◾️九月十日水曜日Ⅱ
「みよ子は……みよ子よ……」
母の声が掠れている。
流産については触れてこない。否定も肯定もしない。その母の態度が、あなたは私の本当の子じゃないと証明しているようで思わず母から視線を逸らした。ベッドの後ろの窓に、白い影がにゅっと口元を上げてこちらを見ている。ぽっかりと空いた目は空虚に違いないのに、混乱する私を嘲り笑っているように見えた。
「お母さんはいつもそうだよね? 忙しいからって肝心なことは私に何も教えてくれない。お父さんのことだって、何回聞いても『思い出したくない』って誤魔化すだけじゃない。私が本当にお母さんの子なら、お父さんは誰? 藤島博史じゃないの? お母さん、なんで何も教えてくれないの? ねえ……!」
幼い子どもがだだをこねるように母に詰め寄った。だけど母はずっと「ごめんね」というばかりで、核心に触れようとしない。
「……っ!」
お母さんは私に、何も教えてくれないんだ……。
お母さんにとって私って、なんだったの……?
認知症だから、認知機能が低下しているから、私が言っていることの意味が分からないというのならまだいい。でも、今目の前で対峙している母は、私の言いたいことも知りたいこともぜんぶちゃんと理解しているはずだ。
だってその証拠に、私を決して拒絶したりしないもの……。
「お母さん、私、妊娠してるの」
母の顔がはっと凍りつく。途端に、「誰の子……?」と口からこぼれ落ちた。
おかしいよ、お母さん。
私が誰の子か教えてくれないくせに。私のお腹の子の父親を知りたがるなんて。そんなのどうだっていいはずでしょ?
「お母さんが私の質問に答えてくれないならせめて……これ、やってくれない?」
私は自分の鞄の中から、DNA鑑定キットを取り出して母の前に差し出した。東京の家から持ってきたのだ。母は「なにこれ?」とキットを見てもすぐに何かを理解できない様子だった。
「DNA鑑定キット。私とお母さんが本当の母子かどうか検査するの。その結果は私がひとりでこっそり確認するから。どんな結果になってもお母さんを責めたりしないから。だから、お願い。じゃないと私、ちゃんとこの子の母親になれない気がする」
自分のお腹を撫でながら、母に同意を迫る。まだ見ぬ我が子を人質にしているようで心底気分が悪かった。でもこうでもしなければ母は動いてくれない。この子がきっと、私の願いを叶えてくれる——。
「……分かった」
母は静かに頷いた。
その姿から、私が自分の出自について調べることに同意したのだと分かった。観念した様子で母がDNAキットを手に取り蓋を開ける。やり方は簡単だ。綿棒を頬の裏に擦り付けて唾液を採取する。私も母と同じようにして、自分の唾液をとった。
「これでいい?」
母が採取した唾液を袋に入れて、丁寧に箱に戻してから私に「はい」と手渡してくれた。
「うん、ありがとう」
箱を受け取り、再度自分の鞄に戻す。
「お母さん、もう一度最後に聞くけど……お母さんの口からは教えてくれないんだね? 私が、何者なのか」
母は悲しげに俯く。それが答えなのだと悟り、込み上げてくるものを抑えられなかった私はそのまま席を立った。
「また来るね……」
振り返ることなく、母に告げる。母がどんな顔をしているのか、泣いているのか真顔でいるのか、困った顔をしているのか、全然分からなかった。だが少なくとも私は、頬を滑り落ちる涙を拭うので精一杯で、その後母の個室を出て施設を後にしてからもずっと、悲しみの涙が止まらなかった。




