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前編


「う……んん……」



 うっすらと目を開ける。ぼやけた視界は暗くて、どこか遠くで夜なのかもという認識を抱かせた。


 ちょっと息苦しい気がすると思えば、どうやらうつ伏せに寝ていたようだと気づき、ごろんと寝返りをうつ。当然、視界も反転して……。



「……はっ⁉ え⁉ どこここ⁉」



 思わず覚醒。そのまま勢いよくがばりと上体を起こす。


 視界に映る、鬱蒼とした木、草、土。いやいやいや、え、なにわたし、外で寝てた⁉ 夢遊病⁉

 そもそも寝た記憶だってないんだけど、と思って念のためきちんと記憶を手繰ろうとするが、なんか全然思い出せない。


 よく言う、頭に靄がかかったかのよう、というヤツを絶賛体感中だ。


 とは言っても、思い出せないのは直近の記憶だけの模様。わたしはわたしがだれかもわかるし、家族も友人も、暮らしている自分の家の場所だってちゃんとわかる。記憶喪失ではなさそうだ。


 ……あれ、一部だけ失くす場合もあるんだっけ。


 どうあれ、直近の記憶がないせいか、ここがどこかは依然としてわからない。自然豊かというより、なんかすごくおどろおどろしい感じがするのは暗いせいだろうか。

 お化け屋敷みたいだな。そんな感想を抱くけど、ここがどこかまったくわからなければ、こころあたりさえない。となれば、帰り道もわからないということになる。


 どうすんの、これ……。


 途方に暮れる、のは一瞬。すぐにスマートフォンという文明の利器の存在を思い出し、からだ中を漁った。


 ……ない。というか、荷物、なにひとつない。


 無一文とか、バスにも電車にも乗れなければ、タクシーに乗せてもらうこともできなんだけど。

 しかしわたしは項垂れなかった。正確にはそんな暇などなかったというのが正しいんだけれど。

 なにかないかと持ちものを探そうとしていたとき、ちょっと離れたところに倒れているひとを見つけたのだ。



「由宇!」



 なにを隠そう、倒れていたのはわたしの大事な親友、浅木由宇(アサギ ユウ)。腰まで届く黒髪が美しければ、顔の造形も文句のつけようもない、さらには肢体だってそれはもう素晴らしい、黙っていれば芸能人だって目じゃない美人中の美人である女の子。


 うん、黙っていれば。


 あ、いや、わたしはぜんぶひっくるめた由宇がすきだよ! もちろんだよ!

 と、そんなことを考えている場合ではない。慌てて由宇に駆け寄って、その上体を抱え起こす。気を失っているのか眠っているのかその違いがわたしにはわからないけど、どうあれ目を閉じていようと由宇が美人なのは揺るがない。

 髪なんて、シャンプーとかトリートメントとか、真似してみたのにこの違い。さらっさらの黒髪、羨ましい。


 はっ、見惚れている場合じゃないんだって。



「由宇! 由宇、起きて!」


「う……」



 改めて声をかければ、眉間にぎゅっと皺を寄せてから、ゆっくりと由宇の目が開いていく。ぱっちり二重の、きれいな黒瞳。睫毛もばっさーで羨ましい。

 ちょっと神様、贔屓に過ぎるんじゃなかろうかと常日頃から思っている。

 いや、由宇の場合、ちょっと性格で調整とろうとした感あるけど。



「由宇」


「んん……? (アキ)?」



 ぱちりぱちり。数回瞬いた由宇は、目頭を押さえながら軽く首を振る。そのまましばらく固まったため、どうしたのかと顔を覗き込んだ。



「由宇? だいじょうぶ? どこか痛い?」



 問えば、由宇は改めてゆっくりと目を開き、それからじっとわたしを見つめた。


 おおう、由宇はもともとひとの目をしっかりと見るタイプなんだけど、こうもじっと見つめられると照れるじゃないか。繰り返すけど、おっそろしく美人だからね、由宇。



「えええーと……なに? なにかついてる?」



 わたしのほうが思わず視線を迷わせてしまう。仕方ない、わたしはごくごく平凡な女子大生。日本人なのに色素薄めの髪がちょっと悲しい、そんなふつうの女の子なのだ。

 下手に染めなくていいじゃん、と別の友人に言われたことがあるけど、それは黒髪に恵まれたひとの言いぶんだ。わたしは黒髪になりたければ、黒に染めねばならないんだぞ。なにゆえ日本人なのに黒髪にするのに染めねばならんのだ、と、わたしの中の大和撫子魂が嘆いたこともままある。


