第102話 門前の再回収命令
再回収部隊の先頭は、剣を抜いていなかった。
それが一番厄介だった。
王国臨時保安隊の革鎧。
奴隷商会連合の黒い荷馬車旗。
登録官らしき男が持つ分厚い帳面。
武器はある。
だが、最初にこちらへ向けられたのは刃ではなく書類だった。
先頭の男が馬を降りる。
年は四十前後。
王国軍の正規騎士ほど磨かれた鎧ではない。
だが、臨時保安隊の隊長として場を押さえることには慣れている顔だった。
「この施設の責任者は誰か」
声は大きい。
門の内側にいる保護対象たちにも聞こえるようにしている。
わざとだ。
相手はまず、ここを施設と呼んだ。
家ではなく。
「私が対応します」
ロゼッタが一歩前へ出た。
隣に俺。
少し後ろにマルタ。
セリアは盾を持っているが、門の正面には立っていない。
盾を見せれば、相手は武装抵抗と書く。
だから彼女は、医務室へ続く道を守れる位置にいる。
ミュールは門の影。
ナギは東の林側。
イリスは医務室で刻印波形を見ている。
全員が、見える場所に立つ必要はない。
守るべき場所に立てばいい。
「責任者は貴女か」
隊長がロゼッタを見た。
「この家の運営担当です」
「家ではない。違法に奴隷資産を収容している施設だ」
門の内側で、誰かが息を呑んだ。
奴隷資産。
その言葉だけで、空気が固くなる。
ロゼッタは表情を変えなかった。
「その認定根拠を提示してください」
隊長は書類を広げた。
「王国臨時保安令に基づく、解放奴隷再回収命令。東部奴隷商会連合より、所有権確認中の奴隷資産が不当に占有されているとの申立てがあった」
「所有権確認中」
ロゼッタが繰り返す。
「つまり、所有権は確定していない」
隊長の眉がわずかに動く。
「確認中であるからこそ、保護回収が必要だ」
「本人意思の確認は」
「奴隷契約下にあった者の意思表示は、刻印異常の影響を受ける可能性がある。よって登録官の立会いのもと確認する」
登録官の男が帳面を持ち上げた。
その目に、俺は人を見ていない種類の冷たさを見た。
商品番号を照合する目だ。
「こちらにも記録があります」
ロゼッタは、木札と写しを出した。
「王都裁判後の証人保護記録、保護対象本人の滞在意思確認、刻印反応時の医療記録。加えて、貴方がたの斥候が持っていた再回収対象確認札」
隊長の顔が硬くなる。
「斥候?」
「はい。敷地外で捕捉しました。現在、生存状態で拘束しています。尋問記録も作成中です」
ロゼッタは淡々と言った。
感情を乗せない。
だからこそ、相手は言い返しにくい。
「こちらは攻撃していません。ですが、貴方がたは到着前に偵察を入れ、刻印反応者を門前へ誘導する手順を共有していた」
「証拠は」
「この札です」
ロゼッタは木札を見せる。
隊長は一瞬だけ、奴隷商会側の男を見た。
その一瞬で十分だった。
ロゼッタも見逃さない。
「確認しました。そちらの商会側護衛は、この札を認識しています」
「言いがかりだ」
奴隷商会の男が声を荒げた。
ロゼッタは即座に返す。
「では、貴方の氏名と所属商会を記録します。後日、王都ギルドおよび裁判記録へ照会します」
男は黙った。
書類で殴ってくる相手は、記録されることを嫌う。
ロゼッタはそこを突く。
その時、医務室側から声が上がった。
「波、来ます」
リリアの声だ。
イリスが続ける。
「周期五分。命令内容、門前集合へ移行しかけています」
隊長がそれを聞いて、口元をわずかに動かした。
知っている顔だ。
俺は右手を握った。
管理者権限の欠片が熱を持つ。
今なら、刻印反応者の命令波へ触れられるかもしれない。
一括で止められるかもしれない。
だが、それをすれば中枢はまた、俺を管理者候補として読む。
俺は手を出さない。
今は、家の手順が動いている。
マルタが医務室へ向かって叫んだ。
「名前確認。門へ行く必要はない。今したいことを聞いて」
医務室の中で、名前が呼ばれる。
エナ。
ダロ。
コル。
他にも、刻印痕を持つ者たちの名前。
波が来た。
門の内側で、数人が立ち上がりかける。
「確認地点へ」
誰かが呟く。
「門へ」
別の者の足が、一歩だけ動く。
隊長が書類を掲げた。
「見たか。本人が確認を求めている。刻印反応者の安全のため、門を開けよ」
「違います」
イリスの声が医務室から飛ぶ。
「それは本人意思ではありません。外部命令波による集合誘導です」
「魔導師の私見だ」
登録官が言った。
「刻印契約上、対象が登録確認地点へ向かう行動は、所有権確認への同意とみなされる」
「ふざけるな」
俺は思わず言った。
ロゼッタが横から小さく言う。
「抑えて」
分かっている。
相手は俺の怒りを待っている。
俺が一歩でも前へ出れば、違法占有者の妨害と書く。
俺は息を吸った。
「エナ」
門の内側へ声をかける。
エナは医務室の入口で、老婆に支えられていた。
足は震えている。
命令波が門へ引こうとしている。
それでも、彼女の目は俺を見た。
「今、どこにいたい」
エナは唇を震わせる。
登録官が口を開こうとした。
ロゼッタがすぐ遮る。
「本人意思確認中です。外部発言は記録妨害として扱います」
登録官が黙る。
エナは呼吸を整えた。
「ここ」
