第51話 待ち人
——リーン
「おや、お客さんか」
オレはハンモックからゆっくりと身を起こし、人型に擬態して玄関に向かった。廊下がやけに長く感じる。ソーレとルーナだろうか。ここに来るまでにステラとアルバに会って、近況の一つでも届けてくれると嬉しいんだけどな。
扉を開けると、防魔服が立っていた。オレはそっと扉を閉めた。
「ちょっと!はるばる来たのに、その態度は何?」
「来ないでって言ったじゃないか、フローラ」
「だからって追い返す!?」
ここで追い返してフローラに万一のことがあったら非常に困る。オレの立場が。オレは渋々扉を開けると、ゆっくりとクッションと暖炉の部屋まで歩いた。
「掃除が行き届いていなくてごめんね。キッチンでお茶でも淹れよう。何が飲みたい?」
「ウチが淹れるわ」
「お客様にそんなことをさせるわけには——」
「いいから、座ってなさい」
フローラはキッチンに向かってしまった。オレは長く息を吐くと、クッションに身を埋めた。金星花の香りと共に、フローラがティーポットとカップを運んできた。
「ありがとう」
オレはカップに口をつけた。華やかな香りが口一杯に広がり、疲れがスッと消えていく感覚があった。
「さて、フローラ。多忙なはずの魔王様がこんな所まで、何の用かな?」
「心当たりがあるんじゃないの、夜?」
「ありすぎて分からないな」
あの後、即時無条件降伏したアルバを、復興のために尽力して強力な魔物を狩ることで償いとして、実質お咎めなしでステラと暮らさせた。彼女を恐れる連中がフローラに陳情したのかもしれない。ちなみに、ステラとアルバはオレも一緒に暮らそうと提案してくれたが、丁重に断った。
ソーレに至っては完全に野放しだ。ルーナと共に、魔龍を探す旅に出て居場所も分からない。魔王血珠が効力を失ったことで、堂々と魔龍の姿で世界中を旅している。この別荘にも時折遊びに来てくれる。
「もしかして、シャドウのことを聞いた?」
「驚いたけど、シャドウらしい決断だわ。本人が納得しているならそれでいいでしょ」
シャドウは人類の危機が去ったと分かり、シャットダウンしてほしいと頼んできた。戦争のない世界で生きていく意味がないと。戦闘用に作られたとはいえ、自由に生きてよいのだと説得したが、マスターの思い出を抱えて眠りたいと言う。オレはそれ以上止めなかった。彼女はマスターとの思い出の地で、しばし眠っている。
「魔法蟲の管理人が、魔法蟲を納品しに来たのよ」
「へえ、もしかして良質だったんじゃない?」
オレは力なく微笑んだ。フローラの使っているカップがガシャンと割れた。
「どうしてウチが怒っているか、分かるわね?」
「オレがフローラに黙って管理人に命令して、魔法蟲の苗床となったから」
「何を考えてるの?アンタ、このままじゃ死ぬわよ」
オレはお茶を一口啜った。たかが五十年ほどで死んでしまう生き物が、千年以上生きたオレの余命なんて心配するには及ばないのだが、火に油を注ぐにはタイミングが悪そうだ。
「オレなりのケジメだよ。千年前の暴走は、魔龍や人間に大きな影響を与えてしまった。どっちみち、人間は魔法蟲が必要で、そのためには魔龍が必要だろう?」
「ウチを舐めないでもらいたいものね」
フローラは何やら書類を椅子に叩きつけた。
「それは?」
「魔法蟲なしで人間が魔法を使えるようにするための魔法機の研究よ。もう臨床試験まで済んだわ」
「そりゃすごい」
オレの死後、魔法蟲の苗床がどうなるか心配だったから、これは朗報だ。
「だから、こんな馬鹿なことはやめなさい。今すぐに!いいわね?」
「魔法機を使う人間の社会になったらやめるよ。いいニュースをありがとう、フローラ」
フローラはオレの頬を引っ叩いた。フローラのヴェールは真っ赤で、喉がひりつくようなミストが吹き出している。
「どうしてアンタはいつもそう勝手なの?アンタが魔法蟲を植え付けられたと知った時の、ウチの気持ちなんて、アンタには分からないでしょうね!」
「……心配かけてごめん」
「せめて一言相談してくれれば……」
フローラはオレの手首を見て言葉を呑んだ。そうは言っても、魔法蟲なしでは人間の統治がままならないだろうということくらい、脳味噌の足りないオレでも想像がつく。
「管理人が言ってたんですって。『新魔王様にだけは知らせてはならない。新魔王様だけは会いに来ないようにしなければならない。それが旧魔王様の命令』と。なんでウチだけ会ってくれなかったのよ。剣王や獣王さえアンタに会いに行ったって聞いたわ!」
オレは目を逸らした。
「フローラは反対すると分かっていたからさ」
「会いに来させてくれなかったのはどうして?ウチ専用の罠を掻い潜るのに、十年もかかったわ!」
たったの十年で突破されたか。ソードやビーストの想定より、フローラが遥かに強くなってしまっている。これはセキュリティを強化しないと駄目だ。
「見られたくなかったからだよ」
「どういうこと?」
「こんな弱った姿、フローラに見せたくなかった」
フローラの記憶の中では、美しくて若いままでいたかった。同情なんてされたくなかった。
「……どうしてよ?」
分かってるくせに。こういう意地悪なところがあるから、尚更オレも意地を張ってしまったんだ。
「会いに来てくれてありがとう、フローラ。次はもうちょっと歯ごたえのある罠を用意しておくよ」
「すぐにでも魔法機中心の社会に切り替えて、堂々とアンタをここから引きずり出してやるわ、夜!身支度を整えておきなさい!」
「それは楽しみだ。ここで待ってるよ、フローラ」
荒々しく出て行くフローラは泣いていたんじゃないかと思う。彼女の方がオレよりよほど気位が高い。だからオレも、下手に同情なんてしてやらない。フローラだってオレに同情しているわけじゃないだろう。
窓の外にはいつもと同じ緑色の空に、いつもより明るい太陽が二つ浮かんでいる。オレはお茶の残りを飲み干した。フローラが迎えに来てくれるまで、待つ楽しみができたな。
【作者のメモ】
・ソーレとルーナには、魔龍の友達が多数できた。ほとんどが魔物に擬態していたが、擬態をやめて暮らしている者もいる。彼らはステラやアルバとも仲良くなった
・夜はフローラからもらった腕輪をずっと着けている




