第五章 三つの決意Ⅱ
「私はその後、足の怪我が原因で警察を辞めました。そして父の跡を継いで、今に至るわけです」
「自分は警察官として働き続ける傍ら、その何かを捜し続けました。……それしか…。我々には、ただそれだけしか出来ないから…」
二人は俯く。
「そうだったんですか……」
「…せめてもの救いです。我々が動かなければ、きっと彼に救いは訪れない」
「神なんてものは…いないんですから…」
沈痛な面持ち。
その表情からは、彼らの悲しみの過去が読み取れる。
「そのために…ぜひ捜査へのご協力をお願いしたい」
「はい、もちろんです!ほら竜馬………竜馬?」
「竜馬君?」
「……………」
竜馬は今日何度目か。下を向いて黙っていた。
「竜馬?」
「……………」
「ちょっと!聞いて―」
すっと、竜馬の顔が上がり、
「俺が救いになる」
「「………え?」」
「…どういうことかね?竜馬くん?」
突然の宣言。
大人たちは皆、戸惑いを隠せない。
恵美と公造は疑問の声をあげ、
勇人は竜馬に問いかける。
「どういうことって…そのままの意味ですよ。俺が皆の救いになる」
「し、しかし…どうやって……?」
「大丈夫です、勇人さん。俺が…」
「君が…?」
その時、明るくなっていた空が一気に曇った。
黒く分厚い雲が太陽を隠したのだ。
重く暗くなった世界で、竜馬は言葉を紡ぐ。
「…俺が全部ぶっ殺しますから」
「……………」
「……………」
「……………」
周囲の沈黙。
その表情には驚きの色が浮かんでいる。
だがそれは、彼の言葉によるものだけではない。
竜馬は笑っていた。
その笑顔は単純なものではない。
表があれば裏がある。
影があれば光がある。
その笑顔には、彼の言葉通り以外の意味も含まれていた。
竜馬の心の奥。
怒りの裏には、僅かな喜びがあった。
「犯人を殺せば……きっと報われるでしょ?義隆さんも、まだ意識が戻っていない護も……………晴馬も」
「竜馬…落ち着きなさい」
「……落ち着いてるよ」
ぶっきらぼうに答える竜馬。
その反応からも、竜馬の頭に血が昇ってしまっていることが分かる。
ポツ…ポツ…と降っていた雨は、またまた強くなり始めた。
竜馬はゆっくりとベンチから立ち上がると、それを覆う屋根の外へと歩み出た。
「落ち着いているのなら、そんなこと言わずにこっちに来なさい。そこじゃあ雨に濡れるでしょう?」
「……………」
「いいから落ち着いて話をしましょう!それ以上怒っちゃダメ‼それ以上怒ったら…また『あの時』みたいになるわよ⁉」
「……………」
竜馬の胸がズキンと痛んだ。
過去の記憶が僅かに蘇る。
悲しく辛い記憶。
思い出すだけで嫌になる。
しかし、彼の心にはまだ余裕があった。
それが喜び。
彼が偶然、意味も分からずに手に入れてしまった…というべき、不思議な力。
その力の使い道を示してもらった。
そんな喜びだった。
竜馬の笑顔の裏にはそれがあった。
「…大丈夫って言ってるだろ!」
「あっ!竜馬⁉」
竜馬は降りしきる雨の中を走り出した。
そのまま止まることなく、病院の敷地内を駆け抜けていく。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
(くそ…うっとおしい…)
雨粒が顔を打つ。
雨は土砂降りというにふさわしいほどになっている。
(くっそ…何だよ…)
竜馬は雨が嫌いだった。
濡れるからとか、外で遊べないからという、よくありそうな理由ではない。
何故か分からないが、嫌いなのだ。
本能的にというか、何というか。
明確な理由が分からないから、彼にはどうしようもない。
「……………」
服がビショビショに濡れて、体に張り付いた。
病院へとやって来る車が、何台も真横を通り過ぎていく。
