第1章「緑色の微睡」
神国とはこの物語の舞台となる世界の名称である。
天には一つの太陽と三つの月が巡り、海には六つの大陸が浮かぶ地上世界を中心に、宇宙や異次元世界「虚空」、死者の世界「冥界」等から物語世界は成り立っている。
天と地と海とのあらゆるものに神々が宿り、世界の全ての場所に神々が存在している。
神国とは、神々と、他の多くの生き物達とが共に日々を営む世界である。
昼下がりの幾分きつい陽射しが、白いレースのカーテ
ンから漏れ、ラノの貌を撫でていた。
時折吹くラシル湖からの微風が、開け放たれた大きな
窓から流れ込み、ベッドに横たわるラノの柔らかな肢体
の上を軽やかに駆け抜けて行った。
「ん……。」
閉じられた瞼の内で揺れ動く光にラノは眉をしかめ、
眠りの中から微睡へ、微睡から現実へと引き戻されてい
った。
微睡の中で、ラノの見る夢は何処までも深い緑色に染
まっていた。
夢の中で、人の拳程もある蕾は固く閉ざされ、その先
端だけが薄い紅の色を含み、細い剣を思わせる葉はさわ
さわと音を立てて風にそよいでいた。
何と言う名前の花を、彼女は左肩に抱いていたのだろ
うか。
数日前迄は確かに自分の傍らに居た緑の幻神・・かけ
がえの無い友の面影が、ラノの夢の中で揺らめいた。
「――………。」
一瞬、ゼームの姿が弾け、瞼を上げたラノの水色の目
に映ったのは、見慣れた自分の部屋の白い天井だった。
まだ半ばは眠りの中にある頭で、抜け切らない気だる
さを感じながら、ラノはゆっくりと身を起こした。
寝乱れた白いシーツの上を、豊かな髪が流れた。
目覚めたばかりで喉の渇きをいくらか覚えつつ、ラノ
はベッドから立ち上がると、カーテンを静かに開けた。
まばゆい昼下がりの陽光が、一度にラノの部屋の中へ
と流れ込んで来た。
窓の向こうには、日の光を受けて鏡の様に輝くラシル
湖と、それを取り巻く深緑の森の姿があった。
いつも見慣れた――何も変わりの無い景色。
何も変わらない――ラノは、開いた窓に薄く映る自ら
の顔と外の風景を見比べながら呟いた。
幻神リウ・ファイオによって数日前、ラノは心の「深
い闇」と言う負の精神エネルギーを奪い取られたのだっ
た。
だが、「深い闇」を奪い去ったところでその持ち主に
は何の影響も無いと言うレウ・ファーの言葉通り、その
後ラノの体や心には何の変調も見られなかった。
むしろ、ラノは自らの心の暗部を目の当たりにした衝
撃で伏せっているのだった。
「何も変わらない、わね……。」
微風に微かに揺れる窓へと手を掛け、ラノはもう一度
力無く呟いた。
彼女の友――ゼームと共に育んだラシル湖の森も、ま
た彼女自身も、変わっているものは何も無かった。
ティラルも、ゼームも――それぞれに自分のものとし
て独占し続けたいというラノの昏い思いもまた。
自らの昏い心への嫌悪感に涙を浮かべ、ラノは知らず
窓辺に頭を垂れていた。
波打つ豊かな髪の幾束かがうっすらと赤味のさす頬へ
と被さった。
「――どうせ奪っていくのなら、この暗い心そのものを
持って行ってくれれば良かったのに……。」
ラノの震える声と共に漏らされた呟きも、ラシル湖の
返す白銀と紺碧の光の波の中に溶けていった。
◆
神国――神州大陸の北方には、「神々の森」と呼ばれ
る巨大な森林地帯が広がっていた。ここには様々な動植
物以外にも多くの精霊や神々が棲まい、平野部や町に住
む神々や人間達とは一線を画した世界を形作っていた。
