↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/100

プロローグ


泡の中に、水滴をひとつ。

種火をひとつ。


指先に浮かんだそれは、目を凝らさなければ見えないほど小さな、透明なシャボン玉だった。

子供が遊びで飛ばすのと、何も変わらない。

――目の前に、立ち上がれば大人の倍はあろうかという、熊の魔物がいなければ。


「グオォォォンッ!!」


人気のない街道に、咆哮が響き渡る。

真っ赤に血走った目。剥き出しになった、太く鋭い牙。丸太のような前足が振りかぶられ、獣臭い風が頬を叩いた。

足がすくんでもおかしくない距離だった。

けれど、俺の心臓は、驚くほど静かに脈を打っていた。


(膜の厚みは――すれ違ってから、一拍)


一歩、踏み込む。

巨体が迫る。

大きく開かれた顎の奥へ、指先の泡を、ぽん、と弾いた。

熊が、俺の脇をすり抜けていく。

一。


――ボォンッ!!


くぐもった炸裂音が、熊の体内で弾けた。

勢いのまま背後へ抜けた巨体の、口と耳から、白い蒸気が噴き上がる。

熊は一度も振り返ることなく、地面へどうっと突っ伏して――それきり、二度と動かなかった。

街道に、静けさが戻る。

鳥の声が、遠くで聞こえた。


「……よし」


指先に残った湿り気を、軽く振って払う。

誰にも見られていない。

それを確かめてから、俺はようやく、肺の奥から息を吐き出した。


【泡生成】。

ただ泡を出すだけの、ハズレスキル。

――そう告げられたのは、十四年前のことだ。

そして、そのさらに少し前。

俺は、まったく別の世界で、三十年の人生を終えている。




◇

泥のように重い眠りだった。


連日の残業、溜まりに溜まった書類、終電の匂い。

特にこれといった取り柄もなく、強いて言えば人より少し綺麗好きなくらいの、どこにでもいる三十歳。

彼女もいないし、劇的なドラマもない。仕事にはそれなりのやり甲斐があって、不満ばかりの人生でもなかった。

ただ――その夜、狭いアパートのベッドに潜り込んだとき、ふと天井を見上げて思ったのだ。


(俺の人生、このまま終わっていくのかなぁ……)


そんな取り留めのない思考を最後に、意識を手放すように眠りに落ちた。

それが、前世の俺の、最後の記憶になった。


「―――、―――――?」


耳に届いたのは、聞き覚えのない言葉だった。

低く、くぐもって響く、見知らぬ言語。

まぶたが、恐ろしく重い。身体も、頭も、指先ひとつまともに動かない。

全身を包み込む、ぬるくて湿った妙な空気。


「―――! ―――――!」


擦りガラス越しのような、ぼやけた視界。

その中に、ぬっと二つの影が差し込んできた。

男と、女だ。

男の方は、濃い日焼けと頑丈そうな顎が印象的な、いかつい顔立ち。

女の方は、艶やかな黒髪を後ろで緩く結んだ、吸い込まれそうな優しい目元の人だった。


(誰だ……? 病院……?)


男が、豪快に目元を崩して笑った。

大きな手が伸びてきて、俺の身体を、ひょいと持ち上げる。

――軽い。

信じられないほど、自分の身体が軽い。

視線を落とすと、そこにあったのは、シワシワで小さく、赤らんだ――『赤ん坊の手』だった。


(……は?)


声を出そうとした口から漏れたのは、情けなく引きつった泣き声だけだった。


「おぎゃあ……っ」


女が、愛おしそうに俺を抱き寄せ、頬をすり寄せてくる。

とくん、とくん、と。

押し当てられた胸の奥から、自分のものではない心臓の音が伝わってきた。

嗅いだこともない、木と、干し草と、乳の匂い。

夢じゃない。




(俺……生まれ変わった、のか……?)


平坦な三十年が終わり、唐突に突きつけられた、二度目の生。

新しい両親の腕の中で、俺はただ呆然と、見知らぬ木の天井を見上げていた。




テンプレを書きたくて。書きたくて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。