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螺旋の乙女 〜乳白色のセラミックパンク〜  作者: 麻澱灰


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ベルタとおにいさん

 ゆびさきが、もう、自分のものではないみたいだった。

 つめたくて、おもたい。感覚がなくなって、かわりに石ころがくっついているみたいに、ずっしりとした重みだけがあった。


 お父さんとお母さんは、となりにねている。二人はもう、うごかない。

 冬の魔ものが、二人のからだからあたたかいものをぜんぶ持っていってしまったのだ。

 去年の秋、むらの畑でとれた麦は、ほとんど領主さまにわたしてしまった。残ったわずかな粒も、雨が続いて黒いカビに食われてしまった。お父さんは「これでもう、春まではもたない」と言って泣いていた。そのあと、お母さんが動かなくなって、お父さんも起きてこなくなった。


 おなかがすいた。でも、おなかがすいているのかどうかも、もうよくわからなかった。胃袋のあたりが、ずっと、ぎゅうっと絞られるみたいに痛かったけれど、今はもう、何も感じない。ただ、体が泥の中に沈んでいくみたいに、ぼんやりと重いだけ。


 藁ぶきの屋根にはすきまがあって、そこから細かな雪がさらさらと落ちてくる。

 お父さんのほっぺに雪がかかる。いつもなら、お父さんのあたたかい肌にふれて、すぐに水になって消えてしまうのに。今は、雪は白いまま、お父さんの顔を静かにかくしていく。

 ああ、わたしも、もうすぐお父さんたちのところへいくんだ。

 こわいとは思わなかった。ただ、もうがんばらなくていいんだという、深い眠りのような気持ちだけがあった。

 わたしはゆっくりと、最後になるはずの、目を閉じた。


 その時だった。

 キシッ、キシリ、と、床のいたが鳴った。


 だれだろう。こんな、死んじゃった人しかいない家に、何をしにきたんだろう。

 泥棒だろうか。でも、この家にはもう、ネズミさえ食べないようなゴミしかない。

 重たいまぶたを、ほんの少しだけ押し上げると、そこに、だれかが立っていた。


 見たこともない服を着ていた。

 村の人たちが着ているような、ゴワゴワした茶色の麻布じゃない。それは、夜の闇をそのまま切り取って縫い合わせたような、真っ黒で、つるつるとした不思議な布だった。

 髪の毛も、目も、その服と同じように真っ黒だった。

 その人は、動かないお父さんたちをじっと見たあと、視線を部屋のすみっこへ転がした。


 その人は、何も言わなかった。

 ただ、慣れた足つきで部屋の中を歩き回り、棚の下に転がっていた古い木の棒と、切れかかった麻のひもを拾い上げた。

 何をするんだろう。

 その人は、その真っ黒な服の袖をまくり上げると、炉のそばに座り込んだ。そこにはもう、三日も前に火が消えてしまった冷たい灰しかなかった。


 その人は、棒を立てて、ひもを巻き付けて、ゴシゴシ、ゴシゴシと、いそがしく動かしはじめた。

 シュルシュル。シュルシュル。

 聞いたこともない、妙な音。

 その人の手の動きは、見ていて目がまわるほど速かった。やがて、小さな煙がふわっとあがって、鼻を突くような匂いが部屋に広がった。

 その人は、煙が出ている木の粉を大事そうに、かき集めた乾いたわらの中にうつした。そして、ふう、ふう、と静かに息を吹きかけた。


 パチッ。

 小さな、赤くてあたたかい光がうまれた。

 火だ。

 消えてから三日もたっていた、命の火が、そこにあった。

 その人は、棚にあった欠けた土なべを手に取ると、一度、外へ出ていった。戻ってきたとき、なべの中には雪が山盛りに入っていた。彼はそれを火にかけ、またすぐに外へ消えていった。


