第098話 私たち抜きで決めるな
俺が選ぶ前に、五人は自分たちの選択を持っていた。
最初に前へ出たのは、セリアだった。
盾を構えない。
剣も抜かない。
ただ、俺の前に立つ。
「レオン」
彼女は俺の名を呼んだ。
主人でも、管理者候補でもなく。
ただ、レオンと。
「貴殿は今、我々だけを救う選択を本気で考えたな」
俺は答えられなかった。
沈黙が答えだった。
セリアは怒っていた。
だが、その怒りは俺を突き放すためのものではない。
「助けたい気持ちを責めるつもりはない」
彼女は言った。
「だが、守られるだけの盾にはならない」
その言葉で、胸が痛んだ。
セリアは盾だ。
だが、誰かに持たれる盾ではない。
自分の意思で前に立つ戦士だ。
俺が彼女を守る対象としてだけ見た瞬間、彼女の誇りを奪う。
ミュールが次に前へ出た。
彼女は俺の袖を掴まなかった。
自分の足で、俺の前に立った。
「ミュールのことを、ミュール抜きで決めないで」
短い言葉だった。
だが、何より重い。
夜爪は彼女抜きで命令した。
奴隷商は彼女抜きで値段をつけた。
暗殺組織は彼女抜きで生き方を決めた。
俺が彼女のためと言いながら、彼女抜きで決めたら同じになる。
「ごめん」
俺は言った。
ミュールは首を振る。
「謝るだけじゃだめ。聞いて」
「聞く」
「ミュールは助かりたい。でも、ミュールだけ助かって、他の子が命令されるのは嫌」
俺は頷いた。
その頷きが、どれほど軽いものかも分かっていた。
イリスが前へ出る。
彼女の手は震えていた。
それでも、目は逸らさない。
「怖いです」
イリスは言った。
「中枢も、管理者権限も、世界契約も、全部怖いです。技術的には、エルヴィア様の提示は正しい部分があります。五人だけを救う方が、成功率は高い」
「イリス」
「でも」
彼女は俺を見る。
「解析も選択も、一緒にやります。私を危険物として隔離した人たちと同じように、私抜きで安全を決めないでください」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
安全。
それは優しい言葉だ。
だが、安全のために本人を閉じ込めることもできる。
イリスはそれを知っている。
だから、怖くても一緒に解析すると言っている。
ロゼッタが記録帳を閉じた。
契約書を閉じる音のように、静かだった。
「契約当事者を抜いた契約は無効です」
彼女は言った。
「レオン様がどれほど私たちを思っていても、私たちの人生を条件にした契約を、私たち抜きで結ぶことはできません」
「管理者継承は契約なのか」
「少なくとも、条件提示と受諾があります。なら契約です」
ロゼッタはエルヴィアを見た。
「大司教。貴女の提示は巧妙です。ですが、当事者の意思を一括でレオン様に委ねる前提なら、不完全です」
エルヴィアは微笑んだ。
「だから、彼に決めさせるのです」
「それが不完全だと言っています」
ロゼッタの声は冷たい。
「彼は私たちの主人ではありません」
その言葉が、制御室に響いた。
最後にナギが前へ出た。
刀は抜かない。
彼女は俺の隣に立った。
「道連れなら、道を選ぶ時も隣にいる」
ナギは静かに言う。
「死ぬ道を一人で選んでいた時、私は誰にも止められなかった。レオンは止めた」
「ああ」
「だから、レオンが一人で選ぼうとしたら、今度は私が止める」
その言葉は、鋭くて優しかった。
五人が俺の前に立つ。
痛みは残っている。
刻印も残っている。
完全には救えていない。
それでも、彼女たちは救われる対象としてではなく、選ぶ当事者として立っている。
俺はようやく口を開いた。
「俺は、考えた」
声が震えた。
「五人だけでも救えるなら、それでいいんじゃないかって。本気で考えた」
誰も目を逸らさなかった。
「ごめん」
セリアが首を振る。
「謝罪で終わらせるな」
「じゃあ」
「次から、聞け」
ミュールが続ける。
「決める前に」
イリスが言う。
「怖いことも、一緒に」
ロゼッタが言う。
「条件を開示して」
ナギが言う。
「隣で」
俺は頷いた。
「分かった」
それは答えではない。
管理者継承を拒否する最終回答でもない。
世界契約を壊す方法でもない。
だが、一つだけ決めた。
彼女たち抜きで、彼女たちの救いを決めない。
エルヴィアは、その様子を静かに見ていた。
「強いですね」
彼女は言った。
「だからこそ、危うい」
その瞬間、制御室の奥で警告光が走った。
エルヴィアが初めて、わずかに眉を動かす。
壁に文字が浮かぶ。
王都外登録群へ、命令信号送出。
ロゼッタの顔色が変わった。
「王都外?」
イリスが叫ぶ。
「辺境方向です。解放者の家の保護対象群に、信号が飛んでいます」
