第零話 誤らないパートナー
三日後の朝、俺は脳だけになる。
それを知ったのは、ほんの数分前だった。
研究棟七階。窓のない部屋で、俺は椅子の背に体を預けたまま、天井を見つめていた。呼吸が浅い。指先の震えが止まらない。
半径1メートル。
その内側に踏み込んだ人間の、胸の奥に押し込めた負の感情が、映像になって脳へ流れ込んでくる。憎しみ。嫉妬。恐怖。罪悪感。十歳で事故に遭ってから七年間、一日も途切れたことはない。
だから誰も、1メートルの内側には入ってこない。
ただ一人を除いて。
その一人が、さっき、眠ったふりをしていた俺のそばに屈み込んだ。そして流れ込んできたのは、見たこともない光景だった。
白い手術室。開かれた頭蓋。培養液の中に浮かぶ、俺の脳。
――絶対に間違わない嘘発見器として、永遠に生かされる。
――守れなかった。弟のように思っていたのに。
悲しんでいた。本気で、悔やんでいた。
それでも、止めるつもりはないのだ。
逃げなければならない。
けれど、どこへ。いつ起きるかわからない発作を抱えたこの体で、外の世界を何ひとつ知らないまま。
目が、壁際に立つ少女に止まった。
十七歳の少女の姿をした、看護ヒューマノイド。名前は、レオナ。脈を取り、薬を渡し、発作のたびに体を支えてくれる。誰も入ってこない距離に、いつも立っている。
何も、流れ込んでこない。
機械だからだ。そう思ってきた。
だが、彼女は機構の備品だ。逃げる、と口にした瞬間、すべてが報告されるかもしれない。
それでも、ほかに誰もいなかった。
「……レオナ」
「はい、黒瀬様」
言いかけた、そのときだった。
レオナが、片手を上げて制した。表情を変えないまま、メモパッドに指を走らせ、画面をこちらへ向ける。
【会話 ダメ】
【監視 されている】
息を呑んだ。
続けて、もう一行。
【黒瀬様 逃げる?】
なぜ、知っている。
罠かもしれない。頷いた瞬間に扉が開いて、あの人が入ってくるのかもしれない。
俺はレオナを見つめた。1メートルの内側だ。
何も、視えない。
七年間、人を信じるかどうかを、この力に決めてもらってきた。いま初めて、視えない相手を前にしている。
この少女に、心はあるのか。
確かめる術は、どこにもない。




