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クロの物語  作者: 大和
第一部:Black Story:
17/45

第四章 雨Ⅲ

 エレベーターで地下から地上へ。

 その扉が開いた途端、大量の音が溢れだす。

 病院を訪れた人達の声。

 待合室に設置されたテレビから聞こえる音楽。

 窓から外を見てみると、雨が降り始めていた。

 それらは特段珍しいものではないが、先ほどまでの暗闇との対比によりすごく新鮮味を感じる。

 地下にいたのはわずか十数分だったが、竜馬には何時間かぶりに戻って来たように感じられた。

 

「とりあえず―」

「真田さん‼」

 黒田直隆の言葉を遮ったのは、受付付近にいた一人の看護師だった。

「この方達が真田さんにお話があると…」

「どうもこんにちは。竹前警察署の者です。今回竹前町内で起こった事件について捜査していました。その件でお話があるのですが」

 訪問客は二人の警察官の男だった。

 二人とも中年太りのような体型で、タバコの強い匂いがする。

「何の御用ですか?」

「ここでは何ですから…と言いたいところですがね…。時間が無いので早速本題に入りましょうか」

「はい…」


「お宅の息子さんの晴馬君に、殺人の容疑がかけられています。ぜひご家族にお話をお聞きしたいと思いまして」



「なっ⁉」

「え⁉」

「あなた達!一体何を言ってるか分かってるんですか⁉」

 直隆は思わず声をあげた。

「今がどういう状況か……本当に理解しているんですか?」

「もちろん分かっています。しかし事件を早急に解決するためです。ぜひご協力を」

 頭を下げる二人の警察官。

 しかし直隆は引き下がらない。

「それは本音ですか?建前ですか?」

「……どういう意味でしょうか…?」


 黒田直隆と警察官達。

 その間に不穏な空気が流れる。

「……………」

「「……………」」

 恵美や竜馬には、何故直隆がそこまで熱くなるのか、一切分からなかった。

「あの…先生、もうやめたほうが…」

「止めないで、真田さん‼」

 分からないなりに恵美は直隆を止めようとするが、頭に血が昇っているのか止まらない。

「一昨日の事件の犯人は翌日に死亡したと発表がありましたが、それはあくまで翌日です。何故今回の事件では、発生から数時間でここまで強引な捜査をするんですか?」

 なかなかの剣幕で迫る直隆をよそに、警察官達は軽く答える。

「うーん…そんなこと言われても…。上からの指示ですし」

「上からの指示…?」

「そうそう。だから理由とかは分からないんですよ、はい」

「……………………………」

「…まあいいや。では真田恵美さん。お話を―」

 沈黙を何も言えなくなったと判断した警察官達は、恵美を連れて病院を出ようとした。

 その瞬間…


「お前ら―」

「待ってください‼」

 先に声をあげたのは直隆。何かを叫びたいようだったが…。

 しかしその声は竜馬の大声にかき消されていた。

「…どうした、少年?」

「まさか何か知ってるとか?」

「はい、そうです!」

 竜馬は元気よく答える。

 警察官の二人は互いに顔を見合わせると、頷き合った。

「じゃあ聞かせてもらえるかな?」

「分かりました。僕が知ってるのは、この事件の犯人です」

「「「えっ⁉」」」

「………何だって?」

 竜馬が何を言うか心配でたまらなくなっている恵美も。

 何とか我を取り戻して、気持ちを落ち着けつつある直隆も。

 見つかったであろう証言に、ある種心を躍らせていた二人の警察官も。

 傍で聞いていた全ての人が、自らの耳を疑った。

「…冗談とかじゃあ…ないんだな?」

「もちろんです」

「…………よし、言ってみなさい」

 本気で知っているのか、はたまたただの世迷言か。

 疑念を持ったまま警察官達は、再び竜馬に問うた。

 対して竜馬も一回大きく頷くと、彼が見たままを全て伝えようとした。



「この事件の犯人は…化け物です!」


「……………」

「……………」

「……………」

「………はぁ…」

 その場に張りつめていた緊張の糸のようなものが一気に弛んだ。

「やっぱりふざけてんじゃねえか…」

「ちょっと待って!本当なんだって‼」

 あきれ果てたような警察官達の背に声をかける。

 すると一人が立ち止り、こちらへ歩いて来た。

(良かった…話を聞いてもらえ―)


