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クロの物語  作者: 大和
第一部:Black Story:
15/45

第四章 雨Ⅰ

「雨、降りそうだな…」

 竜馬は空を見上げた。

 空には灰色の雲がかかり始めていた。


 彼は今三予病院の目の前にいる。


 三予病院は三予市の市街地の端にある、三予市唯一の病院だ。

 三予市自体はそこまで大きくない市であるが、隣の竹前町からの患者も含めて連日沢山の人が訪れる。

 それは今日も例外ではない。

 先ほどから病院の入り口に立つ竜馬の横を、何台もの車が通り過ぎていく。


「…よし」

 竜馬は一呼吸置いてから、自動ドアの前に立った。

 別に何があるとも思っていないが、病院に来ると不思議と緊張する。

 だがそれは別に特別なことではないだろう。

 流石に病院に来て嬉しそうにはしゃぐ人は、ほんの一握りなはずだ。

 まして竜馬は理由を聞かされずにやって来た。

 えも言われない不安が、心の奥で渦巻いている。

 そんな竜馬を迎えるかのように自動ドアがゆっくりと開いた。


 やはり今日も人が沢山いた。

 真っ白い壁のせいかやけに明るく感じる院内では、看護師さんたちが忙しそうに動き回っている。

 竜馬はその一角である受付へと向かった。

「外来ですか?お見舞いですか?」

 受付の若い女性看護師が問いかけてくる。

「あの…分からないんですが、母が来ているはずなんですけど…」

「…?お名前は?」

 その看護師は一瞬怪訝そうな顔をした。

「真田ですが…」

「あっ……」

 そして竜馬の名字を聞いた途端、その表情を曇らせた。

「…ちょっと待っててね」

「え、あの…?」

 そう一言置いて、受付の奥へと消えて行った看護師をただ見送る竜馬。

(何なんだ…?)

 彼にはわけが分からない。

 とりあえずそのまま受付の前に立っているわけにはいかない。

 竜馬は邪魔にならないように横に避けた。

「……………」

 ふと周りを見回してみる。

 病院に来ているのならどこか見えるところにいるかもしれないと、母、恵美を探してみるが、やはり見当たらない。

 本当に何の用事なんだろう…?と考え始めた時、


「君が真田竜馬君かい?」

「え?は、はい」


 誰かに声をかけられた。



 竜馬に声をかけてきたのは、真っ白な白衣を身にまとった青年だった。

「私の名前は黒田直隆といいます。よろしく」

 おとなしそうな見た目の黒田直隆という青年は、そう名乗りながら軽く頭を下げた。

「はい、よろしくお願いします」

 竜馬も相手に習い頭を軽く下げる。

「では、早速案内させてもらいます。こちらへ」

 彼もまた特に事情を説明するわけでもなく、竜馬を病院の一角へと案内する。

 そこには金属で出来た両開きの、赤いドアが。

 例えるならデパートなどにあるエレベーターの入り口のような物が。

 というか、横の壁にある上下のボタンを見るに、エレベーターそのものがあった。

 黒田直隆が下向きのボタンを押すと、すぐにそのドアが開いた。

「どうぞ」

 黒田直隆は竜馬にそう促す。

 そして、


(い、一体何があるんだ…?)

 やはり竜馬にはわけが分からなかった。




「た、ただいま…」

 渡辺朋美は家にたどり着いた。

 竜馬と別れるまで無理して走り続けていたため、汗だくになっている。

「……ふぅ…疲れたぁ…」

 靴を放り投げて、そのまま風呂場に向かおうとする。

 無論、体の汗を流すためである。

 とりあえず鞄を置こうとリビングに向かい…

「あ……」

 机の上に晩御飯が買って来て置かれていた。

 そして朋美はすべてを理解した。

「今日も、遅いんだね…」



 朋美の両親は共働きである。

 父親は地元警察のトップである本部長という職についている。

 また母親は北海道の小学校で教師をしているため、単身赴任をしている。

 父親の仕事はかなり多忙なので平日はもちろん、休日も家にいないことが多い。

 朋美が眠った後に帰って来て、朝起きたらもういないというのもしばしばである。

 今日は正にその日だ。


 朋美は手早く鞄を置くと、足早に風呂場へと向かう。

 白いソックス脱ぎ捨て、一応学校指定の制服―指定された制服があるものの、制服でも私服でもどちらでもよい―を洗濯機に投げ入れて。

 最後に可愛らしいピンクの下着も洗濯機へと入れて、浴室へ入る。



「…………」

 手元のつまみを回すとシャワーが出てくる。

 その水音が浴室全体に響いた。

「…………」

 朋美はただ黙って汗を流す。


「…………」

(分かってる…。頑張って家族のために働いてくれていることは…。それでも―)

 

―一緒にいたい―

 そう思うことは何らおかしいことではない。

 彼女はもう高校生であるが…しかしまだ高校生だ。

 話したいことや、相談したいことだってある。

 しかし真面目すぎる朋美は、そう思うことを自分の弱さのせいだと思い込んでいるのだ。

 

(私が弱いからこんなことを思っちゃうんだ…。もっと…)

「…もっと強く…もっと―」


『何か…変わったなって思ったんだ…』


(―あれ?)


