第8話 魔法使いの弟子
前回までのあらすじ:
ククルゥは すべてを おもいだした!
「ほう、それは何故じゃ?」
ククルゥの宣言を受け、真っ先に反応を示したのは黒猫だった。それまでだらしなく寝そべっていたのが嘘のように、四足を揃えて座る姿勢は凛としていて、細められた金の双眸で真っ直ぐに少女を見据える姿はさながら審問官のようだ。
「嬢ちゃんはかつて、悪意がなかったとはいえ魔力暴走でご両親を害しておる。奇跡的に一命をとりとめたが、普通ならばそのまま命を落としても不思議はないほどの怪我じゃった。その上で、魔法を学びたいと?」
かけられる言葉だけをとれば辛辣なものだが、その口調の端々には何かを期待するような響きが含まれている。
マキオは口を挟むことなく、静かにカップを傾けているが、決して無関心なわけではない。その証拠に線のように細い目は、テーブルの向かいで決然と座る少女を冷静に観察していた。
二対の目が見守る中、「質問にお答えする前に」と前置きしてからククルゥは静かに頭を下げる。
「十年もお礼が遅れてしまいましたが、あの日、父と母を助けてくださってありがとうございました」
実のところ、ククルゥ本人は十年前の事件を起こした直後に急性魔力欠乏により意識を失っている為、両親がいかにして助かったかを知らない。だが、魔法によりこれ以上ないほど鮮明に記憶を取り戻した事で、当時の状況と、今までに蓄えた知識からほぼ正確に真実を把握していた。
「お二人が駆けつけてくれなかったら、治癒魔法を使えなかったら、きっと両親は助かりませんでした。感謝してもしきれません」
「ほほう、儂らがご両親を助けたと? 何を根拠にそう思った?」
ククルゥの謝辞に、黒猫は感心したようにひげを動かして口の端を持ち上げたが、敢えてとぼけてみせた。意地の悪い質問をする黒猫に、それでも少女は真摯に向き合う。
「両親には怪我の痕がありませんでした。あんな大怪我を痕もなく治療できるようなお医者様は村にはいません。あのとき、あの場で治癒魔法をつかえる人がいたとしたら、それはお二人だけです」
正解だ。補足するならば、治療にあたったのは二人ではなく主にクローネであり、通常の治癒魔法では完全に無痕とまではいかないことだろうか。ククルゥの両親が全てを夢だったことにする、という力技を押し通せたのもクローネの卓越した技量があってこそであった。
なお、マキオもいくつか治癒魔法の魔導書を所持しているが、その効果は当時のクローネに及ばない程度である。これは治癒魔法自体が術者の適正に大きく左右される性質を持っており、魔法を術式として定型化する魔導書とはあまり相性が良くない為だ。とはいえ、習得元が規格外の魔法使いたるクローネであるから、そういったマイナス要素を加味してもその効果は通常の治癒魔法より高いのだが。
「うむ、なるほど。では改めて訊こう。自らの魔力で両親を傷つけたお主が、何故に魔法の習得を望む?」
筋立てた少女の回答に満足したのか、黒猫は頷いて話を本筋に戻す。
自身の行動で親しい人物を傷つけた、という事実はトラウマとなってもおかしくない出来事である。
現に、魔法に適性を持っている若年者が同様の事故を起こし、その後魔法の発動に支障をきたすケースはそう珍しいことではない。
魔法学校という施設が存在するのには、適切な指導を行なうことで事故を防ぎ、ひいては貴重な才能を失わせない為という側面もあるのだ。
ククルゥの場合、事故当時の年齢の低さに加えてその対象が実の両親。思い出したことで魔法に対して忌避感を持つ可能性は高い。一般的な見解としてはそうなるだろう。
だが、黒猫は期待――否、半ば確信していた。あるいは少女から別の回答があるのではないかと。
「わたしは……」
少女の言葉が僅かに途切れたのは何故だったのか。本当の答えは少女自身にしか分かり得ないが、揺れた瞳が瞼に隠れる一瞬に浮かんでいたのは少しの後ろめたさに見えた。そして再び開いた瞳に宿るのはそれ以上の決意。あるいは覚悟といってもいい。それを表現する言葉があるとすれば――
「わたしは、わがままです。父と母に大怪我を負わせて、それを忘れただけでなく村を捨てて飛び出した、恩知らずです。それでも……それでもわたしは」
今度こそ、揺るぎなく前を向いた瞳に後悔の色はなく、日没直前で暗くなり始めた室内にはっきりと浮かび上がるほどの輝きを宿していた。
