19 ハプニング。
日も沈み切った王都の夜、高級ホテル『空の星』のある一室のベットの上にて。
私は自分の上から影を落とすハーバードの、癖のある亜麻色の髪から落ちた水の滴を数滴、頬で受け止めていた。
「――なぁ」
「はい」
聞き慣れた声が降り落ちて来る。
「お前、この状況分かってるのか?」
「もちろん」
自分の上に覆いかぶさり難しい顔をしているハーバードに、朗らかな笑顔を向ける。
手首を手で押さえ付けられ腕の動きを制限され、両脚の間に膝を入れられている。
帯びを緩く縛っていたのだろうか、はだけるバスローブの隙間からは輝かしい胸筋と腹筋が覗いている。
険しい表情を作るハーバードのその緑色の瞳をじっと見据えながら、私は口を開いた。
「側から見れば、少年を押し倒している男性、でしょうか。一部の女性が喜びそうなシチュエーションですね。この光景を写真に収めてギルドに流せば、ハーバードへの男色家の称号授与は待ったなしでしょう」
「・・・、そうじゃないだろ」
ほとほと呆れた様な感情がその表情越しに伝わって来る。
少し珍しい現状に巫山戯てみたのが、どうやら今の彼は真面目な感じらしい。
「えぇ分かってますよ」
そう言って【偽装】を解きながら、『影ノ手』をハーバードの帯に伸ばす。
「ッーー」
う〜んあと少し、ちょっと惜しかったな。
「何考えてるんだ、お前!」
「何って、・・・ナニですが?」
自分から押し倒したクセして勢いよく飛び退いたハーバードは、今伸びている影の範囲外に逃れ大声を上げた。
行き場の失った影の手をゆらゆらと揺らしながら、体勢を起こす。
長くなった髪を耳に掛けながらそう返すと、ハーバードの激しい感情がオーラに溢れ出た。
「お前ッ・・・!」
ふざけるなと言葉を続けそうなハーバードに被せる様に口を開く。
「えぇえぇ、もちろん分かっていましたとも。私と貴方は異性。女と男。そして、問題なく子も成せる体同士であると」
「は・・・ーー」
対して平坦に言葉を続ける私に、表情が抜け今度はフリーズするハーバード。
その目を再び見据えると、彼は息を呑んだ。
そう、今の私も、あくまで、大真面目なのである。
「まぁ、ハーヴィーの目に本気の意図は見えませんでしたし、揶揄い半分ですけどね。避けられるのも当然読んでいました。しかしハーヴィー。貴方、私の立場を忘れてはいませんか?」
「お前の・・・?」
「えぇ、私、ロクサーナの立場です」
「引き篭もりの男爵令嬢の立場か?そんなの今はーー」
「大いに関係ありますよ。・・・、この私が嬉々として、父の決めた婚約者の元に嫁に行くと、貴方はそうお思いですか?」
私は、家族に隠れて冒険者になり、そしてたった一人でSランクまで上り詰めた人間である。束縛を嫌い、自由を求めたのだ。
父の決めた政略的な結婚に喜んでこの身を捧げるーー、訳ないだろう。
「・・・お前」
言いたい事が分かったのか、私の淡々とした語り口調に少し苦しそうに表情を歪めるハーバード。
苦しいのは私の方だよ、全く・・・。
「残念です、既成事実まであと少しでした」
「本当にお前はそれでいいのか・・・?」
頬に手を当て心底残念そうに首を傾げる私に、ハーバードは更に眉を顰めた。
その問いかけにハーバードに向いていた視線が無意識に逸れる。
「・・・、正直言って私の中でのハーヴィーは完全に戦友枠にいます。冒険者としての魅力は感じれど、異性としての魅力は全くと言って良いほど感じません」
「ならーー」
「しかし、考えても見てください。片や一番の戦友、片や金欲しさにバリバリの政略結婚に精力的な見知らぬ男性。後者は絶対性格がひん曲がっている訳ですから、こんなもの当たり前の一択でしょう。・・・選択肢があるのなら、ね」
「・・・」