「神々の森」は、周辺部に幾つかの小さな町や村を擁
し、それらの境界には材木や山菜栽培等の為に人間達の
手の入った森が「神々の森」を守る帯の様に広がってい
た。
ロウ・ゼームが誕生した森もまた、こうした人間達の
村落と「神々の森」の間に存在する境界部の森だった。
それは、二百年以上も前の事――。
「神々の森」の北西はシエゾ地方と呼ばれ、そこには
海岸と森林とに挟まれたシーボームと言う小さな村があ
るだけだった。
村から数キロ離れただけで、人の手が入っているのが
信じ難い程、小さな山道は巨木の茂みの中に沈んでいっ
た。そんな細々と続く山道から枝分かれした先に、小さ
な広場の様な場所があった。
ちらほらと、針葉樹が混じって繁る広葉樹の森の木々
は、その場所の近くでは猛々しくうねる大蛇の様な威容
をもって聳え立っていた。
樹齢十数年の若木迄もが、この場所の近くでは生命力
に溢れた巨樹の姿を訪れた者達に示していた。
広場の中央には、両脇に小さな二本の円柱を立てた祠
の様なものがあった。
元は白く磨き上げられていた石の柱も長い年月の内に
ひび割れ、所々に厚い苔の衣を纏っていた。
この祠は、シーボームの土地神や人間達が立てた標識
の様なものだった。
彼等はこの場所から、森の動植物を活性化させるエネ
ルギーが溢れている事を直感と経験から察知していたの
だった。
実際にはこの場所は、星の生命力を形成する根源的な
エネルギーの流れ――レイラインの小規模な集束点の一
つだった。
神国ではその知識は秘密とされていたが、土地神と村
人の素朴な直感は、図らずも集束点の場所を指し示して
いたのだった。
ある日の夜明けに、その祠の場所を流れる大きな何か
が音を立ててうねった。
静寂と沈黙に支配された森の中に、不可思議なざわめ
きが湧き起こり始めた。そのざわめきは大地から、森の
木々そのものから生じている様だった。
暁の柔らかな日の光が森の奥に差し込むにつれて、草
木はまるで眠りから覚めつつあるかの様にその身を揺ら
し始めた。
不思議なざわめきは木立を揺さぶり、鳴り止まぬ喧騒
と化して森の中を満たしていくのだった。
やがて、一つの小さな緑色の雫が祠の中から浮かび上
がってきた。
木々の重なりの向こうからささやかに差し込む明けの
陽光を受け、その雫は珠の様に輝いていた。
雫の周囲で、次第にその不思議なざわめきは高まって
いき、密度を持った濃い陽炎と化して揺らめいた。
紺碧の天を覆い隠すばかりに生い茂った太古の森林。
濃い霧の中で永い年月を瞑目し続ける針葉樹の連なり。
白亜の光に満ちた南国の砂浜で潮風に揺れる、肉厚の灌
木に咲き誇る鮮明な色彩の花々。
陽炎が幾度かきらめきを放つ度に、夢とも幻ともつか
ない不可思議な映像が祠の周囲に展開した。
――それは正に、森の木々の見る夢と幻に他ならなか
った。
彼等――森の木々の見る夢と幻は次第にまとまりを持
ち、一つの形を持って祠に浮かぶ雫の中へと凝集してい
った。
千年、万年の木々の瞑想の中から生まれた、泡沫の様
な夢と幻は、凝縮の果てに一柱の神の形を持って緑色の
雫の中から顕現したのだった。
木々の抱いた夢と幻は、もはやその神の微睡む意識に
浮かぶ夢となり、自我の発現する過程の内に溶け合って
いった。
――……たい。……生きたい……。
緑色の雫は、既に一つの命を持つ者として、森の中に
存在していた。
――……生きたい。……生まれたい!