「わたしの力に、二度とあんな風に好き勝手させたくない。魔法を覚えて、わたしの全部をわたしのものにしたい。そう思っています」
言い切って、少女は口を閉ざす。傲慢。あるいは強欲。かつてマキオがいた世界では七つの大罪として知られるその二つが、少女の言葉に、視線に込められた意思。
それは人によっては非難したくなるモノだろう。傷つけた相手への贖罪でも、過去の自分への戒めでもなく、ただ我儘に自分の力を御したいという宣言なのだから。
だが、ククルゥにとってそれこそが紛れもない本心であり、あの事故で気を失う直前に強く誓ったことでもあった。その誓いは両親の気遣いにより夢として処理され、一度は記憶の奥底に沈んでしまっていたが、それでも確かにククルゥの心の中に息づいていたのだ。
「クハ」
少女の言葉の後に訪れた短い静寂を破ったのは黒猫。
「クハハハハハハハ!」
少女の目の前で黒猫は嗤った。可笑しくて仕方ない、と言わんばかりに。
しかしそれは嘲笑ではない。純粋に愉快なものを見た、というものだった。
眼前の少女が虚を突かれて目を瞬かせるのにも構わず、ひとしきり笑い終えた黒猫は斜め後ろにいる細目の弟子を振り返る。
「聞いたかマキオ。いつぞやのお主もこれくらい言ってくれたら儂としては面白かったんじゃがの」
「ご期待に添えず申し訳ありませんね。なにぶん謙虚なのが取り柄なもので」
ニヤニヤと笑う黒猫はさながらいたずら小僧といった風情だったが、言われた当人もこういった絡まれ方には慣れた様子で、肩をすくめて平然と言い返してみせた。
「ハッ、よう言うわ。さて、嬢ちゃん」
「はい」
軽いやりとりはあくまでも物のついで、とばかりにあっさりと切り上げて、黒猫は再び少女へと向き直る。ただしその眼差しは今までの猫を被ったものでも、直前の悪童じみたものでもない、深い知性と老獪な威厳を感じさせるもので、少女は自然と背筋が伸びたのを感じた。
「儂は嬢ちゃんが気に入った。よって、魔法を教えてやろう」
「へ?」
少女にとっては突然かつ予想外の申し出だった為、言葉の意味を理解するまでにほんの僅かな遅れが発生する。代わりに口から出てきたのは間の抜けた声だ。
「ええと……わたし、魔法学校へ入学する為の勉強用に魔導書を売ってください、とお願いするつもりだったんですが」
若干の困惑を滲ませて、そう言うククルゥ。
しかし、黒猫は静かに笑ってそれを否定する。
「魔法を覚えるだけなら魔導書は――いや、魔法学校に行く必要すらない。優秀な師匠が付くのならばむしろその方がよいのじゃ」
「そ、そうなんですか?」
「勿論じゃ」
驚愕の真実であった。というのは大袈裟にしても、ククルゥはそれなりに衝撃を受けていた。なにせ、王都に出て以来、魔法を習いたいと言えば誰もが魔法学校への入学をその手段として挙げたのだ。
親切な冒険者仲間にもその卒業生がいて、入試で魔法の素養を見るから簡単にでも魔法の勉強をしておいた方が有利だと教えてくれた。
ククルゥにとってはそれが魔法使いへ続く唯一の道であり、危険と隣り合わせではあるが稼ぎの良い冒険者を選んだ理由でもあった。
驚きから立ち直れないでいるククルゥを尻目に、黒猫は「じゃが」と言葉を続ける。
「魔法使いというのはどいつもこいつも自分勝手での。弟子をとって育てる時間があったら自分の研究を進めたい、という輩ばかりなんじゃ」
「ええ、本当にその通りですね」
妙に実感のこもった様子で深く頷くマキオ。そんなマキオをジロリと横目で睨んで、「何か言いたいことでも?」と声には出さず問い詰めれば、「いえいえ、まさか」とこちらも無言で首を横に振る。
納得は行かないものの、あまり横道に逸れても冗長だと自分に言い聞かせて、クロは鼻息一つで不肖の弟子を許してやることにして。
「じゃが、気まぐれに弟子を育てるのを待つのでは中々後進の魔法使いが育たん。そこで考えられたのが魔法学校という訳じゃ」
「まあ要するに、弟子をとるという貧乏くじを合法的に押し付けて収入を得つつ、ついでに後進の育成をしようということですね」
「身も蓋もないですね」
黒猫の説明を青年が補足する。その物言いはいつになくざっくばらんで、ククルゥは苦笑しつつも少し意外に感じていた。ひょっとして何か思うところでもあるのだろうか?