自嘲気味な内容に自然と落ちていた視線を、とうとう口を継ぐんでしまったハーバードに戻す。
「なのでハーヴィー、今のうち言っておきます。私に選択肢を与えないで下さい。力に屈するのは、貴方の方なんですから」
ロクサーナとして、逃げ道があるのなら、私は迷わずそれを選ぶだろう。
「・・・、分かった」
私の強い言葉に、詰めていた息を吐きながら諦めた様に肩を下ろすハーバードに、少し苦笑いを溢す。
「まぁ、今回はそもそもの所、【隠密】スキルを切り忘れていた私に非はあるので、そこは謝りますけどね。ハーヴィーは脅しのつもりだったんでしょうけど、この手の事に関して私には効果ありませんよ。平気で天秤に乗せられますから。――・・・うん、ホント・・・、マジで揺らぎそうでしたから止めてくださいお願いします」
最後の呟きとも取れる小さな言葉は、つい早口になってしまう。
水も滴る良い男とはこの事かと言えるほど、ハーバードの顔立ちは余裕でアリ。鍛え抜かれた筋肉がこんにちはしている状態でお風呂上がりの熱に当てられるのは、流石にちょっと理性的にキツい物があった。
嫌々犯される訳でなく、むしろこっちから喰いたいぐらいなのだ。
それぐらい、このハーバードは私にとって優良物件すぎる。
よくやった私の理性。もう少しで影の手が逃げるハーバードをふらぁっと追いかけそうだったからなぁ・・・。
「・・・それにしてもお前、そう言うの分かるのか?ロクな教育も受けずに引き篭もってたし。・・・ロキだし」
一体何の事かと首を傾げるが、すぐに合点がいった。
もちろん、前世の記憶があるので普通にその手の仕組み知っている。当然の事ながら経験は一度もないが。
お父さんお母さん、赤ちゃんって何処から来るの?なんて純粋無垢な質問は今更できまい。まぁそもそも、両親とそんな質問出来る様な関係性でもないけどな。
「えぇ、人並みには分かりますよ?ハーヴィーがいない間、ヴェストとグレイグとは普通に下の話はしてますし」
そう言いながら何でもないような顔で、指で輪っかを作り反対の手の人差し指を入れる。
「マジで止めてくれ。今の見た目、女の方なんだぞ。・・・それでも、そうだったのか・・・」
「ハーヴィーは貴族で、私は平民で通ってますし。そっちの話題は楽しそうに語ってくれました。特にグレイグ」
「だろうなぁ・・・」
ヴェストは1年ほど前に結婚したが、グレイグはちょっとそっち方面に遊び過ぎている。結婚へのゴールは遥か彼方だろう。まぁ子供ができたら身を固めるだろうけど。こっちの世界、避妊なんて概念ないし。流石に遊び人のグレイグでも、子供を作っておいて育てないなんて言う非情さは持ち合わせていないはずである。
女性の胸の話にニヨニヨと頬を緩めるグレイグの顔が浮かぶ。
「私もどちらかと言えば巨乳派ですし、話は合いますよ」
「お前、頭大丈夫か?」
「酷いですね・・・」
ガチで意味わからない顔をされてしまった。
同じ女でも巨乳派・貧乳派は別れると思うけど。
触ってみたいし揉んでみたい、男でない事が悔やまれる。
・・・、あれ?ロキって男だな、そう言えば。
「おい、お前今なんか余計な事考えただろ。止めておけ、絶対に止めておけよ?」
「ハーヴィー、西下区の娼館って何処にあるか知ってます?」
「マジで止めろよ⁈区域指定している辺りに本気さが見えるんだが⁈」
「そうですか、貴族出身のハーヴィーは下区ではなく中央区の娼館に・・・」
「中央区に娼館なんかある訳ないだろ・・・。あるのは下区だけだ」
「へぇ?詳しいですね?」
「グっ」
「大丈夫、ちょっと触らせてもらうだけですから。で?何処にあるんですか?」
「〜〜〜ッ、言う訳ないだろ!話済んだなら帰れッ」
そう言うなり首根っこ掴んで窓から放り投げられてしまった。
いや、酷くない?