 そんなわたしの余所事思考なんて気づいていないだろう由宇は、しばらくして顔を伏せた。



「……いや、うん。なんでも、ない」



 珍しい。由宇にしてはなんかちょっと歯切れが悪いような……。



「ねえ、由宇、ほんとうにだいじょうぶ?」


「……ん。それより映、早く帰らないと」



 心配して問うけれど、由宇はすぐにそう返してくる。うーん、気にはなるけど、由宇の言っていることはもっともだしね。



「そりゃ帰りたいんだけど、由宇、ここがどこかわかる? ていうか、わたし、なんでこんな場所にいるのかもわからないんだけど」


「え?」


「え?」



 意外とばかりの反応を返され、わたしのほうが首を傾げる。なんだなんだ、由宇はどうしてここにいるのかも、ここがどこかもわかっているのか?



「あー……。そうか、そうなのか。いや、うん、ごめん映。私もここがどこかわからない」


「えー、知ってそうな態度じゃなかった?」


「残念無念。そんな都合のいいはなしはないな。どうあれ、こんな陰鬱な場所、長居しないに越したことはないよ。行こう」



 ちょっとあからさまに流した気がするけど、ここがあんまり長居したい場所に思えないことには同感だし、さっさと立ち上がった由宇に続いてわたしも立ち上がる。で、服についた土とか草とか簡単に払った。

 さらに由宇のぶんも払ってあげる。由宇、こういうところ頓着しないんだよね。



「あー、ありがとう」


「どういたしまして。由宇、せっかくの美人なんだから、もうちょっと自分に興味持とうよ」


「因果性がわからないといつも言っているはずだけど」


「もったいないってはなしだってば」



 わたしのことばは、いつだって肩を竦めて終わらせられる。ほら、いまもまた肩を竦めて以上にした。



「とにかく急ごう。じゃないと」



 みなまで言いきれなかった。由宇がはなしているその途中で、がさがさと木と木の間の茂みが音を立てたのだ。

 こんな暗くて不気味な森? 林? の中で急にそんな音がすれば、思わずひえって声だって出るってものだ。ついでに飛び上がってから思わず由宇にしがみついた。



「なに⁉ なになになになに⁉」



 ぎゅうって由宇の腕にしがみついて、音のしたほうを見つめる。熊か⁉ 熊はダメだ。せめて鹿を所望する!

 無残に喰い殺される絶望的な未来が頭をよぎるが、直後に見えたのは、まるでベクトルの違ういきものだった。


 いや……あれ、いきものじゃ、なくない……?



「……う、あ……あ」


「ぞぞぞぞぞぞぞぞゾンビ⁉」



 ひいいっ。な、なんか全体的に溶けてる? いや、腐ってる? わ、わかんないけど、なんか肉とかどろっとしていて、骨見えてたりするし、服も着ているというより、ぼろぼろになったものの一部分だけ残っている、といった様相。顔の肉も溶け……削げ? 落ちていて、だらしなく開いたくちには歯も数本しか残っていない。目も片方どこかに置いてきたようだ。

 どう見ても、映画に出てくるゾンビそのもの。いや、これ現実だから、リアリティは負けてない。むしろ怖い。気持ち悪い。



「……映、私の腕をちぎる気?」


「ご、ごごごごめん! てか冷静だね⁉」


「ひとは自分より動揺しているひとを見ると、かえって冷静になれることもあるんだよ。それより、逃げよう。アレに捕まったら碌なことにならない」


「そ、そそそれってアレだよね! わたしたちもゾンビになっちゃう的な!」


「……たぶん」



 そうだよね! たぶんだよね! でも可能性あるよね!



「よし、逃げよう!」



 なんであんなのがいるのかとか、そういうことはあと回しだ。落ち着いて冷静に考えられるようになってからでいい。

 とりあえず、あのゾンビっぽいものとは反対に駆け出そうとして……由宇に腕を取られて阻止された。



「こっち」


「へ? あ、うん」



 そう言って由宇はゾンビに向かって左手側に、わたしを促し駆け出す。どこに向かおうと木、木、木、で、道らしき道なんて見当たらないので、わたしに異論はない。むしろこういう、はっきりと決めてくれる由宇の性分は、割と多くの面で頼り甲斐があって助かってきた。


 けど。



「あああ……」


「ひいいいっ!」


「うああ……」


「ぎゃあああっ!」


「ああ……あああ……」


「また出たあああっ!」



 視界も悪ければ足もとも下生えすごくて悪い中、由宇と一緒に必死に走る。その行く先々にいるわいるわ。どれだけわいてくるんだと猛抗議したいくらいゾンビたちが溢れている。


