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17 ロキの休日Ⅱ 3







 さて、この状況を整理しよう。



 私は女の子。

 目の前の彼女も、女の子。



 周囲の誰も知らない秘密だが、私たちは知っている。


 しかし何故だろう、告白したら本気で照れられ、そして、私も照れてしまった。



 ポポポポっと紅潮している彼女は恋する乙女そのもので、普段人前で見せる凜とした大人っぽい表情とは違い、私といる時、冒険者の話をする時に見せる、子供っぽい表情の延長線上にいる、可愛らしい女性であった。


 超美人な親友のかつて見た事のないガチ照れの顔に、こっちまで恥ずかしくなるのは仕方のない事だろう。


 『友達』以上『百合』未満の私たちだったが。

 これ、マジでワンチャンありそうだな・・・。




 今回の告白、牽制だけ(・・・・)のつもりだった。


 彼女は今後、『一閃のロキ』が一目惚れし膝を付いて口説いた令嬢と謳われるだろう。



 他国の王子やら有力貴族やらから、お見合いの申し込みがひっきりなしに届いている世界で一番美しい侯爵令嬢の彼女は、しかし甚だ迷惑そうだった。

 彼女自身からの愚痴も何度も聞いているし、彼女の父親も、最初の頃は娘がモテモテで嬉しかったそうだが、学園に入り準成人となってからの数は流石に度が過ぎているとゲンナリしていた。


 ロキの名前は影響力が大きい。それは自覚している。

 故に今回は、それを存分に使ってやろうと考えたのだ。


 世界最強のSランク冒険者が一目惚れし、言葉の限りを尽くして必死に口説いた彼女は、名実共に世界一(・・・)美しい令嬢となった。今以上に彼女の価値は爆上がりな訳だが、しかし、私を超える者が現れる事は現実的に考えてありえない。

 実力も、名声も。ロキのそれは、どの国の王より高い所にある。

 つまり、今後彼女に縁談の申し込みをして来ようものなら、自分はロキよりスゲーんだぜと頓珍漢な自慢を晒す事となる。傲慢チキな王子だろうと、唯の情報不足だろうと、送り主は万国から阿呆のレッテルを貼られる事だろう。



 と言う訳で、牽制。牽制なのだ。

 ・・・、牽制なのだが・・・。



 王太子パーティーの盛り上げ担当、メルシワ伯爵家の次男セストがヒュ〜と貴族らしからぬ口笛を鳴らした。

 告白大成功的なこの場の空気に(はや)し立てたくなる気持ちは大いに分かるのだが、少々お行儀が悪いぞ。


 相変わらずの奔放さに内心呆れていると、盛大に視線を彷徨わせているエレナーレと視線がぶつかり交わった。



 真っ赤な彼女ににっこりを笑うと、それがトドメとなった様で、とうとう絵に描いたようにキュ〜ッと目を回して、後ろに倒れこんでしまった。

 咄嗟に手を差し伸べるが、しかし男(仮)の私が支えるのもアレなので、流れる様な動きで現れたアスティアの影に任せるしかない。


 エレナーレを颯爽と受け止めた影の彼女の責める様な目を見て、行き場のなくなった両手を上に上げながら立ち上がる。


「統括に報告しても?」


「どうぞ、ご自由に」


 アスティアの影のちょっとキツイ言葉に、あくまで私は飄々と返す。


 やり過ぎた感は否めないが、まぁ侯爵に責められる事はないだろう。

 すぐにでも私の意図に気付くはずだ。

 それはエレナーレも同じでーー。


 気を失ったエレナーレをこの場に置く事は出来ないので、早退させるつもりらしい影は彼女をひょいと持ち上げた。気付薬で覚醒させる手もあるのだが、これを機に私がいるこの場から連れ去ってしまうつもりらしい。


