38話:対等な関係
家から離れることを決意した。
お父様はそれを許さないかと思ったが、わたしの予想に反してお父様はそれを受け入れた。もう、わたしのことなどどうでもいいのかとも思ったが、いくらわたしでもそんなことはあり得ないと分かっている。だが、もうお互いに「ごめんね」と言い合える程、心の壁は薄くないのだ。
「ミリア!」
家を出て、無駄大きい庭を抜けて行った先で、リーベルが大声でわたしの名前を呼んでいる。その後ろには、馬車が停まっていた。
「ミ‥‥リア。その‥‥えっと」
「‥‥何?」
何故かリーベルはもじもじとしている。どこか心配そうな顔でわたしと目を合わせようとしない。その様子に、前にわたしがエルフの里から出て行こうとした時のリーベルを思い出した。
リーベルは何度か「‥‥ぁ‥‥ぇ」と、言葉にすらなっていないような声を絞り出した後、突然音量マックスで話し始めた。
「ミリア! もし‥‥もしでいいから、できるのなら、ずーっと私と一緒に、その‥‥いよう? け、計画とか‥‥まだやらないといけないこといっぱいあるし! そ、それに‥‥‥」
「何? わたし今告白されてるの?」
少し、冗談混じりにそう言ってみた。いつもは恥ずかしいことを言われているから、ちょっとした仕返しのつもりだったが、リーベルの顔がルビーのように赤くなっていて少し申し訳なくなる。だが、立場が逆転したようで少し優越感に浸ったりもしてみるのだ。
「一応言っておくが、別にわたしは普通に帰るぞ? この家じゃなくて、シリウスの家に」
「‥‥え?」
リーベルは少しの間ポカンとした表情で固まっていた。しかし、すぐに自分が勘違いをした上で、かなり恥ずかしいことを言っていたことに気付くと更に顔を赤めた。
「はぁ、どうせシリウスが何か不安を煽るようなことでも言ったんだろ? じゃなきゃ、こんなことリーベルが言うわけ‥‥‥」
「え、別に何も言ってないけど」
‥‥まぁ、そういうこともある。しかし、そうなるとさっきのリーベルが、「それに」の後、何を言おうとしていたのか気になって、それを遮ってしまったことを少し後悔した。
そんな変なことを考えてしまう自分の頭を振り払うように馬車に乗り込もうとした時、後ろから「お嬢様」とグレイアに呼び止められた。
その「お嬢様」と呼ぶグレイアの声は、少し震えていた。何か違和感を感じ、咄嗟に後ろを振り返る。
「お嬢様‥‥どうか、お元気で」
他にも何か言いたいはずなのに、わたしの決意を邪魔しないように余計な感情を出さないグレイアの瞳は、いつも通り冷たいのに、氷が溶けかけているように少し潤んでいる。
そんなグレイアを見た瞬間、馬車に乗り込もうとしていた自分の片足を馬車のキャビンとは逆方向に強く蹴り、その勢いのままグレイアに飛びついた。
ボスンッと、グレイアのメイド服と肌の間にある空気が隙間から逃げ込むような音がする。
別れは悲しい。そんなことは分かっている。だからこそ、別れが悲しくならないように泣いているところは見られたくない。だから、怒られるのを分かった上でわたしは自身の瞳から流れそうになっていた涙をグレイアのメイド服で拭って隠す。
そして、グレイアは抱き着いてきたわたしの頭を撫でながら引き寄せた。
「わたくしはこの後、ロリエル様と少し話をしなければならないので、帰りはお供できません。ご安心ください、わたくしが‥‥この場所にいることは変わりません」
顔を見せるのが恥ずかしたった為、静かに頷いた。しかし、グレイアはわたしのほっぺたを優しくつまむようにして、わたしの顔を上げさせた。
訳も分からず茫然としているわたしに、グレイアは微笑みかける。
グレイアはわたしの前髪を手で払いのける。
わたしの肩に優しく手を置き、そして――――
――――思わず目を見開く。音もしない、静かで冷たいグレイアの唇がわたしのおでこに触れた。
「え‥‥‥」
「どうしたんだい、リーベルちゃん」
突然のことに思わず両手でおでこを抑える。グレイアに変な意図が無いのは分かっているにしても、皆が見ている前でこんなことをやられては、わたしのメンツが持たない。
おでこを抑えたまま、頬を膨らませ、少しだけグレイアを睨む。そんなわたしにグレイアは微笑みかけるだけだった。その時、ただ単純にそれが別れの挨拶だということを理解する。とはいえ、やはり恥ずかしかった。
