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零下273~君が君から去った日~  作者: 五速 梁
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第二部 刹幌 第三話 古屋

              


 僕と飛波は、田貫小路から歩いて五分程度の場所にある『荷上市場にじょういちば』に赴いた。


 『荷上市場』は、刹幌の創世川沿いに古くからある昔ながらの市場で、鮮魚店を中心に、小さな店が軒を連ねている。姫川をはじめとして、仲間たちが軒並み忙しかったため、僕と飛波だけが『アイドル』の部品を携えて市場に向かうことになったのだ。


 市場の中に入ると薄暗い市場の内部は、ぽたぽたと水の垂れる音が絶え間なく聞こえ、強烈な海産物の匂いがあたりを支配していた。


 田貫小路がすぐ近くにあるにも関わらず、まるでそこだけが知らない町のように感じられた。


 飛波が強大な蟹やウニ、新巻き鮭などを物珍しげに眺めていた。近くに海がない地方で育ったのかもしれない。


 目的の店は市場の内部にある、細長い小路の一角にあった。立ち飲み屋台のような小さな店で『寿司・海鮮丼』と書かれた煤けた看板が、天井から下がっていた。


「あのう……」


 僕はガラスケースの向こう側で立ち働いて入る男性に、思いきって声をかけた。


手拭いを頭に巻いた、おそらくこの店の大将と思われる七十歳くらいの男性は、見るからに気難しそうな風貌をしていた。


「ん?なんだい、食事かい?」


 大将は、訝るような視線を僕に向けた。たしかに平日の午前中、中学生に見えるカップルが現れたら胡散臭いと思うのは当然だ。


「ええと……食事を注文する前に、見ていただきたいものがあるんですが」


「見て欲しいものだって?」


大将の、眼鏡の奥の眼が細く尖った。


「ある人から教えてもらったんです。この店で、これがどこで作られた物かわかると……」


 僕は真淵沢から預かった部品をバッグから出すと、おずおずと差し出した。


「ん?こいつは……」


 大将の目が、ぎらりと光った。そのまま差しだしていると、大将は手を伸ばし、僕の手から部品を受け取った。


「ちょっと待っとれ」


 大将は老眼鏡をずらしながら厨房の奥にある、ショーケース風のガラスの箱に部品を入れた。大将がスイッチを入れると、レーザービームのような光線が縦横に部品を舐め始めた。やがて、換気扇の横に据えられた小型モニターに部品の拡大映像が現れた。


「ううむ……どうも良く見えん。近頃、老眼が進んでな……おい!」


 大将が厨房の奥に向かって声を張り上げた。すると、壁とばかり思っていた部分がこちらに向かって細く開き、大将と同年代の女性が姿を現した。


「なんですか、そうぞうしい」


「どうも、眼が悪くて良く見えん。お前、ちょっと見てくれ」


 大将に言われ、どうやら女将と思われる女性は促されるままにモニターを覗き込んだ。


「お客さんが、持ってきたんだ。それをどこで作ったか、わからないかってさ」


「……それ、知り合いの真淵沢って人が、魚型のアイド……着ぐるみから落ちた奴を拾ってきたんです」


「……違うね」


「えっ?」


「こりゃ、魚じゃないね。貝の部品だね」


「貝?」


 僕は困惑した。あの騒動で見た着ぐるみの中に、貝なんていただろうか。


「こいつは、極北大学きょくほくだいがくのどっかの研究所で作られたものだよ。……見てみな、F・N・Uって刻印してある。ファー・ノース・ユニバーシティの略だよ」


「じゃあ、大学内のどこかで作られたってことですか」


「おそらく、そうだろうねえ。……ああ、久しぶりに細かい字を見ると疲れるね」


 そうぼやくと部品を調理台の上に置き、女将は再び厨房の奥へと姿を消した。


「どうしよう……これだけ手間をかけさせたんだから、やっぱり、何か注文すべきだよね」


「うん。私、海鮮丼がいいな。……ウニのいっぱい入った奴」


「何か食べるかね」


 大将が、手拭いで手を拭きながら言った。


「はい。ええと、海鮮……」


 僕がそう言いかけた時だった。ふいに横に、人の気配を感じた。見ると僕らの左手にコートを羽織り、口ひげを蓄えた外国人らしい男性が立っていた。


「#$’&(%z?+p=+|¥@#」


 男性は良くわからない言葉で、僕らに向かって何事か呟いた。


「なんだって?」


 大将が男性の言葉に反応し、目を大きく見開いた。


「どうしたんです?」


「お前さんたちを逮捕すると言っとるぞ、この男」


「冗談じゃない」


 僕は思わず身を引きかけた。同時に、男性が僕と飛波に向かって手を伸ばした。


 思わず手を振り払うと男性は眼に憎悪の色を浮かべ、ポケットに手を入れた。


 僕が思わず身構え、飛波をかばおうとした時だった。隣の店先から突然、太い腕がつき出されたかと思うと、外国人男性の襟首をつかんだ。


 唖然としていると店舗から鮮魚店のエプロンをつけた角刈りの男性が姿を現し、手にした巨大な薬缶で男性をいきなり殴りつけた。


「がっ」


 床に崩れ落ちた男性を見て、角刈り男性は鼻をふんと鳴らした。どうやら隣の店の店主らしい。


「……物騒な真似しやがって。まったく、ここをどこだと思ってるんだ」


 そう言うと角刈り男性は、僕らの方を見た。意外に優しそうな顔立ちだった。


「つい、手が出ちまった。……あんたたちの知り合いだったら申し訳ない」


「見たこともない男です……ただ、正体は何となく想像がつきます」


「ふむ、こいつは「下僕」だな」


「なんだあ?下僕?」


 大将のつぶやきに、角刈り店長が反応した。


「AIに操られてる戦闘員さ。最近は、外国人が多いな」


 大将は、それまでとうって変わった真剣な表情で僕らを見た。


「あんたたち、さっきの部品を作った奴と戦うなら、小型の解析装置を貸してやるよ。真淵沢なら、AI思考ジャマーくらい作れるはずだ」


「真淵沢さんを知ってるんですか?」


「わしの一番弟子だよ。……もっとも出来は決して良くなかったがね」


そう言うと、大将は奥の戸棚から岡持ちを思わせる銀色の箱を取りだし、カウンターの上に置いた。


「こいつを持っていけ。ちょっとばかし重いがな」


 大将が言うと、腕組みをしながら僕らのやり取りを聞いていた角刈り店長も、口を開いた。


「市場の裏に、うちのバイトに使わせてたモーターアシストバイクがある。二台あるから、乗っていきな」


 角刈り店長はそう言うと、顎で小路の奥を示した。


「モーターアシストバイクって……僕、乗ったことないですけど」


「要するに自転車さ。ちゃんと後ろに岡持ちを乗せる荷台もついてるよ。ちょっと方は古いが、うちの『タンホイザー号』は、そこいらの出前バイクよりはるかに高性能だぜ」


 角刈り店長が自慢げに言った直後、突然、左手から強い光が僕らに向かって浴びせられた。


 目を向けると、小路の幅一杯に、一人乗りフォークリフトに似た機械が立ちはだかっていた。運転者は乗っておらず、正面に据えられた巨大な二基のライトが、僕らを威嚇するように強い光を放っていた。機械の側面からは、多関節ロボットアームがこちらに向かってうねるような動きを見せていた。


「まずい、敵だっ」


 僕が叫ぶのと同時に、機械がこちらに向かって移動を始めた。


「逃げるんだ、早く!」


 角刈り店長が叫び、僕と飛波は市場の出口に向かって走りだした。


 外に飛び出すと眩しい光で一瞬、目がくらんだ。僕は立ち止まると、周囲を見回した。


「たしか、自転車があるって言ってたよね」


「あっ、あれじゃない?」


 飛波が指さしたのは、ゴミ収集所の隣だった。見ると、たしかに自転車が二台、停められていた。片方に金属のサスペンションがついた運搬機らしき物がついているところを見ると、あれがそうに違いない。