 影の腕の中で上気した顔で眠っている彼女を見て、――しかし、私の中に込み上げるものがあるのは確で・・・。



 影の腕から流れ落ちる、艶やかなローズピンクの髪をそっと手に取る。


 影はお姫様に触れられた事に明から様にムッとしているが、本当なら私が運びたい所なんだ、我慢してほしい。


「また会える事を期待していますね。薔薇の君」


 別れの言葉を聞こえていない彼女に語り掛け、今度は心の限りを尽くし、その髪の束に優しく唇を落とした。


 彼女のあんな可愛らしい照れた顔なんて、私の意図に気付いたその後に見る事はきっと出来ないだろうから。

 本当に、ただの異性として口説けたら良かったのにと、そう思ってしまった。









 あっという間に自分ではないナイトに連れ去らてしまった親友。


 照れたエレナーレは、それはそれは『てえてえ』であった。

 永久保存版だな。写真を撮り損ねた事が悔やまれる。


 私、百合の気なんてなかったんだけどなぁ・・・。

 エレナーレなら全然イケるし、何ならロクサーナごと貰って欲しい。



「やったねロキ!おめでとう!」


 ざわついた会場の中、少しふわふわした心情のまま席に戻ると、ガッツポーズをした王子に明るく迎えられた。


「あの時賭けておけば良かった・・・」


「僕はアロイスに巻き上げられずに済んで良かったよ」


 巻き上げるってアナタ・・・。


「しかし、やり過ぎましたかね・・・。まさかあそこまで真剣に受け止められるとは・・・」


「侯爵から何か言われるかもな。人前で気を失わせたのだから責任を取れー、とか」


「・・・希望的観測に過ぎませんね」


 アロイスの言葉に苦笑いで返す。



「いいじゃんいいじゃん!ビックカップルの誕生だよッ。世界で一番強いロキと世界で一番綺麗なエレナーレさんの組み合わせなんて、もう、もう、最強じゃん‼︎あぁ〜2人の赤ちゃん見てみたいなぁ〜絶対可愛いよ・・・」


 相当興奮した様子で声を上げる王子に、一同は苦笑いするしかない。


「気が早過ぎるよ?クリス」


「まだ返事すら貰ってないしな」


「彼女、一言も発さずに帰ってしまいましたしねー・・・」


「あの余裕のなさは、絶対脈アリでしょ。ロキは自信ないの?」


「う〜ん・・・」


 自信も何も、お互い女の子だしねぇ〜。

 今回の事を侯爵が利用するにせよ『お付き合い』で止まる訳だし、子供の事まで言われても誤魔化すしかない。性別の問題がなければ普通にイケそうな感じだったけど。チョロい、チョロすぎるぞ親友。学園での関係に支障が出そうな勢いだったな。




「――さて、時間も時間だし、お開きにしようか」


「えぇ〜・・・」


 エレナーレの話題もさておいて、解散をかける王太子の言葉に王子が不満の声を漏らす。


 途中参加の私たちが会場入りして凡そ15分ほど。

 その短さに王子の不満も尤もであるが、しかし現在の時刻が4時半過ぎと、王太子の言う通りぼちぼち解散時刻となる。王都にある邸宅に帰るにしろ学園の寮に帰るにしろ、名目が『お茶会』なのだから、日が暮れる前に帰路に着くのが常識である。


 それに加えこのお茶会、テーブルには豪華な洋菓子がズラリと不足する事なく並んでいるので、これ以上いると夕食に影響が出る可能性がある。

 当の王子は、席に着くや否や直ぐに手を伸ばしていたし、今もモリモリと食べ続けているので、遅い昼食も然り、もう手遅れかもしれない。まぁ、これぐらいの男の子はいくら食べても足りないのかも知れないが。


「ねぇロキ〜」


「はい、何ですか?」


「うぅ〜・・・」


 捨てられた子犬の様に目を潤ませている王子は、迷惑を掛けたくない思いと、もっと一緒にいたい思いが大いに拮抗しているらしい。

 苦笑いしている兄の王太子と並ぶと、とても絵になる光景である。



「・・・では、クリス殿下の腹ごなしとして模擬戦でもしますか?殿下の食べっぷりを見ていて、この後の夕食が危ういと思っていた所でしたし」


「――!!えっ!ほんと⁈いいのっ⁈ロキと⁈模擬戦ッ⁈‼︎」


「えぇ、まぁ」


 私の軽い言葉を聞くや否や、ガバッッと勢いよく席を立った王子のその反応に若干引きながらも頷くと、王子は途端にパァーーっと顔を華やがせた。



「兄上ッ兄上ッ‼︎聞きました?聞きました⁈今、ロキがッ」


「うん、聞いてたよ、模擬戦だってね。良かったね」


 お兄ちゃんは弟の笑顔にうんうんと微笑みながら頷いている。


「おい、いいのか?下手すると・・・」


「大丈夫じゃないかな?ねぇ、ロキ?」


 話の内容に心当たりがあったので、王太子の呼び掛けに笑顔で頷いて見せる。


「えぇ。もちろん、継承問題に口を出すつもりなんてありませんよ。これぐらいで変な噂を流すなんて自殺行為でしょうし(・・・・・・・・・)



 『強さ』は勿論の事、『人柄』、『思想』、その全てがギルドに認められた者のみに与えられるSランク冒険者と言う称号は、世界規模の権威である。そしてその上、私の手には国の最終決定権と同等の『国王の宝剣』がある。

 つまり現状、国王よりこの国を引っ掻き回す事の出来る力を持っている私が、第2王子(・・・・)と模擬戦一つ気まぐれに行っただけで、王太子ではなく第2王子を次期国王に推していると言われてしまうのだ。

 王太子は生まれた時から次期国王に決まっていたというし、王子に肩入れし過ぎると今までの国の平穏が崩れかねない。王子を推している貴族は少なからずいるらしいし。推しに何か不満でもあるんか?あァ?