竜馬は体が濡れるのも厭わずに、雨降る街並みへと突っ走っていった。
「竜馬!」
「恵美さん、あなたまで濡れてしまいます!」
先ほどまでの落ち着いた態度とは反転、恵美は取り乱していた。
「早く竜馬を追わないと!あの子は怒っちゃダメなんです‼」
「怒っちゃ…だめ?」
「そうなんです!だから…早く!」
人が変わったようにとは正しくこのことを言うのだろう。
今の彼女は、何かを怖がっているように見える。
「とりあえず落ち着いてください、恵美さん」
なだめる勇人。
「探すなら車のほうが早いです。彼が行きそうな場所に心当たりはないですか?」
「ええと……」
考え込む恵美。
「…すいません、分からないです…」
恵美はそのままがっくりと頭を垂れる。
「分かりました。私達で出来る限り探してみます。恵美さんは待っていてください」
「えっ⁉私も…」
ついて行こうとする恵美を手で制して、勇人は言った。
「恵美さん、先ほど言ったように犯人は実に凶悪です。行った先に本当にいるかどうかは分かりませんが…。僅かでも危険性がある以上、あなたを連れて行くわけにはいかない」
「……………」
沈黙する恵美。
しかし彼女はあきらめたわけではなかった。
必死に…必死に考えて。
そして…
「待ってください!心当たりなら…あるかもしれません!」
雨足は更に強くなっていた。
そのせいで、次第に視界が悪くなってきている。
竜馬はそんな中、ひたすら走っていた。
「…どこだ……?」
必死に持ちうる限りを全て使い探そうとするが、そんなことで犯人の居場所など分かるはずもない。
ただ感情的に飛び出して来た彼には、手掛かりと呼べるものさえなかった。
(くそっ……くそっ……くそっ……)
完全に五里霧中なこの状況に、竜馬は焦り始めていた。
焦りは体の動きに現れてくる。
「くそっ……くそっ…うわっ⁉」
竜馬は足を絡ませて転んでしまった。
(くそっ…くそ、くそ、くそっ‼)
心の中で言葉が繰り返され、
「…くそっ!ふざけんなああぁぁぁぁ‼」
そのうち一部が口から漏れ出た。
「ぶっ殺す・・絶対ぶっ殺す…」
滲み出てくるのは怒り。憎しみ。
しかしどんなに怒っても、憎んでも、分からないことは分からない。
思いはただ虚しく空回るだけだった。
「何で………」
歯を食いしばる竜馬。
そんな竜馬の頭に―
『お困りのようだね?』
―声が響いた。
「……あんたは確か…」
『覚えていてもらえて光栄だ』
その声は竜馬の頭に直接響いて来た。
いつかの声。
晴馬の死を見た、あの時の声。
正直竜馬にとって聞きたくもない声のはずだったが…。
「…あんたさっき、不思議な力で俺に過去の映像を見せたよな…?」
『うむ、その通りだが…?』
「……………」
落ち着いて考えてみるとそれは辻褄があっていないというか、筋道が通っていないというか。
「…まあいいや」
だが竜馬には、そんなことどうでも良かった。
「あんたに頼みがある…」
『頼みとは…?』
竜馬にとってその声の到来は、都合のいいことでしかなかった。
「晴馬を殺した奴の…居場所を教えて欲しい」
遠話のようなものや過去のビジョンを見せること。
そんなことが出来るからと言って、晴馬の仇の居場所を知っているというのは、あまりに短絡的な考え方である。
ただ唯一と言っていい共通点がある。
それは『人外である』ということ。
普通の人間では成し得る事はできないということ。
竜馬にとってはそれだけで良かった。
それだけあれば十分だった。
『それを知ってどうする…と聞くのは野暮かな?』
「……聞いていたのか…?」
明らかにこちらが言おうとしていたことを理解しているような口ぶりに、竜馬は警戒する。
『もちろんだとも』
「じゃあ早く!早く教えてくれ‼」
が、その警戒は何のその。