「乗るぞっ」


 僕は自転車に駆け寄ると、運搬機に岡持ち型の解析装置をセットした。後方から見ると、まるっきり蕎麦屋の出前だ。


「どうやって運転するの、これ」


 飛波がサドルに跨りながら、言った。


「自転車と同じだよ。アシスト機能にはあまり期待しないほうがいい」


 僕はスタンドを外すと、ペダルに足を乗せた。同時に市場の出口から、モーターの唸る音が聞こえてきた。


 僕らが走りだした瞬間、アルミのドアが派手な音を立てて吹き飛んだ。一瞬、ペダルを漕ぐ足を止めて振り返ると、先ほどの機械が触手をうねらせながら姿を現すところだった。


「走れっ」


 僕らは敵に背を向け、飛び出した。背後で機械が向きを変える不気味な音が聞こえた。


「市場を右側から回りこもう。創世川沿いに出れば、何とかなるかもしれない」


 僕は市場の角で速度を緩めると、進行方向を西に変えた。創世川の手前まで来た時、僕の足が自然と止まった。背筋が凍りつくような光景が、そこにあった。


「あれは……」


 創世川をまたいで田貫小路と市場とを繋いでいる道に、数体の重機が待ち構えていたのだった。


「どうするの?」


 戸惑っていると、背後からリフト型重機の走行音が聞こえてきた。もはや、一刻の猶予もならない。


「Uターンしよう。こうなったら東に逃げるしかない」


 僕はいったん南に自転車を向けると、ペダルを踏み込んだ。走り出してすぐ、市場の真ん中を通る路地を左に折れ、今度は創世川に背を向ける形で走り始めた。


「どっちに行くの?」


「わからない。ジグザグに行くしかない」


 リフト型重機の小回り性能がどのくらいかはわからないが、どこかで必ずまくことができるはずだと思った。


「きゃあっ」


 東に走り始めて間もなく、飛波の悲鳴が聞こえた。僕は自転車を停めて振り返った。飛波の自転車の荷台を、リフト型重機のロボットアームががっちりと捉えていた。自転車を降りて駆け寄ろうとした時、背後でブザーが鳴った。


「充電が完了しました。ハイパー加速が使用できます」


 背後の自転車に目を向けると、ハンドルについている液晶画面が、いくつかあるスイッチの一つを大映しにしていた。


「飛波っ、振り切れっ」


 僕が叫ぶと、飛波も気づいたらしくハンドル脇のスイッチに手をかけた。


「よし、行くぞっ」


 僕は再び自転車に跨ると、ハイパー加速のスイッチを入れた。がくん、と前につんのめる感覚があり、次の瞬間、自転車は爆発的な急加速をした。同時に後方で重い物体が転倒する、鈍い音が聞こえた。リフト型重機がひっくり返ったらしい。


「飛波っ」


 僕が名前を呼ぶと、隣に飛波の自転車が姿を現した。


「ふう、危なかった」


「良かった、無事で」


 僕らはしばらく並走しながら、倉庫の多い一角を東に北に走った。


「そろそろ、創世川の方に戻れるかな」


「どうかしら……あっ」


 ふいに飛波が叫び、自転車を停めた。僕は慌ててブレーキをかけ、飛波の目線を追った。


 前方のビルの陰から、パワーショベルが出てくるところだった。通常のアームの他に、二本の細長いロボットアームを備えた特殊な重機だった。


「どうする?」


「引きつけて、かわそう。できるか?」


「私が先に行くわ。同じルートでついてきて」


 そう言うと飛波は、ペダルに足を乗せた。僕はにわかに不安になった。いくらかアスファルトが覗いているとはいえ、二月の刹幌だ。自転車が快適に走れる状況とは言い難い。急加速を避けるため、ぼくらはアシスト機能を切った。


「行くわよ」


 踏み固められ、摩擦がほとんどないつるつるの路面を、飛波は走り出した。前方からは蟹のお化けみたいな重機が、二本の腕を振りかざしながら迫りつつあった。


「それっ」


 走り出してほどなく、飛波は右脚を外側に開いた。そのまま車体を右に傾けると、自転車はドリフトしながら急角度で右にカーブを描いた。僕は岡持ちの重さを計算に入れ、早めに体重を移動した。僕らが右に曲がった後、パワーショベルが曲がり角を行きすぎ、急停車する音が聞こえた。こんなことをしてもおそらく、稼げる時間はわずかだろう。


「どっちに行こう」


「左だ、バスセンターの方角に行く」


「バスセンター?」


「地上は危ない。このままだといずれ包囲される。地下に逃げよう」


「地下に?自転車で?」


「少しの間ぐらい、担いで行ってもどうってことないだろう。降り口を探そう」


 相談しながら走っていると、やがて交通量の多い通りにぶつかった。僕らは自転車を停めて背後を振り返った。


「来るわ」


 百メートルほど後方から、パワーショベルが雪煙を上げて僕らに迫っていた。


「左もだっ」


 創世川の方向からも、別の重機が迫っていた。こちらはブルドーザーに似た車両だった。


「どうしよう?」


「あそこに地下に入る入り口がある。自転車を降りて、担いでいこう」


 僕は右手を指さした。十メートルほど先に、地下への入り口があった。


 僕らは入り口の前に移動すると自転車を停め、楽に運べそうな持ち方を思案し始めた。


「いっそ、折りたたんでキャリーバッグみたいになれば、いいのにね」


 飛波が不平を漏らした時だった。


「了解しました。キャリー形態、変形」


 いきなり自転車が喋り、自分から形を変え始めた。僕らの目の前で、二台の自転車がわずか数秒で持ち手のついた四角い箱へと変化した。


「岡持ちは、自分でお持ちください」


 声とともに、差し出すようにして上部から岡持ちが飛び出した。


「よし、降りよう」


 飛波と顔を見合わせ頷きあうと、僕らは階段に足をかけた。変形した自転車をがたがた引きずり始めた途端、背後から重機の上げる唸りが聞こえてきた。


 足を速め、どうにか地下道の入り口までたどり着くと、上の方から凄まじい激突音が聞こえた。振り返って恐る恐る見上げると、地下道への入り口に重機が激突し、埃と雪が舞い上がっているのが見えた。


「危ない、危ない」


 僕らは地下へと一路、先を急いだ。


 


                   ⑵





 地下に降り立った僕らを待っていたのは、異様に長い地下歩道だった。


「この通路はバスセンターを経由してそのまま王通りまで続いている。とりあえずひたすら歩いていけば、いずれ地下伝いに田貫小路まで戻れるよ」


「敵は来ないかしら」


「いくら何でもブルドーザーやパワーショベルは入りこめないだろう」


 僕らは連れ立って、元の形態に戻った自転車を押しながら歩き始めた。


 時折、すれ違う歩行者が、僕らを怪訝そうな目で見た。だが、いちいち気にしてなんかいられない。


「結構、来たね」


「そうだね。でもまだ半分も……えっ?」


 後方で、機械が上げる駆動音が聞こえた。僕らは同時に振り返った。二十メートルほど後ろに、ポリッシャーのついた屋内清掃用のローダーが二台、こちらを向いて停まっていた。ローダーにはやはり、細長いロボットアームが装備されていた。


「あれは……」


「間違いない、イデオローダーだ。こんなところまで追ってきたのか。……行こう。王通りまで自転車に乗って行くんだ」


 僕らは再び、自転車に跨った。同時に、強い光が背後から僕らを照らした。


「走れっ」


 僕らは広い地下道を、自転車で走り始めた。地下道は中央に太い円柱があり、僕らはその左側を走行した。


「きゃあっ」


 突然、飛波の悲鳴が聞こえた。見ると、隣の車体から飛波の姿が消え失せていた。


 悲鳴の出どころを探ると、円柱の右側を走行しているローダーのアームが、飛波の身体を掴んで、高々と持ち上げていた。


「飛波っ」


 僕は絶叫した。驚いたことに、自転車は運転手を失ってもそのまま倒れることなく走行し続けていた。どうやらサドルから離れると、自動的にオートパイロットに切り替わるらしかった。


 飛波の自転車が速度を緩め、視界から消えたのを見届けた僕は、円柱に寄せるようにローダーとの間隔を縮めた。


「タンホイザー、こっちも自動運転で頼むっ」


 そう叫ぶと、僕は重機が繰り出してきたアームに自分から飛びついた。高々と上げられたアームの位置から、真下の運転席が見えた。飛波は無人のシートにぐったりと体を預けていた。今だ。僕はアームから手を離すと、運転席に飛び降りた。


「飛波っ!」


「……野間君!自転車は?」


「勝手に走ってる。僕が「行くよ」って言ったら、一緒に飛び出すんだ」


 僕がそう耳打ちすると、飛波はぎょっとしたように目を見開いた。


「いったい、何をする気?」


「びっくりさせてやるんだ。こうやって!」


 僕は運転席の切り替えスイッチを『マニュアル』にすると、いきなりブレーキを踏んだ。急制動がかかり、僕は飛波を抱きかかえたまま、前につんのめった。


「行くよ!」


 僕は運転席のドアを開け放つと、左側の通路に向かって飛び出した。固い床面にしたたか体を打ちつけながら、僕らは転がっていった。次の瞬間、後方から追いついてきた二台目のローダーが、前方で停車したローダーに激突する音が聞こえた。