 ―は、しなかった。

 物凄い勢いで襟首を掴み上げられる。

 足が僅かに宙に浮いて、目の前の男とほぼ同じ目線の高さになった。

「少年…」

「な、なんですか?」

「いやな…」

 そして、何とも言い難い微笑を浮かべていた男の顔が豹変した。


「…大人を舐めるなよ、クソガキ…」

「っ⁉」


 思いっきり叫んだわけではない。

 周りの誰にも、その声は聞こえていないだろう。

 しかし竜馬は感じていた。

 そこに込められた確かな『怒り』を。

 そしてそれに明らかな恐怖を感じていた。



 襟首の手が離れて、竜馬はそのまま地面に倒れこんだ。

「竜馬⁉」

 突然掴み上げられたと思ったら、四つん這いに倒れてしまった息子を心配して、恵美が傍へ駆け寄る。

「おい、お前‼何やったんだ‼」

 ようやく立ち直った直隆も竜馬の前に立ち、二人の警察官に詰め寄った。

「何って……まさかさっきの話を信じろって言うんですか⁉冗談じゃない‼あんな世迷言、信じれるわけないでしょう⁉」

「違う!俺が言ってるのはそんな事じゃない‼」

「だめだ……こいつも話が通じねぇ…。真田恵美さん、早く行きましょう」

「…………………………」

「真田さん?」

 恵美は竜馬の隣でしゃがみ込んだまま、何も話さない。

「真田さん、どうかしたんですか?」

「…って下さい……」

「は?」

「帰ってください!今すぐ‼」

「え⁉」

「急に何を⁉」

「そもそもこんな時に話を聞きに来るのがおかしいでしょ‼さっきまでは何とか我慢してたけど……私の息子(・・)()に手を出すなら許さないわよっ‼」


 捜査のためと割り切り、愛する息子を侮辱するような言葉を黙って聞き。

 それでも結局恵美は叫んだ。

 竜馬に暴力を振るった(ように見えた)警察官の姿を見て、抑えが効かなくなったのだろう。

 やはり彼女も怒っていたのだ。


「く、くそ…何だよそれ…」

「どうするんだよ!このまま帰るのか⁉」

 突然の反応に慌てふためく二人。


「お、俺に聞かれても困る!どうすれば…」

 その二人の後ろから…


「今すぐ署まで戻りなさい」


「「っ⁉」」

「「「っ⁉」」」 




 突然の声。

 その声は病院の入り口の方向から聞こえた。

 反応は二種類。


声の主が誰かを知っていて、その登場に驚いた者達と。


声の主の正体を知らず、突然の他者の乱入に警戒心を強めた者達と。


 そして当の本人はゆっくりと姿を現した。

「本部長…」


「どうも、県警本部長の渡辺勇人といいます」



 やって来たのは二人の男。

 後方にいるのは杖をついている五十歳くらいの男。

 服装は年季の入ったスーツで、左足を引きずるように歩いている。


 もう一人。

 その前方に立っているのが、先ほどの声の主。

 警察の制服を着た、同じく五十歳くらいの男だ。

 体格がかなり良く、着ている服は少しきつそうに見える。

 髪に白髪がかなり混じっていることなどからそれなりに年相応に見えるが、体つきだけを見ればとてもではないが五十代には見えない。

 

「本部長…どうしてここに…?」

「良いから。今すぐ戻るんだ」

「は、はい…」

 先ほどまではかなり強気だった警察官達も、大人しく従って帰っていく。

「ふぅ………真田恵美さんでしたね」

 僅か数秒で二人の警察官を追い返した制服の男は、すぐに恵美の方へ向き直した。

「な、何ですか⁉」

 恵美は警戒心を露わにする。

 おそらく彼女は、下っ端では埒が明かないということで上層部が出てきた、と思っているのだろう。

 しかし現実は違っていた。

 

