13話:愛しの‥‥‥
シリウスは転移魔法で指輪を自分の元に転移させると、指輪の改造に取り掛かる。そうして、ミリアたちは着々と後処理を終わらせていった。
これで大方は終わった。残るは指輪の改造を待つのみ。しかし、まだ一つだけ残っていることがある。
それは‥‥罪人との面会だ。
「では、地下牢に向かいましょうか」
ミリアとリーベルはイシュタルテの持つ松明の光だけを頼りに、暗い長老の家の地下を進んでいく。
ミリアは、ふと隣で自分と歩幅を合わせて歩いているリーベルを見た。リーベルの瞳が松明の光に照らされ、暗闇で分からなかったリーベルの不安を感じ取れる。
「リーベル、大丈夫か? もし嫌なら、わたしたちだけで行くが‥‥‥」
「ううん、大丈夫。私も‥‥パパと話がしたいから‥‥‥」
大丈夫? に対して大丈夫。そう答える時は大抵大丈夫じゃない。それでも大丈夫と言うのはミリアに不安を感じさせない為で、それがミリアにとっては気掛かりでしかなかった。
”パパ”、それが意味するのは、リーベルが依然として王を父親だと思っているということだ。その上で父親である王が彼女を利用していただけだと知った時、彼女は何を思うのだろうか。ミリアはそんなことを考えては、彼女の少し下がっている瞳から答えを見つけ出そうとする。
無理だ。不可能だった。
リーベルは不安を抱えながら、隣にいるミリアの足音に安心しながら下っていく。
そうして、地下牢に着いた。
王は牢獄の隅に座ったまま、ただ地面を見つめながら「しくじった、しくじった、しくじった」と何度も繰り返していた。
王はミリアたちの足音に怯え、頭を抱えて地面だけを見ることで、現実から目を背ける。足音が消えた後、ゆっくりと顔を上げる。そこにリーベルがいると分かった瞬間、地下牢全体に鉄の鈍い音を響かせる勢いで鉄格子を掴み、汗ばんだ顔でリーベルを見つめた。
「リーベル!! あぁ、我が愛しの娘よ。こ、これは何かの間違いなんだ」
「パパ‥‥‥」
「そ、そうだ愛しの娘よ。母さんの、アイベルの話が聞きたいだろう? キミはいつもあいつにべったりだったからなぁ‥‥あぁ、今でも思い出す‥‥キミとアイベルとの幸せな日々が‥‥‥」
「でも、それを壊したのは‥‥パパだよ」
「‥‥!! 違う!!! あの‥‥そう、あの長老が悪いんだ。キミを利用しようとしていた。それに、あの天使もだ。天使は良い奴しかいないと思っていたのだが‥‥あの天使は、失敗だった。あぁ、そうだ。私は悪くない‥‥愛しの娘なら、分かってくれるだろう?」
リーベルが返事をすることは無かった。
リーベルがその無責任な父親に何か言おうとした瞬間、隣でその様子を見ていたミリアが二人の間を切り裂くように割り込んで、言葉をつきつける。
「その‥‥”愛しの”娘というのをやめろ」
”愛しの”、この一点を強調しながら、ミリアは声を必死に抑えながらも零れだすように王に言い放った。
「き、貴様に何が分かると言うんだ。これは、私と”愛しの”娘の間の話だ。部外者が‥‥‥」
再び、王の口からその言葉が放たれる。
それを聞いた瞬間、ミリアの中にある何かが切れたように感情が溢れ出した。
「その、”愛しの”娘とかいうのをやめろって言ってるんだ!! このクソやろう!!!」
落ち着きを忘れ、部外者であるはずのミリアの怒りにその場の誰もが驚いた。
「何が愛しの娘だ! リーベルのことなんか愛してないくせに。自分の為に利用してただけのくせに。分からないのか? お前がリーベルのことをまだ愛してるなんて言ったら、リーベルはそれを信じるしかないんだぞ?」
ミリアは王のありもしない心に訴えかけるように感情に任せて言う。
その感情が王の心に届くよりも前に、ミリアの感情は更にヒートアップしていく。
顔が熱くなっても、そんなこと気にする余裕すら無い程、今のミリアは感情に支配されていた。
「お前に分かるのか? ずーっと自分のことを愛してると言ってくれていた大好きな母親が、ただの偽りだったと分かった時の娘の気持ちが。お前に分かるのか? 大好きだった母親に”ケガレ”と呼ばれた時の娘の気持ちが‥‥‥」
リーベルの父親である王に怒っているはずなのに、ミリアの目にはそこにいる王が自分の母親と重なってしまっていた。