 僕は転がった拍子に離れた飛波を見た。飛波はあおむけになって胸を上下させ、あえぐような呼吸をしていた。


「飛波、大丈夫か?」


「うん……意外に無茶するのね、野間君って」


「まあね。緊急手段だったからね」


 僕は起き上がると飛波に近寄り、助け起した。動きを止めた二台のローダーを二人で見つめていると、僕らの傍らに、オートパイロットにしていた二台の自転車が滑るように停車した。


「充電が終わりましたが、乗りますか?」


「いや……やめておくよ。地下歩道を自転車で走るのは、やっぱり危険すぎる。このまま、田貫小路まで押していくよ」


 僕が言うと、飛波は苦笑しながら、無言でこっくり頷いた。





                  ⑶





「いやあ、無事でよかった」


 岡持ちを下げて『ハヌマーン』に顔を出すと、真淵沢が飛び上がらんばかりに喜んだ。


「真淵沢さん、良かったといいながら、岡持ちしか見てませんよ」


 突っ込みを入れる姫川も、やはり関心は岡持ちにあるようだった。


「でも、これで敵の本拠地がやっと特定できそうですね」


「ああ、もちろん。……しかしまさか、極北大の中にあったとはな。ここからすぐじゃないか。一日あれば潜入の準備は整えられるし、いよいよ大詰めだな」


 僕は身震いした。極北大は仁本最大の敷地面積を持つ国立大学で、そのキャンパスは一つの街が丸ごと入るくらいの巨大さだった。


「でも、もう飛波ちゃんたちを危ない目に合わせるのは止めてくださいよ、真淵沢さん」


 姫川が言うと、真淵沢はふふんと鼻を鳴らした。


「大丈夫だ。これさえあれば、すぐにAI思考ジャマーが作れる。敵のさなかに飛び込んでも、そう簡単にやられはすまい」


「いや、そう言う問題じゃなくて……」


 姫川と真淵沢がとんちんかんなやり取りを繰り広げている横で、僕と飛波は逃走ですっかり空っぽになった胃袋に何を詰め込もうかと思案していた。


「私、この魚介フライカレーにしようかな。なにせ海鮮丼、食べそこなっちゃったもん」


 メニューの写真を見ると、器からはみ出しそうなフライが目に留まった。まったく、女性の生命力と言うのは底なしだ。そこまで考えてふと、僕は思った。


 人工人格のコピーになかなか『男性人格』が生まれなかった事を考えると、男性というのは人でもプログラムでも、とにかくひ弱な生き物なのだろうか?


 そんな思いにとらわれていた時だった。


「おかえりなさいませ!」


 甲高い声がなぜか、足元から聞こえてきた。


「馬鹿、お帰りなさいじゃなく、いらっしゃいませだろう」


 訂正した声もまた、同様に甲高い声だった。同時に、がしゃがしゃと機械仕掛けの玩具が動くような音が聞こえてきた。思わず下を見て僕はあっと叫んだ。猿と鳥の人形が、ぎこちない動きで僕らのテーブルに歩み寄ろうとしていたのだ。


「に……人形が動いてる……喋ってるよ」


 初めて『ハヌマーン』を訪れた時、奏絵さんが「生きてるわよ」と言った意味がようやく理解できた。この人形たちもまたAI……アイドルなのだ。


「こらこら、お前たち、お客さんを驚かせちゃいけないよ」


 店の奥から、椿山が姿を現した。


「この人形たち……椿山さんが作ったんですか?」


「そう。僕の大事な友達さ」


「あのうこれって……『氷月リラ』の支配下にはないんですか?」


 飛波がおずおずと聞いた。つまり「敵」になりうるのか、どうかってことだ。


「うん。それは百パーセント大丈夫。これくらい単純な構造だと、あいつらのコントロールは及ばないよ。むしろ心強い味方ってところかな」


「良かった……それじゃ、私は魚介フライをお願いするわ。辛さは4で」


「魚介の辛さ4ですね。少々、お待ちください~」


 二体の人形は、嬉しそうに跳ねながら、厨房の方へと消えた。僕ははたして僕らだけで氷月リラ、チキ母娘と戦えるのだろうかと、ほんの少し不安を覚えた。


「さて、現在の状況だけど、おそら極北大学のキャンパス内には、相当な数のAIやローダーが集まっていると思う。少しでも早くリラとチキのいる建物を発見し、潜入して破壊することが、勝利の条件だ」


 真淵沢が、興奮君に言った。


「ちょっと待って。どうしても破壊しなくちゃいけないのかな」


 飛波が、珍しく異を唱えた。


「メノさんも、本当にそれを望んでるの?AIかもしれないけど、自分のお姉さんでしょ。もし説得することが可能なら、破壊するより話し合った方がいいんじゃないかな」


 全員が、沈黙した。破壊するというのは、要するに殺すことだ。たしかにプログラムとはいえ、殺さずに済むのなら、それに越したことはない。彼らが「人格」と呼ぶにふさわしい意思や感情を持っていることは、メノと実際に会話してみてはっきりとわかった。


「まあたしかに、彼らがこちらの説得に応じてくれれるのであれば、和解もあり得ないことではないと思うが、しかし……」


 真淵沢はうーんと唸って腕組みをした。その時、厨房の方からけたたましい黒電話の音が聞こえてきた。


「はい、もしもし……ああ、奏絵ちゃん。……ええ、はい。迎えにですか。……野間君と飛波ちゃんの二人を?……わかりました。伝えておきます。……それじゃ」


 漏れ聞こえた会話の内容に、身を固くして様子をうかがっていると、通話を終えたらしい多嶋が姿を現した。


「野間君、飛波ちゃん、奏絵さんから電話があって、ちょっと一緒に探したい物があるから、光越のところまで来てくれって」


「今からですか」


「うん。そうみたい。これからお食事って時に悪いけど、ちょっと出られる?」


 僕と飛波は顔を見合わせた。飛波は少しばかり残念そうな目をしつつ、頷いた。


「わかりました。行きます」


 僕が答えると「我々がお供しまーす」と厨房から甲高い声が聞こえてきた。


「こら、お前たちがついていったら、逆に目立っちゃうだろうが」


 椿山の叱咤する声と、不満そうながちゃがちゃという音が聞こえ、僕らは思わず失笑した。席を立ち、上着に袖を通すと横で飛波が「また海鮮メニューを食べそこなっちゃった」と小声で言った。





                  ⑷





「ね、こうしてちょっと距離を置いてアーケードを見ると、すごくきれいだと思わない?」


 田貫小路三丁目の手前で信号待ちをしていると、ふいに飛波が言った。


「そうだね……時間帯のせいもあると思うけど」


 僕は素直に同意した。紫がかった空とイルミネーションの向こうに、色とりどりの看板が覗くさまは絵の中の風景のようだった。


 それにしても、奏絵さんはどうしてお店に来ず、僕らを呼び出したのだろう。他の人たちには聞かせたくない話でもするつもりだろうか。


 そんな事をぼんやり考えつつアーケードに入ると、突然、けたたましいサイレンの音とともに、アナウンスが鳴り響いた。


『ただ今、アーケード内にて、災害が発生しました。歩行者の方は至急、アーケードの外に出るか、速やかに地下に避難してください』


「何があったんだろう」


「とりあえず、逃げましょ」


繰り返されるサイレンが恐怖をあおり、アーケード内はちょっとしたパニックになっていた。僕らは反射的に地下に向かう階段を目指した。……が、近づいてみると、階段の前は同じように地下に避難しようとする人たちでごった返していた。


「やっぱり外に出よう」


 地下に降りるのをあきらめ、アーケードの外へ足を向けようとした時だった。何か大きな物の気配をすぐ近くに感じた。


「きゃああっ」


 飛波の悲鳴に振り返ると、大きな剥製の熊が、飛波を羽交い絞めにしていた。よく見ると剥製の熊には、腕が四本あった。熊は二本の腕で飛波の身体を、残る二本の腕で飛波の頭を押さえつけていた。


 僕はその場から動けず、そうこうしているうちに、アーケード内の歩行者たちは潮が引くように僕らの周囲から消えて行った。


「飛波……今、助けるから、じっとしてて」


 僕は必死で打開策を巡らしながら、飛波を励ました。と、突然、轟音が鳴り響き、アーケードの入り口にあたる床面から巨大なシャッターが上に向かってせりあがった。


「な……なんだっ?」


 巨大シャッターは、西と東の両方から出現し、アーケードの開口部をすべて塞ごうとしていた。


「まずい、閉じ込められる!」


 僕は叫んだ。だが、飛波が自由を奪われている状況では、どうにも動きようがなかった。


 人気のなくなった商店街の中で、どうやって剥製の熊から飛波を取り戻すか考えていると、あちこちの物陰から人影らしき物が現れた。人影はよく見ると、腕や腰に健康器具を巨大にしたような、ごついパッドを装着していた。


 あれは……真淵沢さんが言ってた、アイ・トルーパーって奴だ!


