35話:家族
全てが終わりひと段落した後、ロリエルは何故かパーティを再開しようとしている。しかし、会場は戦いによって中で何か爆発したのかと思う程ボロボロになっていた。こんな状態でいったいどうやってパーティを再開するのだろうか。
そう思っていた時、突然グレイアが倒れた。
「グレイア!!」
そう叫び、グレイアの元に駆け寄り倒れたグレイアを両手でしっかりと支える。
まさか、わたしを罪を晴らす為に無理に動いていたのか‥‥? そんな、どうして‥‥わたしの為にそこまでする理由が、いったいどこに‥‥‥
「お嬢様」
「グレイア! 大丈夫なのか‥‥?」
「はい‥‥少し、傷が痛みますが、”問題ございません”」
その言葉を聞いた時、強い罪悪感に襲われる。
「問題‥‥大アリだ」
「申し訳ありません‥‥お嬢様。天使であることを、隠していて‥‥‥」
「そうじゃない! どうして、お前はいつも‥‥わたしの為にそうやって無理をするんだ。わたしなんかの為に命を張る必要なんてない!」
子どものように泣くわたしを見て、痛みでもっと泣きたいはずのグレイアは痛みをグッと堪え、やるせなさで震えるわたしの手を優しく握った。
「お嬢様。わたくしは、家族を知りません」
「‥‥?」
「わたくしのような、下級天使にすらなれない者はただ数合わせをするように、天界の神によって創り出されただけの存在なのです。ですが‥‥お嬢様は、わたくしを‥‥”レイねぇ”と、そう呼んで下さいました。お嬢様はわたくしに、家族という言葉を、その温かさを教えて下さった。だからこそ、わたくしはお嬢様のメイドとしてよりも、僭越ながらお嬢様の姉として護りたいと、そう思ったのです」
その予想だにしないグレイアの想いに、わたしは心をきつく締め付けられる。
家族‥‥そのたった二文字の言葉には、わたしが欲していたものが全て詰まっている。
どうして気付かなかったんだ。ずーっと昔から、わたしには家族がいるじゃないか。お父様やお母様よりも、ずーっとわたしの傍にいてくれたのに、どうして気付かなかったんだ。
そう思った時、グレイアを裏切ってしまったかのような気がして、目から涙が更に溢れてしまった。
静かにと、そう思っても涙が零れてしまうわたしの目をグレイアは袖で拭いながら優しく微笑みかけた。
その時、全てを断ち切るがごとくリーベルが大声で泣き始める。
「うわぁ~~ん!!! ミリアァァァ!!! 良かったねぇぇぇ!!!」
涙で前がよく見えないが、リーベルが何故かわたし以上に激しく泣いていることが分かった。そんなリーベルにシリウスは提案をする。
「そうだ、リーベルちゃんならグレイアさんの傷を癒せるんじゃないかい?」
「グスッ‥‥えぇ? う、うん。やってみる‥‥グスッ」
リーベルはわたしたちの前に立つと、手を前に出して魔法を放つようなポーズを取った。
しかし、何も起こらない。
「あ、あれぇ‥‥? グスンッ」
「う~ん‥‥まだ魔力を使い慣れていないのかもね。そうだ、ボクが少し手を貸してあげるよ」
そう言って、シリウスはリーベルの肩に手を置いて、少しだけ魔力を流し込む。
そうして、シリウスの魔力がリーベルの体内にある魔力の流れを促進させる。すると、リーベルの手から強い光が輝き出した。
「え!? な、何!?」
「ほら、集中するんだ。傷がある状態を”負”として、傷が無い状態を”正”と考える。これこそが、回復魔法の本質だよ」
「‥‥うぅ、何言ってるか分かんないよぉ~!!」
リーベルはそう言った。しかし、リーベルの意思に反して光は強くなっていく。リーベルの魔力は、魔力というより、リーベルの感情のように激しく揺れ動いていた。
「リーベル‥‥頼む」
わたしが擦れた声でそう言うと、リーベルは意思を固めるように体に力を入れる。
そうして、リーベルのグレイアの傷を癒したいという想いがこちらにも伝わってくる。それに呼応するようにリーベルの魔力はグレイアに差し込む光のように注がれていった。
「おや、成功だね」
「‥‥んぅ? どうなったの?」
「成功だよ~、リーベルちゃん。ほら、見て」
シリウスがそう言って、リーベルの顔を掴んでグレイアに向けさせる。