 ……夢なのかな。

 わたしはまた、深く目を閉じた。

 これはきっと、死ぬ前に見ている幸せな幻だ。だって、あんなに綺麗な黒い髪の人が、こんな汚い家に来てくれるはずがない。


 次に目がさめたのは、へんな匂いがしたからだった。

 鼻をツンと突くような、苦いような。でも、どこか甘いような、不思議な匂い。

 目を開けると、その人がなべをかきまぜていた。

 その人の足元には、寒さで泥の中で眠っていたはずの、大きなカエルとヘビが転がっていた。

 その人は、鋭い石のようなナイフで、迷いなくそれらをさばいた。

 お肉と、小さなつぶ。それだけを丁寧になべの中に放り込み、残りを、部屋のすみで羽を丸めて震えていたニワトリの前にポンと投げた。

 ニワトリは、びっくりしたみたいに首をふってから、必死にそれを食らいはじめた。


 その人は次に、外から持ってきた木の皮を削り始めた。

 針葉樹の森で、ぐるりと皮をはいできたのだろうか。

 茶色い外側の皮は火のそばにきれいに並べて、中の白い、柔らかそうな皮と木の芽をガリガリの羊の口元へ持っていく。羊もまた、夢中でそれを食んでいた。


 お父さんは「冬にはもう、食べるものなんてどこにもない」って言っていたのに。

 この人が魔法みたいに手を動かすと、ただの木の皮や、泥の中に隠れていた生き物が、みんな「食べもの」に変わっていく。

 その人は、湯気の立つスープを冷ましてから松の葉を入れていた。

 スープを小さな木のスプーンに掬うと、わたしのとなりに膝をついた。


 何かを言いかけて、その人は一度、口を閉じた。

 そして、困ったように眉を下げると、指先で自分の口元を指し、それから、わたしの口にスプーンを持っていく動きをした。

 身振り手振りで「のんで」という。


 わたしは、ふるえる口を小さく開けた。

 あたたかい液体が、のどを通る。

 にがい。

 けれど、その熱は、凍りついていたわたしの体の中に、じわぁ、と広がっていった。

 指先が、しびれるみたいにびりびりとした。血がめぐる音が聞こえるような気がした。


 その人は、わたしが一口飲み干したのを確認すると、静かにお父さんとお母さんの前へ移動した。

 彼は二人の骸に向かって、ゆっくりと胸の前で十字を切った。それから、深く頭を下げて、両手を合わせた。

 わたしたちの教会の祈りとは少しちがっていたけれど、その人は、とっても優しそうに二人にさよならを言っていた。


 それから、その人はわたしを見た。

 地面をほるマネをして、外を指さす。

 お父さんたちを、土にかえしてくれるんだ。

 わたしは声が出なくて、ただ涙をこぼしながら、小さくうなずいた。


 雪はまだあちこちに残っていたけれど、お日様が当たるところは、ぐずぐずに溶けて、深い泥の海みたいになっていた。

 カチ、カチ、と、硬い道具が石に当たる音が、ずっと遠くから聞こえてくる。

 その人は、たった一人で、春のぬかるんだ、重たい地面を掘り続けていた。

 泥だらけの土をすくい上げるたびに、ピチャピチャと冷たい水の音がした。


 その人は何も言わず、まずはお父さんを背負って、外へ運んでいった。

 次にお母さんを。

 家の中から、二人の気配が消えていく。悲しいはずなのに、あの真っ黒な人の静かな動きを見ていると、何かが救われていくような気がした。


 さいごに、その人はわたしの毛布をはぎ取ると、わたしをだっこして、外へつれていってくれた。

 雪の中に、お父さんとお母さんが静かにねていた。

 そこには、きれいに掘られた深い穴があった。


 土がかぶせられて、小さな二つの山ができた。

 その人が十字を切ったから、わたしも、ふるえる手で同じように十字を切った。

 二人で、その山をじっと見た。吹雪はいつの間にか、少しだけ弱まっていた。


 その人は、わたしの目を見た。

 そして、自分の胸をゆびさして、言った。


「おにいさん」


 聞いたこともない言葉だった。

 でも、それがその人の名前なんだって、すぐにわかった。

 その人は、つぎに、わたしの胸をゆびさした。


「……ベルタ」


 わたしは、喉の奥からやっとの思いで声をだした。

 その人は、ほんの少しだけ目をほそめた。

 わらっているみたいだった。


 その人がわたしをだっこして、火のあるお家へ戻っていく。

 もう、世界にわたし一人しかいなくなっちゃったと思っていたのに。

 この人は、わたしの名前を呼んでくれた。


 外ではまだ、冷たい風がビュービュー鳴っている。

 でも、お家の中には、火のパチパチいう音と、乾いていく松皮の匂いがあった。

 わたしは、もう「おにいさん」の服をぎゅっとにぎったまま、安心して眠りについた。

次回、たべものをあつめる

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