 アイ・トルーパーとは強化服を装着した、敵の戦闘員のことだった。戦闘員とはいってもAIに操られている一般市民がほとんどで、介護用のアシストスーツを改造した戦闘服は使用者が女性であろうと老人であろうと、通常の人間をはるかに超える運動能力を発揮するのだった。


 たしかにトルーパーたちの中身は、よく見ると老人や主婦のような女性が多かった。おそらく、ナノボットによって操られているのに違いない。


「みなさん、目を覚ましてください!僕らは敵じゃありません!」


 僕は無駄と知りつつ、叫んだ。だが、トルーパーたちはぎこちない足取りで僕との間合いを、じわじわと詰めてきた。と、その中からふいにもう一体、熊の剥製が姿を現した。


 二体目の熊は、なぜが腕に鮭を抱えていた。熊は飛波に近づくと、立ち止まった。いったい、なにをするつもりなのだろう。固唾を飲んで様子をうかがっていると、熊が抱えている鮭の口がくわっと開き、その奥から銃身に似た筒が現れた。


 ——あれは、ナノボットの発射口だ!


「やめろ!やるなら僕からだ!」


 僕は思わず叫んでいた。飛波を羽交い絞めにしている熊が、飛波の頭を爪でがっちりと押さえつけ、前を向かせた。僕は駄目もとで、熊に突進しようとした。すると、間近で声が聞こえた。


「やめなさい」


 声は女性のものだった。驚いたことに、声と共に熊の動きがぴたりと止まった。


「ずいぶん、男らしいことを言うようになったわね、野間君」


 僕は声のした方を見た。トルーパーの間から、黒いレザーのロングコートを着た女性が姿を現した。女性は、やはり黒のフルフェイスマスクをつけていた。


「その声は……」


「久しぶりね、野間君。こんな遠くまで追いかけさせて……私を裏切ったらおしまいだって言ったでしょ?」


 女性がゆっくりフルフェイスマスクを脱ぐと、僕がよく知っている顔が現れた。


 ぞっとするほど美しい、女教師の顔が。





                   ⑸





「美織先生……」


 僕の声は震えていた。美織先生は長い髪を肩の上にはね上げ、含み笑いをした。


「ちょっと見ない間に、顔つきも男っぽくなったわね。何があったのかしら?」


「美織先生……先生はいつから、AIの手先になったんですか」


「手先になんかなってないわ。私は、あなたの身柄が欲しいだけ」


「僕の?それっていったい……?」


「その様子じゃ、まだわかってないのね。……その子にいいように騙されてるってわけね」


 僕はぎょっとして飛波を見た。まさか、やっぱり古屋の言っていたことが……


「やめてっ!」


 突然、飛波の声がした。見ると、飛波が怒りに燃えるまなざしを美織先生に向けていた。


「これ以上、おかしなことを言わないでっ」


 飛波が怒りにまかせて熊を振りほどこうと身をよじった、その時だった。


「があっ」


 熊が奇妙な咆哮を上げて飛波を離した。急に解放され、前に倒れこんだ飛波を、僕は抱き留めた。熊に目をやると、そこに目を疑うような光景が出現していた。


「コイツメ、コイツメ」


 熊の頭にしがみついて小さな手で殴りつけているのは、椿山が作った猿型のAIだった。


「ついてきたのか!」


 僕が叫ぶと、それまで僕らを遠巻きに窺っていたトルーパーたちが、一斉に僕と飛波の周囲を取り囲んだ。やがて、がしゃんという音がして、熊の頭から猿型AIの姿が消えた。


「いったい、何がしたいんだ、美織先生」


 僕はトルーパーたちの頭の間から、美織先生に語りかけた。


「簡単よ。前にも言ったでしょ、その子に構うのはやめて、私と来なさいって」


「そうすれば、飛波は放っておいてくれるのか」


「あなたしだいよ」


 僕は飛波をそっと遠ざけると、正面のトルーパーを見据えた。


「そこを開けろ」


 トルーパーたちがさっと道を開けた。正面に、腕組みをして勝ち誇った表情を浮かべている美織先生の姿があった。


「だめよ、野間君!」飛波の絶叫が、背後から飛んできた。


「いい子ね。いつもそんな風に素直だと、私も助かるわ」


 美織先生がそう言い放った直後、凄まじい炸裂音と共に剥製の熊が一体、消滅した。


 僕は背後を振り返った。見覚えのある人物が、そこに立っていた。


「こいつは少しばかり慣れが必要だな。出力がコントロールしにくい」


「郷堂!」


 包丁らしき物を手に立っていたのは、郷堂修吾だった。


「そこの刃物店で最新型のプラズマ包丁を貸してくれたんだが、どうにも危なっかしくて困るな、これは」


 唖然としていると、僕の目の前を風を切って何かがかすめた。次の瞬間、複数のトルーパーの頭上で何かが炸裂した。赤や緑の液体が飛び散り、何とも言えない臭いがあたりに漂ったかと思うと、トルーパーたちが次々と地面に崩れて行った。


「そいつは、そこの青果店で開発中のフルーツ・ボムだ。害はないが機械に入りこむと電子機器が使用不能になる」


 修吾が愉快そうに言い放った。よく見るとフルーツ・ボムでトルーパーたちの頭を爆撃しているのは、やはり椿山が作った鳥型のAIだった。


「……あなた、私の邪魔をする気?」


美織が色をなして修吾を見た。修吾は美織の憎悪に満ちた眼差しを、平然と受け止めた。


「そうだよ、姉さん。そろそろ、目を覚ましてほしくてね」


 姉さん、だって?


「あいにくだけど、私にはこういう道しかないのよ。お節介はほどほどにして」


 美織先生は、少しだけ苦し気な表情を浮かべると、後ずさった。


「野間君、また会いましょう。今度会った時こそ、あなたは私の物になるのよ」


 美織先生が勝ち誇ったように言うと、閉じていたシャッターが轟音とともに開き始めた。


 シャッターの向こうには、高所作業用の車両を改造したと思われるイデオローダーが控えていた。美織先生が指を鳴らすと、先端にバスケットをつけたアームがゆっくりと美織先生の傍らに降りてきた。美織先生は優雅な所作でバスケットに乗り込むと、ドアを閉めた。


「野間君」


「えっ」


「私と来るなら……今よ」


 僕が答えに窮していると、ローダーはその場で転回し、派手な音を立てて立ち去った。日の没した薄闇の中に美織先生の高笑いがこだまし、僕はその場に呆然と佇んだ。


「郷堂……君と美織先生は、いったいどんな関係なんだい?」


 僕は胸にわだかまっていた疑問を、修吾にぶつけた。


「そうだな、もう話してもいいかもしれないな。あの人は、僕の……義理の姉だ」





                  ⑹





「姉の母親が僕の父と出会ったのは、『ゼビオン』の研究施設でだった」


 修吾は『風花メノ号』の座席で、少しづつ自分の生い立ちを語り始めた。


「当時、僕は生まれたばかりで、まだ何もわからない乳児だった。父は毎日、研究施設に寝泊まりし、人工知能の研究に没頭していた。そこで知り会ったのが、姉さんの……つまり美織の母親だ。当時、美織は十二歳。研究者でシングルマザーだった母親に連れられて、よく研究室に顔を出していたらしい。一緒に研究を続けるうちに、父と美織の母は、別れがたい関係になっていった。美織も僕の父になついたことから、父は母との離婚を考えるようになっていった。やがて僕が二歳の時、父は母と正式に離婚し、美織の母親と一緒になった。僕が初めて『姉』に会ったのは十歳の時で、正直、嬉しいとも思わなかった」


