この時間の意味
「そろそろ迎えが来ますので、お暇しますね」
「ではお送りいたします。どうぞ」
座っている横から差し伸べされる所作は完璧で、笑顔を浮かべる彼の手を身に着けた淑女の作法で取った。
懐を探り合うようなやり取りは他人で十分だ。でもヨハネスはどうだろう。いずれ結婚するとはいえ、私たちは正しく『他人』だ。それが自分たち以外から関係を与えられ、『婚約者』という名前を付けられた。
貴族の家に生まれた以上、好きな人と結婚できる方が珍しい。最初からわかっていた。
お互い役割は果たしていたはず。同世代の少女たちが話に花を咲かせる感情を抱くことはできないのだから。
「本当は僕がご自宅までお送りできればいいのですが、移動手段を持ち合わせていなくて不甲斐ないです」
「あ、あの」
「どうしました?」
迎えの馬車を大通りの手前で待つ間、ここ最近の疑問をどうしても知りたかった。たとえ彼が一番嫌厭している話題だとしても、私には踏み込む権利だけはある。
「どうして急にお会いしてくれるのですか?お忙しいのは理解しています。これからもっといそがしくなるでしょう?ご無理なさらない方が……」
「だからですよ。忙しくなる前に、僕があなたに会いたい」
「あの……勘違いだったら嫌なので確認しますが、ヨハネス様はこの結婚に難色を示されていますよね?」
「……婿入りだったらもっと大変だったかもしれないですね~?」
急に惑わせるようなことを言ってから煙に巻かれる。悪い結果を突き付けることになるかもしれない。でもこれ以上、前の見えないやり取りは不毛だ。
「最低限でよいのではありませんか?お互い役割は果たしているでしょう?」
「お嫌でしたか?」
まるで傷ついたような表情をするヨハネスに、今まで飲み込んできた不安と本音がカッとなって呼吸が乱れる。歩み寄らなかったのは私もそうだ。でも初めから壁をつくり、線を引いたのはあなただ。
「あなたの本心が最初から見えない!!見せてもくれなかった!!なのに気を遣われているようで私は……!」
「…………」
「心を許すふりをしながら、これ以上関係を保つのは……惨めな気持ちになります」
「……解消したい?」
聞き分けのない子供のように言いたいことだけ吐き出して、目が合った瞬間にハッとする。それでも声を震わせながら、言い切るつもりでぶつけた。
ぶつけた言葉は、弾まないボールのように地面に落ちた。返ってきた言葉は手元からすり抜ける。
「……え?」
あっけにとられている間に迎えの馬車が到着して、二人に影を作った。御者が扉を開けたのでヨハネスは固まっているピーアニーの腕を取って馬車に乗せた。
「……『キミ』はなぜ2年間もこうしていられたの?」
「なぜって……」
「それでは、お気をつけて」
馬車の扉が閉じる直前に、初めて本心が見え隠れしたような気がした。