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04

 男がその場所に居たのは偶然(たまたま)ではない。


 見世物小屋の支配人であるオストンソン(英雄の子孫)─国王陛下に気軽に謁見できる名士─によって仕事をクビにされた後も、闘技場として賭け試合が開催される度に、見世物小屋の…正確にはそこで飼われている魔獣たちの事が気がかりで、見世物小屋の様子を遠巻きに眺めていたからだ。


 いつも通りに賭け試合が終わる時間がやってきて、なんだか見世物小屋の様子が騒がしかったが、きっと盛り上がった対戦内容だったのだろうと、その中央広場に居た誰しも思っていた頃だった。


 見世物小屋を取り巻く屋台通りは、勝負終りの観客たちの気を惹くべくたっぷりの香辛料や刻んだ野菜を詰め込んだ肉や魚を焼き、果実や木の実をふんだんに使った色とりどりの菓子を店先に並べ始めた。


 お陰で辺りには甘い辛い両方の香ばしい匂いが立ち込めていて、思わず胃がくすぐられてしまう位だ。


 ただ通りかかっただけでも思わず胃がくすぐられてついつい腹が鳴ってしまう位だ、観戦後の熱気を帯びた観客たちの鼻先にはたまらなく効くだろう。そんな甘い辛い両方の香ばしい匂いを、屋台の店主たちはこれでもかと辺りに立ち込めさせていたところだった。


「う、うわあーーーーーーーーーーーっ!」


 見世物小屋から歓声を上げながら観客たちが帰途に着くのは毎度の事だったが、その日は様子が違っていた。


 いつも聞こえてくるような賑やかな…悲喜こもごもの怒声や罵声交じりの良くも悪くも陽気な騒ぎ声ではなく、悲痛な叫び声が次々と揃って聞こえてきたのだ。


 見世物小屋から、髪を振り乱して着崩れて脱げかけた服もそのままに我先にと逃げ出してくる観客たちは、押し合いながら、胃をくすぐるほど香ばしい匂いを立ち込めさせている屋台など見向きもせずに、広場の外へと逃げ出すように一目散に走っていく。


 見れば何人かの服には赤黒い模様がちりばめられている。


 そんな様子の観客たちが目の前を慌てて足をもつれさせながらも通り抜けていくとき、なんだかとても生臭い匂いがした。


 その匂いは男にとってなじみのある匂いで…そう、魔獣たちの強い匂いだ。


「どうしてそんな匂いが観客から…?」


 魔獣同士の賭け試合を間近で見せる見世物小屋と言えど、そんな生臭いほどの匂いが付く位に観客を魔獣に近付けることは無い。


 男はとても嫌な予感がした。


 と同時に、次々と脇目も振らずに駆け出していく観客たちの後ろから、聞いたことがない位に大きな唸り声が周囲に響き渡った。


 グルルルル!グァオ!!


 グガアッ!グオッ!グオッ!


 その声の主は見覚えのある魔獣たちで、見世物小屋から少し離れた場所に居る男の目からも口元が濡れて光っているのが判る位だ。


 男は…いや、その場にいた誰もが瞬時に理解した、なぜ観客たちが蜂の巣を突いたかのように慌てた様子で飛び出して来たのかを。


「おいっ、あれは魔獣たちじゃないか!?なんで…こ…んな……」


 誰かが叫ぶように言葉を発したものの、最後まで話すことは出来なかった。


 その誰かを含んだ広場にひしめき合っていた者たちの目の前で、転んだのか何か(つまず)いたのか倒れてしまった観客を襲い始めたのだ。


 その、鋭い爪と牙で。


「い、いやあーーーーーーーーーっ!」


 誰もがその様子に言葉を、息を失った。


 辺り一帯に広がる静けさの中、魔獣の息遣い(咀嚼音)だけがその場に響いた。


 その静けさの後、倒れた観客が体の力をすべて失った時、我に返った周囲の…観客だけでなく広場に居た人々も必死になって先を争いあちらこちらへと逃げ惑った。


「だ、誰かっ!助けて!」


「見世物小屋の責任者は何をやっているっ!?魔獣たちが逃げ出して来ているじゃないかっ!」


「お、おいっ支配人(オーナー)はどうしたんだよ!英雄様のご子孫様なんだろう!?早く何とかしてくれよ!」


 人々が口々にそう言いながら這う這うの体で逃げ惑う中、騒ぎを聞きつけたのかやって来た衛兵たちは想像を絶する状況に慌てて増援を呼び、捕獲は無理だ対抗できるような武器─頑丈な盾や長物に飛び道具等─を持ってくるようにと指示している様子が伺えた。


