番外 あなたのナイフ
発端はスーリア様がこんな事を聞いたから。
「どうしてロザリアは僕の事が好きなの?」
それを今更言ってどうにかなるのかしら? と、疑問に思った。
「何故、そんな事を?」
「あ、あの……」
首を傾げつつ、言葉を待つ。
何を恥ずかしがっているのか知らないが、スーリア様は顔が赤い。
「子供にどんな恋愛をしたのって聞かれた時に答えられないと思って……」
じっとスーリア様を見つめる。
「スーリア様が気になるって言うのだったら、教えてもいいわ」
「ご、ごめん! 僕、何にも覚えてなくて……」
「ふふ、いいのよ」
もう随分昔の事だから……
ぎゅっとスーリア様に抱き着く。
「その代わり、お願いがあるのだけど」
「なんだい?」
「内容は話し終わってから言うわ、聞いてくれる?」
「……うん、いいよ」
「ありがとう……そうね、最初は……」
幼少期から。
私を語る上で外せない話からしようかしら。
*****
私の幼少期はそれなりに不遇だったと言えるかもしれない。
まだ4歳だった時、私には父親が居なかった。
田舎中の田舎の様な、まだ開拓も進んでいない様な森の中の村で生活していた。
理由は分からない。
母か父なら理由を知っているかもしれないが、すでに終わった事なのだろう。誰も聞いたりしなかった。
ともあれ私は、母親と二人、田舎で貧しく生きていた。
「あなたは魔力を持っているから……男の子のフリをしなさい」
そう言って母は私の髪を短く切った。
母の言いつけを守って、私は男の子のフリをした。
母は朝から晩まで働き詰めた。私はいつも一人だった。
私には友人は居なかった。
排他的な田舎では、この黒髪は排除されるべき物だった様で、いつも仲間外れだった。
「うわあっユウレイがきたぞ!」
「ユウレイだ! にげろぉ!」
「あははっ! にげろにげろ!」
私のあだ名は幽霊だった。黒髪が幽霊みたいで怖いらしかった。
馬鹿らしいと、心の底から何度も思った。
いつも独りぼっちだった私は、寂しさを紛らわせるため木に登った。そうやって時間をつぶした。
景色を見るのに飽きたら、食べられる木の実や山菜、川まで行って魚を取った事もあった。
母親が少しでも楽できるならって、そう思った。
つまらない生活をずっと続けて、大人になるのかな。
そう思っていた時、こんな偏屈な村に父が来た。
迎えに来てくれたのだ。
「ねえ! わたしのパパでしょ! ねえ! そうでしょ!」
母は父の事が忘れられなかった様で、父の鉛筆画を大事に持っていたのだ。それで、すぐに分かった。
あの時の父の顔は今でも忘れられない。
初めて父に抱き上げられた時の感覚も……忘れられなかった。
父と母が仲直りして、私と母は父の家に行く事になった。
これで母が苦労しないお家なら手放しで喜ぼうと思っていた父の家は、巨大だった。
あの時の私の家という概念が打ち砕かれるぐらいには衝撃的だった。
父が貴族である事を知り、さらに気軽に話しかけてはいけない高位な貴族だと知った。
それに、私には祖父母も居たのだ。
祖父は、若くて美しい人だった。
最高位魔力保持者。
聞いた事はあったけど本当に見た目が若いままなのだと感心した。
私と初めて会った祖父は、思う事が有ったのだろう。父を殴りつけた。
あの時の事は良く覚えては無いが、父が無抵抗だった事だけは覚えている。
「ロザリア様」
私は、大きなお屋敷でそう呼ばれた。
母は私を男の子として育てていたのでずっと『リア』と呼ばれていた。
本名は忘れてはいなかったが、呼ばれ慣れずむずむずした。
私は父の家の人間からしたら厄介な存在だったろう。
勉強は碌にせず逃走し、森に逃げ込み木の登った。
