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21 真正ノ縛 下













「――改めて自己紹介させて頂きます。私、ロクサーナ・バートン、Sランク冒険者として活動する『一閃のロキ』の、その生来の姿でございます」



 こう言った形でロキの正体を話すのは初めてだった。

 死にかけの人間を見て、見て見ぬふりが出来なかったとは言え、気を付けないといつの間にか弱みを握られて雁字搦(がんじがら)めになっているかもしれない。



 しかし、精神的にも鍛えられているはずの公爵家の使用人が泡を吹いて倒れるなんて、その驚愕具合が伝わってくるな。世界で一番の有名人なんて、割と近くにいるものである。



「君が、ロキ・・・―――。そうか、なるほど・・・。男爵家の令嬢の割に我々に臆さないと思っていたが・・・、そうか、そう言う事だったんだな」


 あ、うん、もっとビクビクした方が良かったのか。

 視線を落とすだけじゃダメだった様だ。

 確かに、妙に落ち着いて見えていたのなら怪しさ満点である。エルランド公の様に、他に目的でもあるのかと疑いたくなるのもよく分かる。


 何処か納得した様に一人頷いているエルランド公のその横では、夫人が何処か打ち拉がれた様に壁に力なく手を付いている。現当主も驚愕で相当ぐらついているな。椅子に座っている公子は、私を見上げたままポカンと口を開けていた。

 エルランド公だけがこの状況で適応出来ているのは、先代としての経験の差なのだろう。


「何だか、現実が斜め上すぎて・・・」


 ぐらついている当主が頭に手を置き、小さく呟きを漏らした。


「意外性はあっても、つまらない答えでしょう?」


 にっこりと微笑んで見せると、すごく微妙な顔をされてしまった。

 ほ?どした?何か変だった?



「ロキの情報の秘匿性の高さの所以がやっとわかった。バートン家のご令嬢なら仕方のない事だろうな」


「あははははっ、本当に笑えないでですよね」


「あぁ笑えないな」


 笑えないと言いつつも、お互いハハハと笑う会話の異常さに、当主の方は明らかに引いている。

 金持ち男爵が腹に宿す貪欲さは、社交会では割りかし有名である。末端であるはずの男爵家を、他派閥の公爵家が認識している時点で察してくれ。哀れ、父よ。



「――ロキは女性だったんですね。それに同じ学園にいたなんて驚きです」


「敬語なんて使わず、今まで通りで構いませんよ、ウィーク公子。ロクサーナとしてこの場にいる訳ですし」


「うん、分かった」


 にっこりと笑い聞き分けの良い公子に頷きながら、本題に移るため例の女性に再び歩み寄る。



 床に臥していてもその金糸の髪が綺麗に輝いているのは、使用人たちが毎日欠かさず手入れをしていた証拠であろう。

 顔は苦悶に歪んでいるものの、それでも彼女を綺麗だと思ってしまうのだから、不謹慎にも異世界の大貴族はそのあり様が別次元にいるのだと感心してしまう。



 魔石に囲まれた彼女の枕元で立ち止まると同時に、かざした掌に魔力を収束させ、公子に掛けたものと全く同じ魔法を発動させる。


 一気に私の体から溢れる魔力の量に、一番近くにいる公子が目を丸くしている。


 魔力に大きく左右される病の経験からだろうか。公子には魔力の全容がはっきりと見えているらしい。

 この病気の人は完治すればもれなく魔力操作が飛躍的に上がるかもしれない。


「これ・・・、僕の時と同じ・・・?」


「えぇ、公子の時と全く同じですよ。しかし残念ながら、これで完治する訳ではございません。この魔法は、ステータス値の上昇効果を無効にしているに過ぎませんので」


「ステータス値を・・・。そっか・・・、どれぐらい持つのかな?」


「3日ほどかと」


「3日、か・・・。・・・、その・・・」


 私の言葉を聞いて頷いた後、快方へ向かう母から目を離す事なく、言いずらそうに膝の上で指を絡めている公子。

 言いたい事は大体分かるので、少し考えながら口を開く。


「他にも呪い染みた魔法もありますが、それだとポーション類が一切効かなくなるので私の方で避けさせて頂きました。しかし、母君も同じ体質で、3日に一度顔を合わせるのは、現実的ではないでしょう?」