おでこを抑えたまま馬車に乗り込み、窓から外にいるグレイアを覗き込む。その時になってようやく別れを実感してしまう。ずーっとおでこと一緒に押さえていた瞳から溢れるこの感情を抑えきれず、おでこと共に離してしまう。
「レイねぇ‥‥‥レイねぇ! ‥‥またね」
柄にもなく窓から身を乗り出し、グレイアに向かって手を振った。まるで昔の自分に戻った気分だった。
グレイアはそんなわたしに未だ微笑みながら小さく手を振った。その瞬間、グレイアの目から一滴の涙が零れているのが遠目から微かに見えた。あぁ、グレイアも悲しんでくれているんだ。そう思った。
そうして、わたしは一時的な別れが悲しくなるほどの大切な存在が自分にもいることに気付けた。それだけで、今回この場に来れたことは幸せだったのかも、そう思った。
馬車での移動中、妙な寂しさを覚えた。しかし、前を向けばいつだってそこにはリーベルとシリウスがいた。あぁ、独りじゃないなと思った。
* * *
「あぁ~~!!! ふぅ。やっと帰って来たね。こんなに家を空けたのはいつぶりかな?」
「何だか分からないけど、帰って来たっていう感じがする。シリウスの家って、妙な安心感があるよね」
リーベルの意見に、不覚にも頷いてしまった。
「さて、昼には馬車に乗っていたというのに、移動すればもう夜だね」
「はぁ、もう晩御飯はいい。リーベル、お風呂に入るぞ」
そういえば、わたしからお風呂に誘ったのは初めてかもしれない。このぐらいの時間になればいつもリーベルから呼び掛けがあった。
まぁ、そんなことはどうでもよく、わたしはタオルを手に取り、脱衣所に向かおうとする。しかし、何故か後ろからリーベルが付いてこないので、不思議に思い、振り向いてリーベルの方を見た。
「リーベル‥‥?」
「‥‥え。あ‥‥えーと。その‥‥た、多分ミリア疲れてるし。その‥‥きょ、今日は‥‥ひ、一人ずつで」
「‥‥ふぇ?」
予想だにしない返事に、思わず変な声が出てしまった。
リーベルが‥‥わたしの誘いを断った‥‥? い、いや! 別に変なことじゃない。ただ単純に疲れているだけだ。うん、そうに違いない。そう自分に言い聞かせる。
「わ、分かった。一人で行ってくる」
しかし、わたしの声のトーンは普段よりも少し低かった。
「ま、待って! やっぱり、一緒に入る‥‥‥」
一人で脱衣所に向かおうとしていたわたしをリーベルがそう呼び止めた。
「そ、そう‥‥? ま、まぁ別にわたしはどちらでもいいのだけれど‥‥‥‥リーベルがそうしたいのなら、仕方ないわね。さぁ、行きましょう」
「ふっ、ケガレちゃんのツンデレお嬢様ムーブも板についてきたね」
「‥‥‥うるさい」
とりあえず、お風呂に入った。いつも通りの生活が戻って来たと感じると、いつの間にかこっちの生活の方がいつも通りになっていたのだと気付いた。
わたしが先に体を洗い、リーベルが湯舟に入った。髪を洗っていて突然「ミリア~、洗いっこしよ~」と言われるかもと思い、準備をしていたのに、何も言われない。気付けば、髪を洗い終わっていた。
そして、リーベルに少し避けてもらい、わたしも湯舟の中に入る。
「え‥‥‥」
「何?」
「ううん、何でもない」
別にいつも通りだ。むしろ、いつもであればリーベルの方からわざわざ一緒の湯舟に入ってくるぐらいだ。少し窮屈だが、不服にもわたしの体は小さい為、何とか一緒に入ることができる。
「ミリア‥‥‥」
リーベルが何か言おうとして、途中で止めた。
「何?」
「ううん、やっぱり何でもない」
リーベルはお風呂で少し体温が上がっているのか、顔を赤くしながらわたしの体を見ないように顔を少し逸らした。
「はぁ‥‥何? そうやってうじうじとされても、こっちが困る」
わたしがそう言い捨てると、リーベルは力を入れて強く閉めていた口を開いた。
「ミリアは‥‥‥」
「何?」
「ミリアは、グレイアさんとどういう関係なの?」
「‥‥は?」
質問の意図が分からない。
「わたしとグレイア? 主人とメイド? それか、姉妹? そんな感じ」
「そ、そうだよね。別にあれも、お姉ちゃんとしてのだもんね‥‥‥」
‥‥‥ん? リーベルの言い方に違和感をある。まさか、変な方向に勘違いされてないか?