ククルゥに芽生えた小さな疑問をよそに、黒猫はそれを肯定した。
「ま、事実じゃからの。魔法の研究には色々物要りなのもあって、資金源という側面があるのも否定せんよ。しかし、従来のように直接弟子をとることが無い訳ではない。マキオも、まあちょっと特殊な例じゃがそうじゃし――」
言葉の途中でちら、とマキオを気にした素振りはあったが、直ぐに視線をククルゥへと戻し、黒猫は茶目っ気たっぷりの笑顔を見せて言葉を続ける。
「その気があるなら嬢ちゃんもその仲間入り、という訳じゃ」
「よろしくお願いします!」
即答だった。
間髪入れず、という言葉があるが、この場合は髪どころか空気さえ入らないのではないだろうかとさえ思わせるほどの即答ぶりである。
潔いその態度を見て、黒猫はまたもカラカラと笑った。
「うむ! そうこなくてはの!」
「相変わらず気分で生きてますね師匠は」
そんな様子を見て、今度はマキオが苦笑する番だった。いつの間にか呼び方が『クロ』から『師匠』に変わって――否、戻っている。既に正体を知られた相手に対して、喋る猫扱いで通すのは止めたらしい。
「さっきも言ったじゃろ。魔法使いなんぞ自分勝手なもんじゃよ。そういう意味ではククルゥ嬢ちゃんも魔法使い向きじゃな」
「それだけじゃないでしょうに」
さり気なく自分勝手と言われた少女が密かにショックを受けつつも、自分でもその自覚があるだけに何も言えずにいる中で交わされた師弟による軽口の応酬は、しかし長くは続かなかった。
「さて、何のことかの?」
「何のことでしょうね。さて、ククルゥさん」
「あ、はい」
空惚ける黒猫にさして食い下がることもなく、マキオはククルゥへと水を向ける。一人悶々と葛藤していたククルゥも声をかけられてはそうしている訳にもいかず、顔を上げる。
「この度は弟子入りおめでとうございます。師匠には色々と無茶を言われると思いますが、なんとか頑張ってください。僕もできる限りのお手伝いはしますから」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
敬語こそ崩れないものの、冗談めかした言葉が出てきたのは『店員と客』という立場から『兄妹弟子』となり、若干関係が近くなった為か。
もちろん、マキオ本人に冗談のつもりはなく、実体験からくる確実に訪れるであろう未来の予測であるが、ククルゥにはそんなことは関係なかった。
早くも自分を受け入れてくれた、という事実こそが大切であり、喜びを感じてふわりと微笑んで丁寧に頭を下げる。
だが、そんな兄妹(弟子)のやりとりに待ったをかける者がいた。
言うまでもなく、クロである。
「ちょっと待てマキオ、儂がいつ無茶を言った」
「むしろ無茶を言わなかったことがありましたっけ?」
心外、と全身で表すように毛を逆立てるが、マキオはそんな反論があることこそ心外だ、という内心を隠そうともせずに、ジト目(ただし見た目はほとんど変わらない)でテーブル上の猫を見下ろした。
「何じゃとー!?」
シャーッっと威嚇したクロが、マキオに向かって飛びかかってねこぱんち(弱)を繰り出してはテーブルに着地するというオーバーなアクションで怒りを表明する。