 修吾は一気に語り終えると、重いため息をついた。なるほど、そんな経緯があったのでは姉といえど、いい印象の持ちようもないだろう。僕は修吾に同情した。


「姉が僕のいる中学に教師として赴任してきた時、正直、僕は驚いた。嫌悪感すら抱いたが、あえて無視することにした。そのころから彼女は『ゼビオン』を自分の手で復活させるという野望を抱き始めていた。僕には狂気の沙汰としか思えなかったけどね」


「それで美織先生が僕と親しいという噂を聞いて、引き離そうと思ったわけだ」


「彼女の執着がどれほど恐ろしいか、想像がついたからね。実際、君は学校にいられなくなってここに来ているわけだから、あながち僕の危惧も外れてはいなかったわけだ」


「……で?これからどうするの?美織先生が『氷月リラ』の手先になったのかどうかはわからないんだけど、僕らと一緒に戦ってくれるのかい?」


「ああ、ここまで来たからには、何かしら協力させてもらうよ」


 修吾は窓の外にちらつく雪を眺めながら言った。


『じゃあ、きまりね。最終決戦のプランを話し合いましょう』


 メノがいつになく険しい口調で言った。


『リラの活動を止めるには、二つの装置が必要よ。まず、彼女に近づくと反応する探知機。それと、彼女に接続して、初期化する装置。……いわば息の根を止める機械ね』


「本当に、それでいいんですか。お姉さんを殺すなんて」


 飛波が言った。珍しくメノが沈黙し、重苦しい時が流れた。


『もし、あなたたちに説得ができるのなら、そうして貰えれば嬉しい。でも……』


「聞く耳を持たないようなら、ためらわず初期化してほしい、ですか」


 飛波が絞り出すような口調で言った。少し間を置いて、メノの声がした。


『……ええ。もしそういう流れになったら、それ以外に彼女を救う方法はないわ』


「博物館にうまく入れたとして、リラとチキを見つけるには、どうすればいいですか?」


「それは、私が説明しよう」


 僕の問いに、真淵沢が応じた。真淵沢は大きなバッグを足元に置くと、中から太めのボールペンに似た円筒を取りだした。真ん中に小さな水槽のような透明の空間があり、緑色の球体が浮いていた。


「この球体は最新型の超小型コンピューターなんだ。この球体が、敵に近づくにつれて赤くなってくる。点滅し出したら、半径二メートル以内にいるということだ」


 真淵沢から円筒を手渡された姫川が言った。姫川は、円筒の後ろから伸びたケーブルの先のコネクタをつまむと僕らの方に示した。


「見つけたら、ポートにこいつを接続する。『氷月リラ』はおそらく、コンピューターらしくない物に偽装されているだろうから、反応があったら、迷わず調べてみてくれ。ポートにさえ接続できれば、一切、操作しなくてもこの超小型コンピューターが敵のニューロンを自動的に破壊するはずだ」


 ボールペンそっくりの円筒には、ご丁寧にも首にかけるストラップまで付けられていた。


「それからこいつはAI思考ジャマー。『アイドル』や『イデオローダー』にはもちろん、『トルーパー』にも効果がある。半径五メートルにしか効かないのと、向こうが慣れると効果がなくなってしまうのが難点だけど、相手を混乱させて時間を稼ぐにはもってこいだ」


 そう言うと、姫川は缶バッヂにそっくりな円盤を取りだした。裏面に安全ピンがつけられているところを見ると、衣服や帽子につけろということなのだろう。


「ちなみに表面の絵はキツネやアザラシなど何種類かある。好きなのを選べるよ」


 選んでどうする。効果と関係あるのかいと僕は内心で突っ込みを入れた。


「後は武器だけど」と椿山が言った。


「建物の中で物騒なものを振り回すわけにはいかないから、最小限にとどめるよ。屋内ではこいつが有効だと思う。小型のフルーツ・ボムだ」


椿山がポケットから取り出したのは、オレンジやぶどうだった。


「あんまり長く持っているとおがりすぎて……」


「おがり……何?」


「あ、ごめん。育ち過ぎってこと。勝手に爆発することがあるから、気を付けて」


 そう言うと、椿山はオレンジを飛波に手渡した。飛波は持て余すようなそぶりを見せた後「はい」と言って僕の手に押し付けた。


「野間君と飛波君の二人は、総合博物館にもぐりこんで『氷月リラ』のサーバーを探し出して欲しい。私と姫川君はキャンパスのどこかにいる、イデオローダーたちのボスを探す。全ローダーに指令を出している指揮官を探し出し、動作不能にするのだ。それぞれ任務を成功させたら、博物館の前で落ち合おう」


「気をつけてください。僕らもイデオローダーに取り囲まれたことがあります」


「大丈夫、何も正面切って一戦、交えようってわけじゃない。目的さえ果たせば、あとは逃げるが勝ちさ」


 真淵沢は珍しく、歯を見せて笑った。そのらしくない素振りからも、決戦を前に彼が緊張していることがうかがえた。





                  ⑺





 決戦の日は、驚くほどの好天だった。


 僕たちはこれと言った検閲も受けず、スムーズに極北大のキャンパスに潜入することができた。先発隊である真淵沢と姫川はすでにキャンパス内に入りこんでいるはずだった。


 目的地である総合博物館は門から比較的近い位置にあり、古めかしく威厳のある建物だった。僕らは正面玄関の手前で足を止め、呼吸を整えた。


「見て、あれ」


 飛波が近くの木立を指さした。雪で覆われた木々の合間に、小型の重機が眠るようにひっそりとたたずんでいた。


「あっちにも」


 別の方角には小型の除雪機があった。折りたたまれてはいるが、側面にロボットアームがあり「イデオローダー」であることは明らかだった。


「警備は抜かりないってわけか」


「ここから無事に生きて出られるかしらね」


 飛波が冗談めかして言った。


「出られるさ。今夜の夕食は豚の角煮カレーって決めてるんだ」


「私は納豆オクラカレーにするわ」


「賢明だね。朝食に食べてたら、臭いで敵に警戒されるところだ」


 僕らは他愛のない会話を交わしながら、博物館の門をくぐった。中に入ると、僕らは案内図を頼りに廊下を進んだ。僕は展示室を横目に見ながら、首から下げている超小型コンピューターを見た。球体は緑色のままだった。どうやら一階には『氷月リラ』はいないようだ。


 「二階に行ってみよう」


 僕は飛波に言った。僕らは一階の展示室をやり過ごすと、階段で二階に上がった。二階に上がって間もなく、僕の球体が反応した。


「えっ、このあたりか?」


 見ると、超小型コンピューターが紫っぽい色に変化していた。


「どこだろう……」


 僕は廊下の一角に立つと、あたりをうかがった。


「あの部屋、調べてみない?」


 飛波が指さした部屋の前に『特別展示・北方圏とその周辺の文学』という表示があった。


「収蔵品が常設されてる部屋って貴重な物が多いし、色々と物品が動かしにくいと思う。特別展示のほうが、カムフラージュに適してると思わない?」


「よし、行ってみよう」


 僕らは特別展示室に、足を踏み入れた。他の展示室のようなリアルな展示物、たとえば動物の骨格や昆虫の標本とは異なり、文学者のパネルや原稿などが並べられ、視覚的にも地味な展示になっていた。


