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クロの物語  作者: 大和
第一部:Black Story:
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第七章 一難去って…Ⅳ

「恵美さん………」

 渡辺勇人の小さな声が、先ほどまでの異様な雰囲気を切り裂いて沈黙を生む。

 その病室に集まっている数々の人たちは、それぞれなりの行動をとりながらも、何も喋らないという点において同じであった。


「ちょ、ちょっと!竜馬に何かあったんですか?もしかして体調が急変したとか…」

 警察関係者、また病院関係者たちが竜馬のベッドを囲むように立っていたため、病室の入り口に立つ恵美からはそのベッドの様子はうかがえなかった。

「…あれ?竜馬は…?どこですか………?」

 しかし、それは一時的のことである。

 少し駆け寄った所で彼女も気付いたようだ。

 そこにいるはずの、大事な息子の姿がないということに。

「誰か!誰か答えてよ‼竜馬………竜馬はどこ⁉」

「落ち着いて!落ち着いて聞いてください、恵美さん!」

 勇人達は、これまで見たことないほどに動揺する恵美の姿に驚愕する。

 

 だがしかし、それも当然だろう。

 二人いる息子の片方を亡くし、その直後、ましてや通夜の日という。

 そんな最悪のタイミングで、生き残ったもう一人まで失ってしまったならば。

 残された母親に、果たして生きていく気力は残っているのだろうか。


 そもそも竜馬が死んでしまうとは、まだ決まっていないが…。

 やはりどうしてもタイミングが悪い。

 考えたくもないようなことを、寧ろ積極的に考えて。

 あの日見た晴馬の動かない姿に、竜馬の姿を重ねて見えてしまえば。

 どう考えても正気などではいられなかった。



「お願い…誰か違うと言って………?あなた…晴馬…。竜馬は生きてるって……………ねぇ…?」

 既にその目に光はなかった。

 貼り付けられただけのような薄っぺらい笑顔を浮かべながら、宙に手を伸ばす姿は、生命力すら感じられない。

 そんな姿を見て絶句し続けていた勇人たちだが、今彼らがすべきことをふと思い出す。

「…先生、恵美さんをお願いしていいですか?」

「は、はい。大丈夫ですが…」

「私たちは私たちがすべきことをします。必ず、竜馬君を連れて戻ってきます!」

「…そうですね、お願いします。今の恵美さんには、それが一番の薬になりますから」

「先生!」

 恵美を支えていた看護師の一人が声をあげる。

「恵美さんが気を失いました!」

「分かった。ゆっくりベッドに移して!……………警察官さん…」

 

 勇人へと、声をかける。

「…絶対竜馬君を連れて帰って来て下さい。そうしたら我々皆で説教してやりましょう。家族をもっと大切にしろってね…」

「……………」

 勇人は言葉などいらないとばかりに、無言で頷いた。

 その目は本気の目であった。


「県警、及び三予市警に連絡!現在動員できる最大数の警官を派遣し、西郷の海岸沿いを全力で捜索させろ‼…一秒でも早く彼らを見つけるんだ‼」

「はいっ‼」

 

 その号令で一気に人が動き始める。

 三予市民病院は、異様な雰囲気に包まれていった。




(何だか騒がしいな…)