「そう、だね・・・」


 断られるのかと考えたのかしゅんと項垂れる公子に、にっこりとロキ仕様の柔らかい笑みを向ける。


「――ですので、暫く時間を頂ければと思います」


「え・・・?」


 私の予想外の言葉に声を漏らしながら顔を上げた公子は、薄赤い瞳を大きく目を見開いていた。



 魔法の行使が終わり手を離すと、顔色のすっかり良くなった女性が穏やかな吐息を繰り返していた。


 ついでに長時間意識のないまま床に臥せっていた代償として免疫力諸々が低下していたため、ちゃちゃっと【生体魔法】で健康時のものに戻しておいた。1時間もしない内に目を覚ますだろう。

 因みに公子が3時間ほど眠ってたのは、寝不足表示が出ていたからである。わざわざ魔法で治すほどの事でもないし、寝てれば治るのでスルーして保健室に運んだのだ。まぁ、母親がこんな状態で、自分も同じ病気なのだから寝不足になるのも分かる。公子の発作の要因はそこにありそうだが。魔力の発散を怠ってもおかしくない。



 まるで何事もなかったかの様に眠っている女性を目の前にして、当主は感極まり(まなじり)に涙を浮かべながら口を開いた。


「何か・・・、手はあるのか?」


「えぇ。乗り掛かった船です。この魔法が出来るだけ長く持続できる様、精霊石への付与を試してみたいと思います」


 この様に重症化するのは突発的な事象であるため、また同じ事が起きないとも限らない。


 この病気で重症化し、この女性の様に延命のためにそのままの状態で維持をしていると、少なからず外界への悪影響が出てくるのだ。



 魔力はこの世界の根幹を成す元素である。

 それが異常な程に莫大な量集まると何が起きるか。


 空間に歪みが起き、ダンジョンが生まれるのだ。


 戦時であれば魔力タンクとして使われる彼らは、平時であれば人柱として悪質な治世者に使われる事もあった。ダンジョンが出来れば、決して少なくない収益が見込めるから。

 世にあるEランクダンジョンは、殆ど全てにそうした成り立ちがある。Dランクから上のダンジョンはその発生が記録されていないため断言出来ないが、古代文明時代も似た様な事例があったのではと推測されている。


 ダンジョン最深部にはダンジョンコアと呼ばれるオーブがある。

 ダンジョンコアはダンジョン維持のために永久的に魔力を生み出し続けるが、しかしそれは『魔力過剰回復症候群』とされる彼らが、死後、世界に取り込まれた結果なのかもしれないと思うとゾッとする。


