乙女のピンチ(ゴルフ編2)
今回、美波マジック炸裂します。
美波店長の視線が後方から私を突き刺している。そして私はガチガチに緊張している。
足元に置いた白いゴルフボールがやけに小さく見える。握っているのは、実際のラウンドの時、2打目以降かなり使用頻度の高いロフト24度のユーティリティクラブ。使用頻度の高いはずのこいつが、まるで物干し竿のように長く感じる。全く当たる気がしない。もうこの時点で完全に心が負けている。(ふぅ~)と息を吐いて、一旦アドレスを解く。
こら、加奈!なんて自分に喝を入れる。練習の段階でそんなでどうする。コンペの本番では、何十人のゴルファーの眼前でティーショットを打つことになるのだ。うゎ、マジ吐き気してきた。
(リラックス、リラックス)と自分に言い聞かせ、2回素振りをする。クラブが(ひゅんひゅん)と秋の涼しい空気を切る。
「練習ですよ、練習」
私を抑えつけている必要以上のプレッシャーを察したのか、美波店長がそう口にする。
ちょっとだけ腹が決まる。
「はい、じゃあ、行きます」
(カッ!)
一気に持ち上げ、そして一気に打ち下ろしたクラブが、ボールの頭を激しく叩いたようだ。痛烈なゴロになって前方へ転がっていった。野球ならピッチャーの足元を抜くセンター前ヒットだが、これは野球じゃない。ゴルフだ。本日の第一打目は絵に描いたようなトップ。ミスショット。ちらりと美波店長の方を見る。
(続けて下さい)
微笑を含んだ顔で美波店長は、表情だけでそう促しているようだ。
気を取り直してもっかい素振り。加奈、第2打、いきま~す。
(ドフッ!)
今度はボールの5センチも手前の地面を叩いてしまった。ゴルフではこのミスショットをダフリというが、教科書に載るようなここまでの酷い(ザ・ダフリ)は、アベレージゴルファーであっても滅多にやらかさない。どうやら、今日も先週と同じくボールが当たらない日であるようだ。まあ、ある意味では予想通りだ。
んっ、後方で椅子に座っていた美波店長が、いつの間にか私の正面に立っていた。
そこ、危ないですよ。シャンクしたら玉、飛んでいきますよ。そっちに。
「もう一度、素振りしてもらえません?」
にこやかな笑みで美波店長が一言。
「あっ、はい」
ひゅんひゅん、とさらに2回。
「うん、じゃあ、ボール打ちましょうか」
「あっ、はい。でもそこ、危ないですよ。シャンクしたら、そっちボール飛んでいきます」
「ん?シャンクって何ですか?」
シャンクとはクラブのシャフト付近でボールを打ってしまうミスのことなのだが、そんなことすら知らない人にアドバイスを請うているのだ。ますます不安が増大する。というより、そもそも無茶苦茶なのだ。それでも美波店長の眼は、意外にも真剣そのもので、何だかこの期に及んでも、まだ頼りになる気もする。私の希望的楽観なのだろうけれど。
「シャフトの部分・・・って分かるかな。そこで打っちゃうとですね・・・いずれにせよ、そこ危ないです」
「まあ菊元さんに気を遣わせるのも何なんで、じゃあ、少し位置を変えますね」
そう言って美波店長は、少しだけ立ち位置を斜めに変えた。まあ、そこならいかに私がヘタッピとは言え大丈夫だろう。
ボールを体の中央にセットして、両足は肩幅、脇を締めて・・・加奈、もっかい、いきま~す。
(ドフッ!カッ!!)
ダフリトップ。クラブがボールの手前で地面に落ちて、反動で跳ね上がったクラブヘッドがボールの頭を擦る。勢いなく前方にコロコロとボールが転がる。はい、3連続ミスショット。およそ起こり得るミスが順番に出現する。じゃあ次は空振りの番か。全く今日も当たらない日です。
完全に心が折れた私は肩を落とし、救いを求めて美波店長の方を向く。
「はい、こんな感じで全くボールに当たりません」
「ふ~~ん、ゴルフのことはよく分りませんが、素振りは綺麗だと思いますよ。バットがちゃんと円軌道を描いてますからね」
これ、バットとは言いません。クラブって呼びます。ああ、やっぱり古流武術の師範にゴルフのアドバイスを請うこと自体、全くお門違いだったのだ。本番まで1週間を切った今となっては致し方ない。営業1部長に指導を頼むとするか。鳥肌立つほど嫌だけど。
「素振りは綺麗です。でも実際にボールを前にすると、全く別人になっちゃってますよ」
諦めかけたその時、美波店長が思いもしなかった言葉を発した。えっ、全く別人になっている?ゴルフ素人の言葉が、すでに弱っている私のハートに突き刺さる。
いつの間にか私の横に立っていた美波店長が、ひょいとボールを摘まみ上げる。
「この子、なかなかタチの悪い子ですねぇ~、小さいくせに」
ボールが悪い子?一体美波店長は何を言いたいのだろう。
「差し詰め、白い小悪魔ってとこですかね」
白い小悪魔・・・ボールがですか?一体どのような意味なのでしょう?私の疑問顔に美波店長がさらに表情を和らげる。ボールを見つめて美波店長が言う。
「もっともっと、私を見て~~そして私を強く叩いてぇ~~」
はぁ、なんですか、それ?
