La jalousie nous fait fou.②
魔法構造理論の授業が終わり、魔法基礎演習の場所に三人、つまり僕とシフォンとヴィクターは移動した。
魔法構造理論の授業は、かなり地味な教科なので、比較的真面目な生徒が多い。つまり、僕とヴィクターにつきまとうようなミーハーな生徒はいない。
しかしこの魔法基礎演習の授業にはそんな子たちが掃いて捨てるほどいる。
「ミゲル君!」
「おはよう。今日もかわいいね」
心の中でどんなことを思っていても、僕はそんなセリフをさらりと吐き出せる。これは呼吸と同じく体にすっかりなじんでしまっていて、切り離せないものなのだ。
「悪いけど、俺にはシフォンがいるから。こういうの止めてくれる?」
こんなセリフは一生かかっても言えないだろう。
ヴィクターがそうやって女子たちをばっさりと切り捨てると、シフォンが露骨に嫌そうな顔をした。その顔を見ると、心のどこかで自分が安心したのがわかって、嫌になる。
僕はやはりどうしたって、ヴィクターとシフォンに上手くいってほしくないのだ。
「わぁ、本当にヴィクター君、素直になったんだね!」
「うんうん、似非フェミニスト降臨でしょ……え、素直?」
「だって、いつもシフォンに意地悪なのは、ヴィクター君がシフォンのこと好きだからでしょう?」
そんな声が聞こえてそちらを見ると、そこにいたのはステラ・ボワイエだ。
彼女はふわふわとした肩までの髪がよく似合っている、可愛らしい少女だった。背も低いし、声も透き通ったソプラノ。
つまり、どこにでもいるような”普通の”かわいい女の子。どちらかと言えば鈍そうな印象を受けていたが、ヴィクターの気持ちには気づいていたらしい。
いや、むしろそんな子でも気づけるくらい、ヴィクターはわかりやすいということだろうか。
「いやいやいや。そんなことないって。それは気のせい。あいつが意地悪なのは、むしろ私を女の子だと思ってないんだよ」
そしてこうやって否定しているシフォンは、恐ろしいほどに鈍い。
「ミゲル君、今日は私と組んでくれますよね?」
「いえ、私と組んでください!」
「いいえ、ミゲルは私と組むのよ」
シフォンのことを考えていると、僕に女の子たちが集まってきた。
この魔法基礎演習では、ペアを組んで練習する。この授業において、ヴィクターは女の子たちに囲まれることはない。一度言われるがままにペアを組んだ子を、ヴィクターは本気の魔法で叩き潰したためだ。そしてそのあと、実力の釣り合うシフォンと組みたいという意志をみんなの前で教授に伝え、教授もそれを承認した。
何時も文句を言うシフォンですら、それに反論したりはしなかった。彼女もまた、ステラと組むのでは物足りなかったのかもしれない。
そしてそういう事情から、僕はヴィクターと組むこともできず、毎回違う女の子と組んで適当に相手していた。今日だってそのつもりだった。
しかし、ヴィクターがシフォンに向けている幸せそうな笑みを見て、気が変わった。
「ねえ、ヴィクター」
僕はにっこりと笑ってから、一呼吸置いた。その間に周囲の女の子たちが”天使の笑顔”に堕ちていくのを確認する。そして、彼女たちが次の僕の一言で、地獄に突き落とされたかのような表情になるのも、僕にはわかっていた。
「シフォンって可愛いよね。僕も好きになっちゃいそうだよ」
シフォンは驚いていた。周囲の女の子たちは悲鳴を上げた。このあとどうしたものかと考えていると、ふとステラの姿が目に入った。彼女とは視線が合わないように気を付けているのだが、今はなぜか彼女の表情がぱっと視界に飛び込んできた。
彼女は驚いていなかった。当たり前のように、そして、なぜか微妙に嬉しそうな顔をしている。
彼女は自分に気があるのだと確信していたからこそ、その反応は気がかりだった。
