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明治5年(1872年)7月 群馬県甘楽郡富岡町 富岡製糸場 伊達正

有珠郡伊達村を出て、室蘭へと戻り函館港を経由して銚子に向かった。銚子から高瀬舟に乗り換え、利根川を上り倉賀野で降りた。横浜に帰る前に、東善寺にて上野介様の墓前に参り和尚に供養金を渡したかったからだ。それと正宗にも、国子様のお父上が眠られる場所を見せておきたかったのもある。


ここまで足を伸ばしたのだ、間もなく完成するという富岡製糸場を見学すべく甘楽郡富岡町へと向かった。外観はほぼ完成し、後は内装の不備を微調整している段階のようだ。我々と同じように、外観を見学している人物がいたので声を掛けてみた。

「私、横浜でダスティ商会を営んでおります伊達正と申します。こちらの商人の方ですかな?」

声を掛けられた者が、手と首を振り否定していた。

「私は県の役人をしております、星野長太郎と申します。富岡に官営の製糸場が出来ると聞いて、公休日を利用して見学に参ったのです」

不思議に思い、尋ねてみた。

「お役人様が製糸場の見学ですか、何か不備でもありましたので?」

またしても大仰に否定され、言われた。

「私の勤める前橋にも同じ製糸場がございまして、どのように違うのかと気になり参ったのです」

成る程、前橋にも藩営の…今は県営だったか?製糸場が大渡にあったな。

「それに高崎の英学校で学ぶ、弟にも会うついでに足を伸ばしてみたのです」

中々の家の出であるようだ。

「弟御が英学校で学ばれておられるのか、さぞ優れたお方なのでしょうな」

そう言うと、照れながらも弟を自慢した。

「はい、生糸商の新井家へ養子に入り。先は生糸を海外へと、そう期待をしております」

ほう、それは耳寄りな話だ。

「私は横浜とアメリカのニューヨークに商会を持っております、もし何かありましたら気軽にダスティ商会をお訪ねください。弟御にも、よしなにお伝え願います」

そう言って、星野殿と別れた。この何気ない出会いが、後に商いの大きな転機となることを、この時の自分はまだ知らなかった。

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