50話 外出
次の日になり、再び平民区画へと行く時が近づいてきた。
前回と同じく、朝早く起きる。
最近なぜか寝覚めが良く、あまり朝起きるのがつらいと感じないが、何か理由があるのだろうか。
そのおかげで朝からセシリアの手を煩わせなくて済むし、俺の精神的な問題も解決できるので、いいことばかりだが、これもこちらの世界に来て、俺の精神が変化している証拠だろうか。
そんなことを考えながら支度を済ませる。
セシリアに服を着替えさせてもらい、身だしなみを整えると、用意されている朝食をとる。
ゆっくりでも素早くでもない早さで朝食をとっていると、ノックもせずに突然扉が開き、部屋にハンスが入ってくる。
ルイもセシリアも一瞬、部屋に暗殺者が来たのかと思い、瞬時に警戒するが、その姿を見て安心する。
「おはよう坊ちゃん。おっと、まだ準備できてないのか?」
そう言ってきたハンスは、俺の指定した通り、普段通りの格好をしており、平民区画の中を歩き回っていても何の違和感も無いような姿になっている。
その服装と四十代くらいに見える顔から、とてもイケてるおじさんの普段着姿のようになっているが、きっと本人もそれを意識した服装をしているのだろう。
そんなハンスのからかいに、今日は気持ちよく目覚めることができたルイは、機嫌が悪くなるわけでもなく普段通りに対応することができた。
「おはようハンス。今、リチャードに馬車の準備をしてもらっているから、僕がこの朝食を済ませたらすぐにでも行けるよ」
真面目に答えるルイに、ハンスは「ちょっとからかおうと思っただけなのに真面目に返されたな……」と呟いている。
「ハンス!ルイ様をからかうのも問題ですが、それ以前に問題があります!」
「おっと!突然どうしたメイドちゃん!俺が何かしちまったか!?」
本当に心当たりのなさそうに言うハンス。
そんなハンスを見て、呆れた様子のセシリア。
「ハンス、あなたは本当に騎士なんですか?今、ルイ様はそのお命を狙われている状態で、常に周りに気を配っておられる状態なのです。それなのにあなたは、ノックも名乗りもせずにこの部屋に入って来ましたよね?そのような行動は困ります!もっとリチャード様を見習ったような行動をとってもらわないと!」
「まあまあ、セシリア。ハンスは僕達が常に警戒する意識を持っているのか確かめるために、わざとやってるのかもしれないじゃん。ハンスだって騎士なんだから、こんなことは言われなくてもできるはずだからね。それに僕はそんなに驚かなかったから大丈夫だよ」
「ルイ様……!もしそうだったとしても、私は驚くのでやめて欲しいです!」
本当にハンスにそんな意図があるのかは分からないが、とにかくセシリアに注意されたハンスは、渋々了解した。
そんなことをしている間に朝食を食べ終わる。
セシリアにそれを片付けてもらい、他に済ませることを済ませると、後はリチャードが待っている馬車へと向かうだけになる。
「よしっ、それじゃあ行こうか!」
セシリアのやることも終わったのを見届けると、二人に声をかける。
「かしこまりました」「分かったぜ坊ちゃん」
二人は返事をすると、部屋を出るため扉の方へ向かう。
ハンスが部屋を出る前に、扉の前で立ち止まると、こちらに向かって言う。
「坊ちゃん、部屋を出る時に、突然何かが襲ってくるかもしれないから注意してくれよな。それと、馬車に向かう間も危険かもしれないから同様に注意が必要だ」
ルイがその言葉に頷くと、ハンスは部屋の扉を開ける。
慎重に部屋の外へと出るが、この間と同じく朝早いためか、暗殺者どころか使用人でさえ誰ひとりいない。
それでも一応、周囲を警戒しながらリチャードが馬車を用意して待ってくれているであろう、門まで進んで行くが、結局、門に辿り着いてもこちらの命を狙って来るものは誰ひとりいなかった。
門を通り、以前は知られていなかった俺のことを知っている様子の門番に挨拶をし、三人で馬車へと向かう。
門番に俺が出かけるということは知られてしまうが、門番は誰の手の者でもなく、中立なはずなのできっと大丈夫だろう。
馬車の前でリチャードが出迎えてくれる。
「ルイ様。お待ちしておりました。いつでも出発できる準備は整っております」
「ありがとうリチャード。それじゃあ行こうか!」
そうして馬車に乗り込む一行。
全員が馬車に乗り込んだのを確認して御者席にいるリチャードが言う。
「それでは出発したいと思います。ルイ様、最初の目的地はラッセル食堂でよろしいでしょうか」
「うん、よろしく。頼んだよリチャード」
「かしこまりました。それでは念のためスキルを発動させていただくので少々お待ちください。」
『スキル・《気配遮断》』
そう言うと、リチャードはスキルを発動させ、馬車を出発させる。
無事に馬車全体に発動できたようだ。
これで安全に平民区画へと行くことができる。
ただ疑問なのが、《気配遮断》を発動中に、すれ違う馬車や人はこちらに気づかずにぶつかってしまうのではないのかという心配がある。