「申し訳ない」

「え?」

 すっと目の前にあった顔が下がった。

「うちの者が大変失礼しました。今後はこのようなことが無いように指導して参りたいと思います」

「は、はぁ…」

 想像していなかった行為に戸惑いを隠せない恵美。

 そして頭を上げた制服の男こと渡辺勇人は、次に竜馬の方を向いた。

「そして君が真田竜馬君……だね?」

「あ、はい」

 互いに目を見合う。

 竜馬は初対面のその男の目に、何故か見覚えがある気がしていた。

(うーん…何でだろうなぁ…)

「ん、どうした?私の顔に何かついてるかい?」

「いえ、何も!」

 慌てて首を振る。 

「そ、そうか…では本題に入るが…」

 竜馬の大げさなほどのリアクションに、僅かに戸惑いを見せる勇人。

 しかしやはり仕事のモードに入ってるのだろう、すぐに再び強い視線を竜馬に向けながら言った。

「さっきの話、詳しく聞かせてもらえないだろうか?」

 ゆっくりと、ごつごつとした手が差し伸べられる。

「…あの話……信じてもらえるんですか?」

「いや」

「え?」


「我々は信じるのではない。信じざるを得ないのです」


 

 渡辺勇人は真っ直ぐ前を見据えて、そう言った。

「うむ…」

 その後ろではスーツの男が大きく頷いている。



「…………………………」

「…………………………」

 恵美と直隆は絶句していた。

 驚きのあまり…というわけではなく。

 ただ何を言っているか分からないだけだった。

 『信じざるを得ない』という言い回しを使ったその真意を、果たして想像出来るのだろうか。

 いや、そんなことは出来まい。

 その言葉に込められた『真』たる『意』を全て想像出来るとしたら、それは相手の心を読める人であるか。

 はたまたものすごい幸運の持ち主か。

 残念ながらこの場にいる人たちは、そのどちらでもない。

 つまり恵美や直隆の抱いたそれは、当たり前の感情ということだろう。



 それでも一人、竜馬は目を輝かせていた。

 信じてくれるんだ、と。

 あの突拍子もない話を信じてくれるんだ、と。



「とりあえずここでは何ですから、外で話しましょう」

「いや、外は雨が…」

「大丈夫」


 渡辺勇人は、より一層胸を張って言った。


「秘密の場所があるんです!」




「まあ、秘密でも何でもないんですがね」

「すごい…」

「ここは?」

 歩いてわずか一分ほど。

 屋根付きのベンチのある所へ来た竜馬と恵美は、その景色の素晴らしさに驚いた。

「病院の敷地内にある中庭で、晴れている日は入院している患者さん達がよく来るんです」

「へえぇ…」

 ベンチを取り囲むように咲く、色とりどりの花たち。

 まるでそこだけ病院の一角から離れ、別世界に来たようだ。

 今日は雨で、少し暗めの日であってもそうなのだ。

 晴れた日に来てみれば一体どれほど美しいのか、と思えてくる。

 何というか、心安らぐような美しさを彼らは感じていた。


「本当にすごい…」

「うん…」

 竜馬も恵美も感動のあまり言葉が出ない。


「……………」

「……………」

「……すいません、もうよろしいですかな?」

 渡辺勇人は苦笑い。

「ああ、ごめんなさい!つい…」

「美しい場所ですからね。仕方ないと思います。こちらへどうぞ」

 花々に囲まれたベンチに竜馬、そして恵美が座る。

 続いて渡辺勇人、杖をついたスーツの男と席に着いた。



「さて、お話を聞く前にこちらから今回の事件について説明します」

 おもむろに渡辺勇人が話し始める。

「時刻は今朝九時頃。場所は竹前町のある路地。何者かによって二人が殺害された…」

「表向きにはそういう事件ですがね…」

「え?」

 スーツの男の『表向きには』という言葉が、やはり引っかかった。

 そのような言い回しをする場合は大抵…。

「それは事実と違うんですか?」

 恵美はそう問う。

「……………」

 竜馬はただ黙っている。

「はい」

「第一発見者…というべきかは分からないのですが…。三田心という少女の……私の娘の証言によると、僅かな部分が違うのです」

「「え?」」

 今回は竜馬も反応した。