俺の血の気が引いた。
解放者の家。
俺たちの帰る場所。
保護した人たち。
その誰かへ、地下中枢の命令が届く。
場面が遠く離れる。
辺境の夜。
解放者の家の食堂で、保護対象の一人が椅子から崩れ落ちる。
周囲が駆け寄る。
その人は震える唇で、聞こえないはずの命令を口にした。
「命令を、受信した」
地下での戦いは、そこで終わらなかった。
地下の檻は、王都の下だけに眠っていたわけではない。
俺たちの帰る場所にも、もう手を伸ばしていた。
制御室の中で、誰もすぐには動けなかった。
解放者の家。
その名が出た瞬間、地下のすべてが遠くなる。
王都の下。
古代中枢。
管理者継承。
エルヴィアの思想。
どれも重大だ。
だが、帰る場所に命令が届いたという事実は、それらを一瞬で現実の痛みに変えた。
「誰に届いた」
俺の声はかすれていた。
イリスは壁の信号を必死に追う。
「個人名までは読めません。保護対象群の一部です。刻印下層が残っている人……たぶん、以前に奴隷契約を受けていた人たちの中の誰か」
「止められるか」
「ここからは難しいです。信号はもう送出済み。受信側で遮断するか、発信源を止める必要があります」
ロゼッタの顔が青ざめる。
「解放者の家には、防衛用の簡易規約しかありません。地下中枢からの命令信号は想定していません」
ミュールが唸る。
「帰る」
短い言葉だった。
セリアも頷く。
「ああ。ここで管理者継承を議論している場合ではない」
エルヴィアは静かに見ていた。
「それが、中枢の現実です」
「貴女がやったのか」
俺が問うと、エルヴィアは首を横に振った。
「私が命じたわけではありません。中枢は不安定要素を検知し、外部登録群へ確認信号を送った」
「同じだ」
俺の声が低くなる。
「貴女はそれを知っていた」
「可能性は知っていました」
その答えで十分だった。
怒りが湧く。
だが、怒りに飲まれている時間はない。
五人が前に立ったばかりだ。
彼女たちは、救われる対象ではなく選ぶ当事者だと言った。
なら、次にすることは一つだった。
「帰る」
俺は言った。
「解放者の家へ戻る。命令を受けた人を止める。中枢の信号を遮断する」
セリアが盾を構える。
「共に」
ミュールが頷く。
「帰る。ミュールたちの家」
イリスが涙を拭う。
「信号の特徴は覚えました。向こうで遮断方法を探します」
ロゼッタが記録帳を開き直す。
「防衛戦の準備が必要です。保護対象の隔離、刻印反応者の確認、通信手段の確保」
ナギが刀の柄に手を置く。
「帰る道を斬る」
五人はもう迷っていない。
俺も迷っている場合ではなかった。
エルヴィアは、そんな俺たちを見て微笑んだ。
「管理者になれば、その家も守れます」
最後まで、その誘惑は消えない。
俺は彼女を見た。
「俺たちは、俺たちのやり方で守る」
「そのやり方で、間に合うとよいですね」
エルヴィアの声は優しい。
優しいまま、残酷だった。
制御室の壁には、まだ管理者継承の光が残っている。
五人だけを救える道も、拠点を保護対象にする道も、そこにある。
俺はそれを見た。
見た上で、背を向ける。
完全な拒絶ではない。
答えを先送りにしただけかもしれない。
だが、今は帰る。
命令を受信した人がいる。
俺たちの家に、地下の檻が手を伸ばした。
次は、防衛戦になる。
帰る場所を、管理者の権限ではなく、俺たちの選択で守るために。
だが、制御室を出る前に、俺はもう一度だけ五人を見た。
「ありがとう」
それしか言えなかった。
セリアは短く頷く。
「礼は、帰る場所を守ってからでよい」
ミュールが言う。
「まだ怒ってる」
「分かってる」
「でも、一緒に帰る」
イリスが観測糸をしまう。
「解析も怒りも、後で続けます。今は急ぎましょう」
ロゼッタが記録帳を鞄へ入れた。
「この議論は未決です。未決のまま、次の問題へ移ります」
ナギが扉の方を見た。
「道は戻れる?」
エルヴィアは答えない。
だが、壁の一部が静かに開く。
帰路。
そう表示されていた。
中枢は、俺たちを帰す。
解放者の家へ向かわせる。
それすら手順の一部なのかもしれない。
だが今は、その道を使うしかない。
俺たちは走り出した。
地下で知った真実を抱えたまま。
管理者になれば救えるという誘惑を、背中に残したまま。
帰る場所へ。
その誘惑は、王都の地下に置いてきたつもりでも、俺の右手からまだ熱を引かなかった。
五人だけを救う選択さえ、五人抜きで決めてはいけない。
その答えを抱えたまま、レオンたちは命令波が届いた解放者の家へ走ります。
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