その点をリチャードに聞く。
「私のスキルもある程度、スキルの効果を操ることができ、どの相手を対象に気配を遮断するか選ぶことができるので、その点は大丈夫でございます」
相手を選んで気配を遮断できるなら、確かに馬車にぶつかってくることも無いだろう。
それにしてもスキルの効果を操ることができると言っていたが、ハンスもその『スキル・《成長》』を発動させ、成長度合いを操れるようなことを言っていたが、これはもしかしてスキルの熟練度に関係してくるのだろうか。
俺の『スキル・《魔鎧強化》』も熟練度が3となっているから、スキルを発動した後の魔鎧の強度が強くなっているのだろうか。
そんなことを考えるが、理由がはっきりとしたわけではなく、ただの推測でしかないのでこの考えは放っておいて、馬車の揺れに身を任せる。
馬車が出発して少し経った後、あることに気が付く。
それは、前回よりも馬車の中が窮屈だということだ。
今回はハンスを連れてきているから、馬車の中も狭くなるのは当たり前のことだが、思ったよりも狭くなったことに驚く。
前回、二人だとかなり広く感じたが、一人増えるだけでこんなに狭く感じるとは思わなかった。
実際は俺は一人で座っているから狭くはないが、俺の目の前にいるセシリアとハンスが隣同士で狭そうにしているからか、どうしてもそう感じてしまう。
セシリアもハンスも俺に気を遣っているのか、絶対に狭いはずなのに何も言わずに、ただ座っている。
「二人とも狭そうだけど大丈夫?もし狭かったら、セシリアかハンスのどっちかが僕の隣に座りなよ」
その様子を見ていられなくなったルイが二人に声をかけるが、二人は主であるルイに迷惑をかけないようにするためか、その提案を断り、狭い座席に座り動こうとしない。
「ほらっ!ハンスなんて僕の護衛のためにいるんだから僕の隣に座っていた方がいいんじゃないの?」
まずは、ハンスにそれらしい理由を言って、隣に来させようと試みる。
「いや、坊ちゃんは知らないかもしれないが、守るべき相手の隣にいるよりも、その目の前にいた方が全方向がよく見えるから護衛対象を守りやすいのさ」
そうだったのか……。それなら移動しようとしないのも納得か?
「じゃ、じゃあセシリアは僕の世話もしないといけないから、僕の隣にいた方がいいんじゃないの?」
「……確かにそうですね。では、ルイ様のお言葉に甘えさせて頂きます」
ハンスは動かなかったが、セシリアを動かすことに成功した。
まだ二歳の俺の体と、女性であるセシリアが隣同士であるため、それほど狭くもなく、ハンスとセシリアもどこか楽に感じているように見える。
「そうだ!今のうちに言っておくけど、二人とも僕がラッセル食堂に入る時は付いて来てもいいけど、僕が待っててって言ったら素直にその場で待つよう頼むよ」
突然そんなことを言い出したルイに二人は困惑している様子だが、それでも主であるルイの言うことなので、そのことに了承する。
そして、長時間馬車に揺られ続けた後、周囲の景色が変わっていたことで、いつの間にか平民区画へと入っていたことに気が付く。
「ルイ様。そろそろラッセル食堂に着くので準備の方をお願いいたします」
御者席の方からリチャードの声が聞こえる。
「分かったよ!知らせてくれてありがとう!」
そろそろラッセル食堂に着くのか……。
事前にリチャードに伝えておくよう頼んでおいたから、きっと既にゴドフリーは行商人と共にラッセル食堂で待っていることだろう。
逸る気持ちを抑えながら、今か今かとラッセル食堂に着くのを心待ちにしている。
そしてようやく目的地であるラッセル食堂にたどり着いたようだ。
馬車の窓からラッセル食堂が見えたことで、着いたことを知る。
「ルイ様。到着いたしました」
「ありがとうリチャード」
リチャードに馬車のことを任せ、セシリアとハンスと共に馬車を降りる。
馬車を降りて、ラッセル食堂を見て気づく。
先程馬車の中から見た時も薄々気が付いてはいたが、前回と違い、今回は店の前に大量に並んでいるはずの客が誰ひとりとしていなかった。
こんなに客がいないなんて、もしかして、フーリエ家の事情のせいで、ラッセル食堂にまで影響が表れてしまったのだろうかと心配になる。
「あれ?ラッセル食堂っていつもメチャクチャ店の前に長い行列ができているはずなんだが、今日は無いみたいだな?」
「どうかしたんですかね?」
ハンスもセシリアもそれを見て驚いているので、事情は知らないようだ。
とにかく、店の中に入るため扉を開く。
前回同様、扉を開けると鈴の音のようなものが鳴る。
客は店内にいたわけでもなく、鈴の音が静かな店内によく響き渡る。
その音を聞きつけたのか、厨房から一人の男が出てくる。
「ルイ様!大変お待ちしておりました!わざわざご足労頂き感謝いたします」
そう言って厨房から出てきた男は、このラッセル食堂の店主であり、ドワーフである、ゴドフリー・ラッセルだった。