 莫大な影響力を持つ私は、その言動一つ一つに気を付けなければならないのだが、しかし、そんな事いちいち考えていては窮屈すぎる(・・・・・)

 人の目を気にしなくてはいけないレベルなんてとうの昔に超えているので、力で手に入れた影響力は権力(ちから)で捩じ伏せるのみである。


 こんな小さな事でつまらない噂を流す様な貴族がいれば、それはソイツがそれまでという事。明日の日の出を拝めれば良いね?フフフ。という訳だ。

 王太子が開いているお茶会に集まる最上級貴族の子息女達の目の前で公言したのだから、これで変に噂する奴はマジで危機管理がなっていない阿呆で、そのお友達達は察して自然と離れて行く事だろう。度が過ぎる様であればアスティアの影の方が対処するはずだ。



「ねぇロキ!早く行こう!闘技場でいいかな⁈」


「落ち着いてくださいクリス殿下。模擬戦一つでギルド管轄の会場なんてーー」


「――使えますよ?」


「うん、まぁ使えるんだけどさぁ?ちょっと大事過ぎない・・・?」


 『アスティアの影』に変わり、さらっと背後に現れ即断して来た『ユミルの影』に、思わず何とも言えない微妙な表情になる。

 やはりこちらの会話を聞いていたらしいが、どこに気まぐれの模擬戦で10万人規模のスタジアムを使う奴がいるんだよ。強過ぎる権力も考え物だな。



「クリス殿下がいつもどちらで剣の練習を?」


「え?下の中庭だけど」


「では、そこにしましょう」


「えぇ〜?」


「私の気が変わるかも知れませんよ?・・・う〜ん、この後セヴリーヌ宮に行くつもりなんですけど、今すぐ行ってしまいましょうかー」


「中庭っ!中庭が良いです!!」


「よろしい」


 王子を転がし終わると、その様子を見ていた王太子が解散の言葉を掛ける。


「さて、お茶会は解散だけど・・・。ーー帰りたい人はいるかな?」











「――ねぇ、ロキ様・・・」



 先程の王太子の言葉に、手を上げる人は誰もいなかった。


 普段ダンジョンで活動しているロキの戦闘シーンなんて、公式戦を夏に控えている今は超絶レアであろう。この世界で生きていれば、男の子だろうと女の子だろうと、Sランク冒険者という生き物は興味関心の対象である。

 その戦いぶりを見ないなんて選択肢はないだろうし、そもそも、あれは手を上げにくい雰囲気であった。


 この後用事がある人には申し訳ない事をしたかなぁと、そんな事を考えながら場所を移すために会場を後にしようとすると、アロイス以上に口数の少なかった公子に声を掛けられた。

