後編
「まあ、大事な親友だからね。映が元気でしあわせに生きていてくれたら、私もうれしい」
「なに言ってるの。それは由宇もでしょ。わたしの隣には由宇がいてくれなくちゃ」
なんだか変なもの言いをされたような気がしてそう返せば、由宇は数回瞬いた。それからすこしだけ困ったように笑みを浮かべる。
「うーん。私の隣には私の理想の男性がいてくれるのがベストなんだけど」
「だから梯子を外すなってば」
大体、由宇の好みはちょっと変わっていると思う。現実にそんなひとがいたらちょっとマズいんじゃないかというレベルには。
ちなみに、由宇が嬉々として角材を振り回しているのはその理想像のせいだとわたしは察していた。撲殺王の異名は、その理想の男性に相応しいと思われる称号なのだ。由宇はきっとそんな彼と肩を並べたかったのだろうが、現実では是非遠慮してもらいたい理想でもある。
もちろん、その理想の男性は二次元に生きていらっしゃるかたです。だからこそ、現実にいたらマズくてもだいじょうぶなのです。
「それはともかく。さあ、進もう。もうすこしだよ」
「たぶん?」
「たぶん」
顔を見合わせて笑いあう。陰鬱とした森だか林だかの中で、ゾンビなんてものに襲われて、正気を保っていられるなんて思えるはずもなかったけど、由宇がいてくれたから。由宇がいてくれるから、こうして笑うことだってできている。
わたし、ほんとうにいい友人に恵まれたなって思う。大事な親友、なんて、わたしの台詞だ。
……うん、帰ったらちゃんと肉を奢ってあげよう。食べ放題じゃないヤツ。でもバイト代入ってからね。
そうこころに決めながら、由宇と一緒にまた駆けだす。
相変わらずゾンビはうようよしていて……って、ちょっと待って。気のせいか、数、増えてきてない?
「ね、ねえ、由宇、ゾンビが……」
「映、足止めないで」
「……由宇?」
なんだろう。それはもちろん、由宇のことばに異論なんてない。そうじゃなくて。
なんか……由宇の様子が、変?
なにがどう、とかわからないけど、困惑する。それでも足を止めずに走り続けた。
ゾンビはどんどん数を増していき、さすがに由宇も角材で殴りきれないと判断したらしい。うまくすり抜けられる隙を見つけては、わたしを連れて駆けていく。
そうして走っていくと、遠くにひかりが見えてきた。
「由宇! あれ!」
夜だったわけじゃない。生い茂る木々の葉のせいで、単にひかりが届かなかっただけなんだ。
だとすれば、あそこまで行けば、この森だか林だかから抜け出せるはず。
やっと見えた、文字通りの光明に、わたしは嬉々と声を上げた。瞬間。
「……え?」
由宇の、足が止まった。
「ちょ、ちょっと由宇、早く行かないと……」
「うん。早く行って、映」
由宇が、なにを言っているかわからない。なんで、とか、どうして、とか。そんな疑問ばかり頭に浮かんで困惑する。
いままでいっぱいいたゾンビは、いまのところ周囲にいない。でもやっぱり、いつまた現れるかわからない状況には違いないのだ。
だからこそ、ゾンビがいないいまなら安全に逃げ出すチャンスだというのに。立ち止まったまま、由宇はゆるくほほえんだ。
「ここは、黄泉平坂。彼岸と此岸の境界。映はゾンビって言っていたけど、アレは黄泉軍の一部だよ」
「は……? え? よもつ、ひらさか……? よもついくさ……?」
なに、なんのはなし? なんでそんなこと、由宇が知っているの?