そこには、先ほどまで火傷で全身の至る所が赤くなりただれていたグレイアの痛々しい肌が、綺麗に元通りになっていた。
「わぁ~、すごいですの~!」
ロリエルはパチパチと手を叩きながら、その一部始終を見ていた。
実際、これほどにまで即効性を併せつつ、高い治癒力を誇る回復魔法は見たことがない。だが、今はただグレイアというわたしの数少ない家族が無事だったことによる安心と、それによる緊張の解れで、先ほどまでわたしを制御していたものが切れるように、恥ずかしげもなく泣きわめいてしまった。
そんなわたしをグレイアは抱き抱えた。
そして、グレイアはロリエルに他の誰にも気付かれないように目配せをすると、ロリエルも何かを察した。
「それでは、皆さん。わたくしは少しお嬢様をお体のお手当てをしなければなりませんので、少しの間お暇させて頂きます」
「あたちも付いていきますの」
「うん! パーティの準備しとくから、すぐに戻ってきてね! ね? シリウス」
「え? 本当にするのかい? ‥‥はぁ、仕方ない。ボクがいないと、こんなの直せないからね」
* * *
グレイアは皆と別れを告げた後、グレイアはロリエルと共にわたしの部屋に入った。そして、わたしを部屋の中心にあるベッドの上に座らせると、わたしの髪が崩れない程度に優しく頭を撫でながら自身もまたベッドの上に座った。
「お嬢様」
グレイアがそう呼んでくれるが、わたしは感情がこんがらがってしまい、正常な返事ができない。
そんな中、グレイアは終始落ち着きながらわたしに優しく語り掛け続けた。
「お嬢様がこうやって泣かれてしまった時、わたくしはいつも、どうにかしてお嬢様を泣き止ませようとしたものです。ですが、ある日、ふと気付いたのです。”あの日”から、お嬢様がピタリとその感情を閉ざしてしまい、泣くことすら無くなってしまった。であれば、今お嬢様が泣いているということは、それだけお嬢様は良い方向に向かって行っているのだと‥‥‥こんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、わたくしは、お嬢様が泣いてくれて嬉しく思っております」
わたしはその言葉を理解はできていなかった。
「涙は、決して悲しいものではございません。誰しも、泣くことが出来なければ、息苦しいものです。お嬢様は感情豊かなお方。いつだって、それのせいで悩むことがあるかもしれませんが、その時は、泣いてもよいのです。雨が降った後、虹がかかるように‥‥泣いた後でも、精一杯の笑顔が見られればわたくしは満足でございます」
そう言うと、グレイアは手をわたしの目先に差し出した。その手の上には小さな氷の結晶がゆらゆらと揺れており、辺りの光を微かに反射しながら輝いていた。
グレイアはその氷の結晶を空中に飛ばすと、パチンッと指を鳴らす。そして、氷の結晶は枝分かれするように多くの結晶となり、まるで部屋の中に雪が降ったかのように、舞っていた。
「綺麗‥‥‥」
わたしは泣くことも忘れ、その美しい光景に見惚れていた。どんな宝石よりも美しい。何より、わたしを笑顔にする為というグレイアの心がその光景を更に美しく見せていた。きっと、これを美しいと感じれるのはわたしだけなのだと、勘違いしてしまう程に。
グレイアはすっかり泣き止んだわたしを見ると、安心して微笑んだ。そして、ロリエルの方に目線を移す。その時のグレイアの表情は、どこか悲しそうで、雪が溶けた時のような哀愁を感じた。
「‥‥では、ロリエル様。そろそろ、話の方を‥‥‥」
「うん、分かったですの」
話‥‥? 二人が何を言っているのかが分からない。しかし、気になることが一つ、グレイアに関して、そしてグレイア本人に聞きたいことがあった。それは、彼女が天使であり、それを隠していたということ。
「グレイアちゃん、分かってるですのね。グレイアちゃんは今回、ミリちゃんを護り切れなかった。その上、天使であることもバレてしまった」
「はい、承知しております‥‥ロリエル様」
ま、待った。話が見えてこない。ロリエルは何を言おうとしているんだ?