 その表情は、どこか少し思い詰めた様な顔をしている。



「公子?どうしました?」


 何か相談事がある様な雰囲気に、首を傾げながら返事をする。


「あの、えっと・・・」


 口ごもりながら周囲に視線を泳がせる公子に言いたい事を察し、今にも走り出しそうにうずうずしている王子に声を掛ける。


「クリス殿下、中庭には先に向かっていてもらえますか?公子が少し話がある様なので」


「ユーリが?うん、分かった。先に行って待ってるね。・・・、絶対来てよ?」


「えぇ勿論ですよ」


 ちょっと不安そうに伺ってくる王子に笑顔を向ける。

 別にすっぽかす理由もないし、必要のない心配である。



 私達に手を振って王太子達を話しながら会場を後にする王子と、お茶会御一行を見送る。


 人気のなくなった花園は一気にシィンと静まり返った。

 私たちが後にしないと片付けが出来ない使用人達は、ぎりぎり会話の聞こえない位置の影から様子を伺っている様だった。




「それで、どうしました?秘密の相談でも?」


「・・・」


「公子?」


 よっぽど口にしずらい内容らしい。

 緊張からか公子の呼吸の間隔が短くなっているのが分かる。


「・・・あの」


「はい」



「・・・っ、ロキ様は、・・・、――女性(・・)、です、よね・・・?」



 公子は私の顔色を伺う様に、そう、口にした。


「―――」


「ッ」


 柔らかく微笑んでいた顔を一変、一気に表情が抜け落ち虚無顔になった私に、目の前の公子が短く息を呑む。

 周囲に防音の結界を張りながら口を開く。


「―― 一体、何の事でしょう?」


 自分でも、想像以上に冷たい声が出たのが分かった。


「ッ・・・えっと、・・・、その・・・」


 【威圧】スキルが自然とオンになる空気の中、身に降りかかるプレッシャーにフルフルと体を震わせ怯えている公子だが、しかし、しっかりと私の目を見てこう言った。



「ロキ様に抱えられた時、女性だと、気付きました。僕には、姉が5人いますので、感覚が似ていたのです」


「・・・それで?」


  冷たい声色で無表情に続きを促す。



「・・・気付いてしまって、ごめんなさい。・・・でも、女性のロキ様に、あんな、非情な戦いを強いてしまって・・・。男の僕が、何も出来なかった事を、謝りたくて・・・――」



 辛そうな表情で、苦しそうに胸を押さえた公子は、絞り出す様に言葉を紡ぎーー。


 そして私の目を真っ直ぐ見据えた緑の瞳からは、堰を切った様に、大粒の涙が留めどなく溢れ出した。




 公子が最後に口にした懺悔の様な重い言葉に、冷たくなっていた心の内にスゥッと感情が戻ってくる。

 それに付随して、【威圧】スキルが解除される。



「何を言ってるんですか?あれは私がーー」


「――いえ・・・、いえ・・・。僕が、・・・もっと強ければッ。もし、もっと早くに敵の存在に気付いていれば!ロキ様が、あの様な事をされる必要は、なかった!ッ、だから・・・ッ‼︎」


 首を横に振りながら、内心を激しく吐露する公子は、見ていてそれはそれは辛そうで、私の気まぐれに振り回していたんだと、少し申し訳なくなる。



「落ち着いてください公子。あれは私の気まぐれで手を出したに過ぎません。アスティアの影に任せていても何も問題はありませんでした。公子が気にされる事ではーー」


「でも、ロキ様はあの時、『人殺しは初めて』だとッ!」


「それは・・・」


 あの時はそれなりに距離が離れていたのに、公子にはちゃんと聞こえていたらしい。



「ロキ様はお強い。歴代のSランク冒険者に比べても、異常な程に強いのは分かっています。『モンダールの英雄』と言うのは、僕らの手の届きようのない遥か高みを指す言葉です。しかし、それでも・・・、ロキ様は、・・・人間の、女性でッーー」