木の上に居た私を見て、メイドは悲鳴を上げた。
私は捕まって、屋敷の戻された。
その後、母はずっと謝っていた。
周りにも……私にも……
どうして謝るのか、当時の私には理解できず、何度も木に登った。
勉強をする意味が見いだせなかった。
貴族の作法を覚える事が、それほど重要だと思っていなかったのだ。
「ねえ、ロザリア……一緒に行かない?」
母は何処かの家の茶会に呼ばれた様だった。
誰かの助言で、私を同じ年頃の子供と会わせてみればどうでしょう? と言われた様だった。
家に居ても逃げ回るだけでつまらないので頷いた。
着いたお屋敷は私の家と同じぐらいの大きさだった。
馬車に乗って、ゴトゴト進む。
走った方が早い気がしたが、母にはしたないと言われ、断念した。
はしたないって、よく言われるけどどう言う意味だろうか? その時はそう思っていた。
馬車を下りて、その家の人から歓迎された。
すでに参加者は集まっている様で、私より年上の子供が大半だった。
天気が良かったので外で茶会は行われた。
母の隣に座っていたが、大人の会話に早速飽きて、広い庭を散策する事にした。
周りの子供の視線が気にはなったが、村での嫌な記憶が蘇ったので関わらなかった。
私は早速、木に登った。
「きゃあ!!」
誰かの悲鳴が聞こえた。
大人達が全員、こちらを見ていた。
母が慌てて、駆け寄ってくる。
「リア! 降りてらっしゃい!」
元の呼び名で呼ばれた。相当慌てていたようだ。
木から飛び降りた。
「キャアアアッ!」
さらに大きな悲鳴が聞こえたが、普通に着地した。
母は、何度も何度も周りに謝っていた。
そして私は、
「お前、生意気なんだけど」
「目立ちたがり屋なの?」
「近寄らないでくれる」
いじめの標的にされた。
感じたのは、村の子供よりも貴族の子供の方が陰湿で殴りたくなる事だ。
さりげなくぶつかって来るし、にたにた笑いながら謝ってくる。
それに、こんな事も言われた。
「本当は貴族じゃないんじゃね?」
「ああ、分かるわー」
「その辺の人間の子なんじゃね?」
遠まわしに、母は馬鹿にされたのだ。
髪を一本残らず毟ってやろう、そう思って一歩を踏み出した時、
「やめろ!」
前に立ちふさがったのは背の高い、私よりも年上の子供だった。
「なんだよ」
「これ以上は見ていられない! 君達のご両親に言いつけるからな!」
私をいじめていた子供達は慌てた様に去って行った。
髪を毟り損ねた。まあいいや。お礼を言おう。
そう思ったのに……
「大丈夫?」
考えが全部吹き飛んだ。
なんて美しい青い瞳なのだろうか。
色鮮やかなスカイブルー。今日の快晴の空よりも輝いている。
コレ、欲しい。
その考えがいかに恐ろしいものなのか、理解をするのに数年を要した。
何の反応も返さない私に、困ったように問いかけてくる。
「えっと……リアくん?」
「……わたし、おんな……」
「えっ」
当時の私はまだ髪が短く、私自身ドレスを嫌っていたので男の子の恰好をしていた。
「リアちゃん、僕はスーリアって言うんだ、よろしくね」
「すーるら?」
「スーリアだよ」
「すーりら」
「うぅん……」
私を助けてくれたスーリアは少し考えて、
「じゃあ、スーでいいよ」
「スー?」
「うん、なあに?」
微笑んだスーに幼いながらにドキドキした。
その眼が、私をおかしくさせた。
話が通じた同じ年頃の子供はスーが初めてだった。
その日はずっとスーと一緒に居た。
スーは私と違って飛んだり跳ねたり走ったりしなかった。
大人びていて、そんな所がますます好きになった。
スーの眼をずっと見ていたい。ずっと一緒に居たい。どうすればいいだろうか?