かすかな声。
だが、聞こえた。
「ここに、いたい」
門の内側で、何人かが息を吐いた。
ダロも、壁に手をつきながら言う。
「庭、まだ、途中」
コルが薬箱を抱えたまま言う。
「薬箱、ここにある」
命令波はまだ来ている。
足は震えている。
だが、三人は門へ出なかった。
ロゼッタが記録する。
「本人意思確認。エナ、解放者の家への滞在意思あり。ダロ、同。コル、同」
隊長の顔が険しくなる。
「その確認は無効だ。対象は刻印異常状態にある」
「では、そちらの門前移動も無効です」
ロゼッタは即座に返した。
「刻印異常状態の行動を意思表示として扱えないなら、門前へ歩いたことも同意にはなりません」
隊長は黙った。
論理の穴を突かれたのだ。
奴隷商会の男が苛立ったように言う。
「時間稼ぎだ。対象は商会資産だ」
「本人の前で、もう一度その言葉を言いますか」
俺は言った。
男は俺を睨んだ。
だが、門の内側にいるエナたちを見ようとはしない。
資産と言う者は、相手の目を見ない。
セリアが静かに位置を変えた。
盾はまだ構えない。
だが、門が破られれば一歩で入れる位置だ。
ミュールが門の影から囁く。
「林、動きあり。別働」
ナギの気配も、東側で動いた。
門前の交渉は、囮でもある。
敵は正面で書類を振り、裏手から侵入するつもりだ。
隊長が懐中時計を取り出した。
「次の刻印反応まで待つ」
「何のために」
「次の命令波で門へ出た者は、本人意思ありとして回収する」
ロゼッタの目が冷えた。
「先ほどの論理と矛盾します」
「現場判断だ」
隊長はそう言った。
法でもなく、契約でもなく、現場判断。
相手は、名目が崩れれば力で押す。
やはり、防衛戦は避けられない。
イリスの声が医務室から届く。
「次の波、四分後です」
同じ四分を、敵もこちらも見ている。
だが、意味は違う。
敵にとっては、刻印反応者が門へ歩くまでの時間。
こちらにとっては、名前を呼び、意思を戻し、防衛線を組み替える時間。
ロゼッタがすぐに指示を出した。
「医務室側、本人意思確認を継続。食堂奥の軽度反応者は椅子へ座らせてください。門前の視界に入れない」
マルタが応じる。
「了解。完全解除済みの人は水と布を持って南側へ」
ロゼッタはさらに俺を見る。
「レオン様、門前に立ち続けてください。ただし、敵へ近づかないで」
「俺が壁か」
「看板です」
「看板」
「王都裁判で公にされた、命令しない主人という看板です。相手は貴方が怒って剣を抜くのを待っています。抜かなければ、それだけで相手の筋が悪くなる」
言い方は商人らしく冷静だ。
だが、効果は分かる。
俺が怒るほど、敵は喜ぶ。
なら、怒りを持ったまま立つ。
剣ではなく、記録の横に。
セリアが小さく言った。
「難しい役だな」
「ああ」
「だが、貴殿ならできる」
「半分だけ信用してくれ」
「残り半分は私が見る」
そのやり取りだけで、右手の熱が少し落ち着いた。
管理者権限の欠片は、まだ奥でうずいている。
四分後に誰かが門へ歩けば、使いたくなるだろう。
だから、その前に手順を作る。
俺一人の支援ではなく、この家全体の防衛線を。
隊長は門の前に立った。
「四分後、門を開けてもらう」
俺は答えなかった。
答える必要はない。
その四分で、俺たちの家は次の手順へ移る。
その時、東の林からナギが戻った。
足音はない。
だが、彼女の顔はいつもより硬い。
「裏手、ただの侵入じゃない」
「どういうこと」
俺が聞くと、ナギは門の外ではなく、家の敷地の内側を見た。
「檻の気配がある」
その言葉で、イリスが医務室から顔を上げた。
「王都地下と同じ系統ですか」
「同じではない。でも、似ている。門、井戸、医務室、食堂。人が集まる場所を線で結んでいる」
「拠点内に術式があるのか」
「たぶん、元からじゃない」
ナギは地面を見る。
「命令波が来てから、浮いた。ここにいる人たちの刻印を使って、見えない檻を作ってる」
背筋が冷えた。
敵は外から門を押すだけではない。
中枢の命令波が、家の内側に仮の檻を作ろうとしている。
門前へ歩かせるだけなら、足を止めればいい。
だが、家そのものが「確認地点」として再分類されるなら、話が変わる。
ここにいること自体が、相手の記録へ利用される。
イリスが観測板を見た。
「次の波で、門前だけでなく医務室と食堂が対象地点にされる可能性があります」
ロゼッタの目が鋭くなる。
「つまり、敵は門を開けなくても『対象者を確認した』と言い張れる」
「はい。命令波が拠点内の位置情報を拾えば」
隊長は会話を聞いている。
表情は変えない。
だが、懐中時計を持つ手がわずかに緩んだ。
やはり、知っている。
俺は隊長を見た。
「それも現場判断か」
「何の話か分からんな」
「分からないなら、記録に残す」
ロゼッタが言った。
「中枢命令波と再回収部隊の到着が同期。拠点内の医務室、食堂、門前に確認地点化の疑い。王国臨時保安隊長は説明を拒否」
隊長の目が細くなる。
記録が効いている。
剣ではない。
だが、確かに押し返している。
門の内側で、名前を呼ぶ声が増えていく。
命令ではなく、名前で。
再回収命令の第一波が、もうすぐ来る。