 ダンジョンはロマンの詰まった場所である。

 多くの富と名誉の生まれるダンジョンは、しかし人が世界で一番死んでいる場所でもある。

 ロキとして、その恩恵を存分に受けている私が強く言える事ではないが、これ以上ダンジョンが増える事はあって欲しくない。

 苦しみの末に命が燃え尽き、自らの魔力で生み出されたその場所で、人が永遠に死に続けるなんて、彼らにとっても遺族にとっても、(こく)すぎるだろう。




 彼女の様に何かしらの出来事をきっかけに重症に陥り、延命のために魔力吸収を施した魔石を使う事は多々あるらしい。

 助ける手段なんてありもせず、本当に、死ぬまでの時間を伸ばすだけの延命装置。

 そして彼らは一度も目を覚ます事なく、ダンジョンと化す前に家族がその命を刈り取るのだ。


 そこで躊躇いダンジョン化が認められた場合、多くの国では一家諸共重罪とされる。

 このグランテーレ王国も例外ではない。報われない死なのだから、常識ある国家ならそうするだろう。

 世界中のダンジョンを管理しているギルドも、利害に矛盾する様だが、それと同様のスタンスを取っている。



 しかし目の前の彼女の場合は、既にそのラインを優に超えていた。

 ダンジョン化の一歩、いや半歩手前となり、今日明日にでもこの中の誰かの手により強制的に天に召されていた事だろう。

 準王族の公爵家であるにも関わらず、叛逆に片足を突っ込もうともギリギリまでその生を奪わなかったのは、この女性が公爵家に大事にされている何よりの証拠であろう。



「ホント、公子を見つけたのが私で良かった」


 穏やかに眠る女性を見て微笑みながらそう言うと、公子と当主は揃って泣き崩れたのだった。








***










「――今回の事、心より深く礼を言う。・・・しかし、表立って礼が出来ないのが歯痒い限りだな」



 当主と公子の親子は夫人の元から離れたくないと言う事で、私と共に執務室に戻って来たのは、比較的落ち着いているエルランド公と、スンスン鼻を鳴らしてハンカチで涙と拭っている前公爵夫人である。


 そして目の前に座るエルランド公の手元には、私の素性調査の結果が書かれた紙が握られている。

 ウィーク公爵家の暗部により数十分で調べ上げられたそれは、この場に戻る途中でエルランド公に手渡され、調査対象の私の目の前で堂々と読まれている。


 令嬢としての体裁は保ちつつも、『男爵令嬢』として取り繕う必要のなくなった私はと言うと、比較的ゆったりとソファに腰掛け、穏やかな心情で出された最高級品の紅茶を飲んでいた。

 恩人かつ一部の人間にはロキであるとバレているので、その扱いは相当丁寧である。



「噂程度ですが、私も耳にした事がございます。バートン家の末娘は引きこもりであると」


 公爵家の夫人の耳にも入る程か。そりゃ凄いな。

 ロクサーナも結構な有名人だった様だ。


「あははっ。えぇ、その噂は嘘ではありませんよ。領主邸では書斎と自室の往復の日々でしたし」


「そしてその隙に冒険者稼業もこなしていたと?」


「えぇその通りです」


「片手間で為せる偉業ではないのだがな・・・」


 にっこり笑って頷くと呆れた顔をされてしまった。



「・・・まぁいい、礼の品の話だ。この調査によると、君の男爵家での扱いは最低最悪と言っていい」


 机に向けてぽいと放り投げたそれを夫人が拾い上げる。

 読み進めるにつれて表情が険しくなり、そして終いには我慢ならないと言った風に眉を吊り上げて勢い良く立ち上がった。


「何ですのコレは⁈」


「ロクサーナ嬢の実態だな。君はよくコレで真っ当に生きて来られたな」


 真っ当かどうかはさておいて。


「ここにいるメルリィと、親友のエレナーレ様、そして冒険者の先輩たちのお陰ですかね」


 背後に立つメルリィに視線を向けると、いつも通り薄く微笑まれたので微笑み返す。

 ふわふわと花の舞う様な緩い空間に、熱り立っていた夫人がホッと胸を撫で下ろした。


「子を育てた親として、この事実は看過できませんが・・・。今の様に笑えるのであれば、貴女的には何も問題ないのでしょうね・・・」


「ロキは私の理想の姿でもありますから。ロキとして過ごせる間は何も問題ございませんよ」


 赤の他人の生い立ちに、親身になってくれる夫人に自然と頬が緩む。



「ここにはバートン男爵は君の嫁入り先を探していると書かれているが?」


「あ、そうなんですね。良かったです」


 どうやら諜報員はかなり踏み込んだ所まで調べてくれたらしい。

 婚約騒動のその後がどうなっているのか気になってはいたが、わざわざこっちから調べるのも面倒臭いし、ありがたい限りだ。


「良かったのか・・・?」


「えぇ。半年ほど前に、王太子殿下から婚約をもぎ取って来いと言われていたので、もう少し様子見をするとみていましたが、どうやら父にも現実が見えて来た様ですね。何かきっかけでもあったのでしょうか・・・?」


 王太子と婚約するまで、延々と宙ぶらりんのままにされると踏んでいたのだが・・・。



「――君への釣書の中に、アスティア侯爵家の次男の名前があるが・・・」


「・・・、・・・、・・・はい?」


 え、待ってどう言う事?

