛ばして近くまで伺いますんで、ワタルのためと思って、受け取ってやってくれませんか?」
ワタルさんから預かりもの?ええっ、一体なんだろ?受け取ります。例え今が深夜の2時だろうと受け取ります。
「ああ、よかった。ワタルも喜ぶと思います。では、いつもの場所、尼ケ崎駅のロータリーで。駐停車禁止の標識の前に車停めますので・・・では今から30分後」
いや、日本語おかしいだろ。
交通量はすでに少なくなっていたが、それでもと思うほど堂々と駐停車禁止場所に美波店長は赤いゴルフを停めている。少しドキドキする。交番近いんだよな、ここ。
窓を開けて大きく手を振る店長に駆け寄ると、手渡されたのは予想よりも大きかった紙の包み。
「ワタルからです。(頑張って)って言ってました。それじゃ、私はこれで・・・」
22時にならんとする深夜の会話はたったそれだけ。店長はお店からわざわざ車を走らせて来てくれたのだろうか。外車らしい重低音を響かせ去っていく赤い車の後ろ姿を見送りながら、(缶コーヒーくらい買っておけばよかったかな?)なんて、少し反省する。
やや速く流れた秋風に体がぶるりと震え、ここ数日でずいぶん季節が進んだことを実感する。
部屋に戻りしっかりと巻きつけられていたガムテープを解く。薄茶色の紙袋から出てきたのは鮮やかなオレンジ色のゴルフウェア。さらにその奥には・・・真っ白なショートスカート。その丈はどう見ても膝上。こんな短いスカートを私に履けと?
ひらりと一枚の紙きれが、このとき袋から滑り出てきて舞った。
さらりとボールペンで書かれた短文。お世辞にも達筆とは言い難い文字。
『ゴルフ頑張って下さい。菊本さんにはオレンジ色が似合うと思いますんで、よかったら着てください。渉』
キクモトの“モト”間違ってんじゃん。ワタルって“渉”って字なのか。
秋の夜風に晒され、少し肌寒く感じていた体が、なんだか少し熱くなった。