「お宅のお子さんも巻き込まれていたんですか⁉」

「ええ。申し遅れました、三田公造といいます。以降お見知りおきを」

「あ、はいこれはどうもご丁寧に……………っていや、三田さん。先ほどの話を詳しく‼」

 丁寧な物腰などから、ついついご挨拶モードに移行してしまっていた恵美だが、すぐに戻って来た。

「は、はい。分かりました……………。では、」

 公造はちらりと竜馬の方へ目をやり、彼が全く動じていない事を確認してから話し始めた。


「まだ混乱していてよく聞いてはいないんですが……どうやら事件前にその場所で、タチの悪い男二人にからまれていたそうなんです。警察の捜査の結果、一人を保護し、もう一人は事件で死亡した男だと分かりました」

「今回の事件の凶器は、事件現場に落ちていたナイフであると断定しました。そこに保護された男と、晴馬君の指紋のみが付着していたため、晴馬君にも殺人の容疑がかかってしまったわけです」

「いえ、そんなことは―」

「ええ、ええ。大丈夫ですから落ち着いて!」

 公造は興奮気味の恵美をなだめるように続けた。

「私の娘は当初、あることを繰り返して口に出していました。…………『お兄ちゃんが死んじゃう…私を守ってくれたお兄ちゃんが殺されちゃう…化け物に殺されちゃうよ…』と」

「…そのお兄ちゃんって、もしかして…」

「えぇ…」



 つうっと、公造の頬を光が伝う。

「真田…晴馬君でしょう…」

 

 涙だった。

 一粒の涙が、両の頬に一本の線を作っていた。

「晴馬君は、どうやら私の娘を守ってくれたようなのです。自らの大事な命と引き換えに…」

「……………」

「すでにご本人は亡くなっている…。それでも言いたかった。せめてご家族には言っておきたかった…」

 

 一粒の涙によって出来た道を、次々と涙の粒が走る。

「真田さん…ありがとう…」

「……………」

「こんなことを言われても困るだけかもしれない…。それでも、それでも…」

「………あー、なるほど」

 ただ黙って話を聞いていた恵美が、こらえきれなくなったように語りだす。

「なるほどねえ…。おかしいと思ってたんですよ!何でわざわざあの路地裏に入るかな?と。なるほど、他人を助けるためだったか……。益々あの子らしくない…。知ってますか?あの子ったらこの前……」

「母さん…」

「…いや、そうだよね。晴馬はそんな事をする子だ…」

 現実逃避か、はたまた明るく振舞おうとしたのか。

 竜馬の瞳には、『そんなことに意味はない…』というメッセージが浮かんでいた。

 


「ありがとう……ありがとう…」

「三田さん、頭を上げてください」

 ずっと頭を下げて、涙を流して呟き続けていた公造に、そう促す。

 そして恵美は、思いを吐露し始めた。


「あの子あの子って……晴馬のことを私は理解できていませんでした。彼は立派な男だった。ほら…自らの意思で誰かを守るために戦ったじゃないですか!私は誇りに思います…。息子をそんな一人前の男に育て上げていれたことを…」


 公造はゆっくりと顔を上げる。

 そこで見た恵美の顔は、泣いて…いや、笑っていた。

 涙は流れていた。でもそれが見えなくなるほどの、素晴らしい笑顔がそこにあった。


「晴馬が望んでいるのは………あなたに泣いてもらうことじゃありません。きっと彼が望んでいたのは、あなたと共に笑う娘さんの姿を見せてもらうことじゃないでしょうか?………なら私も笑います。涙は止まらないけど、それでも笑っています!……………ね?」

 


 そこまでだった。

「あぁ…ありがとう……ありがとう……」

 何とか顔を上げていた公造は、再び顔を伏せて涙を流し始めた。

 更に…

「泣かないでください、ほら…って、何であなたまで泣いてるんですか渡辺さん!」

「いやー、娘がいる身として、この話は駄目ですわ…」

「えぇ⁉ほ、ほらお二人とも涙を拭いて!」


 

 雨は止まない。 

 それでも空はいくらか明るくなっていた。



 

 時刻は午後一時。

 急に明るくなった空は奇妙ささえ感じさせた。


 



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