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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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こちら犯行現場です

「ところでウォーターハウスは、枕投げが盛んだと聞いた」

 リナスを招いての昼食の席で、旦那様は真剣そうにそう言った。

 私は口に含んでいた滑らかな帆立のムースを、しっかり咀嚼しながら考えた。

「盛ん……いえ、他領の方から見れば盛んですね」

 ウォーターマン侯爵家が最盛期は週に二度は催していた人気イベントだからね。枕投げ。

 仮に他領のどこかのお家で、他に真剣な枕投げが行われていたとしても、例えば半年に一度だとすると……年内に行われている国中の枕投げ回数のトップは、ウォーターハウス侯爵領だろう。

 というか、実家が領地内の枕投げ回数を一家で稼いでいただろう。

「その……レギュレーションなどはあるのだろうか?」

「枕投げに?」

「枕投げに」

 何事だと言う顔で、リナスも食事の手を止めている。

 旦那様、もしかして枕投げしたい人? ……私の実家に来ます?

 しかしそのつもりであれば、旦那様だからこそ告げなければならない。

「枕投げは、兄を討伐すれば勝ちです」

 私は重々しく告げた。旦那様が、僅かに眉を上げた。「……なるほど? ちなみに戦績は」

「父が乱入してくださった時に一度……」

「それはレギュレーション違反では?」

「つまりレギュレーションなど有るようで無いのです」

 私の言葉に、リナスが続けた。

「有る気配もありませんよ。枕とベッドが壊れて終わりです。一度、姉上が本気でルールを作ろうとしたのですが……」

「リナス」

 それは姉の黒歴史の一つです。

「それはどんな?」

 しかし旦那様は興味深そうに微笑みを浮かべた。

「二分間三セット、一対多勢で、その一人にとにかくに一度でも枕を当てれば勝ちというルールでしたね、姉上」

 可愛い弟は、さらっと私の黒歴史ルールを明かした。

 私は目が泳がないように、にっこりと目を細めた。

「その……兄上と父上を想定しすぎて普及しませんでしたわ」

「……まあ、普通は多勢に無勢になるはずだからな。ウォーターマン先輩を倒すには、それでは足りないと思うが……」

 旦那様が、曖昧に頷かれた。

「はい。兄が防御用の枕を掴んで異様な高速回転するので、まったく隙がなく」

 リナスが心底無念そうに呻く。あの時のリナス、若年性十七歳病を発症中で妙に達観しているふりをしていたけど、やっぱり悔しかったんだね……。

 まあ、さすがにお兄様も本気で回転されすぎてうっかり妹でも吹っ飛ばしそうだったから、私は仕掛けるのも諦めたからね。筋骨隆々の侯爵嫡子の兄が令嬢の妹を吹っ飛ばしました事案を枕投げで作るのは、あまりにも兄妹仲に響いてしまう。

「……良いご家庭だな」

 しかし旦那様は、しみじみと、少し羨ましそうな声で仰った。

 なのにリナスはサーモンとエビのテリーヌを切り分けながら、不思議そうに首を傾げた。

「ところで、なぜ急に枕投げの話を? まさか姉上、義兄上と枕投げとか、してませんよね?」

「んんっ……」

 旦那様が滑らかなムースを喉に詰まらせた。私は掬っていたムースをぷるぷるさせた。

「旦那様に枕をぶつけたりはしてないよ?」

「……そうでしたか」

 リナスは明らかに訝しむ顔で、私と旦那様を交互に見た。

 あのねリナス? 私だってね、弟に旦那様との共寝の予定を枕の裏表で決めたなんて、そんなことを話すつもりはありませんからね。


 それからリナスと旦那様は、ウォーターハウス侯爵領へと運ぶ古代都市の遺物について話すために、旦那様の執務室に入っていった。

 私? 出禁になった。遺物を触るから。

 というわけで、私は後でリナスと出かけるべく、念入りに身なり整えていた。というか髪をね、日光に当てないように帽子の中に仕舞いました。

 リナスに遺物について説明した後は、旦那様はお仕事に行かれてしまうと聞いていた。……どこか悪妻が、以前、旦那様は王女殿下の愛人——! とか思い込んで勝手に失恋して、引き篭もって病んで、労るために仕事を全キャンセルされた日とかあったもんね。

 それと水族館デートの予定も後ろ倒しにしたりしてるからね。

 つまり、私はわりと自業自得で寂しいけれど、チャンスなのだ。

 リナスをダシに推し缶を作って持ち帰り、私の部屋に隠すところを、旦那様に見られない。完璧な計画である。

 そして私は、弟から「義兄上に遺物のリストをいただいて、現状確認もしてきましたからね?」と遺物を勝手に触る人扱いされつつ、推し缶屋さんに来た。馬車で、である。さすがにケルッピィを、王都の王女殿下も購入されているお店の前まで連れて行くとね、皆ケルッピィが欲しくなっちゃうかもしれないからね。