「ちょっと待った。言っておくが、別にわたしとグレイアはそういう関係じゃないからな。そもそも、女同士だし‥‥‥」
「うん‥‥‥そうだよね」
何故かリーベルは少し不満そうに返事をした。
「どうしてそんなことを聞いたんだ?」
「‥‥‥ミリアは、どうして私のこと”友達”って言ってくれたの?」
質問の回答になっていない。だが、正直これ以上この話題を続けるのも面倒だった為、リーベルの質問に答えることにした。
「わたしは‥‥友達を知らない。そもそも、お前が初めての友達だし。だから、何が友達で、何が友達じゃないのかも分からない。一緒にいればもう友達だとも聞くし、心を通じ合うまでは友達とは呼べないとも聞く。だから、友達の定義なんて分からないが、それでも‥‥理由を言うのなら、お前がわたしを”友達”だと言ったから」
「で、でも‥‥ロゼリアもミリアのこと友達だって‥‥‥」
「ロゼリア? あぁ‥‥まぁ確かに。今思えばそうなのかもしれない。社交界に出ていた時は、あいつ以外といることは無かったし。ただ、あの頃はそもそも友達というものを知らなかった。こんなことを言いたくはないが、わたしを様付けしている時点で対等な関係じゃないと感じてしまった。別に、ロゼリアが悪いって意味じゃない。普通にわたしの方が悪い」
「別に‥‥私の初めての友達がミリアだから‥‥分かんないの。ミリアは対等な関係だって言うけど、私からすれば、いつもミリアから助けてもらってばっかり。それどころか、私の方が足を引っ張ってることだってある。なのに、私はミリアのこと何も知らない。今回だって、ミリアがあんなに泣いてた理由が分からないかったし、ミリアが公爵令嬢なことも初めて知った。そんなの、対等な関係じゃないよ。私、ミリアに何もあげられないよ‥‥‥」
「―――はぁ、面倒くさ」
思わず、そう口にする。ちょっとした冗談のつもりだったが、リーベルは俯き酷く落ち込んでいて、自分の発言を後悔しているようだった。
「リーベルは、いつもそうやって自分を卑下してばかり」
「‥‥‥」
「対等な関係っていうのも、あくまで”友達”という言葉の表現の一つに過ぎないのだから、そんなに重く受け取る必要もない」
「で、でも‥‥‥」
「そもそも、いい? リーベル、あなたは相当貴重な存在なのよ?」
「‥‥?」
「わたしは公爵令嬢として、様々な社交場に顔を出したからこそ、人‥‥いや、全ての生命のことはある程度知っているつもり。誰だって、自分のことばかり。何故なら、他人に優しさを割ける程、誰も余裕がないから。貴族だったら尚更。わたしだってそう。初めにあなたをエルフの里に帰そうとしたのも、あなたの為じゃなくて、わたしの奴隷を買ったっていう罪の意識を消し去る為」
「ミリアはそんな人じゃ‥‥‥」
「でも、あなたはどうなの? わたしには、あなたがわたしにしてくれる全ての行いが、わたしを想ってのことに感じるけど。あなたのように優しさを振りまける馬鹿なんて、そうそういない‥‥けど、だからこそ、それがあなたの優しさという魅力なんじゃないの?」
湯舟から体を出し、手を伸ばしてリーベルの長い髪を耳に掛ける。そして、頬に手を添える。
「だから、安心しなさい。やっぱり、あなたはわたしの”友達”よ」
「ミリア‥‥‥」
リーベルは少し安心した様子だった。
正直言って、リーベルは面倒くさい。だが、言い方を変えれば、ほっとけないのだ。わたしと同じで、孤独が怖い。そんなリーベルで、そしてわたしを想って優しくしてくれるからこそ、わたしは彼女を手放してはいけないと思う。
面倒くさい、それは事実だ。だが、それでもわたしは何度だって彼女に付き合おう。それが、普段から彼女がわたしに与えてくれる”優しさ”への恩返しというものだ。
「ミリア‥‥見えてるよ」
リーベルは湯舟から上がったわたしの体を片方の手で指差して、もう片方の手で目を覆いながらそう言った。
「‥‥え? いや、今更でしょ」
その時、ツルっと足が滑った。湯舟で立つんじゃなかった、と後悔しても遅かった。
咄嗟に近くにある何かに掴まろうとするが、あるのはリーベルの頭だけだった。だから、リーベルの頭に抱き着くように捕まった。
「‥‥ふぅ、あ、危ない‥‥‥」
「ミ‥‥リア‥‥!!」
‥‥え? 何?
「む、胸が‥‥当たってるよ!」
胸‥‥は、はぁ? だから何なのだろうか。そもそも、わたしには言う程胸が無いのだが‥‥いや、自分で言うのも何だが!!
しかし、何故だが胸の辺りが熱い。その時――――バシャッ!!!
ガンッ!! リーベルが突然立ち上がり、リーベルの頭上がわたしの顎を勢いよくぶつかる。
「ぐはっ‥‥!!」
「‥‥あ。ミ、ミリア!!!」
そのまま、わたしはノックアウトされた。
―――――う、う~ん‥‥ここは‥‥‥?
「ミリア!!」
「リーベル?」
ここは‥‥って普通にシリウスの家か。にしても、いつの間にお風呂から出たんだろうか‥‥‥
「はぁ、いったい何があったんだか‥‥キミたちはお風呂で騒がないといけない呪いにでも掛かってるのかい?」
「うぅ‥‥ごめんなさい」
リーベルは何度もわたしに謝っていた。別にそれほど怒ってもいない。少し、顎が痛いが‥‥まぁ、どうってことはない。
「‥‥はぁ、まぁいいや。そういえばケガレちゃん。ボクたちがケガレちゃんの家に出掛けていた時に結構チラシなり何だったりが溜まっていたんだけど‥‥‥」
そう言って、シリウスはわたしに一つの封筒を渡した。
「これは‥‥?」
「冒険者協会って書いてあるね。ケガレちゃん宛てのじゃないかい?」
次回から第五章に入ります!
久しぶりに、あの”誰か”が登場します。
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