『うん…。もっと強く…』


「何で私…竜馬君のこと、思い出してるんだろう…?」

 朋美は過去に抱いたことのないその感情の正体を知らない。

 それでも…

(よしっ‼次に会った時は絶対『竜馬君』って呼ぼう!)

 彼女はその思いを励みに前を向く。


 渡辺朋美の人生は変わりつつあった。




「あの…一体どこに行くんですか?」

「…………」

「えっと…」

(き、気まずい…)


 竜馬は三予病院のとある廊下を歩いている。

 先ほどから前を歩く若医者の黒田直隆に話しかけているのだが…

「…………」

「…………」

 エレベーターの中でも、廊下を歩いている時でも、返事は何も返ってこなかった。


 更にもう一つ、彼を不安にさせることがある。

「あの…どこに向かってるんですか?さっきから窓が一つもないんですけど?」

 そう。

 エレベーターを降りてから竜馬は、一度も外の光を見ていない。

 そのうえどんどん見知らぬ場所へ連れて行かれるとなると…

「…もしかして、ここ地下ですか?」

 竜馬は至った結論を口に出した。

「……そうです。着きましたよ」

 対して黒田直隆は少し溜めてから返事をした。

 そして、計ったかのようなタイミングで目的の部屋の前にたどり着いたのだった。

 

「ここは…?」

「ここは霊安室です」

「………え?」

「どうぞ中へ」

「え……なんっ…え?」

 突然の『霊安室』という言葉。

 まさか出てくるとは思っていなかったその言葉に、驚きのあまり声が出ない。

 竜馬は混乱したまま半ば引きずられるように部屋へと入った。



「…………」

 そこはただ暗い部屋だった。

 小さな照明がいくつかついているのみで、もちろん窓などはない。

 壁にも装飾などはなく、ただベッドが規則正しく並べられているだけだ。

 その並べられたベッドの一番近いもの。

 竜馬はそこから聞き覚えのある声を聞いた。


「……して…どうしてなの…?」

 一歩一歩近づいていく。どうやらその声の主は泣いているようだ。


「どうしてあなたがこんな目に遭わなくちゃいけないの…?」

 また一歩。ここまで来ると人影くらいは見える。ベッドに横たわる人影が一つ。そしてその横にしゃがみ込む人影が一つ。


「ねぇ…目を開けてよ…」

 一歩。竜馬は何か絶対に見たくない、しかし見なければならないものに近づいている気がした。

 そして…



「晴馬っ‼」

「…………」

 竜馬はただ無言で立っていた。

 そこで彼が見たのは暗闇の中にうずくまる母、恵美と、ベッドに横たわる晴馬の姿だった。



 時刻は正午を回った頃。

 外では雨が降り始めた。




「あ…雨だ」

「「雨っ⁉」」

 息子の見舞いに来ていた二人の母親が揃って声をあげた。

 一人は短髪で眼鏡をかけた四十代くらいの女性。

 もう一人は長い髪を後ろで束ねた、同じく四十代くらいの女性。

「あら?どうしたんですか?」

 二人より少し若い看護師の一言に、母親たちは再び声を揃えて言った。


「「洗濯物が‼」」



「じゃあまた後で来るからね、拓摩」

 短髪の女性が言い、

「急ぐよ!相川さん‼」

 髪を束ねた女性が続いた。

 どたばたと病室という場所に似つかわしくない音をたてて、走り出て行った。

 

「…今からで間に合うと思う?」

「というか、息子より洗濯物のほうが大事なのかよ?」


 二人の息子は少し不服そうだった。




「ん?雨かな?」

 タオル一枚でリビングに出てきた朋美は、雨音がしていることに気付いた。

 カーテンの隙間から外を覗くと、雨によって地面に不規則な模様が出来始めている。

(でも雨の予報じゃなかったし、お父さんが帰って来る頃には止む―)

「あっ!部屋の窓開けっぱなしだ!」

 朋美は自分の部屋の窓を開けっぱなしにしていたことを思いだした。

 彼女はそのまま二階への階段を駆け上がっていく。

 上がりきり、自分の部屋に駆け込む寸前…


「大変、たいへ―きゃあ⁉」

 おもいっきり足を滑らせた。


「痛た…また転んじゃったよ…」


 雨足は次第に強まっていた。




「…………」

 竜馬はただ立ち尽くしていた。

 音はほとんど聞こえない。

 暗くて周りもよく見えない。

 まるで自分の周辺の時間が止まってしまったかのように感じられた。

 