 というわけで、私は無事にミルクティーベージュと水色の缶を選び、透明な水色のキラキラキャンディとミルクティー味のポルボロンを詰めて、青いリボンを飾ってもらった。リナスがケルッピィなら運べると言ってくれたから、お母様とお姉様にも本人をイメージした缶を組み合わせて、トゥロンやクッキーやキャンディのたっぷり詰め合わせたものと、用意した。

 そして全部の支払いを済ませて、推し缶のショッパーバッグを抱えてお店の外に出る。あとは屋敷に帰って隠すだけで——

「お、アクアマリン伯爵夫人」

 目撃された。

 愕然として視線を向けると、エマニュエル殿下がいた。

「で、でん」

「しっ」

 唇の前で人差し指を立てられた。

「失礼いたしました」

 私は優雅に一礼した。

 よく見たら、殿下、お忍びっぽいやんちゃ下位貴族向けファッションだった。似合ってはいらっしゃる。顔がキラキラすぎて何着てても高貴さを隠せていらっしゃらないだけで。

「悪いな、今はノアとは別行動中でさ」

 私はまだそんなに露骨に殿下の後ろをちらちら探ったりはしてないのだけど、殿下はそう言って肩を竦められた。なぜバレているのでしょうね?

「いいえ、お昼まではご一緒できましたから」

 しかし私が渾身の演技で貞淑な貴婦人っぽく答えておくと、なぜか殿下は犯人を見る目を私に向けた。

「それだ!」

「どういたしましたか」

 冤罪では? 私は高貴で貞淑で旦那様想いの貴婦人……。

「君に言っておかなければならないことがある」

「は、はい」

 冤罪では? 私は枕投げは表派ですなどと旦那様に不正を勧めて困らせたりなどは……。

「昨日からノアの惚気が加速してる。何があったんだ」

「へ」

「すごい隙あらば惚気ていて、なんか羨ましすぎて情緒に悪いんだが?」

 わっ、私がやりました……?

「申し訳ございません……?」

 謝ったのに、殿下は生温かい目で私を見た。

「いや、いいんだ。ノアが幸せそうだし。君のおかげでノアが機嫌よく仕事に来てくれて、俺が寝坊してもサボっていても、嫌味一つで許してくれる。苦情を言っておいて何だが、本当に助かっている。ありがとう」

「……その……申し訳ございません」

 許されているのだろうか、それは。

 とりあえず微笑んでおく。……え、私のおかげ? いま、私のおかげで旦那様が幸せそうって言った? 照れていい? 照れるね。

 私はじわじわと頬が熱くなってきて、目を伏せた。

「いや、でもさ」

「は、はい」

「チョウチョウウオの約束って何なんだ?」

 きゅっ——!

 漏洩してはいけない言葉に、私は思わず目を見開いて殿下を見上げた。

「……すっ、す、水族館で見る約束などを少々」

「あ、聞いちゃ駄目なやつ? すまん」

 謝られた。殿下直々に。

「まあ、これからもノアを頼むよ」

「はい」

「ところでその袋は、目の前の菓子屋の物だよな?」

「ええ、先日エメリーン様に教えていただきましたの。母と義姉への贈り物ですわ?」

 楚々として微笑んでいると、いつの間にか私たちの馬車を表に回してくれていたリナスが戻ってきており、背後から撃ってきた。

「姉上? 母上と義姉上への贈り物なら、もう馬車に積み込みましたよ」

「へえ……」

 殿下が首を傾げながら、私の持つ推し缶の外袋を眺めた。リナス、姉上を殿下に大嘘をついた不敬女にするのは止めよう?

 というか、気づいてないようだからお姉ちゃんが小声で教えてあげるけど、

「リナス、こちらの御方は——」

 言いかけた瞬間、リナスは目を見開いた。 

「でんっ」

「しっ」

「……失礼いたしました」

 どこかで見たようなやり取りのあと、殿下が鷹揚に頷いて、仰った。

「ところでリナス君、また背が伸びたな! あと髪型も変えただろ! かわい……格好良くなったな! わかるよ、俺も青年部デビューのときは、めちゃくちゃ髪型に迷ったし!」

 姉としては、弟まで殿下の覚えがめでたくて喜ばしいですわね。

「……ありがとうございます」

 リナスはわりと情けない顔で襟足を弄りだしたけれど。うん、お姉ちゃんはそういうところも可愛いと思うよ。


 一応お仕事中なのだという殿下と別れて、リナスとともに屋敷に戻る。でも、軽くお茶をすると、すぐに出発の予定時刻になってしまった。今から王都を出て、夜は中継都市でちゃんと貴族向けの宿を取っているらしい。そしてケルッピィを一晩休ませて、翌日は宿で包んでもらった昼食を湖で食べて、午後に着くらしい。早いね。

「では、俺もこれで失礼します、姉上。相変わらずお元気そうで安心しました」

 しっかりとルイェールの遺物とお土産も詰め込んで荷造りを終えたはずのリナスは、王都から南東端の領地に帰るとは思えない軽装である。でも、父も兄もほとんど筋肉しか着てないことが多々あるので、私にとっては服を着こなしているだけで、偉くて可愛い弟である。

