兎の泣き声
【取材音声記録】
取材日時:令和○年○月○日
取材対象:村井泰葉(79)
築四十年を超える市営住宅。既に夫は他界し一人で暮らす村井泰葉に取材の趣旨を説明すると、彼女は静かに頷きぽつりと呟いた。
「あの子は、優しい子だったんです。全部、私たちが悪かった」
幼少期の三上について尋ねると、泰葉は長く息を吐いた。
「世間では、あの子が偶然見てしまった私達の行為を見てトラウマとなったという話になってますが、実は少し違うんです。あれは、私たちが見せたんです」
記者は言葉を失った。
「主人が言ったんです。”隠すからいやらしいものになる。命は恥ずかしいものじゃない。ちゃんと見せて教えよう”って」
当時恒一は四歳だった。何時になったら寝室に来なさいと呼び掛け、彼女達は意図的に男女の営みを息子に見せたのだという。
「命ってこうやって生まれるんだよ。お父さんとお母さんが愛し合ったから、恒一が生まれたんだよって。それが私達なりの教育のつもりだったんです」
でも、親の心子知らずとはよく言うものですと、泰葉は涙を浮かべながら続けた。
「生命が生まれることの尊さを教えたかった。私も彼も昔からスピリチュアルなものに触れていることもあって、親として、人として、何も間違っていないと思っていました。でも、そのせいで恒一は変わってしまいました」
その日以来、性というものをまるで受け付けなくなってしまった。
話す事はおろか女性に近づく事すら嫌悪し、テレビに映る動物の交尾を見ると盛大に吐くようになった。それは実の母である泰葉に対しても同様だった。家に帰るとすぐに逃げるように自室に籠り、一切のコミュニケーションを遮断された。
「心から愛してました。でもとても修復できるものではなかった。夫と相談して仕方なく離婚し、それからは夫が息子の面倒を見てくれました。本当に夫には感謝してます」
ただ女性への潔癖、そして「命が生まれる」という現象そのものを"汚染"と呼ぶなど、トラウマが払拭されることはなかったという。
「全部、逆になってしまいました。あの子は、生き物が増えることを憎むようになってしまいました。もともとは動物も大好きだったんですけどね」
特に兎が、と泰葉は言いながら写真立てを撫でた。そこには、小学生の恒一が学校で兎を抱いて笑っている写真があった。
「でも、安心しました。形はどうあれあの子は自身の苦難を乗り越えてくれた。息子を治療してくれた方はもちろん、深田みのりさんにはある意味感謝しています。お金から始まった関係でも、初めて女の人を愛そうとした、初めて、人を触れたいと思えたのだから」
泰葉は柔らかな笑顔を浮かべていた。子を想う親の無償で慈悲深い温かいものだった。
「あれはきっと卵なんです」
唐突な言葉に記者は何のことかと怪訝な表情で泰葉を見たが、彼女は穏やかな顔で気にせず続けた。
「皆さん、黒いカプセルって呼んでいるでしょう? 違いますよ。あれは卵です」
記者は意味を尋ねた。
「あの子とみのりさんの子どもですよ」
その言葉に記者は戦慄したが、泰葉は構わず話し続けた。
「恒一は、現世をひどく恨んでいます。植え付けられたトラウマ、それを乗り越えやっと性の悦びを知ったのに、殺されるだけじゃなくあんな酷い姿にされてしまった。だから裏切ったみのりさんを息子が許すはずがありません。ただ現世を恨んでいるのは息子だけではありません。あの子が殺した兎達だって恨みの塊です。混じり合った息子と兎達は解放された果てのない快楽をいまもずっと貪り続けているんです。その過程で生じたものがあの黒いカプセルと赤い兎です。みのりさんと同じように性的な魅力があり、また性を悪用する女が好きで好きで憎くて憎くて堪らないんです」
彼女は恍惚な表情で語った。
これはあくまでも、三上泰葉氏個人の解釈である。
彼女は最後まで黒いカプセルを決して「呪い」とは呼ばなかったが、実際に死んだ女性達が全て本当に黒いカプセルに関連していれば、これは呪いと呼ばざるを得ないだろう。
泰葉は記者の背中に向かって最後にこう言った。
「あの子たちは今も産まれ続けています。あの卵を拾った女の子達もまた、お母さんですから」