 ・・・、女の子の多い家庭に生まれたからだろうか。

 女性に人殺しをさせてしまった、そしてそれを安全な場所からただ見ている事しか出来なかった。それは彼にとってどうしても許せない事らしい。


 込み上げる後悔の感情から食い縛った奥歯が限界の音を鳴らし、胸の前で強く握り締めた拳からは赤い雫が滴っている。

 過去の自分がどうしても許せなくて、強い後悔に苛まれている彼は、今にも発狂しそうで、涙に濡れるその瞳は危うい色を纏っていた。



 自分より年下の男の子のこんな顔は見たくないと。

 そもそも、こんな顔をさせたのは自分自身なのだと。

 そう心に留めながら、魔力を纏わせた(・・・・・・・)右手を公子の頭に伸ばす。



「ーーッ何をするんですか⁈」


 敏感に魔力を察知した公子は、慌てた様に両手で私の右手首を掴んだ。

 止められた私の掌は、公子の目線の位置で止まっている。


「・・・、大丈夫。何でもないですよ」


 別に触れていなくても魔法は発動出来る。


 目の前に広げられた掌で『オド』が『マナ』に変わる様を、驚愕の表情で見つめている公子。

 その顔に穏やかな笑みを浮かべこう口にする。



「大丈夫。目を閉じて、開いた頃には、辛い事も、知った私の真実も何もかも、頭から綺麗さっぱり、消えてなくなっていますから」


 記憶を弄るのは慣れている。

 【深淵魔法】へ昇華した際に、完全な洗脳としてその魔法を覚えた。


――【深淵魔法】レベル1『忘却』。


 術者にとって都合の悪い事はその一切を消滅(・・)させる魔法。

 忘れさせる、ではなく消滅させるため、何かしらの切っ掛けがあったとしても、対象がその記憶を思い出す可能性は100%、存在しない。

 その精度によって使う魔力量に差が出るが、今回使う対象は公爵子息なのでボロが出ないように念には念を入れてーー



「――やめて下さい!!」



 魔法が完成する一歩手前で、公子の悲痛な叫びが耳に届いた。


「・・・やめて、下さい・・・」


 繰り返された公子の言葉に視線を少し落とすと、彼は涙を溜めたまま眉を顰め悲しげな表情を浮かべていた。


「何故です?私の秘密を知った事を含め、辛い事は忘れるに越した事はありませんよ」


「僕は・・・、忘れたく、ありません・・・」


「理解できませんね」


 面倒臭い感情は忘れるに限るのに、しかし公子はそれを拒絶するらしい。


「・・・ロキ様の秘密を知った事について、僕の口を封じるのであれば、この場で僕の首を刈り取って下さい。ロキ様であれば、出来ますでしょう?」


「・・・は?」


 何を言っているのか、よく分からない。

 いや、ほんと何言っちゃってるの?この子・・・。


 先程まで危うさで揺れていた瞳は、いつの間にか真っ直ぐ私に向けられていた。

 決死の覚悟を決めてしまった、私より年下の少年の真面目な視線を直に受けて、不意に息が詰まる。



「この場で斬首されようとも、僕は息絶えるその瞬間まで貴女への罪悪感を忘れたくはありません。それが、何も出来ない僕に出来る得る、最大の償いですから」


 あぁ、本当に・・・。

 何て目をするんだろう、この子は・・・。



「・・・、勘弁して下さい。その様な重過ぎる念を持たれるぐらいなら、忘れてもらった方が何億倍もマシです」


「イヤです」


 即答かよ・・・。


「はいはいそうですか。では魔法を発動しますね」


「イヤですッ‼︎」


 問答無用に魔法を行使しようとすると、最大限に拒否の気持ちを伝えるためか、勢いよく胸の中に飛び込んで来た。

 王子に比べ少し小さな体が、力強く抱き着いてくる。


「公子・・・」


「イヤです!忘れたくありません!ロキ様も、もう人は殺さないでください!」


「それは・・・」


 思わず口籠る。

 殺さずに済むのならそれ以上の事はないのだが、これからの事なんて私にも分からないのだから断言出来る訳がないのだ。


「約束して下さい‼︎」


 自分の胸の中からくぐもって聞こえる公子の声は、哀しみに満ちて聞こえた。

 しかし、申し訳ないがその約束は出来ない。



「・・・、駄々っ子ですか。今までの気の弱そうな公子はどこへ行ったのやら・・・」


「ロキ様のせいです・・・」


「う〜ん、まぁ、そうなんですけどね・・・?」


 普段は大人しい公子にここまで嫌がられると、思う所があるのは事実だ。

 そもそもこの問答は、私の気まぐれが最大の理由である訳で。



 行き場の失った右手は魔力を失い(・・・・・)、胸の中に顔を埋めている公子の後頭部に添えられる。

 ピクリと肩を竦ませた公子の、形の良い頭をぽんぽんと撫でる。


「はぁ・・・、分かりました。今回は変に気まぐれを起こした私も悪かったので、公子の言う通り、記憶を消すの()止めておきましょう」


「本当に・・・?」


 私の言葉に顔を上げた公子と、至近距離で視線が交わる。


「えぇ。――ただし、公子の言う償いの件については、正直、重過ぎます。あれは私が勝手にやった事で公子は一切関係ない。相手を脅すため、見せ付けるためにわざと首を取ったのですから、公子が心を痛める所以は一ミリもないのです。なので、変に思い悩まないでくださいね」