「おい、ミゲル!」
ヴィクターの怒りを交えた声が、僕を我に返らせる。
この悪戯の収拾の付け方を思いついた僕は、こてりと首を傾げ、いかにも純粋そうな振りをして言った。
「あ、もちろん友達としてね」
「……! 紛らわしい!」
ヴィクターが素直にそう言って、安堵したように息を吐く。シフォンもまた、同じくらい安心しているという事実が、僕をやはりいらだたせた。
困らせたい。
いっそ、嫌われたい。
そんな思いにとらわれて、僕は禁忌を犯すことにした。
ステラの腕をとったのだ。
シフォンが大切にしている友達を、女子生徒たちの嫉妬の嵐に巻き込むことにした。さあ、どれだけ君は怒るだろう。そんな風に思ってシフォンを見れば、彼女はなぜか笑っていた。
そして、言う。
「あなたも惚れ薬、少しだけ被っちゃった?」
一瞬、意味が分からなかった。僕は魔法薬の授業は彼女と違うクラスだ。シフォンの作った魔法薬をかぶることなんてできっこない。
しかしまっすぐと僕を見据える彼女の瞳から、彼女の気持ちがなんとなく伝わってきた。
彼女は自分がかぶる気なのだ。ステラ・ボワイエに向けられるはずの嫉妬の嵐を。おそらくそれは、ステラが僕に恋をしていると知っているからなのだろう。
「……そうかもね。でも、ヴィクターと違って、あくまでも友達として好きだよ。だからこそ、シフォンの友達とは仲良くしたいなって」
僕の一言で、僕の取り巻きの女の子たちの雰囲気が変わったのが分かった。彼女たちは、きっとシフォンに手を出すだろう。ステラではなく。
「さ、行こう。ステラさん」
「あ、えっと……その……」
おどおどとしているステラの手を、やや強引にとって歩き出した。
僕は正直に言って、いらだっていた。彼女は僕のささやかな悪戯と意地悪を、自分の都合のよいように変えて見せた。それは彼女の親友に対する愛と、僕に何の気持ちも抱いていないという無関心さを同時に突き付けられた気がして、ひどく腹立たしい。
ある程度離れてシフォンやヴィクターの声が届かないところまで来ると、ステラと向き直った。
心のこもらない、しかし天使だと称される笑顔を忘れることはない。
「ちゃんと話すのは初めてだね」
話すどころか、向き合うのも初めてだ。彼女をこうして真正面から見つめることさえ、僕は避けてきた。
「あ……はい」
彼女は小さな声でそう返した。どうやら緊張しているらしい。僕はせめて、ステラを傷つけたいと思った。彼女の見ている王子様がいかに幻想か見せてやりたいと思った。むしろ、僕が本当はシフォンが好きなんだと言えば、ステラは泣くだろうか。
「でも、いつも見てくれてるなって思ってたんだ」
そう言いながら、僕は後ろめたさから、ステラの顔を見れずに視線をそらした。
しかし次の瞬間、彼女の行動によって僕は視線を戻さずにはいられなくなった。
なんとステラはミゲルの腕をつかんだのだ。
「どうしたの?」
こんな大胆な行動をできる子だとは思っていなかった。
「ずっと見てました。今、だけでいいから、私を見てください」
しかし、次に続いたその言葉で、僕の心は急速に冷えていく。
恋する気持ちがこの少女に行動させたのだ。ステラは、いったい僕の何を見ているのだろうか。うわべだけで中身のない僕の、何が好きだというのか。
「ねえ、僕のどこが好き?」
そう聞いて、わからせてやろうと思った。
「どこがというか……なんというか……好奇心なんです。私、知りたいんです」
「好奇心……か。面白いね」
顔、と言わなかったのは評価してもいい。
しかし、好奇心だなんだのと言葉をすり替えても、本質はいつも同じ。僕を驚かせることはない。
ただ僕のこの見た目と、僕が作り出した理想の王子様像が気に入ってもらえただけ。
「知りたいって思ったら、止められなくて。ずっと見てしまっていました」
