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螺旋の乙女 〜乳白色のセラミックパンク〜  作者: 麻澱灰


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どんぐりをたべる

視点:ベルタ(8歳の少女)】


家畜の餌か、さもなくば餓死寸前の「絶望の味」でしかないどんぐりを、おにいさんが食事へ変える

おにいさんの火のお城――ろけっとますひーたーは、今日もゴーゴーと力強く鳴っている。

その音はまるで家の中に頼もしい番犬がいるみたいだ。外では凍てつく風が壁の隙間を狙ってヒュウヒュウと鳴いているけれど、この箱が唸り声を上げている限り、冷たい闇がわたしたちの体温を奪いに来ることはない。


でも、今日のおにいさんは、ただ火を眺めて暖を取っているだけじゃなかった。

おにいさんは膝をついて、薪が燃え尽きたあとに残る、底に溜まった「真っ白な灰」を、まるで砂金でも扱うような手つきで丁寧に掻き出していた。


「……きれい」


思わず口からこぼれた。

お父さんたちが火を焚いたあとに残る灰は、いつも燃え残りの炭が混じって、じりじりと黒ずんでいた。すすのにおいが強くて、触れば手が真っ黒になる、ただの汚れ物。

けれど、おにいさんの出す灰は違った。焚き口の中で勢いよく空気を吸い込み、高い温度で焼き切られたそれは、まるで冬の朝、誰も踏んでいない野原に降り積もった雪みたいに白くて、さらさらとしている。指先で触れてみると、驚くほど細かくて、絹の布みたいに滑らかだった。


おにいさんはその白い灰を大きな木桶に入れると、川で汲んできた冷たい水を注いだ。


「……アルカリ」


また、おにいさんが呪文をつぶやく。

木の枝でゆっくりとかき混ぜると、ただの水だったはずのものが、少しだけ濁って、とろりとしたヌルヌルを持つ不思議な水に変わっていった。鼻を近づけると、ツンとするような、灰が水にまじったときの匂いがした。


「おにいさん、それはなに? 飲むの?」


コップを傾ける身振りと一緒に問いかけてみたけれど、おにいさんはただ静かに首を横に振った。その代わりに彼が袋の中から取り出したものを見て、わたしは息を呑んだ。


そこに放り込まれたのは、この前、おにいさんと森の深いところまで歩いて拾い集めた、たくさんの「どんぐり」だった。


わたしたちの村で、どんぐりは豚の食べ物だ。わたしたちが食べる物じゃない。

そのまま齧れば、舌を突き刺すようなひどい渋みと苦みが口いっぱいに広がり、涙が出てくる。無理に飲み込もうとしても、喉が「これは食べちゃダメだ」と拒絶して、吐き出したくなるくらい嫌な味がする。


どんぐりは、村の子供たちが冬の終わりに、お腹が空きすぎて、ひもじくて、どうしても我慢できなくなったときにだけ、泣きながらかじる「最後の、最後のご飯」だった。これに手を出したら、もうあとがない。そんな、絶望の味がする木の実だ。


おにいさんはそのどんぐりを、灰を溶かした水の中にドボドボと沈めてしまった。


「……おにいさん、それ、苦いよ? そんなことしたら、もっと変な味になっちゃう」


わたしが不安になって袖を引くと、おにいさんは作業を止めて、わたしの目を見た。その真っ黒な瞳は、けっしてふざけているわけじゃなかった。おにいさんは言葉を話すのが少し苦手みたいだけれど、その瞳はいつも「大丈夫、すべては計算通りだ」とでも言いたげな、静かで強い光を宿している。


「アク」


また新しい呪文を教えてくれた。おにいさんはわたしの頭をそっと撫でると、そのまま一晩、どんぐりを桶の中に放っておいた。


翌朝、目が覚めるとおにいさんはもう働いていた。

外はまだ薄暗く、霜が降りて白くなっている。おにいさんは桶の中のどんぐりを取り出すと、何度も、何度も、川から運んできた冷たい水でそれを洗い流した。指先が赤くなるまで繰り返されるその丁寧な動作を、わたしは不安と期待が混ざった気持ちで見守っていた。


