五
買ったばかりのピンク色のワンピースをひらりとなびかせながら、彼女は早足で足を進める。この時間は一体何時まで許されているのかもわからないまま、ただついていっている。
彼女のいうファンサービスの意味を掴めない。それを聞けないのは、臆病になっている自分の心の問題だ。変に機嫌を損ねて、一緒にいられる時間を短くするのは惜しい。
これでいい。
自分に言い聞かせる。
この機会は二度と訪れないのは想像がつく。うまく振舞えば、もしかしたら次もあるかもしれないという淡い期待すら湧かない存在。そして、先ほどの発言からも距離が近くなることも期待はできない。
これが最初で最後なのだから、この時間を大事にしないと。
彼女はゆっくりと上昇するエスカレータ―で、スマートフォンを眺めている。時間があれば、ずっとスマートフォンに目をやる姿も自分の考えを確信に導く根拠になっている。
自分になんか、興味があるはずなんてない。
自惚れたせいで判断を間違えた。本心を伝えなければ、こんなに冷たい風は吹いていなかったはずだ。
「ついたよ」
到着したのはゲームセンター。彼女はためらうことなく、奥に進むと大きなサメのぬいぐるみが景品のクレーンゲームを指さした。
「もっとわがままでいいのよね。じゃあ、これ取って。取るまで頑張ってね」
ここまで歩いて、まさかこのぬいぐるみが欲しいのか。
彼女の独特のセンスは聞かずに、頷いて台を眺めた。そもそも、同級生と遊び感覚でやったことがある程度で、狙って落とすなんて初めての経験。しかし、意地悪な物言いで、彼女は絶対な獲得をするように言ったのだ。
「ちょっと散歩してくる。なるべく早く取ってね」
そう言って、彼女は出口の方へ歩き出した。
「そうだ、言い忘れた」
数メートル先で彼女は振り返った。
「寮の門限があるから、今日は午後六時半が限界なの」
時計の針は午後四時半に迫っている。もう二時間を切っているタイミングでいうなんて。彼女はこちらの返事も聞かずに歩いていった。
なんだ、あの物言いは。
わがままと言いながらも、こちらを気遣ってくれていた素振りから一転。勝手に言い残して、しかもあとわずかしかない時間にこんな難題を出して自分はいなくなるなんて。
ファンサービスという言葉にしては、あまりに自分勝手な行動に腹が立つ。
追いかけて話すべきか。
さすがに何も言い返さないのはおかしいのではないか。あまりに身勝手な行動をしているのは彼女で、しかも彼女はただの同級生だ。そう考えると、先ほどまで抱いていた女神像が少しずつ剥がれて、彼女がただのわがままな同級生に感じ始める。
ここで頑張る意味なんてない。
じっとクレーンゲームの中にいるサメを見つめた。失ったモチベーション、湧いてくる理不尽を受けたという憤り。この時間を大切にしたいと思っていたのは自分だけだったのだ。きっと彼女はからかう気持ちで自分を呼んだのだ。
あのパッと周りを明るく照らすような笑顔に自分は含まれていないのだ。
静かに見ていたいだけの人間をわざわざ呼びつけて、こんな目に合わせるなんて。
一度真っ暗になった彼女への気持ちが前向きにはならない。貴重なはずの時間に立ち尽くしているだけの空白が生まれる。
もう帰ってしまうべきか。
否定的な案しか出てこない頭を振った。呑気に横たわっているサメのぬいぐるみに舌打ちをすると、拳を強く握った。
彼女が離れていたのは約二十分。予想よりは早く戻ってきた。足取りは軽く、目元のメイクが濃くなっている。
「ごめんなさい。取れたかな」
無神経に声をかけてきた。三千円を失ったが、サメは排出口に頭をもたげるところまできている。
「あと少し・・・」
素っ気なく返した。ここで文句を言われると、集中が途切れる気がする。彼女は台を見ると静かになった。
首をもたげてから三回以上、何も進展がないターンを終えた。排出口に顔を出しているので押し込めば入るのだが、クレーンで押しても全く動かない。体の重心が重いので、顔を何度も押しても意味がないようだ。
何か言ってくるかと構えていたが、彼女はじっとぬいぐるみを見たまま動かない。
「あの、どうしたらいいかな・・・」
自然と口をついて言葉が出てしまった。女の子に話すと緊張する程度の人間ではあるが、それ以上にぬいぐるみを取りたくて話してしまった。
「今の感じだと、首を持っても動かないよね。胴体を浮かせて流し込むのがいいのかな」
