お墓に花を
視点:ハンス
おにいさんとベルタが亡き両親の墓を整える花の種をまいたりする様子を、ハンスが少し離れた場所から見守ります。
村を意味もなく散策していたら、おにいさんと、その傍らで甲斐甲斐しく動くベルタの姿を見かけた。
二人は、ベルタの両親が眠る簡素な石積みの周りで、何やら作業に没頭している。
俺は声をかけるのをやめ、少し離れた大樹の影に腰を下ろした。手伝いに行こうかとも思ったが、二人の間に流れる穏やかで、どこか不可侵な空気が、俺の足をそこに留めさせた。
おにいさんは、例の如く手際よく動いている。彼は手に持った鎌で、墓を飲み込もうとしていた強靭な夏草を、撫でるような動作で刈り取っていく。おにいさんが研ぎ澄ませた刃物は、まるでおが屑でも払うかのように、硬い茎を音もなく断ち切っていた。
その横で、ベルタが小さな背中を丸めて土を弄っている。
彼女の手元には、亜麻の種と、大麻の苗があった。
ベルタは、まるで宝物を扱うような手つきで、一粒一粒の種を黒い土の中へと埋めていく。
「お父さんも、お母さんも、きっとびっくりするわね」
風に乗って、ベルタの弾んだ声が聞こえてきた。
その声を聞いた瞬間、俺の胸の奥がチリリと痛んだ。
おにいさんがこの村に現れた頃を思い出す。
両親を相次いで亡くし、孤児になったベルタ。子どもが独りで生き延びられるほどこの世界は優しくない。
村の連中だってそうだ。誰もが自分のことで手一杯で、少女に手を差し伸べる余裕なんてなかった。俺だって、あいつが死んだら、せめて墓に埋めてやるのが最後の情けだと思い詰めていたんだ。
だが、今、ベルタは笑っている。
おにいさんがこの村に来て、彼が持ち込んだ「知恵」という名の魔法は、飢えを遠ざけ、ベルタの心に、死んだ者を想うだけの「ゆとり」を植え付けた。
作業を終えたおにいさんが、満足そうに頷き、ベルタの頭を撫でた。
ベルタは嬉しそうに目を細め、それから石積みの前に静かに跪いた。
夕陽が丘を黄金色に染め上げる中、ベルタが両手を合わせ、祈りを捧げ始める。
おにいさんは一歩下がり、その様子を静かに見守っている。
俺はたまらず、樹の影から抜け出して二人のもとへ歩み寄った。
「ハンスおじさん!」
祈りを終えたベルタが、こちらに気づいて目を瞬かせた。
「よう。……綺麗になったな」
俺は墓の周りを見渡した。無造作に生い茂っていた雑草は消え、黒々と肥えた土が整然と露出している。そこにはもう、明日への種が眠っている。
「ハンスおじさんも一緒にお祈りする?」
ベルタに誘われ、俺は少し照れくささを感じながらも、おにいさんの隣に並んだ。
おにいさんは何も言わず、ただ優しく微笑んで俺に場所を譲ってくれた。
俺は大きな掌を合わせ、目を閉じた。
掌に残る農作業のタコが、互いに擦れ合う。
(……あんたらの娘は、見ての通りだ)
俺は心の中で、石積みの向こう側にいるはずの二人に語りかけた。
(おにいさんが、あいつに未来をくれた。俺が見る限り悪いやつじゃあない。安心して見ていてくれ)
ふと、隣でベルタが「お花、早く咲かないかな」と小さく呟くのが聞こえた。
「ああ。亜麻の花は、咲けば本当に綺麗だからな」
俺は目を開け、地面を見つめて言った。
空はもう、深い藍色に溶け始めようとしている。
この丘が青い花で埋め尽くされる頃、ベルタはまた一つ大人になり、この村はさらに姿を変えているだろう。
次回、蛙又編み
【作中技術解説】
吸肥力:亜麻と大麻は、土壌の栄養分を猛烈に吸収する「吸肥力」の高い植物です。8世紀の農村において、埋葬地は不謹慎ながらも窒素やリンが集中する数少ない「肥沃な土地」といえます。お兄さんは、ベルタの両親への供養という形をとりつつ、最も効率よく繊維資源を確保できる場所としてここを選定しました。
カモフラージュ:大麻は実用性が高い反面、成長が早く目立ちます。一方、亜麻は開花期に美しい青い花を咲かせるため、村人に対しては「お墓を花で飾る」という情緒的な理由が通りやすくなります。有用資材の生産を「弔いの儀式」の中に隠蔽することで、資源に対する周囲の嫉妬や介入を未然に防いでいます。