「でも・・・」


「――分かりましたか?」


「・・・うん」


 語気を強めて真っ直ぐ瞳の中を見て言うと、公子は俯きがちに小さく頷いた。


 思い悩むなと言った傍から思い悩んでいる公子の頭を撫でながら、口を開く。



「――しかし、冒険者たちには私が女だってバレなかったんですけどねぇ」


「・・・うちは、少し特殊なのかもしれません。生まれて直ぐに城に上がった分、会った時のスキンシップが激し過ぎるので・・・」


「はははっ、あの(・・)お姉様方からの可愛がりは凄そうですねぇ〜」


「姉たちと会ったことが・・・?」


「おっと、口が滑りました忘れて下さい」


 女とバレて変に気が緩んでいるのか、スルッと漏れ出た言葉を諌める様に、両手で頬をぐりぐりと揉む。


「案外、巷の噂も当てになりませんね?」


「5年分の印象操作の賜物ですね」


「その様です」


 公爵家の姉たちを見た事がある人間なんて、貴族かごく一部の市民だけだろう。

 公子は直ぐに推測が立った様で、『商家の3男坊』という肩書きが眉唾であると思い至ったらしい。



「ふーん、なるほど・・・。あれ、じゃぁ王太子殿下方と同学年では・・・?」


 それ以上に推測を巡らせる公子に、しぃ〜っと人差し指を自分の唇に当て。


「それ以上は、ヒミツです」


 そう言いながら、抱きついたまま見上げている公子の唇に、自分の口に当てている指をトンと落とす。

 公子は私の行動にフリーズし数回の瞬きの後、カァーーッと顔を赤らめて、弾かれた様に離れてしまった。


「ッ・・・ッ・・・、ロキ様、女誑しと言うより、人誑しなんですね・・・ッ。女性が好きなクセにッ」


 離れるや否や、ぐいぐいと唇を裾で擦る公子に若干傷ついた。

 指が触れたぐらいでそんな嫌がらなくても良いと思うんだけど・・・。


「心外ですね、ちゃんと異性が好きですよ」


 そして私の言葉に驚愕の表情を浮かべている。

 この短時間で表情筋の忙しい事だ。


「えぇっ、あんな甘ったるい空気を醸し出しておいて・・・?」


「エレナーレ様が例外なだけです。あの顔は反則だと思いますし」


「えぇ〜・・・」


 私の言い分に納得が行かないのか声を漏らす公子。

 そういえば、エレナーレへの告白に向かう前に、公子だけ微妙な顔していた事を思い出した。確かに、女の子が女の子に告白しに行くなんて、事情を知らない側から見れば理解出来ない事だろうな。



「・・・あぁ、そうです公子。私の情報については、くれぐれもお気を付け下さいね」


「はい、もちろんです」


「よろしい。では、公子の掌の傷を治しましょうか。・・・全く、強く握りすぎですよ?」


「・・・ロキ様のせいです」


「はいはい、私のせいですね」


 そんな軽口を叩きながら、差し出された掌をそっと広げる。


 私より幾分か小さな掌には、肉に抉り込んだ三日月型の爪跡がクッキリと残っていた。

 本当、どれだけ強く握ったらこうなるのやら。公子の言う通り私のせいではあるけど、これで泣き喚かない彼の精神はなかなかのものである。


 その痛々しい傷を一瞬のうちに【生体魔法】で治す。

 そして現れたのは、剣を握らない魔法使いの少年の健康的で綺麗な肌だった。



「さぁ、中庭に向かいましょうか。クリス殿下が首を長くして待っている頃でしょうし。・・・手、繋ぎます?」


「・・・、いえ、遠慮しておきます・・・」


 私の手に乗っている小さな手は、少し視線を外した公子に引き取られてしまった。


「ふふっ、そうですか」


 即答で首を振られた最初に比べて少し思い悩んだ所を見るに、これを機に少し距離が近くなれたのかもしれない。









***










 薔薇の咲き乱れる庭園から少し下り、場所は飾り気のない中庭。


 『中庭』といえど、この王城は相当に広いので中庭に当たる場所は複数あり、それだけで何処を指すのか察するのは難しい。

 その中で一番分かりやすいのは、第2王子が剣の練習をしている中庭、である。


 数年前まではそれなりに王城に相応しい見てくれをしていたのだが、合理性を求めた王子により邪魔な装飾品の殆ど取っ払われ、ベンチ、生垣、芝生、芝生が捲れ放置された砂地、と、少し不恰好のまま維持されている。


 その広場になっている中庭の片隅には、使用人により運び込まれたソファや椅子に腰を下ろした貴族子息令嬢たちがいる。

 そして彼ら彼女らは皆揃って固唾を飲み、その広場の中央を見つめていた。




 刃の潰された鉄の剣と、名の知れた鍛治職人により打たれた真剣が、衝撃音を鳴らし続けて(・・・)いる。


 兄弟ほど歳の離れた青年と少年。

 少年が振るう方が真剣である。


 刃の潰された鉄剣は相手が真剣であれど切れる事はなく、しかし少年の持つ真剣も刃(こぼ)れを起こす気配はない。

 この非現実的な現状を作り出しているのは、全て青年の力量によるものであった。



 青年が軽く上に弾いた事により、勢いよく体を反らされる少年。そのガラ空きの腹に、青年は躊躇なく軽い蹴りを入れた。

 青年にとって超スローペースだったが、目で追うのがやっとの少年はそれに対処する術がなく、その攻撃をモロに喰らう。勢いよく後方に吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がるも、その終着点にて根気強く立ちあがろうとする少年。