「ありがとう。でも――」
――僕はシフォンが好きなんだ。
そう言って、終わりにするはずだった。それで僕の小さな復讐心のようなものは満たされるはずだった。
しかし、ステラは、僕がまったく予想していない告白をしてきた。
「――どうして、すべてに絶望しているのかなって。私はそう思って、たぶん、好きになったんです」
彼女は僕の顔を見て、なぜか微笑んでいる。
「わからないんです。自分でも。でも、今みたいな、本当の表情を知りたいって、思ったんです」
「今、みたいな?」
「だって今、眉をひそめたでしょう?」
仮面の割れる音が聞こえた。僕は自分の表情を、コントロールできなかったのだ。自分でも無意識のうちに。ステラはそれを見事に見抜いて、微笑んだ。彼女は飾らない僕を望んでいる。
僕の見た目でもなく、嘘でもなく、理想像でもなく。
「嘘だらけで、一つも本当がないミゲルさんの、本当が知りたいと思ったんです。突然こんなことを言ってごめんなさい。どうして好きなのか、うまく伝えられなくてごめんなさい」
彼女がやや早口でまくし立てているのを聞いて、僕はようやく自分の間違いを悟った。彼女は非常に鋭い人間だ。鈍くなんかない。
「なるほど。これは……僕も謝らなくちゃいけない。恥ずかしい勘違いをしてたみたいだ」
「勘違い?」
「……ステラ。敬語は使わなくていいよ。同級生だからさ」
「あ……うん」
彼女は戸惑っていたようだけれど、それでも僕の表情を観察することは忘れていないようだった。僕はもういつもの愛想笑いをやめ、ただ自然な表情でそこに立っていた。
「ちなみに、どうして僕に見てほしいと思ったの?」
「だって、私を見てくれたことがなかったから……。私を見たくないように思ったの。でもそれは、私が見つめすぎていたせいだったんだね」
「……半分あたりで、半分はずれ。親友の大切な人の大切な人だから、あんまり傷つけたくなかったんだ」
「本当はシフォンがちょっとぐらい傷ついてもいいって思ってるんでしょう? 親友をとられたから」
僕が少し織り交ぜた嘘も、彼女は敏感に救い上げる。彼女の言葉は正しい。ヴィクターを取られたから、傷ついてもいいと思っているし、シフォンが自分を向いてくれないから、彼女を傷つけたいと思った。
「……君は、本当に僕のことが好きなわけ?」
ステラは優しくない。
僕を好きだと言いながら、僕に好かれるようにという努力がまったく見受けられない。
「うん。嘘ばかりだからこそ、たまに見える本心が、とてつもなく興味を引かれるみたい」
「……僕は君が理解できそうにない」
「そうだね。私もきっと、理解できない」
どうやら彼女は変わっているらしい。僕はそう結論付けた。
僕の本当に価値はない。周りの女の子が評価するのは僕の嘘の部分だ。
しかし、彼女は”本当の”僕を知りたいといった。それを見れて嬉しいとも。
彼女は僕の理解を超えた存在だった。
存在が異質すぎて、シフォンとヴィクターが模擬演習をやっているのを見逃したくらいだった。いつもは二人がお手本として発表するのを、僕はじっと見つめている。二人とも僕の大切な友人で、その二人の編み上げる魔法もまた、僕の興味を引くものだからだ。
しかし、この日は結果的にシフォンとヴィクターの様子をうかがう暇はなかった。
ステラという存在は、僕の予想をあらゆる意味で裏切った。
おっとりしているのかと思いきや、なまくらで僕の仮面を乱暴に叩き割ったかと思うと、授業では、恐ろしいほど俊敏かつ大胆な魔法を展開して、僕に本気を出させた。
すでにここで変化は始まっていたと思う。
僕はそのことにもう少し早く気が付くべきだった。
もし気が付いていれば、あんな馬鹿なことをしなかっただろう。
しかし僕は気が付けずに過ごしたために、この後ヴィクターに殴られる羽目になる。