芋虫男
抱えるほどに大きな薄い茶色の芋虫。手の中で嫌がるように体をよじる度、プックリと膨らんだ円筒状の体が節部で伸び縮みする。数え切れない程の疣足が各々好きな方向に波打つのを見てミチルの背中にゾワゾワと悪寒が走った。
「ああ、これ?」
悪気があるのかないのか、細い目の男はミチルに芋虫を差し上げる。
ただでさえ非常識なサイズの芋虫が、間近になったことで黒い穴のような腹部の気門までハッキリと見えるようになった。
「いやあああああーッッ!」
トキオの服をつかんで、その胸元に顔を埋める。ミチルに勢いよくしがみつかれた為バランスをくずしたトキオは、たたらを踏んでなんとか倒れないよう踏張った。
「あ、浮気してる。アヤぽんにチクってこよ」
「いやいやいや、違うでしょ」
「トキちゃんばっかしいいなあ。オレもトキちゃんみたく5、6人彼女欲しいなー」
「人聞きが悪いことをいうんじゃない。ほら、さっさとイモちゃんを引っ込める!」
トキオがシッシッと手を振るのが、体を伝わる振動で感じられた。
「あ、そうだ、トキちゃんがイモちゃん持って。そしたら彼女、オレに抱きついてくれるかも」
とんでもない台詞とともに巨大芋虫が近づく気配。
「ギャアアアアア!」
心からのミチルの叫びにかぶせるように、小屋の向こうから怒りを含んだ声が聞こえてきた。
「うるさいッ!何やってんだ、さっきからッ!遊んでないでさっさと……」
声の主はこちらの様子を目にしたとたん言葉を途中で止めた。
「タケルっちー、遊んでるのはトキちゃんだからねー」
聞き捨てならない名前。ミチルがトキオの胸から顔をはがし、声の聞こえた方向を見たときは、「つまらないものを見た」という表情できびすを返す瞬間だった。
「オレが一生懸命働いてるってのに、トキちゃんは女の子とイチャイチャだもの。参っちゃうよね。あーあー、オレの目がせめてもう3ミリでかけりゃなー。って、あれ?タケルっち?」
説教の途中、無言で背を向け立ち去るタケルを見送ってカイトは首をかしげた。トキオはそれを見てくすくす笑う。
「拗ねてんだ。このお下げちゃんに八つ当たりして」
「お下げちゃん?何?誰のお下がり?オレもらっていい?」
ミチルはなんとも失礼なカイトの言葉を無視して極力芋虫から視線を外しながら、大股で歩くタケルの背中を追いかけた。
近づくにつれタケルの背中に漂う威圧感をひしひし感じる。ミチルの心は引き返したい気持ちでいっぱいだったが、それでも周囲にも聞き取れるように大きな声を出した。
「さっきはゴメンなさいッ!」
その声に、タケルは足を止めた。
「私、考えなしだったわ。あんたがどんなにイヤミでいけすかない奴でも、私の言ったことは確かに良くなかった。だから……悪かったッ。ごめんなさいッ!」
頭を下げてしまうと、胸にたまっていたものがスッキリ浄化される気がした。
別に無視されようが当人に伝わっていなかろうが、とにかくさっさと自分の謝罪の気持ちさえ押しつけられれば構わなかったので、ミチルはタケルの反応を見るでもなくクルリとタケルに背を向けた。
その様子を見ていたトキオはプッと含み笑いをしたかと思うと、立ち止まったままのタケルに声を投げる。
「はーい、タケルの負けー」
「なんかよくわからんけど、彼女、潔いねー。うん。タケルっちの負けに一票!」
「うっ、うるさいッ!こういうのは勝ち負けじゃないだろッ!イヤミだのいけすかないだの、言いたい放題言ってたじゃないか!」
近くなったタケルの声に振り返ると、こちらに向きなおったタケルの顔にはめずらしく口惜しそうな表情が浮かんでいた。
「いやまあ、そりゃそうなんだけどね。でも・・・・・・」
言いながらトキオは口元に拳をあて、上目遣いでおかしそうにタケルを見る。
「タケル、今『負けた』って思ったでしょー?」
その瞬間タケルの頬が朱に染まる。体の横で拳が握られたかと思うと金魚のように口をパクパクさせてから、なんとか言葉を発した。
「うっ!うるさいッ!」
ただ、それ以上の言葉は思いつけなかったらしく、もの凄い勢いで隣の小屋に消えて行った。
「わー、タケルっち、小学生みてー」
確かに今の姿はタケル未成年説に信憑性を与えるものだった。
トキオはタケルの様子が余程ツボにはまったのか、カイトの肩に乗せた自分の腕に顔を埋め、肩を震わせて笑っている。
「やっぱり言ったこと気にしてたんだと思うと、もう、あは、あはっ・・・・・・。素直じゃないというか、反応が素直すぎるというか。可愛いッ!可愛すぎるッ!」