 ・・・この少年は、一応この国の王子である。




「――何とも言い難い光景よの」


「クリスティアン王子殿下の負けん気も、相当でしょうな」


「しかし、まさかこの様な事になっておるとは・・・」


「――あ、陛下。この様な姿で申し訳ありません。ご挨拶申し上げます」


 模擬戦の話を聞き付けてやって来たのか、中庭にひょっこりと国王が顔を出したので、剣を構えたまま簡易礼を取る。


「うむ。気にせず続けて良いぞ。皆も、座っていて良い」


 国王の登場に子息令嬢たちが席を立ち揃って最上位礼を取っていたが、国王の許しが出たので腰を下ろした。


 使用人により、国王と一緒にやって来た左宰相のマルスニア侯爵、2人分の席が用意される。

 王太子とその同年代の子息令嬢たちが、国王と宰相と一緒に座り、揃ってこっちを向いているのは少し珍しい光景だろう。

 それに合わせて一緒にやって来た騎士たちも異様に数が多いのを見るに、仕事そっちのけで集まって来ているらしい。後で怒られるんじゃないか?と思っていたが、勲章付きの制服を着た騎士も数人見つけてしまい少し苦笑いを溢す。上司公認かぁ。まぁ、いい職場、なのかな?



「・・・うぅっ」


「クリス殿下、もうお開きにしませんか?」


「ぅう!」


「はいはい・・・」


 王子の意志通り、魔法で痛みを消してやる。



「・・・っふ、はぁー。もう一回!」


 このやり取り、もう7回目である。

 吹っ飛ばした数はもはや数え切れず、王子が痛みに蹲り動けなくなった所で、痛みだけ消してくれとお願いされて今が7回目。


 王子との模擬戦なので最初は上品にしようと思っていたのだが、王子から『壊れない限界ギリギリ』なんて要望が来てしまったので、こんな感じになってしまった。

 限界ギリギリというか、治しているのでとっくに限界は越えているのだが、仕切りに『もう一回』が掛かるので、止めどころを見失ってしまったのである。

 ボロボロで地面に転がる王子を見て、国王が止めてくれると思ったのだが、それもどうやら望み薄らしい。



「ヤァ!」


 威勢よく声を発し、剣を振り上げ私に向けて踏み込む王子。

 その攻撃を少し衝撃が返る程度に流しながら、その軌道を変えて王子の目に追えるぐらいのスピードでカウンターを入れる。王子はそのカウンターに対応しようと剣を戻すが、あとコンマ1秒足りない。鈍い鉄剣が王子の腹に決まる。


「ぐゥッ」


「惜しい、あと少しです」


「んんッ」


 ダメージを受けた腹を抑えながら飛び退いて、息を整え直ぐに踏み込んで来る王子。

 今度は下段からの攻撃。先程と同じ様に、王子に衝撃が伝わる程度の力で流すと、上に抜けた剣を素早く振り落として来る。そしてまた同じ様に適当な力加減で流す。


 今日はこの、攻撃を流して、弾いて、丁度いい所でカウンターまたは軽い攻撃を返す、と言う動作だけを繰り返している。ただ、私からの攻撃はそれぞれ全て別のカウンターにしているので、対処するのは難しいだろう。

 王子の力量に合わせた力で、スピードで、行っているので、模擬戦というか、もはや訓練と化している。王子にとって、今日のこの強行訓練で得る物は多いはず。

 なんせ私【剣術】レベル10だし。そこいらの魔物より【剣術】スキルに当てられる経験値は稼げるはずだ。強い奴とギリギリの戦いを繰り返せば強くなる、これはどの世界であれ当てはまる法則だろう。



 しっかし、この王子、辛くはないのかねぇ。

 気絶するかしないかの痛みまで追い詰められて、痛みだけ消してもらい再び戦いに挑む、なんてちょっと普通じゃない。さすが王族、常人とはちょっとズレている。

 私はこんな訓練は嫌だねぇ。私は、ダンジョン内でレベルを上げてスキルも自ずと上がった勢だから、血眼に努力する人は素直に尊敬するよ。・・・まぁ、普通はこうなんだろうけど。モンダールダンジョンをズンズン行けてしまった私の方が異常なのか・・・。