「スー」
「どうしたの?」
「スーといっしょにいたい、けっこん? したい」
「えぇっ」
母と父を思い出して、結婚すればずっと一緒に居られるんじゃないかってそう思った。
スーはとっても驚いていたけど、子供の戯言だと思ったみたいだった。
「僕と結婚するにはマナーとか礼儀とかがきちんとできないとね」
「まなー? れーぎ?」
スーは私の頭を撫でた。
「ちゃんとお勉強しないとね。僕もだけど」
「べんきょうしたらけっこんしてくれる?」
スーは困った表情を浮かべた。
後で知ったが、この時すでにスーには婚約者が居たのだ。
「リアがもう少し大人になったら、してもいいよ」
私は子供で、明日になったら忘れると思ったのだろう。
スーはそう約束してくれた。
「やくそく! やくそくだよ!」
「うん、やくそく」
その日以来、何年もスーと会う事は無かった。
けれど私は人が変わった様に勉強に打ち込んだ。
公爵家の名に恥じない令嬢になる為のカリキュラム。
最初はすごく辛かった。あの時の私は猿人と言っても良かったから。
それでも頑張れたのは約束があったからだ。
忙しく日々を送っている最中、弟が産まれた。
この家の大切な跡取り。
弟とは喧嘩ばかりしていたけれど、何だかんだで仲は良かったと思う。
それと、もしもの時の為にナイフの扱いを色々な人から教えてもらった。
もし道すがらで襲われても、撃退できる程度になった。
私は15歳になった。
国立王都女子学園に入る事になった。
家から近いが完全な寮生活。三年間の一人暮らしが始まった。
学園生活は順風満帆だと言えた。
必死に学んだ完璧な令嬢になり切る事に成功していたからだ。
少し経つと、派閥争いに巻き込まれた。
二つ年上の先輩が、グラスバルト家の長女である私に嫌がらせをしてきたのだ。
その先輩はしがない伯爵家だったが、三大貴族であるスガナバルトの嫡子と婚約していたのだ。
そうとは知らず、私は仕返しをした。
先輩は見た目は大人しそうだが、中身は過激だった。
気の強い女だった。
貴族特有の精神攻撃をねちっこく続けた。
さきに手を出して来たのは向こうなので遠慮はしなかった。
そして彼女は学園から姿を消した。
婚約も解消されたと風の噂で聞いた。
この時点では、まだスーがスガナバルトの嫡子だと知らなかったので、知った後大喜びした。
18歳になった。
学園を卒業して、母に聞かれた。
「気になる人はいる?」
見合い写真を並べながら、そう言われ、私は言った。
「スーがいい」
母は首を傾げた。
私は何度もスーがいいと繰り返した。
この時、すでにスーの名前を覚えていなかった。
スーリアの名は有名で知ってはいたが、同じ人だとは思っていなかった。
「名前の分からない人とお見合いは出来ないわ」
と言われ、私は積極的にパーティに顔を出すことにした。
何処かにスーがいる事を信じて。
けれど、スーは何処にもいなかった。
代わりにどうでもいい男ばかりが私の周りに寄って来た。
最初は私の綺麗な顔が目当てで寄って来たので、家の名前を出したら遠慮してくれるかなと言ってみた。
それが大きな間違いだった。
グラスバルトの名を聞いて諦める人も居る事は居た。
でも、大半は私に執着してきた。
それほどこの体に流れる血が欲しいのか。
恐ろしくなった。
スーを探して1年。
私は19歳になった。
祖父は私はスーを探している事を知っているので、手を貸そうか? と言ってくれた。
一人で探すのは限界がある。手を借りるのもいいかもしれないと思った。
私には婚約者は居ない。
昔の事もあってか父は私を手放したく無い様だ。
今は都合がよかった。
「行ってまいります、お母様」
今日は国王陛下主催のパーティの日だ。
沢山の人が来るだろう。
その中にスーは居るだろうか?
