◾️九月十一日木曜日
足音が常に何重にも重なって聞こえる。
一人暮らしの部屋に、自分以外の誰かの息遣いを感じる。
昨日、岩手から戻ってきた私はその足でDNA鑑定キットをポストに投函した。数日でメールにて結果が届くようになっているらしい。
母と久しぶりに対峙してから、どこかふわふわとした心地が抜けない。スマホを開くと、昨日の夜の時点で山吹先生から「体調はいかがですか?」とメッセージが入っていたが、既読すらつけていなかった。彼は優しい。でもだからこそあまり甘えられない。既婚者なのだ。注意していないと、ふと気をゆるした瞬間に彼の胸の中に飛び込んでいきそうで自分が怖かった。彼にはそれぐらい、ひとの心の隙間に入り込むことのできる力があると思う。
九月十一日の今日、私は役所を訪れていた。
十時に住民課に行くと、すでに三十組ほどのひとが並んでいて、目の前の光景がぐらりと歪んだ。慌てて近くにあった椅子に座る。いるのは高齢の方ばかりだが、中には子連れの親子もいて、ベビーカーの中で赤ちゃんが泣き出すたびに、母親が席を立ってうろうろするという光景を繰り返し目にした。
隣には誰も座っていないはずなのに、そこに誰かがいる。
あの黒く塗りつぶされた目で私をじっと横から見ている。我が子を庇うようにお腹にぎゅっと手を当てていると、八十代ぐらいのおばあさんが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
「待ち長いわよねえ。あなた、もしかしておめでた?」
このご時世、赤の他人からここまで直球な質問を受けることがないので、戸惑いながら「え、ええ……」と返事をする。
「そう。じゃあもしかして、この後母子手帳なんかももらいにいくのかしら? 長丁場になるわねえ。早く順番回ってくるといいわね」
「そ、そうですね」
まだ病院にも行っていないし母子手帳などもらう予定はなかったが、あまりこれ以上会話を広げたくなくて、当たり障りのない返事をした。
それから待つこと四十分。
ようやく自分の名前が呼ばれて窓口へ向かう。そこでさらに身元証明などをして再び待ち時間を過ごす。こんなことならマイナンバーカードを作成しておけばよかった。なんだか手続きが面倒そうで、結局まだ通知カードしか持っていない。生産性のないことを考えながら待っていると、ようやく自分の番が回ってくる。
「戸籍謄本の発行が終わりました。こちらでお間違いないでしょうか。念のため、お名前と生年月日をお知らせください」
「藤島みよ子、2000年6月9日生まれです」
ふと、本当に自分の生年月日は間違いないのだろうかという不安に駆られたが、窓口のひとは「ありがとうございます」と何の不信感も抱いている様子はなく、戸籍謄本を手渡してくれた。
緊張しながら戸籍謄本を軽く半分に折ったまま窓口を離れ、区役所から出たところで開き、一つ一つの項目を確認していく。
「……え」
信じられない文字が目に飛び込んできた。
身分事項:特別養子縁組
「特別養子縁組……」
ある程度予想はしていたことだが、実際に目にするとぐらりと地面ごと崩れ落ちるような感覚に陥った。
私はやっぱり、お母さんやお父さんの子どもではなかったんだ……。
だが、普通養子縁組とはちがい特別養子縁組ということは、実の親との縁は切れているということ。理由は計り知れないが、そうであるならば私の本当の両親はやはり、藤島陽子と藤島博史であることは間違いない。でも、本当にそれで済ませてしまってもいいのか。私を産んだ母親は? 実の父親は、誰なの?
「知ったところでどうにもならないか……」
のっぴきらない事情があったからこそ、私は藤島夫妻の養子になったのだ。二十五歳になったいま、実の両親だと信じてきたひとたちがそうではなかったと言われても、なんだかおとぎ話のようでピンとこないのも事実だ。もし私は思春期の少女であったなら、もっと取り乱していたのかもしれない。だけどもう、いろんなことが起こりすぎて、疲れてしまった。本当の両親を調べるということに労力を使うのが、考えられない。
これ以上何かを考えられるほどの心の隙間がなくなって空を見上げる。今の私の気分とは裏腹に、狂おしいほどの晴天の空が秋の澄んだ空気をさらにきらきらと輝かせているみたいで、いたい。何がいたいのか、なにがどう悲しいのか、うまく言葉にできないのがまたもどかしく、一歩前へと進むたびにぴったりと背中に寄り添ってくるやつの気配に取り込まれてしまいそうだった。