 次男って、・・・、・・・、う〜ん、薄ぼんやりとしか分からな・・・。


 予想外過ぎる名前に思考を巡らせるが、どうにもピンとこない。


「・・・、リアムさんが何かしら動いていると見ていいでしょうけど・・・。・・・それ以上の家格の候補は入っていますか?」


「いや、いないな」


「・・・と、言うことは、私はエレナーレ様の義理の姉に?」


 結論、そうなるな?


「気にするのはそこなのか・・・。例の告白騒動は本気であったと?」


「・・・、まぁ、そうですね・・・」


 やはり公爵家の耳にも入っていたらしい。

 視線を盛大に泳がせながらそう答えると、微笑ましげな表情をした夫人にうふふと笑われてしまった。百合は意外と貴婦人には受け入れられる様だ。心なしかホッとした。



 しかしアスティア家の次男には婚約者がいたはずだが、なら私は妾として呼ばれる訳か。

 限りなく私の事情も知っているためロキも続けられるし、向こうの家族との関係も悪くない。


 何の冗談かと最初は思ったが、全然、全く、問題ない様な気がしてきた。

 むしろウェルカム。


 なるほど、アスティアから申し込みがあったから、それ以上の人間は現れないか途端に探し始めた訳だな、あの父親は。その強欲さは素直に尊敬するよ。そして変な権力者を捕まえて来ない事を願う。私はアスティア家がいいぞ。



「ゴホンっ、話を戻すが返礼の件についてだ。バートン家に送るのは、コレを見る限り無しだろう」


「えぇ、是非そうして頂けると。しかし返礼と言いましても、自分の気まぐれの分が大きいですので・・・」


「君はそうだろうがな・・・。こちらは命を救って貰っている事に変わりない。しかも現当主の正妻と家督継だ。君が気まぐれに与えた恩は相当大きいぞ。公爵家の全財産を譲り渡しても足りない程だ」


「あははは・・・」


 いやいりません、とは言えない。

 その代わりに乾いた笑いが漏れた。


「うちより資産家な君にとって、そこまで有難い話ではないだろう。故に、今回受けた恩は、こちらからの恩で返そうと思うのだ」


「と、言いますと?」


「陛下の二番煎じになるがな。ウィーク公爵家の宝剣を渡そうと思う。もちろん公表はしないがな」


 渋くてとても良い笑顔でそう言ったエルランド公の言葉に、(くだん)の謁見での光景が脳裏にフラッシュバックし、本能的に思考が停止する。あれは軽くトラウマである。


「・・・えっ、と・・・」


「国王の宝剣より、幾分も使いやすいだろう?」


「えぇ、まぁ、そうなんですけどね・・・?」


 私は宝剣ホイホイなのだろうか。

 集めている訳じゃないんだけどな・・・?