 なに、なんなの。わたしがちょっと寝ている間に、バイオハザード的なことが起きたわけ⁉ いまの日本、ゾンビに占拠されちゃったの⁉


 幸いなのか、あいつら、あんまり動きは早くない。というか、むしろ、ステータス見た目の恐怖感に全振りで、鈍重とさえ言ってもいいのではなかろうか。でもその全振りされた見た目の恐怖感は、すべてをかなぐり捨ててでもそれをとった甲斐があるのか、本気で怖い。

 暗闇の、木の影からぬっと出て来てみたところを想像してよ。トラウマレベルで泣き出すから。そう、わたしがもうだいぶ泣けてきているのは仕方がないのだ。

 なんなら何回か転んだことだって仕方がないと思う。その度に由宇が素早く手を貸してくれ、なんとか間一髪捕まることだけは逃れてきたけど。

 あーとかうーとか、そんなことばにもなっていない音を放ちながら、それでもちゃんとこっちに腕を伸ばして迫ってくるあたり、ちゃんと意思をもってわたしたちを狙っているんじゃないかと思う。……いや、本能の可能性もあるのか……?



「もーやだあああ……」



 ぐすぐすと泣きながら、それでも足だけは必至に動かす。そうして走っていたその途中、ふいに由宇が立ち止まり、わたしからすこし離れてしまう。



「ゆ、由宇……?」



 わたしもすぐに一旦足を止め、由宇のそばに駆け寄ろうとしたんだけど。



「由宇!」



 由宇がちょっとしゃがみ込んだその直後、彼女のすぐ目の前にゾンビが一体現れた。


 迷う暇も悩む暇もない。とにかく由宇を助けなければ!


 具体的にどうするという策があるわけでもないわたしは、本能のままに由宇に飛びつき、そのままゾンビの腕の射程範囲外に転がり逃げようとした、ん、だけど。


 ご、というか、ごぎゃ、というか。とにかくおそろしく鈍く、そして若干湿り気が織り交ざっているような音が辺りに響き、わたしは由宇に向かって手を伸ばした体勢のまま固まる。



「………………え、えーと…………由宇さん?」



 ゾンビなんてものを目にしたときもそうだったけど、いまも大概混乱して困惑している。


 なにせわたしの親友、角材でゾンビを打ちのめしたのだから。


 え。えええ……これ、どこから突っ込めばいいの……?

 知らず涙が引っ込んだ。



「よし。いけそう」


「よしじゃないって! なに、なんなの、え、角材?」


「それ以外のなにに見える?」


「いいえ、角材にしか見えません!」


「だろう? 手に馴染むちょうどいい太さで、リーチも申し分ない。優れた角材だよ、これ」


「わたしはそれになんて返せばいいの……!」



 絶世の、と称しても過言ではないくらいの美人が、長い黒髪を靡かせ角材を携える様を想像してほしい。いっそ似合いすぎていて怖い。美人はなにをしても美人だというけど、こんなところまで似合わなくてもよかったんじゃないだろうか。

 ちなみに、当然といえば当然だが、その角材には黒っぽい液体と、あえて明言しないなにかのかけらっぽいものがオプションでついている。怖い。

 由宇が笑顔なのもまた怖い。


 ……まあ、あの、こういうところなんだけどね。由宇が美人なのに残念なの。思いきりがいいのはいいことだったりもするけど、その方向性が結構突拍子もないというかなんというか。


 うん。犯罪歴はない。もちろんだ。



「あ……あぁ……」


「ひっ! ま、まだ生きてる……!」


「いや、死んでいるだろ、これ。死んでいるから殺せないんだよ」


「冷静だね!」



 頼もしいな!


 もうこれ、わたしが取り乱していることとか関係ないんじゃないかな。絶対由宇本来の性格だよ。



「とりあえずぼこぼこにして、どれくらいで動かなくなるか試して……」


「いいい、いいから! そういうの、いいから! 行こう!」



 たぶん、このゾンビたちももとは生きたひとだったんだと思う。いや、便宜的にゾンビと言っているだけで、本当にゾンビかどうかもわからないけど。

 でももし本当にもともと生きたひとだったのであれば、一応、ほら、ひととしての尊厳とかそういうの、あえて必要以上に奪わなくてもいいんじゃないかなと思うのだ。


 あ、もちろん、わたしたちの命のほうが優先度高いから、命を守るためなら必要措置と断じるのはやむを得ないと思っている。うん、仕方ない。



「うーん、倫理とか考えなくてもいいと思うんだけど。どうせもう、自我もなにもないんだし」


「え? な、なんでわかるの?」


「映の考えることくらい、わかるよ」


「いやいや、そっちじゃなくて、アレに自我がないってこと」



 復活したゾンビを、由宇が無慈悲に打ちのめす。このぐしゃって音、なにがぐしゃってなっているか想像すると居た堪れない。

 必要以上にぼこらなくても、なんて言った直後にこうだけど、これは仕方ないほうの分類にする。自分本位なのもまた、仕方ないのだ。状況が状況だから許される、と信じている。