ここ5階なんだけど?
***
***
「――アン・ドゥ・トロア。アン・ドゥ・トロア」
グランドピアノと弦楽四種の奏でる五重奏に合わせて、女性の凜とした掛け声がホールに響く。
教師の中でも取り分け評価の厳しいセベット夫人が目を光らせる中、運動着のままの男子生徒と、プリンセスラインの練習用ドレスを着た女子生徒がペアを組み、手を取って決められた動きで舞っている。
「はい、よろしい。この二組は合格ですね」
音楽が止み最後のポーズを決めた二組に少しの余韻を残し、セベット夫人が満足気に頷きながら合格を出す。
合格の二組とは、王太子とリーゼロッテの婚約者ペアと、アロイスとエレナーレの侯爵家ペアである。
小さい頃から叩き込まれているのだから、出来て当然のメンバーである。
まぁ、わがまま姫ことリーゼロッテが完璧なのは少し驚きだが。オツムが少し弱いだけで運動神経は良いらしい。バリバリの前衛だしな。
お察しの通り現在、週に一度の舞踊の授業が行われている。
その趣旨によって名称の分かれる夜会だが、その中でも舞踏会と言われる夜会はこのダンススキルが必須となる。
地球で言う競技の社交ダンスの様なキレッキレな動きはないが、それでも姿勢や曲に合わせたステップの踏み方が重要になる。他のペアとぶつかったり、ましてや転けたりしたら相当恥をかく事となるだろう。
貴族家の者が多く通うこの学園では、1学年からの必須科目となっている。
担当は、この国で一番美しい舞をすると先代国王に太鼓判を押された、デロテ・セベット伯爵夫人。
同じ教科を担当する教師が3名いるうち、その評価基準は最も厳しく、それ故にSクラスを担当している訳だが、歴代のSクラス生徒を問答無用に補修へ落としてきた鬼教師である。
入学から3ヶ月以上が経つが、今日がようやっとペアになっての練習日である。
今までは黙々と空気相手に決められたステップを踏んで来た。慣れている者は改めて自分の動きだけに集中する事が出来るし、慣れていない、もしくは踊った事のなかった者は、足運びから入る事が出来る。と合理的な練習ではあったが、流石に飽きて来たところだった。
因みに私は踊った事ない勢である。引き篭もりが踊れる訳ないだろう。
「なぁバートン」
「どうしました?」
私の隣にはエトが体を縮ませて立っている。
「俺、絶対不可だよな」
「何を当たり前の事を・・・」
目の前では場面が変わり、リーゼロッテの取り巻きの双子、アデリナとレアンドロペアが合格を、そして同じく取り巻きのイシカとチェスターペアが不合格を貰っていた。
合格組の方は双子ならではの息の合ったダンスを、不合格組の方はお互い足を踏んだり方向転換の行き違いが生じたダンスを披露し、現在進行形で相当空気が悪い。
別に、今の時点で不合格を貰っても何も問題はない。
手を取り合ってペアで踊るのはこれが初めてなのだから、村出身で平民のエトは出来なくて当然である。
まぁ、目の前の不合格組はダンス経験者の子爵子息と伯爵令嬢なので、普通に踊れないといけないのだが。空気が悪い訳である。どっちかわがまま姫の取り巻きから脱落してくれないかな。ほんの少しは楽になりそうなんだけど。
「では次、ミスター・マッコネン、ミス・エルヴェステインペア。ミスター・アルファーノ、クララさんペア。エトさん、ミス・バートンペア。前へ」
余りのメルシワ伯爵家次男セストは、セベット夫人の親戚筋なので後でマンツーマンが待っている。依怙贔屓ともとれる組み合わせだが、相手は評価の鬼、そしてお調子者のセストはダンスが苦手と言うことで、御愁傷様と皆手を合わせつつ納得している。
セベット夫人の言葉を聞いて、カチンコチンに体と表情を固めているエトが、私に向けて手を差し出して来たので、内心苦笑いを溢しつつその手を取る。
お互い初めてのダンスだが、私は普通に踊れると思われる。
前世で10年ほどバレエを齧っていたし、今までのエアーの練習で既にこの世界の舞踏のコツは掴んでいる。
【舞踏】スキルなんてものもあるにはあるが、別になくても踊れるのであまり関係ない。セベット夫人がレベル1で、ステータスに(MAX)表示が出ないのだから、その上は何なんだと謎のまま放置されているスキルである。スキルの取り扱い説明書が欲しい所である。
「・・・」
「・・・」
所定の位置に着き向かい合い、互いに礼をしてからポーズを取る。
私の右手とエトの左手が肩程の高さで結ばれ、私の左手はエトの胸元へ、エトの右手は私の腰へ回される。
ん、あれ?エレナーレ、君なんか殺気飛ばしてない?