由宇は頭がよくて、わたしなんかよりよっぽど知識が豊富なことは知っている。……まあ、概ね偏った知識ばかりだったりもするけど。
でも、だからってなんでいま急に……。それに、由宇、言ってたのに。ここがどこかわからないって。
「わからなくてもいい。でもね、映は帰れる。まだ、間に合う。だからあいつらは追ってくるんだ。……黄泉返りなんて、させないために」
「わたしは……って、じゃあ由宇は……?」
茫然と。いまだ状況も由宇のはなしもうまく飲み込めないまま、それでもなんだか由宇がわたしとの間に明確な線を引こうとしている気がして、思わず縋るように見つめてしまう。
由宇は笑みをすこし困ったものにして、それから左手をすっとわたしに見せつけるように伸ばした。
由宇の、手。散々ゾンビを殴ったからあたりまえのように汚れてしまっているその手は……。
小指が、なかった。
「…………っ」
息を飲む。その小指はきれいに切られたとかそういう感じじゃなくて。そこは、そう。
溶けるように、もしくは腐り落ちるようになくなったのだと、本来それがあるはずの場所が語っていた。
皮膚が、肉が、溶けるように、腐るように。それは、あのゾンビたちの姿を彷彿とさせ……。
「っ、やだ! やだよ、由宇! 由宇だって、だいじょうぶ! だから一緒に帰ろう! 帰ってお医者さんに診てもらおう! きっと、きっとだいじょうぶだから!」
ね、と、その左手を取って引けば、ずるり、と。その、左手、が……。
「ひっ……いやああああああっ!」
信じたくなくて、信じられなくて。思わず手のうちにあるそれを放り出し、蹲る。それでも感触だけは残り続けて、わたしは必至にごしごしと服で手を拭い続けた。
「映」
びくり。思いきり、肩が跳ねる。
いつもだったら安心さえ覚えるその声が、聞き慣れているはずのその声が、まるでまったく知らないひとのもののように聞こえて……顔を上げたら、そこにはもう、わたしの知る由宇がいなくなってしまっているような気がして。頭を抱え込んで、顔を伏せた。
「映、ちゃんと聞いて。私はもう、向こう側の存在なの。だから映、早く行って」
そうじゃないと。
「私も、映を逃がしたくなくなるから」
その声は、ひどく悲しそうで苦しそうで。由宇がそんな声を出すことなんて本当に滅多にないことだから、わたしはゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、間違いなく、由宇だった。
だけど、由宇のその顔は……。
半分、どろりと溶けはじめていた。
「ゆ……」
「行って、映。早く」
有無を言わさない力強さ。それこそが、本来の由宇らしいもの言い。
でも、だけど……っ!
「もう限界が近いんだ、わかって、映!」
由宇は、最初からわかっていたのだろうか。わたしと由宇の、違い。分かたれてしまった、そのことを。
それでも由宇はわたしのために、わたしを逃がすために、ぜんぶぜんぶ隠して、押し込んで、いつもどおりを演じてわたしを導いてくれた。
ぜんぶぜんぶわかっていたなら、由宇のほうが、つらくないはずなんてなかっただろうに。
由宇は、いっつもそう。なんでもないような顔をして、いつだってわたしを助けてくれる。救ってくれる。
わたしは由宇に、なんにも返せていないのに。
ぎゅっと、くちびるを引き結ぶ。そうしてから、ちゃんとしっかり立ち上がった。
自分、ひとりで。
由宇の手は、もうない。これから先も、もう差し伸べてもらえることはないのだろう。
どうしてわたしなのか。境界線が存在するなら、わたしこそ向こう側に立つべきで、由宇こそこちら側に立つべき存在に違いないのに。
そう強く思う。でも、くちにはしない。していいことばではないと、いくらわたしでもわかっているから。
ぎゅっと、強く強く拳を握る。泣いたらダメだと自分に言い聞かせ、必死に笑顔をつくって由宇へと向けた。
うまくできている自信はない。たとえ自分ではできたと思っても、由宇はいつだって見抜いてくるからどのみちバレバレかもしれないけど。
それでも、笑わないと。わたしはだいじょうぶだって、そう伝えないと。由宇がしてくれたことを無駄にしたら、ほかでもない、由宇に怒られてしまうから。
「由宇、だいすきだよ。これからもずっとずっと、だいすきだから」
目を見て、しっかりと。わたしの気持ちを、変わらない想いを伝える。それくらいしかできないということもある。けど、それ以上に。
由宇に、ちゃんと伝えておきたかった。
ほかにももっともっと伝えたいことはあるけれど、総じて行きつくのはやっぱりこの想いだから。自己満足だろうとなんだろうと仕方ない。だってわたしは。
由宇が、だいすきなんだから。
そんなわたしの告白に、由宇は一度目を瞬かせてから、ふわりと、それはきれいにほほえんだ。
「知っている。私もだよ、映」
あ、ヤバい。泣きそう。
もうダメだ、と思ったから、慌てて由宇に背中を向ける。
「さよならなんて言わないからね!」
「うん。……映」
ちゃんと大往生するんだぞ、と。やわらかに告げられ、視界が滲んだ。でももう由宇に見えてないし、いいよね。
たぶん、バレちゃってはいるだろうけど。
「うん……っ」
由宇にもわかるよう、ひとつ大きく頷いて、わたしは駆け出す。遠くに見えるひかり。あれが目的地なんだって、もうわたしにだってわかるから。