しかし、それをオロオロと見守るククルゥには懸念があった。今クロが飛び回っているのは、マキオの肩とテーブルの上。そしてそのテーブルには何があっただろうか。そう、飲みかけのお茶と、切り分けた残りのケーキである。
そして先ほどから徐々に勢いを増すクロの着地位置が、段々とケーキに近づいているのだ。これ以上はマズいのではないか、とその懸念を伝えようと声を上げた、まさにそのとき。それは現実のものとなる。
「あ、あの、あんまり暴れると危な――あっ」
ズボッという音が聞こえたのは気の所為だったのか否か。どちらにせよ、起きたことを簡潔に言うならば、ネコまっしぐら・オンザケーキである。
が、被害はそれだけに留まらなかった。デコレーションを踏みつけてスポンジの中に埋もれた猫の勢いはそれだけでは止まらず、ケーキごとテーブルの上を滑ってククルゥへと向かって来たのだ。咄嗟にクロを受け止めるべきか、それとも避けるべきかを迷ってしまったククルゥは、結局どちらも果たせなかった。世が世ならば天狗面の老人に「判断が遅い」と叱られてしまいそうだ。
結果、何が起きたかといえば。
「…………」
「…………」
バツの悪そうな顔でクリームにまみれた猫が一匹と、その猫に弾き飛ばされた飲みかけのお茶を浴びた少女がいた。気まずい沈黙が流れたが、マキオは盛大な溜息を吐いて席を立つと、魔導書屋のカウンター奥へと足を進めながらククルゥを促す。
「ククルゥさん、こちらへ。お風呂に入ってきてください。片付けは僕がしておきますので」
「いえ、悪いですよ。わたしが――」
「いえいえ、元はと言えばどこかの黒猫さんの仕業ですから」
「ぐぬ……」
そう言って一瞥をくれた青年の額に青筋が浮かんでいるのを幻視したケーキまみれの黒猫は、流石に何も言い返すことができずに唸るだけであった。
「師匠、ククルゥさんにお風呂の場所と使い方を教えてあげてください」
「う、うむ! 任せるが良い!」
次いで下された沙汰は事実上のお咎めなしで、思ったよりも怒りが小さかったことに安心したクロは胸を張って答える。少し前に記憶の回廊で見せた頼れる姿は何処へやら、今はどうしようもない小物感が溢れていた。
哀れむような初代弟子の視線から逃れるようにテーブルから降りようとしたクロだったが、それは他ならぬマキオの手で無情にも阻まれてしまう。
「ちょっと師匠、そのまま降りたら余計に汚れるでしょう。<浮遊>で行ってください」
首根っこをつままれて情けなくぶら下がる黒猫。その姿からは弟子入りを許可されたときの威厳など微塵も感じられない。丁寧そうに見えて案外雑な扱いをするんだな、とククルゥは兄弟子と師匠の関係を微修正する。
心なしかしょぼんとした様子でふよふよと宙を移動する黒猫に先導されて、少女が奥の居室スペースへと向かったのを確認し、マキオは改めてテーブルの上の惨状を確認する。
不幸中の幸い、カップやポットが落下することはなく、溢れたお茶の拭き取りとケーキだったものの処分で済みそうだ。
「……師匠はしばらくおやつ抜きですね」
呟きの後、部屋の奥から盛大なくしゃみが聞こえたのは単なる偶然だろう。
ウソ予告:散々振り回されたけれど、お風呂は気持ちいいですね! と喜ぶククルゥ。しかしそれはつかの間の平和に過ぎなかった。窓に忍び寄る怪しい影の正体とは!? 次回、『どこでもドアにはいい加減立入禁止区域の設定をしろ』お楽しみに。




