1、突然の離縁、再出発
初めまして。なろうに初投稿です。
だいたい一話4000字くらいになっています。
「離縁届にサインを」
夫がいつもと同じ感情のない声と顔で、ジェイリーに紙を差し出してきた。
「え?」
執務室に急に呼び出されたジェイリーは淑女らしくなく思わず口を開けてしまった。
「急に何なのですか?冗談はよして下さ……」
言葉が終わらぬうちに、夫がジェイリーの頬を叩いた。
痛みよりも衝撃、叩かれたというショックがジェイリーの思考を鈍らせる。
夫曰く、「結婚して二年経っても子供ができないのはお前のせい」らしく、義母にも「家のことを何にもしない嫁」と罵られた。二人は激しい剣幕でジェイリーを責め立ててくる。
頭から血の気が失せているのに、心臓は嫌なほど早く打ち、有無を言わせぬまま、力ずくでサインを書かせられそうになった。
「ほら、書くんだ!」
夫がジェイリーの手にペンを握らせてきた。
「私はちゃんとお母様の言う通りに家政を取り仕切っていましたし、子供のことだって私だけの……」
反論するジェイリーに、夫も義母も聞きたくないとばかりに罵声を浴びせる。
「うるさい!いつもいつも小賢しく言い訳ばかり!そういう所が俺を萎えさせるんだ!」
「貴女は完璧なんて程遠い、そうやって口ばかり達者で嫌になるわ」
「さあ、早くサインをしろ!!さもなくば――」
また夫が手を振り上げる。
思わず身がすくむ。あまりの仕打ちに目に涙が溢れ、ジェイリーはブルブルと震えながら差し出された書面にサインした。
「お前が至らないから離縁なんだ。当面の金は渡すから、今すぐ出ていけ」
夫だった男は嫌な笑い方をしながら、使用人たちに目配せした。
ジェイリーは両腕を使用人に抱えられ、引きずられながら屋敷から出される。
「なっ、なにを!止めて!止めて頂戴!」
使用人たちは昨日までちゃんとジェイリーを次期女主人として、丁寧に扱ってくれていた。
名前も知っている従者の一人に目を向けると、彼は気まずげに目を逸らす。
必死でもがいても男の力は強く、ジェイリーの溢れた涙が両目からポロポロと落ちる。
すれ違う使用人は嘲笑している者もいれば、余所を向いて自分と無関係を決め込む者も見えた。
非情にも彼女を放り出して、屋敷の外にある鉄格子の門が閉まった。
鉄柵の外で必死になって今まで自分がやってきたことを訴えても、誰も出てこなかった。
二階から適当に纏められた衣服と手切れ金が入った鞄を投げつけられて、肩に当たったそれをジェイリーはのろのろと拾い上げた。
投げたのは夫なのか、使用人なのか……
何もできずに呆然と数時間立ち尽くした。いや、実際にはもっと短かったのかもしれない。今は時間の感覚が分からない。
昨日までいつもの日常を過ごしていた。
小うるさい姑と、自分に関心のない夫だったが、不自由もなく男爵夫人として家を切り盛りしていた。
けれど今朝、急に夫に呼び出され、子供がいない事による離縁を突き付けられた。
話し合いも、すり合わせも、相談も何もなく。
青天の霹靂だったため、ジェイリーは本当にどうしたら良いのか分からなかった。
今こんなことを気にしても仕方がないが、自分が頼んだ来月の姑の誕生日プレゼントのブローチはちゃんと店に支払いをしてくれるだろうか、なんてことが頭をよぎったりしていた。
『元』婚家となった屋敷の柵のすぐ側に立っていると、綺麗な馬車が走り込んできた。
中から従者が門を開き、恭しく迎え入れる。若い従者はジェイリーがまだいるのに気付くと、気まずい顔を隠すように、こちらを見ないようにして客人を迎え入れた。
馬車が入ると、すぐにまた鉄格子の門が閉められ、ジェイリーは見ているしかなかった。
客人は多くの荷物を従者に持たせ背筋を伸ばして屋敷へと歩いて行く。非常に美しい貴婦人だった。空色のレースをあしらった生成りのドレスを綺麗に着こなし、ジェイリーの存在になど気付かない。
玄関扉が開いて、チラリと見えた夫は、恋する顔で彼女を迎え入れていた。
残酷な現実を見せ、玄関扉はすぐに閉められた。
……私は追い出されたのだ。
ジェイリーは冷たい雨がポツリポツリと降りはじめても、何も考えられずに街を彷徨っていた。
去年作った落ち着いたデイドレスは、淡い色味の流行りには乗らず藍色のものだ。一年経ち、少し色あせたその藍色を雨がまばらに濃くしていく。
実家が没落したのは半年前。
ジェイリーの弟は病気になった父から男爵位を受け継ぎ、そして事業に失敗した。
完全に彼一人が悪いわけではない、不幸な事故が重なりタイミングが悪かったのだ。ジェイリーも夫に頼み込み、持参した宝石類を売り彼らを支援したが、焼け石に水だった。