私の気のせい?気のせいだよね?ねぇ?
可愛らしい親友の嫉妬に少し嬉しくなったこの心情は、一体全体どうすれば良いのだろうか。着実に百合への道を進んでいる様な気がしないでもないのだが・・・。
しかしそんな殺気を向けられているにも関わらず、当のエトはと言うと、表情が固いままただただ私を見下げている。
うん、緊張してて気づいてないなコレ。
ダンジョンの前線で危険を察知しながら敵を斬った張ったしているエトであるが、現在は鈍感ボーイと化しているらしい。
そんな緊張しなくても良いのに、流石に可哀想になってくる。
手袋越しにじんわりと手汗まで伝わってくるのだから相当だろう。
「大丈夫ですか?呼吸出来てます?」
「う、うん・・・」
「深呼吸ですよ、深呼吸。はい、吸ってぇーー、吐いてぇーー、吸ってぇーー・・・」
胸に当てている手をトントンと打ちながら呼吸を促す。
素直に従うエトが、最後に吸ったタイミングで音楽が掛かった。
オートの【察知】スキルがあるので、音楽隊が音を出すタイミングに合わせるのぐらいお手のモノである。
お陰でエトの脳にある程度の酸素が送られた状態で、自然とはじめの一歩を踏み出す事が出来た。
私たちの初めてのダンスは、ゆったりとした曲調のワルツである。
――右前へ一歩踏み出し、残りの足を引きつけて、
――左後ろへ一歩踏み出し、残りの足を引きつける。
――右横へ一歩踏み出し、残りの足を引きつけて、
――左横へ一歩踏み出し、残りの足を引きつけるぅッ⁈
「――ッ」
「ッ、ごめッーー」
何故そこで私の足を踏む⁈
どんな足運びしてるんだよ!
初っ端から、油断していたまさかのタイミングで足を踏まれた驚きと、そして痛みに思わず肩が上がる。
80キロはあるだろう筋肉の塊が足の甲に乗って来たのだから、痛いに決まっている。呪いの指輪でステータスは軒並み常人枠となっている訳だし。
今の練習用の靴はブーツでないんだけども、血、出てないよね?骨は折れてなさそうだけど・・・。
キッと睨み上げると、眼鏡を掛けているのでハッキリとは見えないだろうが、それでも私の怒りは分かったらしい。
「ひぇっ」と情けない声を上げるが顎で続ける様促すと、エトは眉を下げたままステップを再開した。
その後も、案の定、足を踏まれまくった。
出来るだけエトの無茶苦茶な足運びを察知して避けるのだが、それだと流れが崩れるのでどうしても最低限になってしまう。
痛い事この上ない。これが終わったらポーションを巻き上げよう。うん、そうしよう。
しかし、踏んでいる側なのに涙目でヒーヒー言っているエトを見ると、どうにも責める気が失せるのは何故だろう。ダメンズに惚れる女の子の気持ちが少し分かった様な気がしなくもない。
問題は大ありだが、しかし意地でも骨が折れるまで続行と決めた私を、踊らずに見学している周囲のクラスメイト(リーゼロッテ隊以外)から痛そうな目で見守られる中、そして、とうとうエトが致命的なミスをやらかした。
私のドレスの裾を踏ん付けたのである。
いやはや、よくもまぁ地面スレスレのスカートを踏めるな。
膝を曲げたタイミング、裾が地面に触れるピンポイントでしてやられた。
エトのガサツなステップは一歩一歩の踏み込みの力が強い。
故に二人とも大きくバランスを崩す。
私は踏まれたスカートに引かれる様に腰が落ち、力が入れづらい体勢の所に、盛大につんのめったエトの体重が掛かる。
本来のステータスならいざ知らず、今のステータスではどうする事も出来ず。