「カワイソウの間違いっしょ。で?結局トキちゃんは女の子にイモちゃん見せてビックリさせて、自分に抱きつかせる為に来たってことでOK?なら、お下がりちゃん置いて、もうどっか行ってよし」
「お下がりちゃんじゃなく、お下げちゃんですッ・・・・・・って、いや、お下げでもないけど」
カイトの手には巨大芋虫の姿はなく、やっとカイト本人を直視することができた。
体型や背丈、年の頃こそトキオと似ていたが、細い目とふっくらした唇、目に被さるぼさぼさの黒髪など、印象は全くの正反対だった。トキオがいつも何かを企んでいるような謎めいた雰囲気を持っているとすれば、カイトは何を考えているか、そもそも考える気があるのかという謎めいた雰囲気を持っていた。
「初めてあったとき三つ編みだったんだよ。それと、ご存じのとおり新人さんだから保護者の僕が案内してまわってるの。はい、じゃ、改めて。こちらミチルちゃん。この芋虫男がカイトくん。名前の由来はここに来たとき来てたTシャツが『海人』だったから。持参アイテムは・・・・・・DVD。以上。じゃあ、作業場は僕が説明するね」
持参アイテムを口にしようとした際、若干言葉につまったものの一気に言い終えると、ミチルの腰に手を添え、押すようにしてそそくさとその場を立ち去ろうとした。
「こらこら、なんだその適当な紹介は。どうぞヨロシクおさが・・・・・・チルチルミチルン。砂の迷宮へようこそ。現在彼女募集中。みんなに明かりを提供する愛と希望の魔術師、カイトです」
右手を腰にあて、左手を顔の前でLの形にして白い歯を見せる笑顔。キラーンという効果音が聞こえて来そうな立ち姿ではあるが、半分前髪に隠れている目は別段笑ってはいない。
「この世界の挨拶知ってる?ハグなんだよ」
両手を広げてミチルに迫るカイト。先ほど巨大芋虫を掴んでいた光景がフラッシュバックしたミチルは、慌ててトキオの後ろに隠れた。
「と、とりあえずヨロシクお願いしますッ!」
「わー、ショック。ミチルン、トキちゃんの傍に寄らない方がいいよ。赤ちゃんできちゃうよ」
「できるか。花粉飛ばしてるみたいに言わないでくれ。お下げちゃん、カイトにこそ近寄ったらダメだよ。あの人は色々おかしい人だからね。相手にしちゃいけないよ。あれは、まあいわば花粉飛ばしまくって人を花粉症にするような迷惑な人だからね。はいはい、こっちおいで」
カイトのブーイングを背に、トキオに手をひかれてカイトの作業小屋の前まで戻ってきたとき、その小屋の中に置かれた箱の中でもぞもぞと動くうす茶色のかたまりを目にした。格子蓋のついた箱の中に生まれたての赤ん坊サイズのそれが数体。ミチル達が来たときカイトがその箱をのぞき込むようにしていたことを考えても、それは間違いなく巨大芋虫だろう。
ミチルの視線に気づいたトキオは、箱の横の樽を指さしながら言った。
「そこに入ってるのはイモちゃん達の体からとれた脂。見た目は気持ち悪いけど、ここに明かりがあるのは、このイモちゃん達のおかげなんだ」
「そうそう。イモちゃん達が油っこい木の葉食べて、んで体内で濃縮されたその脂をオレたちがいただいている訳ですね。アーメン」
「イモちゃんの体内で作られる脂はとても質が良いんだ。臭いもないし、煙もほとんどあがらない。でも、脂を取るにはイモちゃんのお腹を裂かなきゃいけない。被害を受けるイモちゃんには申し訳ないんだけど、これが結構グロいんだ」
「自然万歳。スローライフ万歳」
「あの芋虫の最終形態って、どんななの?」
「ん?それはそれはデッカイ蛾。そうね、ミチルンの頭にのっけたら、周囲の人間がドン引きするほどデッカイリボンになる程デカイ蛾」
「どんなだよ。まあ、とにかく当番制で手燭なんかの油を作ってます。以上。さ、お下げちゃん行こう!」
トキオはさっさとこの場を去りたい様子で無理矢理話を切り上げると、まだ何か言っているカイトを無視して歩きだした。アヤの所から離れるときの態度とは雲泥の差がある。ミチルが振り返るとカイトはこちらに向かって投げキッスをした。
殆ど過去の記憶を持ち合わせていないミチル。しかし初対面の男から、しかもあんなに行為と表情にギャップのある投げキッスを受けたことはないだろうという確信とともに、最大限の脱力感を覚えて小さくため息をついた。
「カイトは悪い奴ではないんだけど・・・・・・、多分、ないんだけど、可能な限り近づかないでね」
言われるまでもなく、この世界でなるべく距離をおきたい人間の2トップの一人だと思った。




