◾️九月一日月曜日Ⅰ
昨日はあれからまだ明るい時間帯に自宅にたどり着き、ひたすら動画を編集していた。前回より長いので、前半の一階探索の部分は適度に端折っていく。カルテを見つけたところや怪異に触れたところだけはそのままにしておいた。が、一階でも二階でも、編集中は特に何も、幽霊の姿や声、ノイズは混じっていなかった。
やっぱりそうなのか。
私が実際に体験したことが、映像に反映されていない。
にも関わらず、編集した動画をネット上にアップすると、おかしな現象が映り込んでいるのだ。前回はそうだった。今回ももしかしたら……。
動画の最後のほうは、二階から逃げ惑う映像が乱れに乱れてとても見ていられるものではなかった。そのまま流すと映像酔いしてしまいそうだ――と、こちらも適宜カットする。すべてカットしなかったのは、臨場感をそのまま残しておくため。
そうして作業すること三時間。
ようやく動画の編集が終わった。
が、YouTubeにアップする気力がなくて、昨日はそのまま眠りに落ちる。今晩アップしようか、それとも前回の動画の反応を確認しながらアップする日付を考えるか――などと、職場の教室でぼんやり考えていた。
給食時間が終わり、担任をしている二年二組の子どもたちが、一斉に外へ飛び出していく。低学年の担任は大変なことも多いけれど、子どもが元気に走り回ったり大声で笑ったりしているところを見ると、元気が湧いてくる。
昨日の出来事と目の前の現実の狭間で思考がゆらゆらと行ったり来たりしている最中、ひとりの女の子が私の座っている“先生席”までトコトコ近づいてきた。
「先生」
「どうしたの、ななみちゃん」
私は自分のクラスの生徒のことを、全員名前で呼んでいる。そういう決まりがあるわけではなく、生徒たちに親しみをもってもらうための工夫のひとつだ。おかげで時々生徒から「お母さん」と間違えて呼ばれることもあるけれど、そこはご愛嬌といったところ。
ななみちゃんは、目のくりくりとしたかわいらしい女の子だ。髪の毛を二つに結っていて、自分の幼少期時代が思い起こされる。
私の目をじっと見つめて、次の言葉を紡ぐのをためらっている素ぶりを見せる。どうしたのだろう。お腹が痛くてトイレに行きたいとか? でもそれだったら授業中でもないのだし、わざわざ私に断りを入れる必要などない。はたまた、一緒に遊びたいというお誘いだろうか。たまに生徒たちからお声を掛けられることがあるので、それだろうと思い至った。
が、ためらいがちに開かれた彼女の口からは、まったく予想だにしなかった言葉が飛び出してきた。
「先生のお腹の前に、何かいるよ」
「……え?」
聞き間違いかと思った。やっぱりお腹が痛いのか――と脳が勝手に都合の良いほうへと解釈する。けれど、何度考えたって、彼女が言ったのは「お腹の前に何かがいる」ということに違いはなかった。
「……どういう意味かな、ななみちゃん」
私は思わず自分のお腹に手を添えた。ここには私の子どもがいる。だが、それを生徒に伝えた覚えはない。子どもは第六感がはたらくこともあるというから、もしかしてこの子は赤ちゃんの存在に気づいているのかもしれない。だとしたらまあ、彼女の言うことも分からないではない。
でも、と再び私の思考は渦を巻く。
さっき、ななみちゃんはなんて言った?
“お腹の中に、何かがいる”と言ったのではない。
“お腹の前に何かがいる”と言わなかったか……?
気づいたとたん、身も心も凍り付くような感覚に陥った。寒い。どうしてなの。九月始まりの日に寒いはずがない。空気の入れ替えのために開け放った窓から教室に流れ込んでくる風は明らかに生ぬるいのに、寒いなんておかしい。
「いる、いる。こっち見てる」
何かにとり憑かれたように言葉を繰り返す。ただでさえ大きな目をより一層見開いて、私のお腹を凝視している。その顔が、あの廃病院で見た白い影の霊と重なる。
「怖い顔してる」
「ななみちゃん、ちょっと」
彼女の肩に手を伸ばして肩を揺さぶった。それでも彼女は私に触れられていることなど気づいていない様子で「いるの」と繰り返している。
「あ」
突如、ななみちゃんの身体が固まった。目と口を大きく丸く開いたまま、宙を見つめるように止まる。時が止まったかのようなその動作に、心臓が縮み上がった。
この子は……だれ?
ななみちゃんじゃない。
普段、屈託ない笑顔を浮かべている彼女とはまったく違う、別の誰かである。
「先生」
開かれた口からまた、私を呼ぶ声が抜ける。文字通り、魂が抜けるように言葉が落ちてきた。
「……なに?」
聞くのが怖かった。でも、聞かなければいけない気がして、恐る恐る尋ねる。
ななみちゃんはもう、外身は彼女のままで、中身だけ別の誰かと入れ替わっているような気さえした。
「先生のお腹に手を伸ばしてる」
「え?」
手……?
彼女の言葉の意味を考える暇もなく、突如として激しい頭痛と腹痛が私を襲う。
「ウッ」
カキーン、カキーン、と金属バッドでボールを打つような激しさで頭に衝撃が走る。と同時に、下腹部をギューッと締め付けられるような感覚にめまいがした。たとえるなら生理痛をかなりひどくしたような、あの嫌な痛み。経験したことはないけれど、もしかしたら陣痛ってこんな痛みなのかな、と浅い呼吸の中でぼんやり考えた。
教室の中には、図ったかのように私とななみちゃん以外誰もいなかった。
「たす……けて」
口から絞り出した声を聞いているのも彼女だけ。でも肝心の彼女は、無表情で私を見つめたまま、固まっている。
あの子はななみちゃんじゃない。
私にとり憑いた霊が、彼女を操っているのだ。
どうしよう。このままじゃ、赤ちゃんが死んでしまう――。
自分の息ができなくなっていくのに、赤ん坊のことがひたすら心配だった。もしかしたらこれが、母親になるということなのかもしれない。
喉が締め付けられるように、息ができない。
思考がどんどん遠のいていって、やがてぷっつりと、私の意識は途絶えた。