神としての命を持つに至った、その生命の卵とでも呼
ぶべきものは、こうして森の中に新たな神を産み落とし
たのだった。
――「我」……「我」は、ロウ・ゼーム。
植物の夢から生まれたとは言え、その姿は頭と四肢を
持つヒトの形をしていた。
右だけが長い黒髪・・短く揃えられた前髪の下には、
第三の瞳が輝いていた。
――「我」……「我」は、ロウ・ゼーム。
千年の瞑想に耽る樹々より生ぜし夢と幻の中から生ま
れ出た神。
大地に座す深き緑の懐より生まれ出た神。
◆
風にそよぐ草の群。陽光に柔らかな緑の光を返す木々
の葉――眠りから目覚めつつあるゼームの脳裏を、無数
の様々な色合いの緑の光の粒が乱舞していた。
それらは、ゼームが自らを自らと認識し、初めて目を
開いた時に見たものだった。
ゼームの網膜を満たす光の乱舞は一度その形を失い、
目を開いたゼームの脳裏に認識されたものは、くすんだ
色の石造りの天井にはびこる濃緑のつたの姿だった。
「――夢か。」
ゼームは吐息と共に呟きを漏らし、ベッドから起き上
がった。
とうの昔にガラスも破れて失われた枠だけの窓から差
し込む日の光の様子よりも、部屋の片隅に放り出されて
いた小さな時計が昼を過ぎた事を正確に告げていた。
雲の上を渡るラデュレーの中では、窓の外の明暗は昼
夜の区別位にしか役に立たなかった。
次第にはっきりとしてくる頭を上げ、ゼームはベッド
の近くの壁に迄迫るつたの葉を一枚、何気無くちぎり取
った。
古びて所々亀裂の走る石の壁に根を食い込ませ、つた
や幾つかの種類の灌木がゼームの部屋で思い思いに枝葉
を広げていた。
いつの間にかゼームの服に付着していた種が、部屋に
零れ落ちて発芽したのだろう。ゼームが空中城塞都市ラ
デュレーにやって来てすぐ翌日には、この部屋は森へと
変貌した。
無意識の内にゼームから放出される神霊力の影響を、
植物が受けたのだろう――と、レウ・ファーは分析して
いた。
「あれは――「神々の森」よりも北の方……シエゾ地方
だったか。」
今しがたの夢に見た、自分の誕生した場所の事を思い
起こし、ゼームは神州大陸の地図を頭の中に思い浮かべ
た。
ゼームはラデュレーへと招かれて以来、自分の生まれ
た土地や、誕生した時の様子を思い出す事が多くなって
いた。
一体どういう心理によるものか。
昔を懐かしみ、自分の生まれた土地への愛着を感じて
いるのか――と、ゼームは自分の胸の中に甘い感慨が生
じている事に気付いた。
ベッドに腰を掛けたまま、ゼームはそのまま物思いに
耽ろうとしたが、部屋の扉を叩く音に俄に現実へと引き
戻されたのだった。
「――ロウ・ゼーム、居るかね?」
重々しい音を立てて扉が開かれ、その向こうから白い
仮面の顔が覗いた。
レウ・ファーの分身レウ・デアは、黒いマントの隙間
から、うねる触手を覗かせて部屋の中へとやって来た。
「何の用だ?」
レウ・デアの動きにも全く関心を示さず、ゼームは顔
を向けることすらしなかった。
「お前達に見せるものがある。広間に来い。他の者達も
呼んである。」
それだけを抑揚の無い電子音混じりの声で告げると、
レウ・デアはゼームに背を向けて、すぐに部屋を後にし
た。
扉が閉められた後も、ゼームは首を動かしもしなかっ
た。
今更何を見せると言うのか――。独り成りの国も、邪
神の事も、レウ・ファーや他の幻神達が何をしようとも
ゼームにとってはどうでもいい事だった。
「……。」
暫くの間、ゼームはちぎったつたの葉を指に挟んでく
るくると回していたが、俄に顔を上げるとベッドから立
ち上がり、広間へと向かって歩き始めた。
◆
中庭に面した回廊をゼームが広間に向かって歩いてい
ると、途中、ゼズ達の話し声が耳に入って来た。
「――君達は本気でレウ・ファーの侵略に手を貸すつも
りなのか?」