 そもそも宝剣を使う場所なんてそうありはしないんだが・・・。


「ヴィクトルの嫁に、とも考えたが、どちらが良いだろうか」


「あ、はい。宝剣、受け取らせて頂きます」


「そうか、それは良かった」


 必然の選択であった。

 ウィーク公子は未だ婚約者を定めていない。つまり男爵令嬢が正妻となる訳で、そんな事是が非でも阻止せねばなるまい。

 上手い事、宝剣を受け取らせる様に誘導されてしまったな。


 エルランド公がひとり満足げに頷いているのを見て、苦笑いを零しながら軽くため息を吐く。



「ロクサーナさん。私からも個人的にお礼をしたいの。少し良いかしら」


「えぇ、いかがいたしました?」


 一旦話が終わった私たちに徐に立ち上がった夫人に視線を向けると、年齢の割に姿勢の良い彼女は私の元までするりとやって来て、そして――

 ―――ふわりと私を抱きしめた。



 ほんのり香る上品な香水の香りが鼻腔を抜け、小さな影の中で柔らかい温もりが私の体を包み込む。


 ――遠い遠い、遥か遠い昔。

 同じ様に感じた事のある懐かしい感覚に、思わず身が竦んでしまった。



「私の家族を助けてくれてありがとう。私たちウィーク公爵家は何があろうと貴女に味方いたします。『私たちの恩人が、どうか、心安らかであります様に』」


 そう言って包んだ身体ごとポンポンと優しく背を叩かれる。


 最後の言葉は北の大地の言葉、ユノと話すイスラ言語ではなく、マルスニア言語だった。

 『ありがとう』のお祈りの言葉として使われ、ぎゅっと抱き締めるのが習わしだったはず。



 そう言えばこの人、マルスニア王国の王族だったなぁと呑気に思う傍で、夫人の母性溢れる優しさに当てられ、感情が大きく揺れて、そしてーー。



「――あ、れ・・・?」



 知らぬ間に涙が溢れていた。




 視界が濡れ、目の奥がジリジリと熱を持つ。

 堰を切ったように流れ出る涙は、すぐには止まってくれそうにない。


 何で自分が泣いているのか、その理由はちゃんと分かっているけど、それでも泣く程の事だとは思わなかった。

 涙を流して泣いたのなんていつぶりだろう。

 もしかすると今世ではこれが初めてかもしれない。


 この手の愛情は、この人生では絶対に手に入らないものであると諦めていた。

 それが突然目の前に現れ、こちらに触れて来たのだから、心が少し驚いてしまったのだ。



「ロクサーナさん・・・」


「・・・いえ、大丈夫ですよ。大丈夫です。――大丈夫ですけど・・・、・・・認めたくないですねぇ・・・、この感情は・・・」



 嬉しい、悲しい、の涙と言うより、これはびっくりの涙であるが、しかし懐かしさも過分に含まれているのだから、諦めていたそれは自分が心から欲していたものなのだろうと、そう気付かされた。



「これだとまるで・・・、期待していたみたいじゃないですか・・・」


 諦め、無関心でいたそれに、本当のところ期待していたなんて、滑稽すぎるだろう。



 止まらない涙に眉を顰め不快げにそう呟くと、更に力を込めて抱き竦められた。


「期待して何が悪いの?それは子供であれば当たり前に受けるものよ。貴女の人生にはなくて問題なかったのかも知れないけれど、それでも、あった方が良かった事に変わりないわ」


 夫人の言う事は正しい。

 本当にその通りなのだが、それでも、私は、それを認める事はできない。


「・・・でも、だからこそ私は『ロキ』になれたんです。ロキのいない人生なんて、籠の中に飼われた鳥も同然。やはりこれ(・・)は私には必要のないものなのです」



 もしも今回の人生、私が平凡にも温かい家庭に生まれていたら、『ロキ』は絶対に存在しなかった。

 子供の行動に寛容で理解ある両親であれば、もしかしたら冒険者にはなれたのかもしれないが、その時は本名のまま登録して、そしてここまで伸び伸びと活動は出来ていなかっただろう。

 誰がどう見ても死と隣り合わせのダンジョン最前線に向かう我が子を、笑顔で送り出せる親なんていないんだから。心配する親を終始ほったらかしに出来る程、私の肝は据わっていない。