やがて、おにいさんは綺麗になったどんぐりを、ろけっとますひーたーの横に備えられた、熱を逃がさないための土なべに放り込んだ。おにいさんの作る道具は、どれも火の力を無駄にしないように工夫されている。

火の力で水が温まり、ぐつぐつと煮込みはじめる。


しばらくすると、信じられないことが起きた。

お家の中に、甘くて香ばしい、木の実が焼けるような良い匂いが漂いはじめたのだ。


あの、どんぐり特有の鼻を突くような嫌な苦いにおいが、どこにもない。

なべの中で踊っているのは、わたしたちの知っている「絶望の粒」ではなく、まるで魔法で作り替えられたような「黄金の粒」に見えた。おにいさんはそれを平らな石の上で丁寧にすり潰し、粉にしてから、もう一度温かいお湯と混ぜ合わせた。


「……ベルタ」


おにいさんが、木のコップに掬ったものを差し出してくれた。

それは、どんぐりを細かく砕いて煮込んだ、とろとろのポリッジみたいなものだった。立ち上る湯気は、お日様の匂いと土の豊かな香りが混ざったような、とても安心する匂い。お腹の虫が今まで聞いたこともないような大きな音で鳴り、わたしは顔を赤くした。


わたしはおそるおそる、それを一口たべてみた。


「……っ!」


苦くない。

一口入れた瞬間、まず温かさが口の中に広がり、そのあとで噛めば噛むほど、優しい甘さがじわりと染み出してきた。

嫌な渋みは、灰の水がどこかへ連れ去ってくれたみたいに魔法のように消えていて、代わりにナッツのような濃厚なコクが喉を通っていく。


「おいしい……これ、本当にお山に落ちてた、あのどんぐりなの?」


次から次へとスプーンを動かした。

お腹の奥が、温かくて確かな「栄養」で満たされていくのがわかった。これなら、いくらでも食べられる。村の誰ひとりとして見向きもしなかった、地面に落ちて腐るのを待つだけだった「苦い粒」が、おにいさんの手にかかると、王様のごちそうに負けないくらいの立派な食事に変わるなんて。


おにいさんは、わたしが夢中で食べるのをずっと隣で見守っていた。わたしの頬がリスみたいに膨らんでいるのを見て、彼は自分も小さく一口食べ、満足そうに目を細めた。


おにいさんのよくわからない何かが、また一つ、わたしの命を繋いでくれた。

お父さんも、お母さんも、村のみんなも知らない魔法。

でも、おにいさんはこれを「ギジュツ」だと言っていた気がする。


灰の魔法。

わたしは、コップの底に残った最後の一滴まで大切に飲み干した。

冬の冷たい空気の中で、おにいさんの隣に座っていると、初めて感じることができた。

「明日も、お腹いっぱいになれるかもしれない」


その希望は、火のお城の熱と同じくらい、わたしの胸を確かに温めてくれていた。外ではまだ風が吠えているけれど、この家の中だけは、春が少しだけ早くやってきたみたいだった。

【作中技術解説】

完全燃焼による白灰

通常の焚き火では燃焼温度が低く、炭素が残って黒い灰(消し炭混じり)になりますが、ロケットマスヒーターのような高効率な炉では、高温で炭素まで焼き切るため、不純物の少ない純白の灰が得られます。これは良質なアルカリ源となります。


アルカリ抽出(灰汁)

木灰を水に溶かすと、成分中の炭酸カリウムなどが溶け出し、アルカリ性を示す「灰汁あく」になります。このアルカリ成分には、どんぐりに含まれる水溶性のタンニン(渋み成分)と結合して中和したり、溶かし出したりする性質があります。


どんぐりのタンニン抜き

どんぐりには強い渋み(タンニン)があり、そのままでは食用に適しません。灰汁(アルカリ水)に浸けて加熱し、何度も水にさらすことで、効率的に渋みを抜くことができます。

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