無理にバランスを取ろうとしたエトと握られた手がグイッと後ろに押された事が決め手となり、諸共に支えを失った。
私は後ろへ、エトは前へ。
腰に回されていた手に私の後頭部が包み込まれたのを最後に、強い衝撃が伝わった。
「ストップ!ストップ!ミス・バートン!大丈夫⁈」
唐突に音楽が止み不協和音がホールに余韻を残す中、厳しい鬼教師の珍しい心配する声が響いた。
強い衝撃に軽く目を瞑っていた私が目を開くと、目の前には私へ影を落とすエトの顔があった。
・・・、なんか、既視感を感じるのは気のせいだろうか・・・。
同じ様な事は続くというが、まぁ今回は意図的ではないので強くは言うまい。
しかしそれにしても、よくこんなベタなラッキースケベを起こせたなこの野郎。
眼鏡も何故か吹っ飛び、至近距離の私の顔を見たエトは、見るからに頬を染めている。
押し倒されている私の頭はどうにかエトの機転で守られたが、脇下から回し込まれているが故に体は相当密着している。
お互いの顔は息が掛かるほどの距離で、定番の様に唇が触れなかったのはエトの体幹のお陰だろう。流石にそこまでとなると私も蹴り飛ばしている所である。
・・・しかし、こいつ、離れる気配がないんだが・・・?
動かないエトを見かね、いつの間にか離れている右手を自分の頭上に持っていく。
指を立て揃え、呆けて動かないエトの額に渾身の一撃を送る。
「うぎゃッ」
「早く退いて下さい」
早よ退けやこの野郎、そんな言葉はどうにかオブラートに包む事が出来た。
せめてもの仕返しとして、エネルギーがもろに伝わる動きで手刀を放った私の攻撃の強さに、しかし、エトは目を白黒させるのみで私の上から退く気配はない。
もう1発お見舞いしてやろうと初動に移った丁度その時、エトの背後から新しい影が落ちたので、寸前で手を止める。
「早く退かないか」
「早く退きなさい」
息ピッタリの王太子とエレナーレが、エトの首根っこを掴んで引き上げてくれた。
うん、あのロキの一件以来、セ○ムが1人増えたな。人目があるこの場所で、エレナーレが進んで止めに来るとは珍しい。
因みに、セコ○第一号は王太子の方である。まぁそれが、わがまま姫に火を焼べている一番の問題である訳なのだが。
二人の冷たーい視線が呆然としたままのエトに注がれている。
そしてワガママ姫ことリーゼロッテが、腹を抱えるほど笑いながらやって来た。
「ウフフフフッ、アハハハハッ!バランスを崩して押し倒すなんて滑稽ねぇ!ダンスもまともに踊れない平民と偽物、この上なくお似合いでなくって? 」
可笑しくって堪らないと言った風に笑うリーゼロッテ。
取り巻きもそれに続いてヨイショしているが、まぁ下品な感じに茶化されなかっただけマシかな。
腐ってもお嬢様である。
それに、わがまま姫の意識はどうやら私たちを馬鹿にする方に行っているらしく、私を助けた王太子の行動に言及はなかったので、内心ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫か?」
そう声を掛けながら手を差し伸べて来たのは、意外にもアロイスだった。
王太子はエトを引っ捕えているし、シリヤはこのクラスでは話しかけて来ない。陽キャのセスト辺りかなと思ったのだが、彼は一番遠くにいたのでまぁ仕方ないか。
「ありがとうございます」
「あぁ」
遠慮なく手を取り立ち上がってから礼を言うと、アロイスは短くそう言って直ぐに手を引いた。
こんな時に有難い最低限のアロイスらしい言動に感謝しつつ、ドレスを叩きながら体の調子の確認をしていると、セベット夫人がセストと共にやって来た。