 由宇はゾンビを躊躇いもなく思いきりぶん殴って撃沈させたことなどまったく気にも留めず、わたしのことばのほうにだけちょっと眉根を寄せて反応した。



「あー……。うん、勘」


「勘⁉ そういえば、わたしたち、由宇の先導で進んできたけど、由宇、帰り道わかってるの?」


「あー……。うん、勘」


「勘!」



 ちょっと由宇、本当にだいじょうぶなんだよね⁉


 ここにきて急に不安になってきたけど、当の由宇が平然としているから、なんとなくだいじょうぶなんだろうと思えてくる。理屈とかそういうの関係なく、なんか由宇がぴっと立っていると、それだけでだいじょうぶな気がしてくるんだよね。カリスマってヤツなのかな。



「大丈夫、大丈夫。映は必ず私が助けるから。だからもうすこしがんば……」



 言いかけて、由宇が急にその場に蹲る。え、なに、なに、どうしたの⁉



「由宇⁉」



 慌ててわたしもしゃがみ込み、由宇の顔を覗き込む。由宇はただでさえ大きな目を極限まで見開き、ぎゅっとくちびるを引き結んで、角材を持っていないほうの手で服の胸もとをこれでもかと握りしめていた。

 暗くてよくわからないけど、顔色も悪い気がする。



「ちょ、ちょっと由宇! だいじょうぶ⁉ どこか痛い⁉ 胸⁉ 胸なの⁉」



 効果があるかわからないけど、とにかく背中をさすってみた。そうしながら必死に声をかける。

 由宇に持病なんて、わたしの知る限りではない。すこし震えているような気もして、どうしたらいいのか焦る。

 由宇がわたしの立場だったなら、きっとすぐになにかしらの行動に移った。でもわたしはそんな知識も行動力もない。せめてスマホさえあればと思うけど、ないものねだりをしても得られるものなんてなんにもなかった。



「由宇!」



 見開いたままの黒瞳は、なにを見つめているのか。視線を追うよりも、由宇の様子から一瞬も目が離せなくて、わたしはなんとかのひとつ覚えみたいにただただ必死に由宇のなまえを呼び続ける。


 しばらくして、由宇はゆっくりとその目を一度閉じ、それから震えるくちびるを開いて静かに息を吐き出した。



「……由宇?」


「……おなか……すいた」


「…………は?」



 なんだって?


 思わず問い返すけど、由宇はなんてことないようにその場に立ち上がり、なんならわたしに手を差し出し立ち上がるよう促してくる。



「私が映をこの角材で守るから、映は帰ったら焼肉奢って。食べ放題じゃないやつ」


「肉って……」



 よくこの状況で肉が食べたいとか言えるな。わたしはしばらく無理だよ。ゾンビの見た目もだけど、臭いもひどくて、とてもじゃないけど肉とか食べられる気がしない。


 まあ、由宇なら平気なんだろう。由宇だし。


 そう思いながらも、まだすこし不安に思い訊いてみる。



「ねえ、由宇。本当にだいじょうぶ?」



 さっきの由宇の様子、尋常じゃなかった。おなかが空いているってだけでああなるなんて、いくら由宇だからって考えられない。……由宇だけど。



「ん、大丈夫。それより映、いくらおなか空いても、ここにあるものは食べたら駄目だよ」


「ちょ、なんでわたし⁉ 由宇でしょ、それ!」


「え? 私は見知らぬ場所で拾い食いとかしないよ」


「わたしもしないからね!」



 大体、そもそものはなし、おなかが空いたなんて言い出したの、由宇でしょうに。


 むっとくちびるを尖らせるけど、やっぱり由宇はどこ吹く風で、さっさと先に進もうと促してくる。さすが由宇だ。マイペースに過ぎる。

 ともあれ、さっきのゾンビがまたいつ復活するとも限らなければ、ほかのゾンビたちが寄ってこないとも限らない。とにかく帰り道を探すことには賛成だ。


 ……これ、帰る場所、ちゃんとあるよね。みんなゾンビになっていたりしないよね……?