 上段の構えから振り下ろされた剣を同じ感覚で流し、直ぐに切り返してきた横凪ぎの剣を体を後ろに反らして避ける。

 そして、王子がそんな私に向けて振り下ろすべく踏み出した時、王子の顔から今までとは違った『痛み』を読んだ。


「ストップ」


 振り下ろされた剣を指で摘み止め、ひょいと取り上げる。

 スポンと手から取り抜かれた剣に一瞬呆けていた王子だが、彼はすぐに悔しそうな表情を浮かべた。


「うぅっ」


「今日はこれでお終いです。いいですね?」


「・・・うん」


「よろしい。ある程度の痛みは取りますけど、明日、覚悟しておいて下さいよ?」


「うん、分かった」


 そう、明日の王子に待ち受けているのは、世にも恐ろしい筋肉痛である。

 限界以上に体を動かしたので、それはそれは苦しい事だろう。起き上がれないかもしれないな。



「どうしたの?」


 不自然に戦闘を止めた私たちに王太子が歩み寄って来る。


「クリス殿下がご要望の、『限界ギリギリ壊れない』のボーダーラインです。あの踏み込みのまま無理に力を込めると、魔法で治療しないと今後の健康に影響が出る怪我になる所でしたので、今日はこの辺りで限界ですね」


 魔法で治療すると全てが元に戻るため、訓練などで筋力を付ける際はこれが逆効果となる。ぶちぶち千切れた筋繊維がタンパク質等により補修されて、やっと強い筋肉ができる訳なのだから、この仕組みは当たり前である。


「そっか」


 現代日本で暮らしているとこの仕組みはそれなりに理解できるのだが、この世界では『そう言うものだ』と言う結果だけしか知らないので、やはり頷いていてもその頭にはクエスチョンマークが乗っている様に見える。



「ロキよ。お主、ほんに強いのぉ」


「お褒めに預かり光栄です。クリスティアン王子殿下も、同年代の子に比べるとお強いと思いますよ」


「お主の12の頃に比べたら、そう大差ないのではないか?」


 国王のその言葉にちょっと呆れてしまう。


「異常者の私と比べる必要はないでしょう? 同年代の子に比べ戦闘センスが良くて、根性があるのでしたら、それだけで将来の伸び代は無限大なのですから」


 私の横に立っている王子に視線を向けると、彼はニカっと笑ってくれたので、つい嬉しくなってその頭を撫でる。

 銀色の髪越しにぐりぐりと撫でると、王子はふにゃっと笑った。


 ふむ?今日何回か撫でてるけど、撫でられ慣れていない感じがするのは何故?

 まだ公子の方が撫でられ慣れてる感じがしたが・・・。



「いきなりですけど、クリス殿下は陛下の事を何とお呼びに?」


「ん?父上だけど?」


「陛下じゃないんですね」


「う、うん?」


 いきなりの質問に首を傾げている。


 王子は国王の事を陛下ではなく()上と呼んでいる。

 それだけで十分な判断材料である。


「陛下、クリス殿下は頑張りましたよ?」


「うむ?そうだな、見ていたぞ」


「私なら1回で投げ出す所を、殿下は7回も果敢に立ち向かいました」


「おう・・・?」


 周囲は私が言いたい事を察し、ちょっとソワソワし出した模様。


 しかし国王はまだ気付いていない様子。

 みんなが言わないなら私が言うよ?


「陛下、クリス殿下、頑張りましたよね?」


「うむ?――・・・うむ、そうだな」


 繰り返した私の言葉に少し顔つきの変わる国王。

 おぉ、やっと気付いたか。


 その様子を見て、ちょっと下がり後ろから王子の背を押す。


 押し出される形となった王子は、目をパチクリと瞬かせながら、目の前に立つ国王の顔を見上げた。

そこには穏やかな笑顔を浮かべた父親がひとり。


「よく頑張ったな、クリス」


 国王はそう言って王子の頭を優しく撫でた。

 明から様にピシャッと固まる王子を見て、国王は少し困った様な笑みを浮かべたが、変わらず笑顔で撫で続ける。


「確かに、ロキに7回も殺されかけて、それでも食らい付くなんぞ、そうそう出来る事ではないからな。よく耐えたぞ」


 少し人聞きの悪い単語を聞き取ったが、まぁいい雰囲気だしスルーしておこう。


 そして、そんな言葉を掛けられた王子はと言うと、少し目に涙を溜めてーー



「はい‼︎」



 と、今日一番の元気な声を上げたのだった。






「――ねぇロキ。僕もロキと模擬戦していいかなぁ?」


「え゛?え、王太子殿下を吹っ飛ばすのは少し遠慮したいのですが・・・」


「だよね〜・・・」


 王太子は少し羨ましそうな顔で、国王に撫でられている王子の事を見つめていた。


 私が撫でましょうか?と言うのは私にはメンタル的にハードルが高いし、それに、『父親に撫でられる』と言うのに意味があるのだから、赤の他人の私にはどうしようもない。


「何かを、頑張れば良いのでは?」


「うん、そうするよ・・・」


 結局、何とも言えないアドバイスを返す事しか出来なかったのだった。












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