「行ってらっしゃい、ロザリア」
今日は父が忙しく出られないので、代わりに祖父と向かった。
馬車に乗り込んで、少しすると祖父が話しかけてきた。
「お前の言うスーは、何処が好きなんだ?」
私は何も考えなかった。
「眼よ。とても美しい瞳なの」
外見は朧げになっていたが、瞳だけは鮮明に覚えている。
私は、あの瞳の中に居たい。あの瞳が欲しい。私だけを映していて欲しい。
それが叶うなら何だってするわ。
「眼か……」
祖父は何か考え始まってしまったので声をかける。
「どうかなさいましたか?」
「お前は、グラスバルトの血が強いんだなって思っただけさ」
「お父様の血が強いという事でしょうか?」
「少し、違うかな」
グラスバルトは代々直感で恋愛をしてきた家系らしい。
祖父も例外では無く、祖母をこの人より他に居ないと結婚した様だ。
「俺も、最初は眼だったよ」
「おじい様も眼を?」
「眼は心を映すんだ。魂を映す鏡なんだよ。だからきっと、ロザリアとスーは相性が良いんだ」
直感の鋭い私が選んだなら間違いはないと、おじい様は微笑んだ。
私はおじい様の言葉に嬉しくなって微笑んだ。
パーティ会場に着いて、私はスーを探しにおじい様は主要な貴族へ挨拶に行った。
「ぁ」
進んでいると苦手な人が現れたので回れ右をする。
二つ年上の騎士だ。2番隊所属で私と結婚して名を上げたい様だった。
遠くで王妃様が挨拶された。私も挨拶に行きたいけれど……今のままじゃ見つかっちゃうからバルコニーへ避難。
綺麗な三つの月と、王都の夜景がよく見えた。
「キレイ……」
心地よい風に涼んでいる時だった。
「ロザリア様!」
無駄に大きい声。
やっぱり、見つかったか。
結局私は複数の未婚男性に囲われる事になった。
いつも一緒に来ているおじい様かお父様が助けてくれるのだけど……
バルコニーの端だから……気が付いてくれるかな。
一応ナイフはいつも持っているのだけど、此処で振り回したらさすがに不味いか。
おじい様が見つけて下さるまでじっとしていよう。
スーを探しに行きたいだけなのに。
「……?」
周りがガヤガヤとうるさい。
その時ふと、視線を感じた。
私の周りの人ではなく、少し遠くからの視線。
前髪が長いまだ若そうな男性だった。
心配そうに私を見ていた。
優しい人なんだなとすぐに分かった。
一人では何とも出来ないと判断してか、助けを呼びに男性は歩き出す。
「ぁっ……!」
歩き出した時、ちらりと眼が見えた。
スーによく似ていた。
地面を蹴って腕を伸ばした。
「待って!」
名も知らぬ彼の腕に手を添える。
完全に眼が合った。
スー! スーだわ! 絶対そうよ!
このスカイブルー、間違いない!
興奮を何とか落ち着けて、私はスーに問う。
「私と踊ってくださらない?」
*****
話し終えて、スーリア様を見る。
何かを思い出した様な顔だった。
ほんの少し顔色が悪い。
「何か思い出した?」
「うん……全部思い出したよ……」
「スー?」
「そう呼ばれるのも久しぶりだね、リア」
頭を撫でてもらって、腕にしがみつく。
「ねえ、これからスーって呼んでもいい?」
「それがロザリアのお願い事?」
「それとは別よ……ねえ」
「まあ、二人きりの時なら」
「ありがとう、スー」
幸せでふわふわと笑った。
「お願い事はね……私、あなたのナイフになりたいの」
「え? それって……?」
「騎士は陛下に魂をささげるでしょう? あなたの剣になりますって」
「ああ、うん。敬礼のポーズがそうだね」
「それと同じよ、私は剣を扱えないから、あなたのナイフ……どう?」
「どうって……言われても」
スーは動揺していた。
私はさらにくっ付いて、腕に胸を押し付けた。
「私、あなたを守りたいの……」
「ロザリアに守られるとか僕……」
「恥ずかしい? 恥ずかしくないわ、私はあなたの妻として隣にいるもの……危なくなったら守るだけよ」
「うーん……」
「いいって言ったのに……」
ふてくされたように唇を尖らせる。
「ねえ、スー……だめ?」
スーはずっと迷っていたようだったけど、最後には
「分かった、いいよ」
ぎゅっと抱き着いた。
「あなたは私が守るわ」
「……頼りにしてるよ」
そう言って諦めたようにスーは笑った。
以上で完結です。
お読みくださってありがとうございました。