 頭をよぎった最悪な状況に血の気が失せていく感覚がするけど、由宇がわたしのなまえを呼んでくれたから、ちゃんとしっかり歩き出せた。


 だいじょうぶ。うん、きっとだいじょうぶ。


 だってわたしのそばには由宇がいる。由宇がいてくれると、なんだかんだと大概のことはだいじょうぶなのだ。

 うん、そう、だいじょうぶ、だいじょう、ぶ……。



 …………いやいやいや! だいじょうぶだけど! 確かにだいじょうぶだけど!



「由宇さんちょっと無双過ぎやしませんか⁉」



 由宇が角材をゲットしてからというもの、ホラーだったはずの状況が、アクションに早変わりした。

 右から来たゾンビを横薙ぎ一閃。左から来たゾンビを袈裟斬り。正面のゾンビを突きで吹き飛ばしては、寄ってくるゾンビをぼこぼこぼこぼこ。その有様に、撲殺王の称号でも狙っているのではなかろうかと思えてきた。

 慈悲もない。



「うん、ごめん、ちょっと楽しくなってきた」


「やめて⁉ 外では絶対やっちゃダメだからね!」



 殺る、ともいう。



「ていうか、疲れないの? 腕痛くなったりしない?」



 嬉々としてゾンビ狩りをはじめたことには、もう深く追求すまい。外で罪さえ犯さなければよしとする。けれどそれ以外にも心配なことはあるわけで。問いかけたわたしに、由宇は一度瞬いてからじっと角材を見つめた。


 もはやきれいな部分の面積なんて、ほぼほぼないに等しい角材だ。まかり間違っても持ちたくはない。



「……映はチートってことば、知っている?」


「ちーと? って、なんかすっごい強い設定とかでしょ?」


「きっと私、それだと思う」


「……えええええ……。まあ、由宇ならそんな気もするけど、どうなの、それ」


「あ」


「え?」


「ああ、いや、うん。なんでもない」



 えー、気になるじゃん。なにいまの「あ」って。

 なんか左手見ていた気がするけど、すぐにさっと引っ込めたし。



「左手、どうかした?」


「うん、汚れていた」


「そうだろうね!」



 あれだけ至近距離でぼこぼこゾンビ殴っていれば、それはもう返り血ならぬ返りなにかが飛んできているはずだ。なにとはあえて明言しない。

 気持ち悪くないのか訊けば、割と平気とか返してくるし、無闇に殴打していかなくても、ひっそり通り抜けるとかで済みそうな相手でも背後から颯爽と奇襲をかけにいくし。由宇の常人離れっぷりが本領を発揮しすぎていて困る。


 念のためもう一度確認しておくけど、わたしたちはふつうの女子大生。そう、極々一般的な女子大生。状況が異常なだけで、本来ならちゃんと然るべき組織……警察とか自衛隊とか? に、保護してもらう対象のはず。

 まかり間違っても、自ら率先してゾンビ滅殺に乗り出せる存在ではない。はず。

 由宇を見ていると自信がなくなってくるので、自分のために自分のことを確認しておいた。



「もー、これどう見ても逮捕とか補導案件だよー。家までひっそり帰れるかな」


「悪いことはしていないんだから、堂々と帰ればいいんじゃないかな」


「鏡を見て言ってね! てか、どう説明するの、この状況」


「なんとかなるよ」


「なんとかって……」



 軽く言ってのける由宇に、思わず半眼を向けてしまう。けれど由宇はきれいににっこり笑って返した。



「大丈夫。映はちゃんと守るから」


「……うー。惚れちゃうよ、由宇」


「え、それはやめて。私、恋愛対象、異性だから」


「梯子外された気分!」



 恰好いいのかなんなのか。きっちりオチまでつけられて、がくりと項垂れてしまう。


 でも、うん。



「惚れる云々はともかく、すごく感謝してるよ、由宇。由宇がこうしてがんばってくれてるおかげで、わたし、無事でいられているんだもん」



 由宇がいなかったらどうなっていたか。想像するだに恐ろしい。

 由宇がこんなふうに自分の手を汚してでもわたしを守ってくれていることはちゃんとわかっている。たとえ由宇自身が楽しんでいようとも、その事実が揺らぐことはない。


 ほんとうに、感謝してもしきれない。


 ……せめてハンカチくらいちゃんと持っていたらよかったのに。





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