ゼームが歩き続けていると、廊下の真ん中を陣取って
いるゼズ、パラ、ファイオ、ザードの姿があった。
どうやら、ゼズが一方的に他の者達に何事かを話して
いる様だった。
「たった一神の機械神と、五神の幻神で神国に対して一
体何が出来るというんだ?」
ゼズの話を、どの幻神も疎ましそうに聞いていた。
ザードは彼等の中で一番最初に、侮蔑と嘲笑さえ発し
てゼズに食ってかかった。
「下らない話はもう終わりかい?――ふん!ここから逃
げ出したかったら、さっさと逃げればいいんだよ!君の
つまらない話に付き合う程ボクは暇じゃないんだ!」
ザードの侮りの視線は目の前の幻神全員に向けて注が
れていた。
「弱い君達と違って、ボクなら自分だけで神国を滅ぼす
自信もあるからね。――ボクは、何よりもまず、あいつ
を――バギルを殺してやるんだ。」
恐ろしい言葉を事も無げに紡ぎ、ザードは細い目を一
層、楽しげな表情を浮かべて細めた。
それからすぐに、これ以上付き合うつもりも無いと、
ザードは先に広間へと立ち去ってしまった。
「レウ・ファーは、独り成りの国を作ると言ったわ。そ
れに――地上の連中に復讐させてくれるとも。」
あどけない少女を思わせるパラの顔は、それに似つか
わしくない憎悪に翳っていた。
「アタシだって同じよン。おバカな神国の連中に痛い目
を合わせる為に、レウ・ファーの誘いに乗ったんだから
ン!」
ファイオの野太い声には、尚も説得を続けようとする
ゼズへの拒絶の響きがあった。
復讐や憎悪に目を曇らされているザード達の様子に、
ゼズはうなだれた。これ以上の説得を諦め、ゼズは広間
へと去りゆくファイオとパラの背を見送った。
暫し立ち止まって様子を見ていたゼームもまた、悄然
と歩き始めたゼズの後に続いた。
◆
ゼズに続いてゼームが広間に足を踏み入れた時には、
既にザード達は中で待っていた。
説得の失敗に落ち込み、またレウ・ファーの誘いに躍
らされている者達への苛立ちに、ゼズは眉をしかめて腕
組みをすると、広間の壁にもたれ掛かった。
ゼズのそんな姿を見ながらも、特に声を掛けるという
事も無く、ゼームは適当な崩れかけた石段の上に腰を下
ろした。
幻神達が揃うと、それまで空ろに正面に向けられてい
た白磁の仮面の瞳に光が灯り、広間に集まった幻神達を
睥睨した。
「お前達の協力で、当面必要な数の邪神を確保する事が
出来た!」
レウ・ファーの言葉にパラとファイオは得意気に顔を
上げた。彼女等が邪神の素材となる「深い闇」を集め、
殆どの幻獣を作り出していたのだった。
「そこで、我々は次の活動に移る事にする。」
レウ・ファーの言葉が終わると同時に、その背後の壁
を走る電子回路の筋の中を、虹色の光が走り抜けていっ
た。
僅かの後、幻神達の頭上に平面的に分割された世界各
地の地図が、立体映像として映し出された。
広間に聳え立つレウ・ファーの体の中から、赤黒い肉
の管が絡まり合って形成された太い腕が、地図へと向け
て突き出された。
「――一部の神々しか知らない事だが、この地上の世界
には、レイラインと呼ばれる、生命エネルギーの流れる
川の様な筋が存在している。」
レウ・ファーの支配下にあるコンピュータは、分析を
終えた神国からの秘密文書を、更に国語辞典と照らし合
わせて幻神達に分かり易い文章に組み立て直し、レウ・
ファーの言語中枢に送信した。
レウ・ファーの説明が始まると同時に、平面状の地図
はひとりでにたわみ、この地上世界を示す惑星の形に組
み立てられた。
星の表面には細い光の道筋が表示され、光の道が交差
し合う内の幾つかは、大きく点滅する光点で表された。
「レイラインが集中する場所は「集束点」と呼ばれ、そ
こからは桁外れのエネルギーを抽出する事が可能だ。」
ただれや火傷を連想する表皮に覆われたレウ・ファー
の手が、光点の幾つかを押す様な動きを見せた。