 完全にプライベートと隔離されているロキだからこそ、『ロキ』なのである。



 そして当然の事ながら、そんな根源から違う『もしも』なんて存在しない。


 愛情を貰えない家庭だからこそ『ロキ』が出来上がった。

 そして『ロキ』がない私の今世は、ただの前世の劣化版である。



「ふふ、そうかも知れないわね。でも別に、あの家庭に拘る必要なんてないんじゃないかしら?」


「え・・・?」


 優しく語りかけてくる夫人の言葉がいまいち飲み込めず、疑問と共に落ちていた視線を上げると、目の前には優しい瞳があった。

 公子と同じ、薄い赤い瞳である。



「今の様に、今日が初対面の私にも感じる事が出来たんだから」


 確かにそうだと目を丸くする。

 目から鱗が落ちそうになる私に、夫人は変わらず優しく語り掛けてくる。


「ロクサーナさんにしろロキさんにしろ、貴女を大事に思う味方はいますでしょう?その人たちは変わらず貴女に愛情を注いでくれるはずよ」


 親友や仲間たちの柔らかい笑顔が走馬灯の様に脳裏に駆け抜ける。


「そして貴女が助けた私たちも、新しく味方に付いたわ。心強くなくって?」


 真っ直ぐ落ちてくる瞳にほんのり心が温かくなる。

 味方か・・・。愛を感じる味方だな。


 ふと視線を向かいの席に向けると、私たちの会話を聞いていたエルランド公が皺を深くさせ優しい笑顔を浮かべた。


「百人力だろう?」


「・・・えぇ、そうですね」


 その笑顔が何だか他人とは思えず、温かい気持ちが胸の内にじんわりと巡り、自然とふわりと笑みが漏れた。




「――・・・あぁ残念だ。こんなに可愛らしい令嬢を放ったらかしにしていた男爵に制裁を与えたいのに、それだとロクサーナ嬢に迷惑がかかる。本当に、残念だ・・・」


 私の緩んだ泣き笑いを見るや否や、至極残念そうにマジレストーンでそう言うエルランド公に、今度は苦笑いが漏れる。

 公爵家からの制裁なんて、並の貴族にとって恐ろしい事この上ないだろう。


「私たちはロクサーナさん個人に恩を返すわ。もし何か困った事があれば、構わず言って下さいね」


「えぇ、ありがとうございます」



 こうして私は、権力的に、そしてそれ以上に精神的に大きな、とても力強い味方を手に入れたのだった。







***








「――この度は、息子共々命を救ってただいた様で、心より感謝いたします」



 エルランド公と先代夫人とその後は世間話をしていると、すぐに公子の母親が目を覚ましたと言う報告が入った。

 それに伴い3人で場所を寝室に戻ったのだが、長く床に臥せっていた割に艶やかな女性が出迎えた事に、私より数歩先に部屋に入った先代夫婦が固まっている。

 元々部屋にいた現当主と公子も、未だに、超常現象を目の当たりにした様に不思議そうな顔をしていた。


 うん、【生体魔法】を使った事を伝えていないから、そうなるのも無理はないな。



「いえ、お気になさらず。お元気になられた様で良かったです」


 困惑気味の空気の中に足を踏み入れ、ベットに腰掛ける女性に近づき直近でその様子を見る。

 茜掛かった金色の瞳はきちんと生気を宿し輝いていた。


「えぇこの通り。もうすっかり落ち着いているの。昔はこうだったと思うと懐かしいわ」


「病気はいつ頃から?」


「ヴィクトルがお腹にいる時からよ。妊娠中に発症した事例が過去になくて、魔法医達も慌てていたのだけれど、それ以上に、まさか子供にも移るなんて・・・。ヴィクトルには辛い思いをさせたわ、ごめんなさいね」


「・・・ううん。母さんが元気ならそれでーー」


 それ以上言葉が出ず再び涙を流し始める公子に、使用人の一人がハンカチを渡した。


 確率だけで言うと1000万分の1が同じ家に2人いる事はあり得なくもないんだが、この感じだと遺伝子が関係するのだろうな。

 まぁ確かに移ったとは言うが、このタチの病気が感染症な訳ないし。

 やはり貴族家特有の血の寄り分けが原因で確定だろうか。



「でも私、ここ2年ほど眠ったままだったはずなのだけれど、すごく体の調子が良いの。喉も正常でスラスラと話せるし、お腹は減っているし。普通はもっと弱々しい感じになると思うのだけれど・・・」


