第七章 2 本間雫
新山守が襲われてから、今日で一週間になる。
初っ端でつまずいた私たちは、その後もめぼしい情報を得られぬまま、ズルズルとここまで来てしまった。
新山守、及び高崎礼子が怪しいのは間違いない。
新山は確実に何かを隠しているし、自宅療養中の高崎礼子も何やら不審だ。この二人は、必ず何らかの鍵を握っている。任意で引っ張ってもよかったのだが――確固たる証拠がないのも、また事実。あと一つ、何かが掴めれば、全体像が見えてくる気がするのだが。
とにかく今は、新しい情報が欲しかった。このままでは、完全に手詰まりだ。
宿木から連絡が入ったのは、その頃だった。
是非、私の耳に入れておきたい情報があるから、今日の五時、店の方まで来てほしいのだと言う。つまり、情報を餌にこちらを呼びつけている訳だ。
あからさまに、胡散臭い。
警察に情報提供したいのなら、自ら署に出向くのが筋だろうに、時間を指定して刑事を呼び出すなんて、どういう了見だろう。
まあ、寛大に見てそれは許すとしても、奴は、よりによって一人で来るようにという、追加条件まで出してきたのだ。コンビを組んでいる滝山は連れず、単独で行動しろということだろう。
これまた、あからさまに怪しい。
何かの罠だろうかとも思ったが、それにしてはやり方が稚拙だ。奴ならば、他にいくらでも上手い手を考えつくだろうに――あれこれ考えた挙げ句、結局、私は宿木の誘いに乗ることにした。下らない話だったら途中で帰ればいい。
問題は、ない筈だった。
指定時刻に店に出向くと、そこには見知った顔が並んでいた。
宿木と大鷹、宿木の妹、マリア・ヨーク、花屋の松岡、居酒屋の白井――そして、肉屋の新山。
「いらっしゃい」「あれ!? 雫じゃん!」「刑事さん……」「いらっしゃいませーッ!」「――何で刑事が」「お、いつぞやの女デカじゃねェか」「…………」
ああもう、うるさいうるさいうるさい。
何故一斉に喋り出すのだ。よくよく聞いても、大したことは言ってないし。と言うか、
「雫と呼ぶなと言っているでしょう」
「おお!? これだけの人間が喋ってる中から、ピンポイントでオレにだけツッコミが!? リアル聖徳太子か!?」
また下らないことを言っている。リアルの聖徳太子は、聖徳太子本人だろうに。
「宿木さん、どういうことか説明して頂けますか?」
「どういうことも何も、事前に連絡した通りですよ? 本間さんに、是非お話ししたいことがあってお呼びしたんです」
「この人たちは何なんです?」
「関係者、とでも言えばいいんですかねー。本人がいた方が、何かと話しやすいですから」
「関係者? この人たちが?」
確かに、マリアは死体の第一発見者だし、喫茶店の連中も一緒に死体を見ている。路地に店舗のある花屋は一応容疑者の一人だし、居酒屋の白井は重要な証言者だ。
関係者と言えば、皆、関係者なのだが。
「――最後の一人も、今来たみたいですね」
その言葉と共に、店のドアが開き、ベルが鳴る。
「えっと……」
そこには、戸惑った様子の高崎礼子が立っていた。
「いらっしゃい」「おお!? 礼子ちゃんもかよ!?」「礼子さん……」「…………」「――礼子さん」「へェ、礼子チャンまで関係者かい」「礼子……」
だから、一斉に喋り出すなと言うのに。
「あの、マスター、これは……」
当の礼子は状況を把握できず、さかんに目を泳がせている。
「いいからいいから。適当な席座って」
「私、退店の事務手続きがあるからって呼ばれたんですけど……」
「ああ、それは嘘だよ」
悪びれる気ゼロか。
「本間さん、礼子ちゃん、他の皆も――どうしても聞いてほしい大事な話があって、今日はここに集まってもらいました。最初は訳が分からないと思いますけど、どうか、最後までお付き合い下さい」
嫌な予感は的中したようだ。
「ちょっと待って下さい。何ですか、これは? まさか、これから関係者集めて、事件の謎解きでも始める気じゃないでしょうね?」
「そんな大それたことはしませんよ。ただ、今回の一連の騒動に関して、どうしても聞いて頂きたいことがあったから、こうしてお時間をお借りしているだけで……」
「おためごかしはいいんですよ。結局は同じ事でしょう。下らない。そういうことなら、私は失礼しますよ。これでも忙しいので」
椅子を蹴って出て行こうとするのを、大鷹が必死になって止める。
「待って待って。雫ちゃん、話、聞くだけ聞いてみようぜ? 下らないかどうかは、それから判断しても遅くねェべ」
「だから、雫と呼ぶなと――もしかして貴方、わざとやってます?」
「あれ? なんでわざとなのがバレたんだろ」
鼻の下めがけて拳の一つでもお見舞いしてやろうかと思ったが、やめておいた。何だか、目くじらを立てて怒るのも馬鹿らしい。毒気を抜かれて、そのまま元の席に戻り、足と腕を同時に組む。
「それだけ話したいことがあるのなら、ご自由にどうぞ」
「そうさせてもらいます」
「ただし、間違ったことを言ったら、その都度訂正させてもらいますから、そのつもりで」
「むしろ助かります。ああ、飲み物だけ、用意しておきましょうか。皆さん、何にします?」
思い出したように喫茶店マスターの仕事を始める宿木を横目に、私は早くも、今日来たことを後悔し始めていた。
「聞いている皆が退屈するといけないので、まず最初に結論を言っちゃいましょうか」
皆に飲み物が行き渡ったのを確認した後で、宿木は店の真ん中辺りに移動し、いきなりとんでもないことを言い出す。
「急だね……」妹も、呆れている。
「いや、少なくとも落とし穴の事件は、実は物凄く簡単でシンプルなんだと思うんだよね。それを、密室だの犯人消失だのって言い出すから、話がややこしくなる訳で」
「でも、実際そうなんじゃないの?」
次に口を開いたのは、花屋の松岡だ。妹の横に腰掛け、コーラに口をつけている。
「認識の問題、って言うのかな。何でもない単純な話なのに、ある一点に気付かなかったばかりに、途端に複雑で不可解な事件に思えてしまう――」
「結論を先に言うんじゃなかったのかよ。前振り、長ェから」
大鷹がブウブウ言っている。長い話は聞けない性質らしい。
「OK。じゃあ、結論を言おう」
――あれは、ただの事故だったんだよ。
宿木の言葉に、場が静まりかえる。静寂を破ったのは、やはり宿木の妹だった。
「いやいやいや、それはないでしょ。何をどう間違ったら、あんなブタ捕獲用の落とし穴に落ちるって言うのよ。どれだけの悪い偶然が重なった訳?」
私も同意見だった。危険を警告する看板はちゃんと設置されていたし、いくら雨雲が立ちこめていたとは言え、視界が悪い訳でもなかった。道路と穴の間には一メートルの段差があるため、誤って落ちたとも考えづらい。事故の可能性は、かなり最初の段階で却下されていた筈だった。
「間違ってもないし、偶然でもない。あれは、起きるべくして起きたことなんだ。穴本来の機能を果たした、と言うべきかな。ある人物にとっては、不運が重なった、とも言えるだろうけど」
「分かるように言えっての」
大鷹の抗議を受けて、宿木は決定的なことを口にする。
「つまり、穴に落ちたのは、脱走したもう一頭のブタだったんだよ」