「我々の次の目的は、レイライン集束点を占拠する事だ
――――。」
莫大な量の生命エネルギーを一体どう扱うのか、何故
神々の間でレイラインの知識が秘密とされているのか。
そうした疑問に思いを馳せているのは、この場ではゼズ
だけの様だった。
やがて幻神達の頭上に浮かぶ映像は切り替わり、神州
大陸の地図が大写しにされた。
地図の上に神国神殿や各地の都市や村、「神々の森」
――と、地名が現れ、一つの赤い光点が「神々の森」の
上で点滅していた。
「――「神々の森」が、レイライン集束点なんだね。」
薄笑いを浮かべてザードが地図を見上げた。
「現在判明したのはこの場所だけだ。」
レウ・ファーは立体映像の中の点滅する光点を指差し
た。
レウ・ファーが神国から奪い取って来た秘密文書や資
料で、レイライン集束点に関する情報については厳重な
封印が施されていた。
長時間に渡る分析の結果、集束点の内の一つの、「神
々の森」と言う地名がやっと分かっただけに過ぎない。
「神々の森」の何処の場所にあるのかと言う事迄はまだ
分かってはおらず、現地に邪神を送り込んでこれから探
知するところだった。
「取り敢えずお前達の内の誰かに「神々の森」に向かっ
てもらう。」
レウ・ファーは巨大な手を振って、空中の地図を掻き
消した。
「じゃあ、アタシが行くわネ。」
肩迄流れる黒髪を掻き上げ、ファイオが流し目を送り
つつレウ・ファーの前に進み出た。
「いいえ!今度は私が行くわ!」
ファイオを押しのける様にしてパラがレウ・ファーに
訴えかけた。パラにとっては、「深い闇」の採取という
仕事も殆どファイオに取られ、今度こそは自分の手で何
か仕事を成し遂げたいという思いがあった。
「まッ!何ヨ!」
「――文句があるの?」
僅かの間、二神はお互いに睨み合った。
そんな彼らのやり取りをザードは面白そうに、しかし
侮蔑のこもった薄笑いを浮かべて眺めていた。
ゼズは、その間もずっと腕組みを崩さずにザード達の
様子を見つめていた。
復讐や憎悪に狂った彼らへの軽蔑か、彼等やレウ・フ
ァーと最後迄渡り合えない自分の弱さへの嫌悪感か、終
始ゼズは唇を噛み、硬い表情のままだった。
パラとファイオの睨み合いは、この場の誰もが意外に
思う声によって終わった。
「私が、今回は「神々の森」へ行こう。お前達に森を破
壊されてはかなわないからな。」
幾本もの細い剣の様に肩から伸びた濃緑の葉を揺らし
て、ゼームはレウ・ファーの下へとやって来た。
「まあッッ!何ヨ、何ヨォッ!!今回もこのアタシが行
くって……。」
「あなたがしゃしゃり出て……。」
意外なゼームの立候補に、ファイオとパラは驚き、文
句を並べ立てて騒ぎだしたが・・ゼームの容赦無い一睨
みですくみ上がってしまったのだった。
「ゼームが行くか。よかろう。――では早速邪神を用意
しよう。」
「要らぬ。」
レウ・ファーの言葉をゼームは冷たくはねつけた。
レウ・ファーの返事を待たず、ゼームは広間を出よう
と扉の方に足を向けた。その背に、何の感情もこもらな
い合成音が投げかけられた。
「しかし、集束点に邪神を最低一体据える必要がある。
――では、お前が集束点の場所を突き止めた後で邪神を
派遣する事にしよう。」
拒否も承諾も、どちらの返事を送る事も無く、ゼーム
はそのまま広間の扉をくぐって廊下に出た。
「レイライン集束点か。」
いつもの穏やかな調子で漏らされたゼームの言葉に、
微かに呆れた様な響きが含まれていた。
「神国の神々の禁忌に迄手を出すと言うのか――脳髄の
神よ……。」
ただ独り廊下を進むゼームの呟きを耳にする者は、誰
もいなかった。
そして、レイラインを地上の神々の禁忌と知りながら
も、変わらない静けさと穏やかさを湛える緑の幻神の心
の内を理解出来る者もまた、そこにはいなかったのだっ
た――。