竜馬は叫ぶ。
『ふむ…』
対して、何か考え込むように間が空く。
「何だよ‼何を考えることがあるんだ‼」
『…君のやろうとしていることは、本当に“救い”なのか?』
その声は吐き捨てる竜馬と対照的に落ち着いてそう言った。
「……………」
次は竜馬が静かになった。
だが返答に困ったわけではない。
彼には端から答える気はなかった。
『……まぁいいだろう…』
そして脳裏に響く声もまた、すぐに納得した。
『君の弟や友人を斬ったその犯人…』
そのまま語り続ける。
その声色は静かな水面の如く。
ぶれない強い声だった。
『彼らの居場所は…』
そして竜馬は導かれる。
『竹前町西部の工業地帯……。その中心地の巨大廃工場だ』
次なる物語へ…。
「なあ拓摩。聞いてもいいか?」
「ん、何を?」
相川拓摩と篠原航輔は、自分たちしかいない病室の変な静かさに耐えきれず、どうでもいい話を続けていた。
今は拓摩の見た目について。
「お前眼鏡かけてたじゃん?」
「うん」
「今かけてないじゃん?」
「うん」
「見えてるの?」
「うん」
「……………」
「……………」
「皆覚えてるかい?拓摩は眼鏡をかけてたんだよ?」
「えっ⁉と思った人は、俺たちの初登場辺りに戻ってみてね」
…はい。
「あの時壊れたんだよね…。まあ少し見え辛いけど、しかたないか」
「まあ、また買ってもらえばいいさ」
「……………」
「…………静かだ―」
「拓摩君‼航輔君‼」
「―んなぃっ⁉」
二人同時に、飛び跳ねるように驚いた。
やって来たのは…
「竜馬の母さん⁉」
「竜馬が飛び出して行った⁉」
「本当なんですか?」
「えぇ、本当よ…」
竜馬の母、恵美はとある病室に駆け込んでいた。
そこは先ほどまで、拓摩と航輔がよく分からない雑談をしていた病室である。
「あいつ、この雨の中を走っていったのか…」
「どこに行ったか分かってるんですか?」
「それが分からないの…。拓摩君達は何か知らない?」
「うーん…」
「………」
雨の音のみが病室に響き渡る。
いくら仲の良い友人と言えど、竜馬の行先は分かりようがない。
「…ごめんなさい、分からないです」
「そう…」
悲しそうに恵美は振り向いた。
その先には公造と勇人が立っている。
「もう大丈夫です…。お願いします…」
「………」
「………」
肩を落とす恵美に従い、二人は歩いていく。
「二人ともごめんね。心配しないで…」
恵美もその後を追うようにゆっくりと病室を後にした。
「……………」
「……………」
再びその病室に静寂が訪れた。
ザァァと外で雨の音が聞こえる。
空気が重い。
恵美たちがやって来る前は、ここまで静かではなかったはずだが…。
拓摩と航輔。
彼らはまるで雨の中に取り残されたような気分を味わっていた。
「冷てえーっ!」
「何でまた雨強くなるんだよ…」
「本当。突然強くなったね」
泉宗親、木田隼、六角翔の三人は、竹前町内のとある書店に駆け込んでいた。
学校の帰り道、ゆっくりと話しながら歩いていた彼らは突然の雨にあった。
その時は近くにあった商店で雨宿りをしていたのだが…
「もっとあの商店で雨宿りしてればよかったな…」
「一回晴れたのになぁ…」
「文句言ってないでほら、皆で本でも見に行こうよ」
「「よしっ!じゃあ―」」
「ただしっ…」
スーパーに買い物に来た時にお菓子売り場へと走っていく子供のように、無邪気に走り出した宗親と隼。
翔はそんな二人の襟首をガッチリと掴んだ。
「「ぐえっ⁉」」
カエルの鳴き声か何かのような声が、二人の口から洩れる。
「とりあえず隼は成人向けのコーナーには行かない事。三人で参考書でも見に行こうか」
「ちょ、まっ、首が痛い!」
「あぁー、愛しのお姉さんがぁー‼」
雨は尚更強くなる。