「そんな感じで菊元さんに囁きかけてるんですよ、この子が。まさに子悪魔の囁きですね。その囁きに菊元さんが乗っかっちゃってます。ボールが当たらない原因の一つがそれです」
けっこうな断定口調だ。でもその言葉の真意が全く私には掴めない。
「見ようとすればする程、見えなくなってしまう・・・そんなものが世の中には存在します」
ついに禅問答の様相を呈してきた。もうそろそろ決断する頃合いだろう。やっぱりゴルフの指導を美波店長にお願いしたこと自体が間違いだった。
「分かりにくい説明ですかね。じゃあ、少し私の専門分野を例えにしましょうか」
諦めながらもここは(はい)と言うしかない。と、美波店長は唐突に、両方の手をあごの高さに上げた。キュッと眦が引き締まる。けっこうな迫力。んっ、それは格闘技か何かの構えでしょうか?ボクシング?そんなことを考えた時、美波店長の右手が、真っすぐ私の顔に伸びてきた。(すぅ~~)って感じで。そして目の前で拳が止まる。拳を止めて、ニコリと美波さんがほほ笑む。
「見ようとすればする程、見えなくなってしまうもの。例えばパンチです」
う~~ん、イメージできるようなできないような。だって格闘技なんて全く経験も知見もないもの。
「相手のパンチを喰らいたくない。だから相手の両拳を凝視する。こいつが一番ダメなパターンです。そんな人は間違いなくパンチを貰います。そうじゃなくて、相手の胸の辺りを漠然と見るんです。ほんと、(ぼ~~)って感じでいいです」
はぁ、(ぼ~~っ)て、こんな感じですか?
ほんとに(ぼ~~っ)と、美波店長の胸あたりを眺める。ただでも頭が放心状態に近いのだ。(ぼぉ~~)とすることは訳ない。
「そう、そんな感じです。分かりますか?」
分かる?何がですか??いや全く分かりません。言われた通り、(ぼ~~っ)とはしてますが。
「いま、菊元さんの体には余分な力がどこにも入ってません。とても自然体で立ててます」
あっ、言われてみれば確かにそうかも知れません。確かに力は抜けてます。
「余分な力が入っていない状態だからこそ、急に何かが飛んできたり、ぶつかってこようとした時に、体が応答してくれるんです。急に飛んでくるもの、例えばパンチです。そして、何かを凝視するという行為は、人間の体に余計な力が入ってしまう原因になります」
はあ、言葉自体の意味は分かります。なんとなくですが。
「まあ、口で言っても分かりませんよね。恒例の美波マジック、一つ披露しましょうか」
そんな事を口にして、美波店長はジーンズの後ろポケットから何かを取り出した。えっ、ティッシュですか、それ?
封の空いてなかったポケットティッシュを(パリッ)と開封し、一枚取り出す美波店長。一体なのをされるおつもりなのでしょうか。
「(見て、見て~)って囁かれても、アンタなんて見てあげない。そんな感じで隠しちゃいましょう。この小悪魔ちゃん」
そんな言葉と共に、美波店長がなんとボールの上に一枚のティッシュを乗せたのだ。
そんなことをしたら、もちろんボールは見えない。その場所がこんもりと盛り上がっているからボールがそこにあると分かるだけだ。まさかこの状態のボールを打てとでも?
「はい、打ってみてください」
やっぱり・・・でも全くボールが見えない状態ですよ。こんもりしてるから、そこにあるって分かるけど。
「まあ、練習ですから。あまり結果は気にせず打っちゃって下さい」
そうですよね。練習ですよね。でもさっきよりさらに危険ですよ。少し離れていてください。
加奈、3打目、いや、4打目だったっけ。もうどうでもいいや。えぃ!!
(パシュッ)
そんな乾いた音と共に白いティッシュからボールが勢いよく飛び出した。それも真正面に。えっ、まさかまさかのナイスショット。かなり好調だった先々週の練習でも、こんな会心の当たりは2,3球あったかどうかだ。
「美波マジックです」
訳も分からず立ち尽くす私に、してやったりの美波店長の優しそうな声が届いた。