ロリエルの表情が少し堅苦しい。まるで、約束を破ったことに罰を与えるかのように。
「実は、ミリちゃん‥‥」
「いえ、構いません。ロリエル様、わたくしの口からお嬢様にお伝えします」
「‥‥分かったですの」
グレイアは何か改まった様子でわたしを再び見ると、その重い口を開き始めた。
「わたくしが天使であることは、お嬢様も既に気付かれていると思います」
「そ、そう‥‥だけど、だからって何もない‥‥でしょ? グレイア‥‥‥」
「実は、わたくしはロリエル様に依頼されて、お嬢様を監視する役目を担っておりました」
‥‥は?
「監視すると言っても、それは保護を目的としたものでございます。お嬢様がこの世に生を受けてから、ロリエル様はお嬢様の中にある、その”魔王”の魔力に勘づいておりました。魔力啓示の儀の前であろうと、お嬢様が持っている魔力は到底無視できないものだったのです。だからこそ、ロリエル様はわたくしを派遣し、お嬢様の側に居させることでその魔力がどのように影響するのかを監視していたのです」
「そして、気付いたんですの。ミリちゃんは、とっても良い子だって」
「はい。ですので、当初のわたくしのお嬢様を監視するという命令は、お嬢様を保護するというものに変わりました。お嬢様を”魔王”の魔力から護り、そして天界に危害を加えないものであると証明する為に」
天界‥‥そういえば、一つ不審点があった。ロリエルはわたしが魔王の魔力を持っているということを知っている。それなら、熾天使という天界の最高権力者である以上、他の熾天使にもそのことを共有しているのでは、と。
そんなことは考えればすぐに分かったことだった。しかし、これまでわたしが魔王の魔力を持っているという理由で天使から何かされたことはなく、そもそもそんなことを考える必要すら無かったのだ。
「ロリエル‥‥まさか、言ってないのか? わたしの魔力のこと‥‥」
「もちろんですの~」
ロリエルは気の抜けた返事をした。そのことに呆気に取られたが、彼女が何者であるかを思い出す。彼女は熾天使、そう<無垢>の熾天使。誰よりも、純粋な存在。常に自分の心に従って生きている天使だ。
恐らく、彼女は天界に対して嘘をついているわけではない。ただ単純に、わたしが魔王の魔力を持っていることなど関係なく、わたしのことを友達だと思っているのだ。
「ロリエル‥‥天界に、わたしのこと、どう言ってるんだ?」
「‥‥? それはもちろん、”良い子”、ですの!」
‥‥つまりは、こういうことだった。嘘はついていない。そして、恐らく他の熾天使もロリエルが嘘を付いているとは思わないからこそ、それを信じて疑わない。今思うと、ロリエルがランタノイド家に加護を与えている天使であったことが、何よりの幸運だったのか‥‥‥
「じゃあ、もう問題はないんだな。はぁ‥‥何か心配させるように言い方をしているから、てっきりグレイアが居なくなるのかと思った」
「お嬢様‥‥‥」
グレイアが気まずそうにわたしを見ている。
「ミリちゃん。あたちも心が痛いけど、元々あたちがグレイアちゃんにお願いしたことは、ミリちゃんの護衛‥‥そして、前提として、天使であることがバレないことですの。だって、天界がコソコソと何かしてるって、思われちゃったら‥‥‥」
「‥‥ま、待て。だ、だから‥‥そ、それで」
「お嬢様。わたくしは、天界に戻らなければなりません」
グレイアからその言葉が放たれた時、体全身の汗が引いたような感覚がした。