「……竜馬?」

「な、何?」

 竜馬は結局、恵美が気付くまでずっと一人で立っていた。

「来たのね…」

「母さん…」

「晴馬のことなんだけど…」

「………何?」

「この子のこと…恨んだりしてない?」

「っ⁉」


 竜馬は言葉に詰まった。


 『恨むわけがない!晴馬にだって何か訳があったはずなんだ‼』

 そう言いたかった。

 言ってやりたかった。


 しかし竜馬の喉から声は出ない。

 恵美の瞳に浮かぶ涙を見ていると、何故か声が詰まるのだ。


「この子は…晴馬は、そんなに悪い子じゃない!きっと何か、訳があったはずなの…」

(そうだ…。俺が一番良く知っているんだ。晴馬の本当の優しさを…)




―五年前―

「ねえねえ兄ちゃん」

「ん?どうした?」

 とある休日の昼下がり。真田竜馬(当時小学五年生)は溜めに溜めていた学校の宿題をしていた。

「あのねー…」

「うん?」

 そんな竜馬に話しかけているのは、まだ小学校低学年だった頃の真田晴馬だ。

 その問いかけに対してノートから目を離さず、手を止めないで答える竜馬だったが…。

「兄ちゃんってさあ、兄ちゃんなの?」

「うん、そうだ……え?」


 ポキッ!



「母さん‼」

「何よ騒々しい…」

 そう言いながら起き上がって来たのは二人の母、恵美。

 今日は仕事が休みなので、お昼寝タイムの最中であった。

「晴馬が変なこと言ってる!何か吹き込んだでしょ‼…あ、あと鉛筆折れたから鉛筆削り取って」

「…あんたが何を言ってるか分からないけど…もしかしてこれのせいじゃないの?…あ、あとはいこれ。鉛筆削り」

「これって…」

 電動でもなんでもない小さな鉛筆削りを受け取りながら、恵美の指した方向を見る。

 そこには小さなテレビがあり、昼のサスペンスドラマが放送されていた。


「…………これ?」

「そう、それ。さっき実の兄弟がどうのこうのとか言ってた気がする」

「……なるほど」

「兄ちゃーん‼」

 晴馬が大分遅れて部屋に入って来た。

「兄ちゃんって、兄ちゃんなの?」

「これはつまり…」

「『兄ちゃんは本当の兄ちゃんなの?』ってことね」

「…………」

 竜馬は黙って晴馬の肩に手を置いた。

「兄ちゃん?」

「そうだよ。兄ちゃんは兄ちゃんだ。他の何でもないよ」

「本当?」

「うん、本当だ」

「………や―」

「や?」

「―やったーっ‼」

「おわっ⁉」


 晴馬は喜びながら廊下を駆けて行った。

 ダダダッという足音がずっと聞こえ続けている。

「…元気だなぁ」

「何お爺さんみたいな事言ってるのよ。あんたまだ小学生でしょ…」

 そんな会話を挟みながらの、

「…それより、竜馬。あんた宿題は?」

「あっ‼忘れてた‼」


 竜馬もまた、晴馬の後を追うように駆けて行く。



「ふう…」

 部屋に戻って三十分。

 宿題がひと段落して休憩していると、晴馬が駆けこんで来た。

「兄ちゃーん‼」

 その右手には何か小さなものが掴まれている。

「んー、何?」

「見て見てー!」

「おっ」

 それは小さなバッタだった。

 背中の部分をがっちりと掴まれているからか、参ったと言わんばかりに微動だにしていない。

 そのせいもあるかもしれないが、竜馬にはそのバッタが元気がないように思えた。

「どこにいたの?」

「えっとね、向こうでクモの巣に引っかかってたから助けてあげたの」

「へぇ、そうなんだ…」

(なるほど最初から弱ってたんだな…)

 竜馬はそう思ったが、口にはしなかった。

「あのね、それでね。このバッタ飼ってみたいんだけど、兄ちゃん飼い方知ってる?」

「うーん…」

「知らないの?」

「…いや、まあ知ってる。でもね晴馬」

「ん?」


「そのバッタの家はここじゃない。その辺りの草むらだろ?もし晴馬が虫かごに閉じ込めちゃうと、そのバッタは家に帰れなくなる。晴馬がもしそうなったら嫌じゃないか?」

「……うん、嫌」

 晴馬は少し悲しそうに俯く。

 対して竜馬は何だか懐かしい気分になっていた。

 つまり彼もまた同じことを誰かに言われた経験があった。

 先ほど竜馬が言った言葉は、そこからの引用…。というかほぼそのままだったのだ。

 

「……じゃあどうする?」

「草むらに戻してくる」

 俯いてこそいた晴馬だが、そう即答する。

「うん、そうだな!きっとそのバッタも喜ぶぞ」

「うんっ‼」



竜馬は未だに覚えていた。

そう、五年という月日が流れたとしても。

昔みたいに仲の良い関係でなくなったとしても。

それくらいに―


その時の笑顔は大げさすぎるほどの満面のものだった。


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