勝手にとれというので、ここは知らないくらいの冷たい反応がくるはず。それに反して、彼女は真剣そうに首を傾げながら話した。
「やってみる」
「うん、頑張ってね」
騒ぐわけでもなく、横で視線を切らずに見つめている。先ほどから態度がころころと変わる。いや、考えているわけにはいかない。まずは目の前のぬいぐるみだ。
呑気な表情のサメを睨み、クレーンを動かした。サメの尾ひれに狙いを定めて、胴体にクレーンが入るように操作をする。十数回以上動かすことで、素人でもクレーンの特徴を掴んだ気がする程度には動かせる。三つの爪がサメの下に回り込み、胴体を掴んだ。
「よし」
声が漏れる。サメが想定通りに浮いて、排出口に潜るように頭から流れていった。
「取れた・・・」
達成感と緊張からの疲労で、力が抜けた。景品を取ると、彼女に渡した。
「取れたよ」
「ありがとう。かわいい」
呑気な表情をしたサメのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。からかうように言ったわけではなく、本当に欲しかったようだ。
「お金、結構かかったの」
心配そうに訊ねた。
「わからない。必死だったから、途中から数えていない」
どうせ、いくらかかろうが彼女は関係ないはず。先ほどのやり取りのせいで、彼女の言葉を悪く受け止めている。
「そう。ごめんね」
「わがままにいるっていったのなら、謝らないで」
「えっ・・・」
「今日は堀之内さんに合わせるのが約束だって言っているのだから、俺は合わせようとしていたのに、さっきからコロコロ態度変えるのはおかしい」
使わずにいた俺という一人称が出てしまう。彼女が顔をしかめた。
「ごめんなさい」
「ファンサービスってなんだよ。正直今日はなんで呼ばれたのかも意味が分からない。俺のことからかっているの」
強い口調で攻め立てた。彼女はサメのぬいぐるみを掴む力を弱めて、胸のあたりに抱えたままこちらを見ていた。メイクを直してきたのか、会った時より口紅の色が少し赤みを帯びている。
「全然そんな気はない」
「じゃあ・・・」
「キャラクターが不安定なのは、ごめんなさい。そういえば、謝るのもなしだよね」
彼女は歩き出した。
「どこ行くの」
「いつもの私も見せないとね」
曖昧な回答のまま、しばらく歩いた。別のアミューズメント施設の中を歩いていくと、ゲームセンター内にバスケットゴールがおかれた機械の前で止まった。
「ただのフリースローゲームだけど、少しやってもいい」
通常はお遊びのようなものだろうが、サンダルを脱いで彼女は自分の財布からお金を出して投入した。
女の子がお遊び程度にやるのかという視線を感じるが、彼女はすっと構えると真剣にボールを放り込む。綺麗にゴールを決めていくが、ゴールが回り始めると表情を崩した。
「普段これはないなあ」
視線は乱れない。ボールを拾い上げると真剣にゴールにボールを放り込み続ける。うまいなという声が聞こえるが、自分も彼女から視線を離せなかった。
試合中の彼女をこんな近くで見るなんて。遊びではあっても、表情はまさに試合さながらで先ほどまでの落ち着きのなさは消えていた。
「終わったか」
ボールが出てこなくなると、彼女は息を吐いた。周りには数人程の見物人がいたが、終わると同時に離れていった。
「このスコアだと、先輩にいじられそう」
冗談めかして笑っていた。その前の話題が途切れていたので、なんて態度をすればいいのかわからない。
「せっかくメイク直したのに、また汗かいちゃった」
「あの、さっきの話だけど・・・」
「中々のファンサービスだよ。調整中で試合は出られないタイミングで、こんな近くで見せるなんてないからね」
「うん・・・」
「なんてね。冗談だよ」
近くに置いていたぬいぐるみを掴むと、再び歩き出す。
「もう五時半か。最後にご飯食べて話しましょう」
こちらの質問に一切答えてくれていない。モヤモヤする気持ちはあるが、彼女が躊躇いなく歩いていくので立ち止まって話をする隙がない。
「勝又君、ラーメンは好きかな」
「うん」
「よかった。久しぶりのラーメンだから、すごく楽しみ」
目を細めて、彼女は笑顔を見せた。キラキラと、額に汗が光っている。ハンドバッグから薄いピンク色のハンドタオルを出すと、汗を拭いていた。
「大丈夫、最後には話すから」
前を向いたまま、彼女は呟いた。