「うん。リナスも気をつけて帰ってね」

 そう言って、私はリナスの横にいるケルッピィに、再び冷えた殻付き帆立を大袋で献上した。

「道中もリナスのことをよろしくお願いしますね、ケルッピィ」

「グルルヴァッ!」

 ケルッピィも任せなさいという感じに頷いてくれた。

「ところで姉上」

 リナスは周囲を何度か見回してから、一歩詰めて小声を出した。どうやら使用人たちがみんな十分離れていることを確認していたらしい。

「何?」

「——『祈海の凱旋』は、姉上に接触してきたりしてませんよね?」

「してないよ?」

 私もリナスに合わせて小声で答えた。

 でも、以前に旦那様と殿下からもスワンボートの中で確認されたけれど、あの後もジゼル様にさえお会いしていない。

「それなら良いのですが……」

「何か気になることでも?」

「ルイェールの遺物らしき漂流物に紛れ込んでいた、魔力計測器。やっぱり『祈海の凱旋』が仕掛けようとした物だと思うんです」

「まあ、そうだよね……」

 うん。みんな薄々わかってるやつ。むしろそうじゃなかったら、追加で第二第三のカルトが出てきてしまって、話がややこしくなる。

 リナスが軽く息を吐いて、肩を竦める。

「……俺は、アクアマリン伯爵と姉上があまり仲が良くなさそうなら、実家に帰ってこないかって、言うつもりだったんです」

「えっと、仲が良いけど、そのうち訪問はしようかな? そろそろお父様とお兄様の濃い顔も、新鮮に見えるかもしれないし」

「そうしてください。母上も義姉上も、姉上のことは常々心配されていますし」

「それは素行の話でしょ……」

「素行を心配する身にもなってあげてください」

 我が弟、姉よりしっかりしてて偉い……。

「では、姉上。行ってまいります」

「うん。いってらっしゃい」

 リナスが家に帰るんだけどね。まあ久しぶりに言えるとなんか良いね。

 いや、うん。……リナスが来る前に勘違い愛人疑惑晴らしておいて良かった——! うっかり弟に優しく勧誘されて、ノリで実家に帰るところだったね。



 そうして颯爽とケルッピィに騎乗して、駆け出していくリナスの背中を見送った、その夜。

 帰宅された旦那様は、様子がおかしかった。

 まずはウォーターハウス侯爵家の客人であったリナスをつつがなく送り出せたかを執事に確認された。それから近づいてきた私と「お帰りなさいませ、旦那様」「ああ、ただいま、ネリネ」などと夫婦っぽい会話をしたあと、やけにキョロキョロして、私の手元と私の後ろの使用人たちのほうを見て、何かを考えるような素振りをしていた。いくら私でも、リナスの荷物から勝手に遺物とか盗んでないよ?

「……ネリネ」

「はい」

 旦那様がおもむろに口を開かれる。

「……昼間、殿下にお会いしたと聞いた」

「えっ……あ、あの、はい」

 私は、察した。

 もしかして旦那様——お土産をお探しに?

 殿下からなんとお聞きになったんです?

「買い物を楽しんでいたと聞いたんだが、何を買っていたんだ?」

 あああ、ここで浮気とか不貞とかそういう疑いを持たれるのは困る!

 私は焦って白状した。

「旦那様の、色の……缶を……!」

「それは……」

「……自分用に……! 買いました……」

 旦那様は、自供した私を黙って見下ろした。

「……あ、あの、旦那様?」

「ネリネ」

「はい」

 旦那様はぎゅっと眉を寄せて、何かを堪えるような、つらそうな表情をされた。

「……その……旦那様と呼ぶのを止めてほしいんだ」

「ええっ?」

 ごめんねリナス、今から私も追いかけるかも——!

「常々思っていたが、破壊力が高い」

「破壊……りょく……?」

 ……旦那様、力はパワーの話してるの? もしかして私って、旦那様と呼ぶだけでなにか波動砲とか出てるの? すごい……。

「で、ではどうお呼びすれば?」

 旦那様が苦しげなまま、目を泳がせた。

「……名前?」

 けっこう小声だった。

「え、の……ノア様?」

「おそらく敬称を止めたほうがいいような」

 旦那様の言葉のほうが固くなってない?

 私は戸惑って周りの使用人たちを見た。全員から目を逸らされた。あの、私これでも女主人ですよ?

「えっと……ノアさん?」

「他人行儀に感じる」

「ノア……君(くん)?」

「っ、けほっけほっ……!」

 旦那様、むせてしまった……。

「その、君(くん)は、いらないと思うんだ」

 珍しく注文の多い旦那様——ノア・クルーズ——に、私も意を決して呟いた。

「……ノア……さ……ノア」

 途端に顔から火を吹きそうになった。そうなると、もうトドに戻れない気がする。

「こ、これでよろしいですか、ノア」

「うん。……うん。ありがとう、ネリネ」

 旦那様、じゃなくてノアは、子供みたいに頷くと、嬉しそうに笑って言った。

「夕食にしよう」




※現在長編で『スノードロップは不死鳥を殺せない』も連載中です。

暗殺対象に恋する魔女の学園物です。本人たちはわりと青春しています。そちらもお読みいただければ幸いです。


ネリネの話もまだ続きます。

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