「あぁ、それは私たちも思っていたんだ。君は病み上がりにしては元気すぎる」


 ねぇ?と顔を見合わせて揃って首を傾げる現当主夫婦に、思わず頬が緩む。

 この家は家格の割に揃って仲が良いらしい。



「その件は、こちらでついでに治してますのでご安心ください。エリクサー顔負けの効果ですよ」


【生体魔法】マジ便利。


「あぁなるほど・・・。本当に、君には足を向けて寝れないな・・・」


 当主はエリクサーの言い回しで色々察したらしい。

 エリクサーを献上した際の謁見の貴族の列の中に、彼もいたのかもしれない。



「エリクサー?伝説の秘薬の事よね?それ以上に効果がある物なんてがあるのかしら・・・。だとしたら、ものすごく貴重な物を分けて頂いた、と言う事・・・?」


 ひとり呟きつつも至った結論に顔を青くしている夫人を横目に、チラリと部屋に残っていた当主と公子に視線を向けると、まだ伝えていない旨のジェスチャーを頂いた。


 どうやら彼らは、ロキの正体を本人がいないうちにバラす事は見送ったらしい。

 国法より先に子供に叩き込まれると言う天下のギルド法に触れるので、まぁ賢明な判断だろう。


 私的にはこれ以上広めたくないのが本音だが、結局は精霊石の魔法具を渡すので、変に誤解されるよりは今の内に言ってしまった方がいいだろう。



「公爵夫人、改めて自己紹介させて頂いてもよろしいでしょうか」


「えぇ、貴族家のご令嬢だとは二人から聞いているのだけれど」


 おぉ、この人、名前も知らされていないのに私が治したと信じていたのか。

 疑う事を知らない、と言うよりはこの感じだと、旦那の事を信頼しているのだろう。

 言葉遣いはフレンドリーだが、ベットに腰掛けていても凛としている彼女は、公爵家に嫁入りし大事にされるほど受け入れられているのだから、ただの箱入り娘のはずがないのだ。



「では。――私、バートン男爵家の末子、名をロクサーナと申します。この春まで、バートン領主邸にて本を読む傍ら、モンダールダンジョンで冒険者をしておりました」


「モン、ダール・・・?・・・、・・・ねぇアナタ。嫌な予感がするのだけれど、私、彼女の言葉を聞いても大丈夫なのかしら?」


「彼女から言う分には構わないと思うよ」


「そ、そう言う問題ではなくて・・・」


 彼女の言わんとしている事とは少しズレた当主の言葉に、戸惑いつつも困った顔をしている。

 先程までは息が合っていたのに、途端に絵に描いたように噛み合わなくなり、そのやり取りについ笑いが溢れる。


「ふふっ、本当に仲の良い家庭ですね。・・・当事者の夫人が知らないのはフェアじゃないと思うので、お教えしますね。冒険者として活動する際は『ロキ』の名を名乗っています」


「あぁぁ、やっぱりそうなのね・・・。私は、ロキ様に・・・。・・・そうなのね。・・・、そう・・・。――今回の事、改めてお礼を言わせて下さい。ヴィクトルの事も、私の事も、何より、――家族に()を背負わせる事にならなくて本当に良かったと思っているの。本当に、ありがとう」