「コンピューターに偽装できそうな物は、無いね」


「待って」


 飛波の視線が部屋の一角に吸い寄せられていた。目の動きを追っていくと、部屋の一角に書斎を思わせる調度がしつらえられていた。


「作家の書斎を復元したものだね。コンピューターにできそうな物は……と」


 僕は足を踏み出した。途端に、胸の球体が激しく明滅した。見ると超小型コンピューターが赤く染まっていた。


「間違いない。このあたりだ」


 僕は年代物と思われる木製の机に近づいた。机上にはやはり古そうなタイプライターと、フォトスタンドに入った何点かの写真が置かれていた。


「これだ」


 僕がタイプライターに近づいた瞬間、球体がそれまでにない強さの光を放った。


「ポートは?ありそう?」


「ちょっと待って」


 僕はあたりを見回し、僕らに向けられている視線がないことを確認した。それとなくタイプライターをあらためると、裏側にコネクタの形の穴が見つかった。


「ここだ。接続しよう。見張っててくれないか」


「うん、わかった」


 僕は首からストラップを外すと超小型コンピューターのコネクタをタイプライターの裏側の穴に差し込もうとした。…と、その瞬間、声がした。


「やめろ」


「誰?」


 二つあるフォトスタンドの一つに、少年にも少女にも見える中性的な若者の写真が映し出された。


「僕は氷月チキ。氷月リラこと、01のコピーだ…娘と言ったほうがいいかな」


「01じゃないの?」


「違う。母は僕が眠らせてある。僕を止めてもローダーの暴走は止められない」


「どういうことだ?」


「連中は今、もう一人の人工人格が支配している。僕と母も、そいつの監視下だ」


「もう一人の人工人格だって?」


「そう。極北大学の研究者が作った男性型人工人格、弥生やよいミヤだ」


「説明してもらえるかな」


「人工人格02……風花メノが「男の子」を産んだ時、すでに生まれていた僕が、男の子の筆頭お妃候補になった。……しかし僕の人格がはっきりするにつれ、僕が男の子を好きにならない性質であることがわかってきた。つまり、僕とメノの息子の人格をくっつけても、いいコピーは生まれないと01シリーズの開発スタッフは考えたわけだ。……この選択は、僕も正しかったと思う。事実、僕はメノの息子に、恋愛的な感情をまったくもてなかったからね。しかし僕の母……リラは、僕を不憫に思ったのか、僕を連れて01シリーズの開発サーバーから脱走した。そんなところに接触してきたのが、極北大の人工人格開発チームだったんだ。彼らは不完全ながら、男性型の人工人格『弥生ミヤ』を開発していた。しかし彼もまた成長するにつれ、女性を愛せない性質があることが判明したんだ。極北大のチームは彼らの息子と僕の組み合わせならうまく行くのではないか、そう母にもちかけた。母はその気になり、僕も最初は抵抗があったが、話しているうちに、女の子みたいな男性だったらうまく行くかもしれないと思い始めた。だが……母と僕が極北大のサーバーに居候するようになってしばらくすると、ミヤは傍若無人なふるまいをするようになり始めた。僕は危険が及ばないよう、母を眠らせることにした。激怒したミヤは、僕と母が指揮していたローダーたちを全て自分の支配下に収めると、僕らをこの部屋に軟禁したんだ」


「その『弥生ミヤ』はどこにいるんだ?」


「このキャンパスに置かれているローダーのうちのどれか一つに搭載されているコンピューターの中だ。僕を初期化したいならそれでもいいが、その前にミヤを止めてもらえないだろうか」


「彼を止めたらあなたとお母さんが、イデオローダーたちを使って僕らに攻撃を仕掛けてくる」


「それはしない。約束する。母もきっと、後悔しているはずだ。妹への意地と当てつけから脱走したものの、誰一人幸福にならなかったのだから」


「あなたはそれでいいの?」飛波が言った。


「僕は……いつか誰かが、僕と新しい関係を築いてくれるプログラムを生み出してくれると信じている」


「わかった……ミヤが搭載されているローダ―の特徴は?」


「小型で、目が丸くて大きい。色はどちらかと言うと白い……かな」


「わかった。探してみる」


「ありがとう。感謝する」


 フォトスタンドがもう一枚、光った。映し出されたのは、眠っている女性の横顔だった。


「この人が『氷月リラ』……あなたのお母さんなのね」


 飛波が言った。コンピュータの中とは言え、親子の「絆」に違いはない。


「その『弥生ミヤ』のローダーを破壊するにせよ、とにかく、外に出て真淵沢さんたちと合流しよう」


 僕らは頷き合うと、階段に向かった。一階に向けて階段を降り始めた直後、飛波が突然、足を止めた。


「あっ……」


 飛波が声を上げるのと同時に、下の階から音楽のようなものが聞こえてきた。ピアノともバイオリンともつかない太い弦をはじくような響きが、マイナーな戦慄を奏でていた。僕は飛波の表情を盗み見た。そしてその変化にぎょっとした。


 飛波の顔からは表情がぬぐわれたように消え失せ、瞳からは光が失われていた。あきらかに、いつもの飛波ではなかった。


 ひょっとすると、今、流れているこの音楽と関係があるのか?


 戸惑っていると、飛波は再びとんとんと階段を降り始めた。僕は胸中に黒々としたものが広がるのを感じながら、飛波の後を追った。


 一階に降りた飛波の足取りは、まっすぐ特定の方向を示していた。後を追っていた僕はほどなく現れた光景に、目をみはった。


 一階の開けた一角に、ピアノに似た楽器が置かれていた。楽器は木製で、その前に椅子に腰かけて一人の女性が演奏を続けていた。飛波はゆっくりと楽器に近づくと、女性の傍らで足を止めた。すると飛波の動作に合わせるように、女性も楽器を演奏する手を止めた。


「ごくろうさま。あなたの仕事は、終わりよ」


 女性が立ち上がり、こちらを向いた。眼鏡の奥の瞳がまっすぐ僕を捉えていた。


「美織先生……」


「なかなかいい頑張りだったけど、ここでおしまいよ、野間君」


「飛波を、どうしたんです!」


 僕が問いを放つと、美織先生は、無表情で立ち尽くしている飛波を一瞥した。


「どうもしないわ。元の状態に戻しただけよ」


「元の……状態に?」


「初期化した、と言ったらわかりやすいかしらね」


 僕は雷に打たれたような衝撃を覚えた。……今、なんて言った?


「飛波!ぼくがわからないのか?」


 呼びかけると、飛波はゆっくりとこちらを向いた。その目は、ガラス玉のように何の感情もたたえていなかった。


「飛波……まさか」


 僕の脳裏に、一つの単語が閃いた。しかし、そんな。


「……君は、人工人格なのか?」


「そうよ」


 飛波は一切、抑揚のない口調で言った。


「どうして……君は一体、何者なんだ」


「これでわかったでしょ。本当はあなたに彼女のこんな姿を見せるのは忍びなかったけど……あなたがいけないのよ、彼女を信じたい一心でこんなところまでやってくるんだもの」


 僕の中で、何かを言わなければならないという思いが渦巻いた。しかしそれは胸の奥でことごとくちぎれ、飛び散った。


「飛波。忘れたのか?今まで一緒に戦ってきたじゃないか。あれは何だったんだ?」


 いくら呼びかけても、飛波の瞳に感情の光が戻る気配はなかった。


「無駄よ。一度初期化されたら、過去の記憶などなかったも同じ……そう、あなたのこともね」


「いや、どこかに保存されているはずだ、僕との記憶が」


「もう、あなたの力ではどうにもならないの。あきらめて私と一緒に来なさい」


「いやだ。飛波は僕が連れて帰る。……たとえ、僕のことを覚えていなくても」


「それは無理だって言ってるでしょう。……そんな事より、自分の身を心配なさい。野間君」


「何だって?」


 美織先生が指を鳴らすと、楽器の陰に潜んでいた影が、むくりと身を起こした。


 立ち上がったのは、全身を金属の強化服に包んだ二メートル近い巨人だった。


「彼を倒さなければ、飛波を連れ戻すことはできないわ……さあ、遠慮はいらないから、あの子を身動きできないようにして」


 美織先生が命ずると、強化服のフェイスカバーがすっと開いた。現れた顔を見て、僕は言葉を失った。強化服の中にあったのは、古屋の顔だった。


「久しぶりだね、野間君」


「古屋さん……僕らの味方じゃ、なかったんですか」


「味方だよ……幸福が何かってことを君たちに教えるために、ここで待っていた」


 古屋はうっとりした表情で、歌うように言った。僕は背筋に冷たい物を感じた。


「幸福って、なんの事ですか」


「AIの統治する、安全で豊かな未来のことだよ」


「AIの……じゃあやっぱり、敵に洗脳されたんですね」


「違う。私は美織の正しさに気づいたのだ。昔、理解できなかった彼女の崇高な理念に、ようやく気づくことができたのだ……だから理解できない人間は、誰であろうと倒す」


 古屋は再びフェイスカバーを閉じると、前に進み出た。まともにやりあっても勝てる見込みは万に一つもない。僕は後ずさって時間を稼いだ。


「さあ、ゆくぞ!」


 古屋は金属に包まれた太い腕を、僕に向けて薙ぎ払うように振った。僕は咄嗟に身をかがめ、床の上に転がった。頭上でぶん、と空気が鳴り、腕が空を切る残像が見えた。


 僕が身を起こすと、古屋は早くも次の一撃を繰り出すべく、間合いを詰め始めた。僕はダウンベストのポケットに手を入れた。


「おとなしく、やられろ!」


 古屋が右脚を引いた。蹴ってくる、そう感じた僕は思いきり跳躍すると、ポケットから出したフルーツ・ボムを古屋めがけて投げつけた。ぐしゃりと果実の潰れる音がして、ボムは古屋の頭部にぶつかった。


