江戸城、津軽屋敷
江戸城。家康が大改修して今も天下普請が続いているが、その主要な廓は完成していた。その江戸城内には数人の大名が待機させられている。江戸在番という名目での出仕だが、地方で無用の邪心を起こさせないための家康が仕組んだ反乱予防策だ。
(此処に弘前藩藩主、津軽信枚が押し込められている筈だが…)
江戸城に潜入している大坂方の伊賀者ではない。本来の警護役である、服部党の同心だ。すでに服部党は二重スパイ状態で大坂城に内通している。服部党としても、なにか成果が欲しい処だったので、江戸城一帯をそれとなく諜報活動していた。
「いったいなんなんだ。何が起きている?」
複数の書状を前にした津軽信枚が腹心の百沢左衛門に尋ねる。
「はて…いきなり、こうも立て続けに書状が舞い込むなど、お歴々は北の果ての弘前にいったい何を期待されておるのやら。この左衛門とて当惑でしか御座いませぬ…。」
「大御所の書状は当然だ。『江戸在番と云えども懈怠あるまじき也。』は判る。」
「左様ですな。いつもの引き締めですな。」
「だが、何故大坂の秀頼殿から書状が来る?津軽は関ケ原でも徳川に組したのだぞ…。その津軽に将来の交易を持ち掛けるとは。津軽と大坂の距離も知らぬのか?秀頼殿は。」
「そんな事は考えられませぬな。豊臣家は商い上手。日ノ本の地理は元より物産、鉱山、全てを把握していますぞ。」
「…だが、それにしてもだ。『古の十三湊を浚渫して南蛮船でも入港できる港湾を整備されたし。潰えの数割は豊臣家が受け持つ。』はやりすぎだろう。そんな莫大な産物、弘前藩には有りはせぬ。」
「左様。なればこそ、その答えの一つが南部利直殿と伊達政宗殿の書状で御座いますまいか。」
左衛門の返答に改めて津軽信枚は南部利直と伊達政宗からの書状を手にする。
「確かに、伊達も南部も我らとの交易を持ち掛けてきて居る。伊達はさらに港湾整備の補助まで申し出ている。だが、南部だぞ?南部氏と云えば我が津軽とは宿敵ぞ。それがいまさら仲良く交易しましょう………と、どんな裏があるか知れたものでは無いわ。」
「左衛門は裏も糞も無いと考えまする。」
「なに?では文面通りだと?」
「は。これは豊臣の絵でしょうな。こんな交易の絵を描く大名など日ノ本では豊臣のみ。おそらく伊達も南部も豊臣の策を受け入れた…そう見ますな。」
「それは?」
「総無事令を受けて以来、迂闊に戦は出来もうさぬ。されば、貧しい地の領内を富ますには交易に力を入れるしか御座らぬ。伊達は元々南蛮まで使者を出すほどの男でござる。豊臣に言われる迄も無く交易を模索して居りましたので、これ幸いと飛びついたのでしょうな。南部とて、領地こそ広大で御座るが物産乏しく石高は我が弘前藩より小さい。豊臣の誘いに藁にもすがる思いも御座いましょう。」
「そうだとしても、何故我が弘前藩なのだ。伊達の方が大坂に近いではないか。」
「港でしょうな。交易の物を運ぶには船でのうては叶いませぬ。伊達領から南へは海の難所が続き大きな港は有りませぬ。逆に我が津軽から秋田や越後方面には酒田、直江津と良好な港湾がありまする。これに我らが十三湊を復活させれば北の果てまで輸送路が仕上がります。」
「南部と伊達はその輸送路に一枚噛みたい…そういう事か。」
「恐らくは…」
「だがそこまでする必要が大坂の豊臣に有るのか?西国ならいくらでも交易出来よう。港湾も十分に多いし瀬戸内は穏やかではないか。」
「さあて…右大臣家(豊臣)がそこらをどう考えているのか迄は判りかねますが。ただ…」
「ただ?」
「この話に伊達が乗っているという事は、伊達は本気で戦う事は無いでしょうな。そして同様の話は陸奥の全ての大名にも届いているやも………。」
「………成程。いま大坂に参集している幕府軍だが、そのかなりの大名にやる気がない…と。」
「はい。これでは此度の大坂攻めも、また失敗もあり得るかと。」
「そうなのか?」
「外様大名がやる気なしとなれば、兵力差も随分と萎みます。兵力に大差が無ければ守る側が有利で御座れば…。」
「…ふうむ…。」
暫し考え込む津軽信枚。やがて吹っ切れたのか、左衛門に命ずる。
「判った。では我らも陸奥の諸大名に習うとしよう。各書状の返信を出す。『委細承知。』とな。」
「ご英断と存じまする。」
「さらにだ。そういう事であれば、我らも船が必要ではないか?」
「おお、如何にも。されど我らには大船を造る技前も資金もありませぬので…ああ、この際船も右大臣家に無心なさろうと?」
「そういう事だ。伊達殿と異なり我が弘前藩は南部よりはマシだが貧しい。船1艘で事実上の不戦が結べるのだ。大坂方にとっても悪い話ではなかろう。」
「…うーん、さて…それはどうでしょうな。大坂方が劣勢と思い込むのは危険やもしれませぬぞ。」
「なに?そうなのか?」
「現に緒戦は幕府側が大敗しておりまする。そのうえ、伊達が大人しく大坂方の策に乗って居りまする。あの伊達政宗が…です。」
「…すると、何か、左衛門は最終的な勝ちの目が大坂方にもあり得る…そう思うのか?」
「少なくとも、伊達はそう考えている………と思ったほうが宜しいかと。」
予想外の返答に考え込む津軽信枚。
「ならば左衛門、我が弘前藩の進退は如何に致す?」
「大坂にも幕府にも平身低頭しつつ、船は右大臣家に強請るが宜しいかと。」
「成程、味方してやる…ではなく、恵んでくれ…と云う訳だな。」
「ご不満ですか?」
「いいや、我が津軽家は太閤殿下に大恩がある。立地が東であったから関ケ原以降江戸に与力しておるが、弘前城の『開かずの宮』には太閤殿下の木像を先代様が安置して御座る程だ。大坂を敬うのになんら障りなど有るものか。」
「ならばさっそく国元の杉山源吾に書状を出し十三湊の件を差配させましょうぞ。」
杉山源吾。かの石田三成の次男とも。関ケ原の戦いで敗れた石田家だが津軽為信が石田三成の次男・石田重成を匿い、改名させ、この時期には侍大将にまで出世していたとも云われる。
「うむ。源吾であれば領内の仕置きは適任じゃ。十三湊も過不足なく整備出来よう。大坂から伊達にまで及ぶ、長大な交易路の要の港になると、よくよく説明も忘れるな。」
「委細承知!」
秀頼の遠大な策はジワジワ実現に向かって歩みだすのだった。