「ああ、人を…観客を殺して(こうなって)しまったら彼ら(魔獣たち)助ける(生かす)事はもうできない。それどころかもっと沢山の被害が出るだろう、しかし、それを止める方法なんてない。せめて衛兵たちの邪魔にならないようにここから去ろう。」


 男はそう悲しそうに呟き、自分に出来る事なんて何もないと広場から引き返そうとして辺りを見回すと、客も店主も逃げたした後の屋台群が目に入り、そこで売られていたものに気付いてある事を思いついた。


「これは…!これ以上の被害や犠牲を増やさないためには、こうするしかない…。」


 『何でかは判らないが、魔獣たちはおかしなものを口にしてしまったのだろう。』遠目からでもわかる位によだれを大量に垂らして興奮しているのは、そういう事だろうと男は気付いていたが、そんな状態の彼ら(魔獣たち)を救う方法などあるのかどうかすら判らなかった。


 しかし男が思いついた…それなりの間ではあるが熱心に面倒を見ていた彼だけは、魔獣たちの食の特性(体質)を何となくつかんでいた。


 魔獣たちは人間が食べるものと同じようなものを何でも気にせず食べるが、特に生の状態が好みだった。しかし、特定の食べ物を食べた後は決まって調子を悪くすることを。


 大量に水を飲ませる事で難を逃れたことがあったが、既に何人もの人を手に…その爪と牙に掛けた後であろうこの状況ではその方法を試してみた所でもう無意味だろう。


 …だから。


 男は店主が逃げ出してもぬけの殻になった屋台の中から目当ての食べ物がありそうな店を探し出し、申し訳ないと思いながらも食材をいくつか見繕って頂戴し、その屋台の簡易キッチンを使って魔獣たちに食べさせる為の…恐らく彼らの最後の食事となる餌を手早く作り上げた。


 そして出来上がった餌をその場に在った器に入れて抱え、逃げ惑う人々の流れに強引に逆らって騒ぎの元へ駆け付けると、既に悲鳴すらもう上がっておらず、ただ血の匂いとよだれの生臭さの真っただ中でそれらを食らう魔獣たちの姿があるだけだった。


「うっ、これは…」


 男はその惨状に思わずたじろいだ。


 しかし、魔獣たちのお腹がいっぱいになってしまっては、せっかく作った餌に見向きもせず。ただただ暴れ続けてしまうかもしれない。


 男は転がっていた棒切れ─屋台の資材だったのだろうか─を使って、餌を入れた器を魔獣たちの前に突き出して、固唾をのんで見守った。


 よだれを垂らしながら食事をしている魔獣たちは、目の前に押し出されて来た器を胡乱な目で見つめると鼻先を寄せると懐かしい匂いでもするのか、器の中の餌を勢いよく食べ始めた。


「お前たち、新鮮な生肉が好きだもんなあ…。肉ばかりじゃ金がかかるからって言われてこうやって色んな野菜を刻んで中に詰めて量を増やして。炒った木の実で匂いを誤魔化して食べさせてたが…。」


 『…そうやって慣れさせていたおかげで彼ら(魔獣たち)に気付かれることなく、彼ら(魔獣たち)にとっては毒と言える食べ物を食べさせることが出来た。』


 男は心の中でそう思いながら誰に聞かせるでもなく独り言ち、男の目の前で魔獣たちが差し出された餌を食べきった頃、背後からこちらに向かって駆けて来る数人の足音が聞こえた。


「そこの君!大丈夫であるか?」


 増援の衛兵たちだ。先ほど応援で指示されていた通りに強弓や槍を幾つも携えている…が。


 グフォ、ゴフォッ!


 ゲボッ、グワッ!


 衛兵たちの中でも年かさの一人に声をかけられ、男が返事をしようとした時、魔獣たちは震え出して、よだれをさらに出しながら口から赤黒いものを沢山吐き出した。


 ドサッ、ドサリ


 バタッ、ドタン!