 自分の中で出した答えに頷いた後、しっかりとした表情でまっすぐ伝わる言葉を紡ぎ、そしてベットに腰掛けたまま深々と頭を下げた。


「頭をお上げ下さい、夫人。今回の事、運が味方したに過ぎません。私も、こんなに温かい家庭が壊れずに済んで良かったと思っています」


 顔を上げた夫人は私の顔を見て、しかし直ぐに破顔し大粒の涙を流し始めた。


「――本当に、・・・ありがとう」


 溢れ出る感激に震える細い肩を、その横に腰掛けた当主が優しく抱き寄せた。








***










 現在、ヴィーク公爵家が総出で馬車に乗り込む私を見送りに来ていた。

 来た時もそうだったが、使用人だけでなく更に家の主人が全員出て来るなんて、やはり異常な光景である。


 因みに、もちろんだが私がロキである事は、あの部屋にいた使用人にはキツく口止めしてある。

そもそも、泣く子も黙るギルド法に守られたロキの正体をバラすなんて、酒に悪酔いしていたとしても難しいだろう。

 まぁ、公爵家の、しかも夫人の寝室に入る事が許された使用人だけの場であったので、そこの所は安心して大丈夫と思われる。





「では、公子。申し訳ありませんが学園では・・・」


「うん分かってる。僕のせいで迷惑を掛けるみたいで、ごめんね」



 今回の一件で、悪目立ちしている男爵令嬢が年上の公爵令息に連れ去られ、更に目立ってしまった。

 しかし、まだ事情は誰にも話していないのでやりようはある。



 たまたま(・・・・)持っていたバートン家所有の魔法具が、たまたま(・・・・)公子の病気に効いた様な気がしたので、慌てて家に招待した。

 公爵家側とすり合わせをした結果、そう言うシナリオにした。

 まぁ、そうするしかあるまい。


 公子が病気であるのは知っている人は知っているらしいので、そこはそのまま使える。

 鑑定不可能のまま放置されている変な魔法具も、バートン家の宝物庫にはあるにはあるので、それを持っていた、でギリ通るだろう。

 使って直ぐに砕け散ったので証拠はないけどね、という事で、言い訳は終了だ。


 公子と夫人の病名が、伏せられている事には助かった。

 『魔力過剰回復症候群』は有名な病なので、それを治したとなるとたまたま(・・・・)とは言え流石に目立ち過ぎるし、その手の人間に目を付けられるだろう。1000万分の1はまだまだ世界には存在しているのだから。

 本来なら新聞の一面に書かれる様な超一大事なのだが、まぁもちろん新聞は冒険者新聞オンリーなので、書かれる訳もなく。鼻の効きすぎる記者が嗅ぎ付けて来たら、是非お話をしようじゃないか。




 せっかく出来た縁だが、ヴィーク公子と学園で話す事はまずないだろう。

 病気の性質から、刺激を出来るだけ受けない様に公の場から遠のいていた公子は、案の定私の置かれた現状を知らなかった様で、調書に目を通した時は直ぐに状況を理解した様で顔を青くしていた。







「今回の事、本当に感謝する」


「いえ、まだ完治した訳ではございませんので。魔法具が出来上がったら、こっそり忍び込んで伺いますね」


 流石に、末端の男爵令嬢が準王族の公爵家の屋敷に頻繁に迎えられるのは不自然すぎる。

 その他の諜報員に尻尾を掴まれる訳にもいかず、ロキとして入る事も出来ないので、自ずと記録に一切残らない不法侵入となる。


「あぁ待ってるよ」


 はい、当主からO K頂きました。

 了承を取らなくてもどこにでも侵入出来る私であるが、ここまでしている私が裏切るとは考えていないらしい。快く頷いてくれた。




「ロクサーナさん。これなんだけれど」


 現当主と微笑み合う中、そう言う前公爵夫人に手渡されたのは、ほんのり花の香りのする封筒だった。

 裏の封蝋は公爵家の物だが、何の封筒なのか見当もつかず、ひとり首を傾げる。


「2週間後に、この公爵邸でお茶会があるの。学園生はいないからロクサーナさんも楽しめると思うのだけれど、どうかしら」


 ・・・、驚いた。

 この夫人、全方位徹底的に私の味方でいてくれるつもりらしい。


 しかも学園生がいないとなると、それはつまりガチのお茶会。国を動かす貴族たちを家庭から支える、逞しい貴婦人たちの社交場である。


「私なんかが、良いのでしょうか・・・」


「私がホストなのだから文句を言う子はいないわよ。それに、貴女なら大丈夫よ」


 引きこもりの男爵令嬢にお茶会の招待が届いた事はなく、エレナーレのお茶会も最初は自分から突撃したし、こう言うのを貰うのは初めてだった。

 しかも超目上のホストからの手渡しで、なんて。


 上品で厳かな招待状がとても眩しく感じる。


「・・・ありがとうございます。是非参加させて頂きます」


 手に乗る招待状をしみじみと見つめながら礼を言うと、皆に微笑ましげな視線をもらってしまった。



 その後一旦のお別れの言葉を言いメルリィと共に馬車に乗り込み、公爵家の面々に門から出るまで深々と頭を下げ続けるのだった。
















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