「い、いやだ! せっかく全部片付いたのに‥‥今更‥‥‥」
グレイアの服を強く握り、どうにかして離さないようにした。そんなわたしをグレイアは何もせず、ただ無理やり引き出したような笑顔で見つめる。しかし、その顔には苦しさが隠れていることがすぐに分かってしまった。
「グレイアちゃん」
「はい‥‥何でしょうか。ロリエル様」
「今からあたちがグレイアちゃんにお仕置きをします」
「‥‥はい」
ロリエルは少し間を空けた後、まるで神託を下すかのようにおおらかに手を広げながら、口を開いた。
「グレイアちゃんはこれから、天使ではなくなります!!」
「‥‥え?」
「グレイアちゃんの天使としての力を封印しちゃいます。もちろん、天界の魔法も、その純白の翼も、使えなくなっちゃいます! だから‥‥天界に戻ってきたら、あたちがもう一回グレイアちゃんを天使にしちゃいます」
「ロリエル様‥‥ですが」
「と、とにかく、戻ってきちゃダメですの!」
ロリエルはそう言って、考えを一切変えようとはしなかった。
ロリエルの分かりやすい態度を見れば、ロリエルが何を考えているのかが手に取るように分かる。
グレイアが天使でなくなれば、そもそも天界が人間界に何か探りを入れようとしていた事実も無くなる。きっと、<無垢>の天使であるロリエルにとって嘘をつくということは難しく、わざわざこんな遠回しな方法でしかロリエルは考えを伝えられなかったのだろう。
他の貴族たちには既にグレイアが天使であることはバレているが、そんな些細なことはどうだっていい。きっと、どうにかなる。何せ、わたしの家はランタノイド公爵家だ。他のやつらなんて、どうだってできるのだ。
「よし、これで話は終わりですの! さぁ、パーティ!!! で、すのーーー!!!!」
ロリエルはそう言い、真っ先にパーティ会場に戻ろうとしたが、あることを思い出したのか、申し訳なさそうにこちらを振り向いた。
「そういえばあたち、この後は悪い侯爵ちゃんを捕まえないといけないんでしたの‥‥‥」
「‥‥あ、あぁ、そうか。そういえばそうなのか。まぁ、それほど時間が掛からないなら、多分まだパーティやってると思う」
「分かりましたの! 速攻でお片付けして、ミリちゃんパーティに戻ってきますの!!!」
そう言って、ロリエルは走り去る子どものように部屋を飛び出て行った。
相変わらず元気だ。しかし、そのお片付けという言い方。ディアベルの件があるせいで、少し悪い意味に聞こえてしまう‥‥‥
少し心も落ち着いた。そろそろわたしたちも戻った方が良いだろう。リーベルのことだ、わたしが帰って来るまでわざわざ待っている可能性もあるし、シリウスのことだからその可能性を潰している可能性もある。
とにかく、わたしは部屋から出ようとする。しかし、グレイアはわたしのベッドの上に座ったままどこか上の空のようだった。
「レイねぇ‥‥?」
わたしは咄嗟にそう呼んでしまった。しかし、グレイアが何か反応することはなく、ハッと意識を取り戻したかのようにするだけだった。
「お嬢様‥‥‥」
グレイアが泣いていた。珍しいことだった。しかし、驚きよりも穏やかな感情が上回った。何故なら、それが悲しみによるものではないと、気付けたからだ。
「これほどにまで、幸せなことがあっていいのでしょうか‥‥まだ、わたくしは、お嬢様の傍にお仕えしてもよろしいのでしょうか‥‥?」
震える声でそう言うグレイアの元に近寄り、袖で涙を拭った。
「当たり前でしょ。あなたは、わたしの家族なんだから」