 複数の警察官らしき人たちが病院を後にして行く姿を、若き医師、黒田直隆は見送った。

 彼が今いるのは、少し前に竜馬達が走り抜けていった裏庭だ。

 その中心に位置するベンチに腰を掛けていた直隆は、慌ただしい足音を聞いていたのだが…

「…………ふぅ…」

 軽いため息と共に、視線を戻す。

 何かあったのかもしれないが、今の彼には関心が持てなかった。

 それは―


「おや?今日は先客がいるのかね」

「…ああ、田辺さん」

「これはこれは。黒田先生じゃったか!」

 ゆっくりとやって来たのは、一人の老人だった。

 彼の名前は田辺太郎。

 八十歳を超える彼もまた、この病院に入院している患者である。

 その原因となった病名は『解離性大動脈瘤』。

 簡単に説明すると、大動脈という血管にこぶのようなふくらみができてしまう病気である。

 なんの処置もせずに放っておくとどうなるか、想像してもらえば分かると思う。

 こぶの部分に圧がかかって破れてしまうと体内で大量出血になるし、そのこぶが他の血管を圧迫しても、危険な状態になってしまうのだ。


 田辺さんは早期発見やその後の検査、治療のかいあり、状態をしっかりコントロールしたまま数日後にその手術を控えていた。



「大丈夫ですか?きちんと安静にしておいてくださいよ?」

「分かっとる、分かっとる!ただまあ、病院内が騒がしくて落ち着かんかったんよ」

「…田辺さん、ここに来るのが好きですもんね…」

「おうよ!………って、どうした?悩み事か?」

「いえ……………」

「そうか、ならいいんじゃが……………まあ、誰かに相談することは、別に悪いことじゃないと思うぞ?」

「……………」

 直隆は静かにベンチから立ち上がった。

 空は暗くなり、月が出始めていた。

 その月を眺めながら立ち尽くしていた直隆は、観念したように口を開く。

「…田辺さんは、大事な人のために他人を犠牲にすることは悪いことだと思いますか?」

「…本当にどうしたんじゃ…?」

「いえいえ!ちょっと大げさに言いすぎましたが…」

「そうじゃのう…」

 

 田辺さんは、過去に思いを馳せるように語りだす。

「それが悪いことかどうかは、正直分からん…。今から六十年以上前の戦争当時は、大切な人のために敵を殺すのが正しいことじゃった。

今でこそ、あの当時のことは黒い歴史かのように扱われているが、当時そんなことを思っていた者はほとんどいなかったはずじゃ」


「……………」

「つまりはな…正しさなんてものは、その時代によって変わる、ということじゃな。戦国時代の武将に『人殺しはよくない』と言っても、意味ある結果などは得られないと思わないかい?」

 

「はい…」

「まあ結論としては、思うようにやれってことじゃな。もちろん法律に触れるようなことをしてしまうと捕まってしまうが………真面目な君のことじゃ。そんなことはせんだろう?」


 

 直隆は眺めていた月から目線を外し、二周りも三周りも年の離れた老人の顔を見る。

 気持ちのいい笑みの浮かぶその顔からは、彼が感じたことのない愛のようなものが感じられた。



「…何があったかはよく知らんが、まあ良く考え良く悩め!若人よ!……………さて、そろそろ肌寒くなったし、戻ろうかのぅ…」

「…あ、戻れますか?」

「大丈夫じゃ。手助けはいらんぞ!」

 そう言い残して田辺さんは立ち上がり、ゆっくりと自分の病室の方へと歩いて行く。

(まあ田辺さんは元気いっぱいだから大丈夫そうだけど…。危なかったら手を貸そう―)



ドンッ‼



「…⁉何だ?地震か⁉」

「とりあえず車を止めた方が良いな…。公造!」

「ああ!」



「くそっ…こんなタイミングで…。とりあえず、患者さんの安全を最優先に!揺れが収まった後、機器を見てくるから、恵美さんを頼む!」

「はいっ!」



(そんなに揺れは大きくない…かな?あ、もう収まって来た。そういえば―)

「お父さん、大丈夫かな?仕事でこっちの方に来てるって連絡あったけど…」



「よし、生徒たちの家庭に連絡。それぞれの安全確認を―」

「安藤先生!そ、空から何か降ってきます!」

「はあ?」



「そんなに揺れなかったな………あ痛っ!なんだよもう…って貝殻⁉」

『貝殻って何だよ?隼っち』

「貝殻が空から降って来たんだよ!何でかは知らないけど………うわ、次は砂だ!海岸の砂みたいなのが降って来た!」

『嘘だ…って言いたいけど、今こっちでも窓に砂が打ちつけてるんだよなぁ…』



「う、ん…?」

(何で砂が………?雨じゃあるまいし…)

 病院の裏庭、つまり屋外にいた直隆たちは、降って来る砂をもろに浴びていた。

 思いのほか砂の量が多く、圧力でうつ伏せに倒れてしまう。

(口の中に砂が…気持ちわる…)

 積もった砂の重みを感じながら、直隆は立ち上がる。

 空を見上げると、先ほどまでは良く見えていた月がその輪郭をぼかしていた。

 これは先ほど降って来た砂のうち、粒の細かいものが空を覆っているからであるが…。

(…っ‼そんな事考えてる暇はない!)