怒りと悲しみが混じって、視界がぼやける。そのせいで視覚が上手く機能しなくなり、目の前の情報に過去が介入してくる。頭では理解していても、感情が理解しようとしない。
無関係である王にこんなことを言ったところで何も意味が無いと分かった上で、感情に支配されてしまったミリアは依然として話を続ける。
「愛してないなら‥‥愛してないって言ってよ。嫌いなら‥‥初めから嫌いと言ってよ。わたしには分からないのよ‥‥親の考えてることなんて。わたしには、親の行動とか‥‥発言とか‥‥見聞きできるものしか、分からないわよ‥‥だから、お願いよ。リーベルのことを愛してないなら、愛してないとハッキリ言ってよ‥‥‥」
零れる息と共に吐かれたその言葉は、ミリアの本心だった。
顔が熱くなり、感情が分からなくなる。
既にそれが誰に対して放たれた言葉なのかは、その場の誰も、ミリア本人までもが分からなくなっていた。
「ミリア‥‥どうして泣いてるの?」
リーベルの声がミリアに届く。
その時、ミリアは初めて自分が感情に支配されていたことに気付いた。
ふと、ミリアは冷たい地面に落ちる水滴を目にする。
それが涙だと気付くのに、それ程時間はいらなかった。
それと同時に、自分がこの無責任な王と大好きだった母親を重ねていることに気付く。
何故こんなことを言ってしまったのかも分からぬまま、ミリアの背中にリーベルが突然触れた。
「ミリア、どうして私の為に泣いてくれるの?」
リーベルは汗で少し濡れているミリアの背中に優しく触れながら、そう言った。
「え‥‥ちがう。わたしはあなたの為じゃ‥‥‥」
「でも、私にはそう見えるよ」
ミリアはただ感情に支配されただけだった。
別にリーベルの為に王を叱ったわけでも無かった。
だが、その姿はまるで自分の為に怒ってくれたのだと、事実とは関係なくリーベルは思った。
リーベルは決意を固めて、見知らぬ少女に叱られて茫然とした様子の王を見た。
「パパ、お願い。本当のことを話して」
「私は! ‥‥私は、違う」
「いいから‥‥話して」
リーベルはこれまで一度も父親に向けることの無かった、怒りをぶつけた。
予想だにしていなかったリーベルの態度に王は驚き、暫く沈黙を続ける。
「話して。早く」
淡々の話すリーベルに、王は重い口を開いた。
「‥‥分かった。話す」
王は話した。
ある日、里近くの森で魔王の残滓を見つけたことを。その時に天使が現れて、魔王の残滓を渡す代わりに光属性の魔力を与えると提案されたことを。
その時、リーベルの母親、女王アイベルがその計画を知って邪魔をした。指輪を作って、リーベル自身の意思で魔王の残滓という強力な力を使えるようにしてしまったのだ。だが、そのせいでリーベルが指輪をはめなければ天使に魔王の残滓を渡すことができなくなってしまった。
それならばと、指輪をはめさせる為に利害が一致していた長老を計画に引き入れてリーベルとイシュタルテの結婚を企んだ。
だが、それを阻止するようにアイベルはまた計画を邪魔しようとしてくる。
そんなイタチごっこが続く中、ついに終わりを迎えた。
「キミが拉致された。それもこれもキミが外に出掛けることを許していたあいつのせいだ。だからその責任を追及して、地下牢に閉じ込めた。そしたら、あいつはキミが拉致されたのは自分のせいだと、勝手に鬱になって自分の手で死んだ。別に、私は殺してない」
依然として罪から逃れようする王にリーベルは軽蔑した目を向ける。
「そう‥‥最低」
普段の元気な声とは正反対の冷たい声で放たれた言葉。
それは、リーベルがこの父親を突き放す心の表れだった。
「だ、だが! キミを失うわけにはいかないし、連れ戻す為に大金をはたいたんだ。天使にも何度も頭を下げた。そ、そう‥‥私はキミのことを愛していた‥‥だから‥‥」
王は気付いた。その時、実の娘であるリーベルが、父親である自分に対してまるで救いようのないクズを見るような目を向けていることに。その目は王に自身の愚かさを気付かせ、これ以上の言葉の意味を失わせた。
”キミを愛していた”
そんな言葉は、もう既に信用するには値しないものになっていた。
リーベルが既にそれを父親だと微塵も思っていなかったことが証明していた。