 震えた足は身体を支える事が出来なくなり、魔獣たちは男の顔を見開いた瞳で見つめながら糸の切れた操り人形のようにどさりと吐しゃ物であふれるその場に横たわった。


「なっ、なんだ?…あいつら死んだ…のかね…?」


「はい、恐らく。」


 男は衛兵の疑問にそう答えると、衛兵の制止を振り切って魔獣たちの元に行き、彼らが息絶えたのかどうかを首元に触れて確認した。


「…そうか、ならば犠牲になった人たちの確認をしないといか…ん…?」


「おい!貴様!貴重な魔獣に何をした!ああ、そうかこの騒ぎはお前をクビにしたことでの恨みの仕業だな!丁度いい、衛兵ども、この男を捕まえろ!」


 魔獣たちが沈黙したことで少しだけホッとした空気が流れかけていた時、オストンソンがエスコートマン(私衛兵)を盾にしながら見世物小屋から怒鳴り込むようにやって来ると、衛兵たちに向かって強引に命令をした。


「…!貴殿は見世物小屋全ての所有者(オーナー)のオストンソン氏ですかな?」


「ああ!大事な大事な魔獣を殺したのはお前たちか!」


「衛兵の皆さんは関係ありません、自分が一人でやりました。魔獣たちはよだれを垂らしながら人を襲っていたので、これ以上の犠牲を出すわけにはいかないと思って…。」


「はあ?だから金を産む魔獣を殺したというのか!いいか。この弁償は高くつくぞ!いや、これだけの騒ぎを起こしたんだ処刑だ処刑!逃げられるとは思うなよ?」


 ザワッ…ヒソヒソ……


 オストンソンのあまりの剣幕と言い様に周囲が息を飲み、ざわついた。


「オストンソンさん、あなたって人は…。」


「お前もこのクビにした男(こいつ)の仲間か!?国王に訴えさせてもらうからな!」


 固唾を飲んで見守っていた衛兵の一人が思わず口に漏らすと、その衛兵の胸倉を強く掴んでオストンソンは怒号した。


「オストンソン氏、そこまでになさりますかな?この後、ご要望通り王宮へと向かいましょうぞ。」


 男に最初に声をかけてきた年かさの衛兵は隊のリーダーだったのだろう、オストンソンと胸倉をつかまれた若い衛兵の間に割り込むと静かにオストンソンに語りかけた。


 そして年かさの衛兵が若い衛兵たちに指示を出し、魔獣が完全に沈黙していることを自分達でも検分し安全を確認すると、被害者の救助と魔獣の移送にあたらせた。


 しかし、襲われた人たちの中で息のある者は誰一人としていなかった。


 周囲には多くの人の…老若男女貴賤を問わず、ただ珍しい出し物(賭け事)を興味本位で体験しに来ただけの人たちが辛うじて姿が分かる程度にしか残されておらず、ひと目で生きていない事が分かる有様で、荒事に慣れた衛兵たちですら気が滅入る者が出たほどだ。


 また、老若男女貴賤を問わずと言ったが、ステージに近い観客席は値段も高く、そういった席を求めるような貴族層や富裕層の者たちが瞬時に逃げられる訳もなく、魔獣たちが手当たり次第に襲ったのは、主にそういった観客層の中で逃げ遅れた者たちであった。


 年かさの衛兵は、いくらオストンソンが大変功績のある英雄様のご子孫様だからと言って国王が庇える限度を超えている事を確信していた。




              ◇◇◇◇◇◇◇◇




 オストンソンが所持する残りの魔獣たちはすべて処分─殺すか王家が厳重な管理の元で飼育するかが協議される事となった─され、彼の財産は全て没収となり全てを魔獣被害者遺族救済に当てられた。


 といっても、彼が築いた財産程度では償いきれないほどの被害者を…特に貴族や富裕層から出していることもあり、そういった被害者の遺族からの糾弾と追及の声はとても強く、オストンソンを擁護する声は皆無だった。


 オストンソンは「無実だ!何も悪い事なんてしていない!」と訴えていたがそれが通るはずもなく、普段からの独善的な態度や強権的な管理体制による経営も明らかになり、先代から後見を引き継いだ国王ですら彼の罪を厳しく問う事にためらいは無かった。


 見世物小屋での魔獣を使った危険な出し物に端を発する凄惨な事件について、速やかな公訴と裁判が行われ、首謀者であるオストンソンに極刑が申し渡されると直ちに刑が実行された。


 その報せを受けて王家も貴族も数多の普通の人々も、あのような愚行を犯す諸悪の根源は消え、これで平和に暮らせると胸をなでおろした。




 そして…


 今日は王都の広場でパレードだ。


 あのおぞましい出来事を起こした残酷な支配人が無事に処刑され、狂った魔獣どもから王都の人々を救った英雄の功績を称える祝いの式典があるのだ。


 人々の歓喜でどよめく広場の中央では、国民たちをそんな惨劇から守った功績として、とある一市民の男性に国王陛下から名前が授けられることになった。


 その名を───────



                  END


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