25_杞憂と的中の判断基準
小津とナギサは同時に乾を見た。
「何か、あったんですか?」
ナギサの声がわずかに低くなる。 乾は少し迷ったように口を閉じた後、タブレット端末を操作して別の資料を出した。
「この病院には、子どもたちの心理状態を把握するための会話支援システムがあります。会話内容を記録するものではありません。表情、声の抑揚、沈黙時間、活動量などを統計化して、ケアチームに共有するだけです」
「そうなんですね……何か気がかりなことでも?」
「少し前から、一部の子どもたちの反応に妙な偏りが出ています」
画面に折れ線グラフが表示された。小津は医療データの専門家ではないが、いくつかの線が同じ時間帯に落ち込んでいることは分かった。
「この谷になって落ち窪んでいるようなところですか?」
「そう。僕らは不安反応と言っています。要は気分が落ち込んでいる」
「何か嫌なことがあったとか…?」
「個人単位であればもちろんあります。ただ…」
乾はそこで言葉を切って、資料の別のページを捲って小津に差し出した。そこには複数の折れ線グラフが表示されている。
「横軸が時間、縦軸が不安反応を表しています。複数の子ども達の不安反応を時間帯で追って見ています」
「……同じような時間帯で落ち込んでいますね」
「えぇ。いずれも十七時から十九時、そして朝も。気分が落ち込むこと自体は珍しいことではありません。ただ、この十七時から十九時というのがね」
「今日の反省をして落ち込むことってあるんじゃない?」
ナギサが資料を覗き込みながら言う。
「一般的には就寝前あたりで不安で眠れないこともありますが、少し時間が早い気がしているのと、やっぱり同じような子が複数いるっていうのが偶然なのか理由があるのか判別しづらいところです」
——だから、少し別のアプローチをして見たらどうかって思ったんです。と、乾は少しはにかみながらそう言った。
小津は、その顔を見てから再び資料に目を落とし、ある可能性を考えていた。
何を根拠に、という理性と。
けたたましく警鐘を鳴らしている自分の勘。
今の話だけでは決めつけることはできない。
でもだからこそ、できることなら——。
「昨日も、同じような反応が出ていますね?」
「え?えぇ。そうです。しかもほんの僅かにですが、平均値が先週よりも下がっている。誤差の範囲とは言えこの辺は敏感になりますね」
「昨日、その子たちに接したヒューマノイド、僕に検診させてもらえないでしょうか?」
小津の提案に、乾が少しだけ考える。
「検診…定期検査のことですよね。うーんしかし契約している会社があるはずですからね…」
「僕の個人的なお願いなので、費用はいただきません」
「…何か、気になることでも?」
「はい。でも杞憂であれば良いなと思っています」
「杞憂ではない場合、その判断基準は明確ですか?」
柔らかい視線がなりを顰め、乾の眼光が鋭くなる。自身との専門領域の違いを考慮した的を得た質問だ、と内心、小津は驚いた。
「はい、判断基準は明確です」
判断基準は「drv_shrd.dll」があるかどうか。これに尽きる。
「——わかりました。私はかかりつけの会社としか検査をしてはいけない、なんて知らないし、ロボットの検診にも興味があります。人間の検診しかしたことがありませんからね。準備しましょう。招集するので少し時間を潰していてもらえますか」
***
小津とナギサが部屋を出ると、陽の光が廊下の窓から差し込んでいた。
円形の大きい中庭がある。建物がドーナッツのようになっているのだろう。
「あんた、シュラウドが気になってるの?」
「……えぇ」
「でも、シュラウドに感染しているとしたら、モーリィみたいになるんじゃない?子どもを拘束しちゃうとか」
「うーん。なんとなくですが、そっちは副次的なものな気がするんですよね」
「何それ?勘?」
「勘……。そうですね。でももう少しではっきりする気がするんだよなぁ」
確かにモーリィは暴走し、入居者を拘束、骨折させた。
シュラウドによるものであるのは間違いない。
だが、引っかかるのは。
——だいじょうぶ。
そう、小津が気になっているのは動作よりも言葉。
首を左右に回し、息を吐く。ひとまずはそのヒューマノイドたちを見せてもらおう。
そう思った時。
中庭の向こう側、大きな扉が開き、廊下の奥へ人影が見えた。
その人影を見て、小津は息を止め、目を見開く。
反射的に体が動いていた。
「ちょっと小津!どうしたの!?」
後ろで声が聞こえるが、意識はすでに遥か先を走っていた。
白衣ではない。黒に近い作業服。
二歩の予備動作の後、全力で走り出す。
モーリィの記憶が脳内で再生される。
暗い居室。
老人への暴力を振るった男。
小津は患者や職員を避けながら、大声で男の名を叫んだ。
「……仁科!!」