「王様。いえ、もう”元”ではありますが。あなたはこれからの一生をここで暮らすことになります。王族を陥れようとした罪の重さはあなたが一番知っているでしょう。それに、あなたの罪はそれだけではありません。エルフの一生は長い。あなたにはそれを考えるだけの時間があります」
その様子を見ていたイシュタルテは、王に罪を意識させるように言い放った。
そこでようやく自分の罪に気付いた王は、俯きながらリーベルに話し掛ける。
「私は‥‥もう、戻れないのだろうか。なぁ、我が愛しの‥‥‥」
「やめて。もう私の目の前に現れないで」
「‥‥‥‥」
リーベルはその他人の顔を見ることなく、その場を立ち去って行った。
* * *
「はぁ、重苦しい空気だった」
外に出て新鮮な空気を大きく吸った。その後、わたしはこのおかしな感情をと共に肺に溜まった空気を吐き出す。
すると、すっかり感情も収まる。それと同時に一気に疲れが降りかかって来た。
「大丈夫? ミリア‥‥その、何かとても悲しそうだったけど‥‥ミリアのママと何かあったの?」
「はぁ‥‥今はわたしの心配じゃなくて、自分の心配をしろ」
「うん、ありがと」
リーベルはまたわたしに笑顔を向けた。
リーベルの笑顔を見ると、どこか悲しくなると同時に顔を背けてしまう。
彼女の底知れない元気が、わたしにとって救いになると同時に無理をしていないのかと心配してしまうのだ。
その時、重い空気を察したのか、イシュタルテが話題を変えた。
「あはは、そうだ。ミリア様。その‥‥少し、お願いしたいことがあるのですか‥‥‥」
「ん? 何かあったか‥‥‥」
「その‥‥天使のことで」
「あぁ‥‥‥」
天使‥‥あいつか。はぁ、頭が痛くなる。帰ったらシリウスに頭痛薬を貰おう。
イシュタルテはわたしたちエルフの王族が代々住まう邸宅に案内する。
イシュタルテが扉を開いて、わたしたちは中に入る。
相変わらずエルフの装飾は人間のそれとは少し違っていて、珍しいと綺麗が混ざり合ったような印象だ。
その時、邸宅を掃除していた一人の執事がハイライトされたのかと思うほど、視界に入り込んでくる。
「お、お前‥‥ここで何してるんだ?」
その執事を見た瞬間、疲れが吹き飛ぶ程の衝撃がわたしを襲った。
「おや、おやおや? こ、こここれは我が尊き主様ではありませんか!」
そこには、何故かあの傲慢天使がいた。
箒を手に持ちながら、わたしに気付くと早歩きで近づいてくる。
というより‥‥主様?
「何してるんだお前」
「実はここで執事として働くことになりまして。ワタシは、主様のあの言葉‥‥‥」
『もう一度、下級天使からやり直したらどうだ?』
「そう、あの言葉を真摯に受け止め、心を入れ替えたのです。これからは、ワタシ自身の為ではなく、誰かの為、そして主様の為に働くことを熾天使様に誓うと! そう、決めたのです」
拳を握って掲げながら、その強い意思を示す傲慢天使に、呆れることしかできなかった。
「い、いや‥‥お前、わたしがお前を許すと‥‥いや、もういい。イシュタルテ、これはどういう‥‥‥」
「その、実はエルフの里には天使を裁く法はなく‥‥なので、こちらの天使を裁くこともできず、仮に地下牢に捉えでもして、天界の怒り買ってしまっては元も子もないので、ここでとりあえずは働いてもらうことにしたんです。どうやら、ミリア様のことを主様と慕っているようですし」
「あ‥‥あぁ、どうしてこうなるのよ」
イシュタルテの言うことは正しい。はっきり言って、今回は本当に運が良かった。天使を、それも天使全体でみても三割程度しかいない上級天使を裁こうものなら、それこそ天界の怒りを買う可能性がある。それで熾天使に目を着けられようものなら、もう終わりだ。
‥‥ん? おかしい。
なるほど、確かに不平等だ。シリウスの言う通り、天使が上級種族なんて考えがあるから、わたしは今この天使が普通に許されようとしていることに気付かなかった。それどころか、仕方ない、とすら思った。
それはわたしの思想の中にこびりついた常識という名の不平等だ。法律が無いから裁けない。だからといって罪が無いわけじゃない。だが、事実わたしたちはこいつを裁けない。
どうしたものか‥‥‥
「主様、このワタシ、エスタルをどうかよろしくお願いします」