ぼろぼろと溢れてくる涙を必死に拭いながら、滲むひかりのなかへ勢いよく飛び込んだ。
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映が立ち去った、そのあと。がさりと、あちこちで草を踏みしめる音が響く。
「待っていてくれるなんて、やさしいんだね」
「あら。思ってもいないでしょうに」
「それは否定しないよ。でも、どうしてわざわざ待っていたの? 映が去ってしまうというのに」
「ここに来た以上、何人たりとも帰しはしない……つもりだったけど」
すっと、彼女の手が伸びる。黄泉軍と、黄泉醜女を従えた、黄泉の主。腐った肉を纏うその手が、おなじように腐りゆく由宇の頬を、それはそれはいとおしそうに撫ぜる。
「ふふふ、ふふふふ。ああ、醜い。かつて美しかったものが、こんなにも醜く歪んでいく。こんな素敵なものを見られたのだもの。そのお礼くらい、してあげるわ」
ふふふ、と、歪んで響く、どこか粘着質にも思える笑い声。とても楽しそうに、とてもしあわせそうに。そうして笑う彼女に、由宇は思う。
これは旦那も逃げ出すだろう、と。
ちいさく溜息をひとつ吐き、それから遠くに見えるひかりを見つめる。あそこに行く資格はもはやない身だからこそ、願った。
大事な親友が、しあわせに長生きしてくれることを。
どうか。どうか映の今後の生に、幸多からんことを。
それが由宇の、最期の願いだった。
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交通事故に、遭ったらしい。
ふと目が覚めたら真っ白い空間でした、なんて。なんのドラマかと思ったけど、そんなことを悠長に考えていられる暇もないくらい、からだ中のあちこちが痛んだ。でも悲鳴すら上げる気力が働かず、ちいさく呻くくらいしかできなかったわたしに代わり、すぐそばにいた母が慌ててナースコールを押してくれた。
まあ、それからなんやかやあって、ちょっと落ち着いてから聞いたはなしだと、わたしは暴走車に撥ねられた被害者のひとりだったらしい。加害者は、調子に乗った大学生。仲間内で動画を撮りながら車を運転して、信号無視して歩行者に突っ込むという目も当てられない大バカ者だ。
被害に遭ったのも、わたしだけではなかったらしい。六人撥ねられ、生きていたのはわたしともうひとりだけ。四人ものひとが、亡くなった。
亡くなったひとのひとりを、母はものすごく言いにくそうに教えてくれた。
わかっていたよ。聞かなくても、なぜだかわかっていたんだ。
それが、由宇だなんてこと。
由宇はわたしと買い物に出て、そしておなじ被害に遭って……。わたしは生き残って、由宇は死んでしまった。
なにがわたしたちを分けたのかは、わからない。歩いていた場所かもしれないし、打ちどころだったのかもしれない。わたしだけがどうして生き残ったのか、確たるものはなにもわからないけど、でも。
わたしは、きっと、由宇に生かしてもらった。
なぜか、その思いが強く胸を占めた。
わたしには、事故に遭うすこし前くらいから、この病院で目を覚ますまでの記憶がない。とはいえ、なくなっている部分は事故に遭ったその瞬間くらいのものなのだから、記憶喪失というほどではないだろう。そのときの記憶なんて、無理に思い出さなくていいと、家族や友人、医者からも言われた。
どんな状況だったかもわからないけど、由宇の最期の姿を思い出せないのはそれでいいのか悪いのか。わたしの思い返す由宇の姿は、いつだって凛と佇むきれいなもの。その由宇がひどい亡くなりかたをしたのだとしたら……正直、思い出したくは、ない。
薄情かも、しれないけれど。
そういえば、なんでかすごく気になって、黄泉平坂とか黄泉軍とか調べてみた。といっても、ほんとうにちょっと、さわりくらいだけど。
どうやらそれ、日本神話のはなしみたい。伊邪那美命と、伊邪那岐命のはなし。端折るけど、黄泉の国で腐ったからだになった伊邪那美命を見た伊邪那岐命が、黄泉から逃げ帰る道中通った、黄泉との境界が黄泉平坂。逃げる伊邪那岐命を追いかけたのが、黄泉軍。
それはわたしにとって、なんの興味もないはなし。神話系とか、聞けば聞いたことあるなと思うような単語やなまえもあったりするけど、それだけ。詳しくは知らないし、知ろうともしていなかった。
そういうの、由宇は割と詳しかったけど。
由宇、変に偏った知識は豊富だったりするからなあ。
どうしてそんなことが気になったのか理由はまったくわからない。けれど、もしかしたら由宇が見てきたものを、わたしもすこし、見てみたくなったのかもしれないと思った。
神話はともかく、死後の世界というものがほんとうにあるか、わたしにはわからない。けれどもしあるのであれば、そこが由宇にとって穏やかであれる場所であってほしいと願う。
そしてできるなら。
来世でも、またともだちになれたなら。
手もとにあった神話の本を閉じながら、わたしはそっと目を閉じた。
がんばる女の子が書きたかったのと、角材振り回す黒髪美少女が書きたかった結果です。
短編程度の長さ予定だったんですが、ちょっと長かったので二分しました。
あらすじにも書きましたが、割とよくある流れとオチかもしれません。