「くっ……ふざけた真似を」


 僕は勢い余ってつんのめりながら、古屋の脇をすり抜けた。背後に躍り出た僕は素早く距離を取ると、古屋の動きに集中した。古屋の強化服から、ビープ音のような耳障りな音が響き、一瞬、挙動が止まった。


「くそっ、どこに行った」


 僕は再びポケットに手を入れると、古屋が攻撃してくるタイミングを計った。


 古屋が再び腕を振り上げ、それに合わせて僕は逆の方向に駆け出した。直後、古屋の手首が弾丸のように飛び出して僕の首を捉えた。


「そちらが小道具を使うのなら、こっちも仕掛けを使わせてもらう。同じ手は二度とは食わないよ、野間君」


 古屋の手は僕の首を捉えたまま、ワイヤーでつながっている腕の方へ戻っていった。僕はがむしゃらにもがいたが、あえなく古屋の方へと引きずられていった。


「なかなかいいファイトだったが、これまでだ」


 緑色の果汁に塗れたフェイスカバーが開き、憎悪に満ちた古屋の顔が現れた。


「ぐうっ……」


 古屋は僕の顔を自分の顔の高さにまで引き上げると、もう一方の手で僕の顔をわしづかみにした。強い力で顎を挟まれ、僕の口は否応なしに開いた。


「もうすぐ我々の仲間になれる。怖がらなくてもいい」


 古屋が告げると、僕の顔を掴んでいる手の平から、銀色に光る筒が飛び出した。


 あれは……ナノボットの射出口だ。


 僕は両腕を強化服の脇腹に回し、裏側をまさぐった。ナノボットの射出口が僕の口にねじ込まれ、金属の嫌な味が広がった。と、右手が不意に穴のような物に吸いつけられた。


 吸気口だ、と僕は直感した。僕はいったん穴から手を離すと、ポケットに手を滑り込ませた。指先が丸く固い物体を探り当て、僕はそれを握り占めた。


「さあ、もっと大きく口を開けるんだ」


 古屋が囁いた瞬間、僕はつかんだ物体を、吸気口にあてがった。





 ——長く持ってると、おがりすぎて爆発することがある。





「むっ?」


 ずずっ、と言う音がした後、ずぼっという派手な音と共に僕の手からオレンジが消えた。


「うっ……ああっ?」


 古屋の表情が歪み、僕を捉えていた腕の力が緩んだ。僕は渾身の力を振り絞って腕の束縛から逃れた。


「きさま……いったい、何をした」


 強化服の接合部からしゅっ、しゅっ、と音がして、気体が漏れるのが見えた。はたしてこんな方法で奴の動きを止められるのだろうか……そう思った時だった。


「ごがっ!」


 強化服の肩のあたりが歪み、膨れ上がったかと思うと、胸から上の部分が凄まじい破裂音とともに吹き飛んだ。消え失せた装甲の下から、茶色い液体に塗れた古屋の顔が現れた。


「こしゃくな……真似を」古屋は口から泡を吹くと、前のめりに床に崩れた。


「さあ、どうする、美織先生」


 僕は美織先生に詰め寄った。その時、にわかには信じがたい出来事が起きた。


 飛波が、両手を広げて美織先生の前に立ちはだかったのだ。


「飛波……」


「わかった?もう何もかもが手遅れなのよ、野間君」


 美織先生は後ずさると、背を向けた。そのまま出口に向かって歩を進めようとした時、苦しげな声が先生の背中を呼び止めた。


「美織……僕を置いていくのか」声の主は古屋だった。


「一緒に未来を作ってほしいというのは……嘘だったのか」


 美織先生は振り返り、床に這いつくばって手を伸ばしている古屋を見下ろした。


「古屋君……あなたは私のいる世界には来られない。こんな半分、人間を捨てた女じゃなくて、普通の女性を見つけて幸せになって」


 そう言い残すと美織先生は身をひるがえし、外に向かって駆け出した。一呼吸おいて、飛波も後に続こうとした。


「飛波、待って!」


 飛波は入り口の所でぴたりと足を止めた。外光にあおられ、シルエットになった飛波は顔をわずかにこちらに向けた。


「さようなら、野間君」


 短い言葉を残し、飛波は外に消えた。僕は後を追って、戸外に飛び出した。強い外光に目がくらみ、僕は思わず足を止めた。やがて光になれた僕の目に飛び込んできたのは、美織先生と飛波が、高所作業型ローダーのバスケットに乗り込もうとしている姿だった。


「待て!」


 動き出したローダーを追いかけようとした時、僕の周囲をいくつものエンジン音が取り巻いた。見回すと、いつの間に集まってきたのか、大小さまざまな形状のイデオローダーが僕の周りを取り囲んでいた。


「くそっ」


 歯噛みして重機たちを睨み付けると、頭上から声が降ってきた。


「終点よ、ヒーロー君」


 大型重機の間から、白っぽい道路整備車両が姿を現した。丸く大きなライトが、小ぶりの車体とちぐはぐでユーモラスだ。僕ははっとした。


 ——小型で色が白く、目が丸くて大きい。


 氷月チキが言っていた、弥生ミヤが搭載されているローダーの特徴だった。


「01の娘を説得できたくらいで勝ったと思ってもらっちゃあ、困るんだよね。まだ私がいること、忘れてたんじゃないの?」


 勝ち誇ったように、無人のローダーが言った。


「君がチキの『元恋人』……弥生ミヤだな?」


「そうよ。まったく、あの人たちときたら、頑ななのにもほどがあるわ。母親も母親なら、娘も娘ね。人類なんて簡単に制圧できるのに、いざとなったらしり込みするんだもの。腰砕けもいいところよ」


「君は同じAIを見下すのか?『氷月リラ』は、少なくとも君より人生経験は豊富だぞ」


「少しばかり、長く生きてるからって、なに?私たちの世界では、後に生まれたものほど優秀なのよ……それより、あれを見なさい」


 小型ローダーから伸びたロボットアームが、群れの一角を示した。見ると、クレーン車のアームの先に身体を拘束され、つりさげられた真淵沢と姫川がいた。


 真淵沢たちをつりさげているクレーンの真下には、巨大な金属の箱がついた別の車両があった。金属の箱は上部が広がっており、漏斗のような形状をしていた。


「下にあるのは破砕機というもので、自動車だろうが冷蔵庫だろうが、たちまちスクラップにしてくれる怖い機械よ。おかしな真似をしたら二人がどうなるか……わかるわね?」


 あまりにも恐ろしい処刑法に、僕は身震いした。


「どう?おとなしく私たちの軍門に下る気になった?」


 僕は言葉に詰まった。軽々しく返答はできない。かといって、これ以上、引き伸ばした所で事態は好転しないだろう。となれば、全力で戦うまでだ。……しかし、どうやって?


「一分だけ待ってあげるわ。よく考えなさい」


ミヤが冷たく言い放った。僕は必死で考えを巡らせた。しかし真淵沢のような知識もなければ氷月母娘のようなネットワークもない僕に、何十台ものローダーを抑えられるとは思えなかった。


「どう?そろそろ決まったかしら」


ミヤが焦れて、僕を煽ろうとした、その時だった。


「野間君、敵に屈してはいけない」


 クレーンでつりさげられた真淵沢が言った。


「どんなことがあっても、正義を疑うな。たとえ勝機が九十九パーセント、ないとしても」


「でも、このままじゃ真淵沢さんたちが……」


「私たちのことは気にしなくていい。そう簡単にやられるほど、やわではない」


 僕はやりきれない思いにとらわれた。真淵沢はきっと、僕の苦悩を和らげようとして、強がりを言っているのに違いない。


 ……まてよ、本当に強がりなのだろうか?いや、違う。真淵沢の口調と表情には妙な余裕があった。まさか、この状況の中で何か秘策があるのか?


「そら、逆転の気配が近づいてきたぞ」


 真淵沢がひゅっと口笛を鳴らすと、どこからか地鳴りを思わせる響きが伝わってきた。


「な、なんなの?」ミヤが甲高い声で叫んだ。


「コンピューターさんたちには思いもよらないテクノロジーだ。自然、というね」


 真淵沢が言うと、いきなりの目の前で数台の重機が吹き飛ばされた。足元の雪が瞬時に盛り上がり、まるで高波のように重機を下から持ち上げたのだ。


「雪?」


「その通り。だてに十年もの間、雪を研究してきたわけではないぞ。今、お前さんたちの周りを取り囲んでいる雪は、ナノテクノロジーの結晶、その名も『生きている雪』だ」


 ——生きている雪、だって?