 まさにその通り。

 直隆は、大量の砂が降って来る直前に見ていたのだ。


 おそらく倒れた時に打ったのだろう、胸を押さえて呻く田辺さんの姿を。


「ううっ…」

「田辺さん‼」



 爆音と衝撃、それに何故か降って来た砂浜の砂。

「………何だか嫌な予感がするぞ、勇人」

「分かってる…」

 それらが竜馬達に関係している確証などはなかった。

 だが、それを確実に否定しうる材料があるわけでもない。


 そうなれば、彼らが信じるのは、長年の経験による勘のみだ。


「急ごう!」

「ああ!」




 時間は少し遡る。

 遠回りに遠回りを重ねて、竜馬達は西郷の砂浜に辿りついた。

 時刻は十九時になる五分前だった。

「よし、間に合ったか⁉」

「ああ、五分前だ!」 

 いつの間にか日は落ちて、空には月が昇っていた。

 淡い月光が砂浜を照らし、わずかに白く光り輝く。

 その綺麗な白の中に、異様な影が三つ映し出されている。


「あー…」

「どうしたんだ?竜馬」

 竜馬は頬をかきながら思い出したように、いや、思い出せないように言った。 

「何だっけな…あの……『一難去って』…」

「『また一難』?」

「それだっ‼」

「覚えとけよそれぐらい…。なあ、航輔?」

「ん?何か言ったか?」

「あ、ごめん。そっちに振った俺がバカだった…」

「んー」


「…で、なんでいきなりそんなことを?」

「いやさー。あれ…明らかに穏便には済まなさそうじゃない?」

 三つの影は明らかに武器等を手にしていて、それらがこすれ合う音だろう金属音のような音も響いている。

「何言ってるんだ、最初から戦うつもりだっただろ?」

「まあ、そうだけど………って、何やってるんだ航輔⁉」

「んー?」

 何の気なしに答えた航輔は、すでにその手に、鎖の巻かれたような大剣を持っていた。

「俺がもう出しとけって言ったんだよ。いつ急襲されるかも分からないからな。………ほら、竜馬も剣出して!」

「…ああもう!分かったから!」

(声は聞こえてないんだろうけど、一応敵前なんだけどなぁ………。まあ、素直に言うこと聞いてた方が早く済みそうか…)

 竜馬は、渋々黄金の剣を呼び出す。

「よーし、それじゃあ行こうか―」

「竜馬、ちょっと待った。こっち来て」

「……………」

「ちょっとだから!お願い!」

「…何だよもう…………あ…」



 拓摩と航輔は向かい合うように立っていた。

 だから何だと言われそうだが、これは彼らにとっては重要な意味を持っている。

 スポーツの試合などで全員が円陣を組み、手を重ねて掛け声をかけるというものがあるだろう。

 竜馬達はそれを、三人でよく(おこな)っていた。

 真面目なタイミングでも、そうでない時でも。

 三人揃った証か何かのように。


「…いやさ、ちょっと怖くなっちゃってさ…」

「……………」

 航輔は黙って頷く。

「だからさ、二人が近くにいるって思えば、頑張れそうな気がしたんだよ…」

「……………」

 航輔はまた、黙ったまま頷いている。



(…全く…)

「よし、分かった。やろう」



 時計における位置で、拓摩が三時、航輔が九時だとすると、竜馬が六時の位置に立つ。

「じゃあ手を―」

「いや、今回は折角だから武器でやろう」

「………その心は?」

「「何かかっこいいから!」」



(…やっぱり二人とも怖いんじゃん…) 

「…はいよ!」



 竜馬は黄金の西洋剣を差し出し。

 拓摩が白銀の片手剣を重ね。

 航輔が赤銅の大剣で蓋をする。

「……………」

「……………」

「…………何か変じゃない?」

「剣の大きさが違うからなー。バランスが変なんだろう」

「…なら、これでどうだ!」

 拓摩は、二本の剣の刀身とは逆の端同士を合わせて、そこを手で握った。

「何か形は弓みたいになったけど…。こっちの方がまだましでしょ!」

「よし…」

「せーの!」



(…俺が二人を守ろう。守るんだ…)



 打ち合わせなどしなくても、彼らの動きは揃う。

 掛け声と共に三人は、天高く武器を掲げた。

 ただし無言で。

 気合を入れるのではなく、そこにある大事なものを再確認するかのように。



(…守れるかどうかじゃない…)

「二人とも、行けるか?」



「ああ!」

「もちろん!」



(…絶対に守るんだ!)


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