「ミス・バートン、怪我なないかしら?」
「えぇ、大丈夫です」
「派手に転んだね〜アハハっ」
「・・・、ミスター・メルシワ。後で教員室に来なさい」
「えぇ〜⁈なんでー⁈」
陽気に笑ったセストの呼び出しが決まった所で、少し離れた場所に落ちている眼鏡を拾い上げ、それを掛けながら未だ固まっているエトの元に向かう。
そしてそのまま、強めのデコピンを喰らわす。
「ぁぎゃっ⁈」
「目は覚めましたか?」
「んぉ・・・、おう・・・。・・・、すまん・・・」
「故意でないのは明らかですし、構いませんよ。では夫人、続けましょう」
「えぇ、そうね」
一気に現実に引き戻されたエトが正常である事を確認して、セベット夫人に再開を促すと、ぼちぼちクラスメイトたちが元の位置に戻っていく。
「お二人とも、ありがとうございます」
「うん」
「えぇ。大丈夫?」
「はい」
「そう、良かったわ」
王太子とエレナーレに礼を言い、短い会話で切り上げる。
手を振って下がる2人に再び頭を下げ見送った後、再びエトと向かい合った。
「ごめん・・・」
「だから大丈夫ですよ」
明らかにシュンとしているエトに苦笑いを溢す。
まぁ流石にアレはないからな。どんなミラクルだよって話だし。反省はしてほしい。
途中で止まった私たち3組は初めからやり直しの様なので、改めて礼をして先程と同じポーズを取る。
私の右手とエトの左手を握り、私の左手はエトの胸元に、エトの右手は私の腰に。
先ほどの様にエトの体に異常なまでの緊張は見られないが、しかし違う意味で緊張しているらしく、少し頬を赤くしてキリリッとした表情で口を一文字に継ぐんでいる。
まぁ、このまま踊り始めたとしても、十中八九同じ様な事になるだろう。
ドレスを踏ん付ける事はないにしろ足は踏まれる続ける訳で、どうしたものかと瞬考した後、出た結論に心の中で頷く。
うん、これぐらいなら大丈夫、かな?
「エト。私の足を避ける事だけに意識を向けていて下さい」
「え?」
「誘導します。多分イケると思うので。余計な事は考えず、避けて下さいね」
「お、おう・・・」
いまいち理解出来ていない様だが、私の言葉の意味は分かってくれたらしい。
戸惑いながら頷いたエトを見て、私は音楽隊の1音目に合わせ足を踏み出した。
反する磁石の様に一定の距離で引かれるエトの足。
次に踏み出すと、同じ様にエトの体は動く。
直接踏み出される足が見えていなくても、エトの様に戦い慣れている者には相手の動きが大体分かる。気配を消している訳でもなく、寧ろ全身に意識を漲らせている弱い私の気配を辿る事なんて、エトならば容易であろう。
女性側が男性のリードを奪っている事には舞踏の評価では大いに減点だろうが、それでも前回の様に変に転んだり足を踏まれるよりは断然良いはずだ。
慣れればどうにでもなるし、こんなのは最初だけである。
先程とは打って変わってそれなりに踊れている私たちのペアを見て、周囲のクラスメイトから少しの驚きの声が上がった。
「おぉ・・・?出来てるのか?これ」
周囲からの感嘆の声と未だ一度も私の足を踏んでいない現状に、エトは少し不思議そうに驚いている。
「えぇ出来てますよ。どちらにせよ不可でしょうけど」
「そうなのか?」
「舞踏で男性がリードしないでどうするんですか・・・。来週は私ではないと思いますので、今日のうちに何となくでも覚えてしまって下さい」
「おう、分かった」
緩んだ顔で素直に頷くエトは完全に緊張が取れた様で、少し楽しそうに音楽に体を揺らした。