今、弟は爵位を返上し、小さな領地を売り払って、妻子と田舎で細々と暮らしている。
父は病気の悪化で弟のいる田舎の治療院でお世話になっていて、母は他界している。他の親戚を頼ることが出来なくはないが、今はそんな勇気を出せない。
「私、今からどうすればいいのかしら」
ジェイリーはそんな独り言をこぼし、空を見上げた。
厚い雲はまるでジェイリーの心と同じ。空も泣いているのか、と思った。
実家の力もない、子供も出来ない、さっきの婦人のように美しくない女。夫はそう思い、私を捨てたのだ。
土砂降りの雨の中、ジェイリーは身体を動かすことが出来ず、路地に座りこんでいた。
目には光が無く、一つの鞄だけを抱えている。
濡れ鼠になるのさえ気にならないほど、ジェイリーは放心していた。
私は価値のない女。
涙が溢れ、降りしきる雨の中泣いた。
強制的に離婚されてから三カ月後――
ジェイリーは第二の都と呼ばれているファーバー領都を歩いていた。
たくさんの建物を通り過ぎ、三階建ての事務所へと入って行く。その建物の裏には沢山のケーブルがそれぞれの電柱へと連なっている。
「おはようございます」
「おはよう、ジェイリー」「おはようっ」「おはよー」
ジェイリーが『通信室1』と表記された部屋に入り、声を掛けると、机に座っていた同僚たちはそれぞれ挨拶を返してくれた。
「やあ、おはようジェイリー。昨日の業務報告で一つ確認があるんだが……」
出勤してきたジェイリーに、室長室から一人の紳士が近づいて来る。
「おはようございます。トバイアスさん。昨日の件ですね……それは、――」
通信室の中は魔導通信のケーブル、沢山の魔導機の装置がデスクと共に並んでいる。最近開所したばかりで、部屋の中にはまだ新しい建材の匂いがする。
ジェイリーはファーバーの街に移り住み、二ヶ月前からこの『魔導通信室』で働き始めていた。
強制的に離縁させられた日、あれから王都の駐在兵がジェイリーを保護し、彼女は軽い調書をとられ、宿屋を紹介された。見た目では分からなかったが、鞄の中に結構なお金も持たされていたのにその時気付いた。混乱していたので話をしっかり聞いていなかったが、当面の生活費だとか言っていたような気もする。
平民なら数年は働かずとも過ごせるお金だったが、貴族の元夫人に支払う金額ではなかった。婚家からしたら没落した元妻に送るせめてもの手切れ金なのだろう。少しでも支払っているという体裁を保つためかもしれない。
気分が落ち着くまで一週間ほど宿屋でこもっていたが、ジェイリーは立ち上がり、職を探すことを決心した。
「いつまでも腐っていられないわね」
まだやりきれない気持ちは渦巻いているものの、一人だと気楽だとなぜか体が軽くなっていた。
王都の職業斡旋所に足を向けると、こんな自分でも意外に需要があった。
他国に巻き込まれた戦争が終わり一年経ち、たくさんの産業が増えたことで街は人手不足で、国は女性の雇用を推進していた。
ジェイリーが斡旋所の職員の聞き取りに自分の魔力系統が雷だと言うと、『魔導通信の交換手』という職を紹介してくれた。
「魔導通信で会話をしたことはありますか?」
「いえ、まだ……」
魔導通信とは戦争中に開発された、雷魔法を用いた通信手段の一つだ。
魔法の力を使い、通魔回線から電気信号で遠くの場所への会話を可能とする新しい技術であった。雷属性の電気魔法を使う為、電話と言われている。
離れた場所まで声を届けるこの通信方法は、通魔回線と雷魔法の力が必要であるため、回線が集まる通信交換台にて交換手が魔法を使用してそれぞれ回線を接続する必要があった。
雷(電気)属性の魔力を持つ交換手が求められていたため、ジェイリーは自分の力が役に立つと知り、こんな自分でも出来る仕事があることに喜んだ。
ジェイリーは雷属性の魔法を使えるが、ビリビリと手元で静電気を発生できるだけの魔力量の少なさだ。膨大な魔力量を持つ魔法使いならそれこそ一人で工場の動力元になりうるだろうが、貴族家出身の割には一般的な魔力しかないジェイリーは最初の内は半信半疑だった。
王都にも通信室はあるが、あそこに住み続ければ、ばったりと街中で元夫や姑に会う可能性が高い。恨み辛みは沢山あるし、文句は少なくないけれど彼らと対峙する勇気はまだ持てなかった。それにもう離縁しているのならジェイリーは元男爵夫人ではあるが、今や平民。彼らの機嫌を損ねたら何をされるか分からない身だ。
そんな訳で、勤務地は各領都にあると教えられたとき、第二の都と言われている『商いの街、ファーバー』での勤務を願い、受理されて、ジェイリーは王都を後にしたのだった。
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