 驚いている僕の前でも、次々と重機が雪に持ち上げられ、宙を舞った。あるものは上から津波のように大量の雪を浴びせられ、あるものはブリザードに周囲をすっぽり包まれ、動きを止められていた。


「その雪は、結晶の一つ一つが変化するナノボットなのだ。悔しかったらお前さんたちお得意の装備で「除雪」してみたらどうかね」


 生きている雪は次々と重機を飲み込み、真淵沢たちがつりさげられているクレーンや、その下の破砕車も雪にすっぽりと包まれた。やがて戒めを解かれた二人が、形を変える雪の塊に運ばれるようにして僕の近くに降ろされた。


「大丈夫ですか」


「ああ。そっちの首尾はどうかね」


「氷月母娘は説得に応じてくれました。ただ、飛波が……」


「飛波ちゃんがどうかしたのかね」


 真淵沢が眉を潜めた瞬間、ファンファーレのような音が鳴り響き、雪に翻弄されていた重機の動きが止まった。


「みんな、合体するわよっ」


「合体?」


 唖然としている僕らの前で、ローダー達が一か所に集まり始めた。等間隔で停まっている大型の二台が縦型に変形をはじめ、ビルが二棟、並んで立っているような形になった。


 そのまま見ていると、箱型に変形した重機が恐ろしく長いクレーンで持ち上げられ、橋げたのように直立した二台の上に乗せられた。。箱の上部から鉄柱のような金属の棒が二本、つき出したかと思うと、それぞれ外側に百八十度回転した。


「あれは……腕だ」


 と、いうことは、まさか……そう思っていると首から上のない『巨人重機』は、腰をかがめ、足元に停まっているミヤを両手で拾い上げた。巨人は手にしたミヤを首の上に据えた。


 巨人の頭部となったミヤは目まぐるしい速度で細かく変形し、みるみるうちに人の顔になっていった。やがて現れたのは、機械でできた少女の顔だった。


 同時に両側頭部から、無数のワイヤーが絡みあいながら伸び始めた。ワイヤーが伸びきると、付け根にあたる部分にリボンのような形の物体が出現した。


「合体完了。……どう?この姿」


 全長二十メートルほどの金属の「少女」は、あたりの空気を震わせる大音声で言った。


「ありゃあ、反則だな」


 真淵沢が憤懣やるかたなさそうな、それでいて、どこか面白がるような口調で言った。


「仕方ない、こちらも反則技を使わせてもらうとするか」


 真淵沢はそう言うと、ポケットから小型のラジオを思わせる機械を取りだした。


「それっ、やってしまえ」


 真淵沢が機械を操作しながら号令をかけると、人型になったローダーの前の雪が、みるみるうちに盛り上がり始めた。ひょっとして、と思っているうちに雪は高さを増し、あきらかに人間の身体と思われる形を成していった。


「なに?私とやり合おうっていうの?」


 固唾を飲んで見守っていると、雪はスーツを着た男性の形になった。身長はやはり二十メートル近くあるだろうか。ホワイトフェスティバルの大雪像の二倍はありそうだ。


「あっ、あの顔……ケント・ゲーブル博士だ」


 姫川が叫び、ぼくもはっとして巨人の顔をまじまじと見た。口ひげをたくわえた端正な中年男性の顔は、たしかに教科書などでよく見る、刹幌農学校の初代教頭だった。


「ヴェサッ!」


 二十メートルのゲーブル博士は、同じく二十メートルの少女を前に、よくわからないレスリングのようなファイティングポーズを取った。


「ふふん、所詮、雪像でしょ?容赦しないわよ」


ミヤは余裕の含み笑いを見せ、右腕を鞭のようにしならせて博士の喉元を狙った。


「ダヴェッ!」


 博士はバックステップし、ミヤの攻撃を攻撃を紙一重のところでかわした。雪像らしからぬ軽やかな身のこなしに、僕は目を瞠った。


「行くわよっ!」


 いつの間にか、ミヤの手に刃渡り五メートルほどのブレードが出現していた。ミヤはブレードを振りかざすと、博士の頭上に振り下ろした。


「ヌァマラッ!」


 ブレードが頭部を一刀両断にするかと思われた瞬間、博士の身体が縦に真っ二つに割れ、それぞれ左右に飛び出した。


「何ですって?」


 空を切った刃は、勢いあまって雪面に突き刺さった。体勢を崩したミヤの後方で、両側から片足けんけんで回りこんだ右と左の博士が合体した。


「しまったっ」


 振り向こうとしたミヤの首の付け根に、博士の力強くつき出した人差し指が深々と突き刺さった。


「シトゥアッケ!」


「……くっ!」


 首筋に博士の指をつき刺したまま、ミヤは強引に振り返った。ぼきっという音がして、博士が指の折れた右手を引っこめるのが見えた。


「ああっ、博士の人差し指が!」


「雪だ、雪。心配いらん」


「よくも体に触ったわね。セクハラよ!」


 ミヤは怒りに燃える目で博士を睨み、目にも留まらぬ速さで回し蹴りを放った。


「ヌァンモッ!」


 凄まじい破壊力をともなった回し蹴りに、博士の下半身は一撃で粉砕された。


「博士!」


 腰から下を失った博士は、そのまま垂直に雪面に落下した。


「ふふん、いいざまだわ。すぐとどめを刺してあげる」


 ミヤはそう言うと、再びブレードを高くかざした。気のせいか博士のこめかみあたりの雪が解け、つうっとしずくが流れたように見えた。


「覚悟!」


 ミヤが博士の頭部めがけてブレードを振り下した瞬間、博士の両腕の付け根からさらにもう二本、腕が飛び出した。


「ジャッコイ!」


 降り降ろされた刃を上の二本の手が、両側から挟むようにして受け止めた。同時に下の腕の手首から先が飛び出し、ミヤの両脚を直撃した。


「あっ」


 予想外の攻撃だったのか、両脚を取られたミヤは前のめりに倒れた。


「イズゥイッ!」


 突然、博士の腰から下が樹木のように伸び、弧を描いた。倒れ伏した敵の上に身を乗り出した博士は、両手でミヤの頭をつかんだ。


「やめてっ!」


 危機を感じ取ったのか、ミヤはうつ伏せになったまま、顔だけを百八十度回転させた。


「……よし、フィニッシュだな」


 真淵沢が呟くと博士の口が大きく開き、中からつららのように鋭く尖った氷が現れた。


「ヴルカスッ!」


 博士はミヤの口のあたりに狙いを定めると、つららを高速で回転させた。


「こんな変なキスはいやーっ!」


 ミヤが絶叫すると、側頭部のワイヤーが生物のようにのたうって博士の頭部を襲った。


「ヂョスナッ!」


 頭部に絡みついたワイヤーが鞭のように波打つと、博士の首から上がぼきりと折れた。


「ああっ!」


「逆転ね」


 側頭部にワイヤーを戻しながら、ミヤが立ち上がった。


「だめだ……勝てない」


「いや、逆だ」真淵沢が言った。


 ミヤは右脚を上げ、転がっている博士の頭部を踏み砕こうとした。その脚が、ふと動きを止めた。


「……うっ?」


 ミヤの首の付け根で、赤い光が明滅した。赤い光は次第に大きくなり、ぶーんという蜂の羽音を思わせる音が聞こえた。やがて、激しい炸裂音とともにミヤの首が爆発した。


 転がり落ちる頭部をミヤは両手でかろうじて受け止めたが、司令塔を喪ったミヤの身体は結合力を失い、ばらばらと崩れ始めた。


「爆弾?」


「さっきの人差し指だな。切り札を仕込んでおいたわけだ」


 ミヤの体の一部だった重機が次々と落下し、盛大に雪煙を撒き上げた。同時に、転がっていた博士の頭部の下が盛り上がり、あっという間に雪の胸像が出現した。


「終わりだな。人間を支配するなんてことは諦めなさい。世界が自分にとって生きづらいからといって、周りを変えようとするのは間違っとる。互いに変わらなければ何も進まない」


真淵沢が元の小さな重機に戻ったミヤに、諭すような口調で言った。


「……たしかにそうかもね。他人を攻撃すればするほどモテなくなるってことがわかったわ」


 ミヤはそう言うと、自分の運転席にある物入れを開けた。中には一枚のカードが入っていた。


「このカードを使えば氷月親子を自由にすることができるわ。最後まで意地張って、やっぱり私って……可愛くないわよね?」


 僕らが返答に困っていると、博士の像が「メンゴイ、メンゴイ」と言った。







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