第10話 魔法入門①
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一夜明けて。
早朝の『黒猫印の魔導書屋さん』では一つの決闘が始まろうとしていた。
「どうしても譲らんか」
「譲れませんね。師匠こそ、諦めてくれませんか」
「断る」
「……交渉決裂、ですね」
睨み合うのは黒猫と青年。言わずと知れた魔導書屋師弟コンビである。つい昨日その師弟関係に仲間入りを果たした少女は二人の間でオロオロしている。
荒野で向かい合うガンマンの如く、ピリピリとした緊張感が高まっていき――
「隙ありじゃ!」
「ありませんよ」
不意打ち気味に放たれた黒猫の右前足は、しかし冷静な言葉と共に冷たく硬い感触に阻まれてしまった。初撃を防いだ青年は勝利を確信したかのように、常から細い目を弧にして獲物に襲いかかる。
ブツリ、と皮を貫く感触が青年の右手に伝わり、間違いなく目標を仕留めたことを教えてくれた。青年は自分の前で呆然と目を見開く黒猫を見下ろしてから、刺し貫いたままの獲物を引き寄せ、高らかに勝利を宣言する。
「僕の勝ちです」
「ぬううう! おのれマキオ! 師に対する敬意が足りんぞ!」
怨嗟の声ももはや遠い嵐と聞き流して、マキオは大きく口を開け、見せつけるように腸詰めを食べた。「あーっ!」と黒猫の悲痛な叫びが上がったが一切構わず、じっくりと咀嚼して味わう。
「『食は戦争』、そう教えたのは師匠でしょう」
ごくん、と飲み込んでから、黒猫の初撃を防ぎ、なおもその行動を牽制し続けていた左手の小皿も手元に戻して爽やかに言い放つマキオ。一分の隙もない反論に心の悔し涙を流し、クロは未練がましく空になった大皿を見つめるのだった。
「という訳で、お騒がせしました。朝は大体こんな感じですから、遠慮していると食べ損ねます。自分の食事は積極的に確保してくださいね。ああ、ですが食事時に魔法を使用するのは禁止……というわけではありませんが、まあ暗黙の了解として使わないことにしていますので、そこはご注意を」
「え、ええと……はい」
マキオは置いてけぼりにされていたククルゥへ向き直りニコニコと話かけたが、当の少女はまだ思考が追いついていないようだ。
時は少し遡り。
昨日、黒猫と少女が風呂を済ませ、魔法とは関係ないところで格付けがなされた後、改めて弟子入りを歓迎する、と魔導書屋店主と黒猫により簡素ではあるが夕食会のようなものが催され、そのまま宿泊した少女が起きたのが日の出の頃だ。冒険者などしていると、習慣的に日の出の時刻には目が覚めるようになるのである。
驚くことに、魔導書屋の二人――猫の姿をしていても実質人なのでククルゥは二人とカウントすることにした――は既に起きており、昨日と同じく作業着姿のマキオは裏口から家を出るところで、クロ――猫姿のときにはそう呼ぶように、と言い付けられた――は裏口横の竈に火を入れていた。
そのクロの様子に、思い出したばかりの苦い記憶が頭を過ぎったりもしたが、それはさておき。聞けばマキオは裏庭にある小さな畑の世話を、クロは朝食の支度をするところだというので、新入りのククルゥはクロの手伝いを申し出たのだ。
そうして出来上がったのが、茹で上げられて大皿に山と盛られた腸詰めと、採れたての野菜で作ったサラダ、腸詰めを茹でた湯は細かく切った野菜と一緒に圧力鍋にかけてポタージュに仕立て、焼きたてのパンを添えるという、ありふれてはいるが食べる者に幸福感をもたらすこと間違い無しの定番メニューだった。
朝食は和やかに始まった。魔導書屋の二人はククルゥの料理の腕を褒めてくれたし、採れたての野菜がこんなにも美味しいことを久しぶりに実感したククルゥが少し実家を思い出してしんみりしたのを二人が温かく見守ってくれるという心温まる一幕さえあった。
しかし、平和な時間はいつも長続きしないものだ。
大皿に残った最後の腸詰めがその引き金となり、大皿の約三分の二を食べた黒猫と、残り三分の一弱を食べた青年との間でその所有権を巡る争いが勃発したのである。
なお、ククルゥはマイペースに数本を食べて十分に満足していた為、参戦せずに中立を貫く構えを取っていた。
そして話は冒頭へと繋がる。
「昼飯では覚えておれよ」
「あまり食べすぎるとまた太りますよ師匠」
「やかましいわ!」
なおも低レベルな言い合いを続ける二人だったが、それが本気で争っている訳ではないことは見ていれば分かった。じゃれ合いを続けているだけ、なんならあれがあの二人のコミュニケーションの取り方なのだろう。そう結論付けて、少女は生暖かい目で見守るのだった。断じて仲裁が面倒だとか、巻き込まれたくないとか思った訳ではない。
「さて、嬢ちゃん――ああいや、ククルゥよ」
「はい、クロ師匠」
一通りじゃれ終わったクロがマキオを洗い場へと追いやり、真面目な顔をして少女を呼んだ。空気が変わったことを敏感に察して、少女も居住まいを正す。
子供のような争いをしていても、この黒猫は正真正銘の魔法使いで、これからは自分の師匠なのだ。そう思えば自然と背筋が伸びた。
「魔法を教えるに当たって、最初にせねばならんことがある。魔力の確認じゃ」
「魔力の、確認?」
オウム返しに尋ねるククルゥに、しかり、と黒猫は頷いてみせる。
「魔力自体は誰の中にもある。その量に違いはあるがの。特にククルゥ、お主の場合は人並み外れた量の魔力を持っておる。それに少なくとも幼い頃には魔力が『見えて』いた。じゃが、お主は昨日まで無意識にそれを封じておった訳じゃ。その理由も、もう分かるな?」
「……はい」
返答する少女の表情は硬い。厳密にはそうなるように彼女の両親が仕向けたのだが、過去の決意をも思い出したククルゥは記憶ごと忘れてしまったことを自身の弱さによるものだと感じていた。
他者が聞けば些か自身に厳しすぎると言うだろうか。
「うむ。あまり愉快な話ではないかもしれんが、大切なことじゃ。すまんが我慢してもらう」
ククルゥは無意識に膝の上で拳を握りしめていた。十年という時を経て追いついてきた過去を飲み下すには、一晩はあまりにも短かった。
しかし、少女は気付く。師として目の前に座る黒猫が自分を見る、その金色の奥にあるのが厳しさだけではないことに。
だからククルゥは、意識的に深呼吸をした。吸って、吐いて。たったそれだけで自分の体がこんなにも強張っていたのだと理解って、改めて自分は弱いな、と思う。そして弱いからこそ、強がるのだ。
「……大丈夫です」
そんな弟子の強がりをどう受け取ったのだろうか。黒猫は静かに少女を見つめていたが、ふと息を漏らして尻尾を揺らした。
「よろしい。さて、何事もなく育って優秀な師が付いていれば、お主は今頃多大な魔力を操る若き天才魔法使いとなっておったはずじゃ」
「そんな大袈裟な――」
あまりにも過分な評価に思わず苦笑したククルゥだったが、黒猫はそれを遮って言葉を重ねる。
「大袈裟でもなんでもないぞ。儂の見立てでは、魔力量だけならククルゥは子供の頃でさえマキオを遥かに上回っておった」
「マキオさんを……!?」
ククルゥを襲った驚愕は非常に大きいものだった。魔導書屋店主を務めるマキオは、昨日だけでも複数の高度な魔法を使ってみせた。それはマキオの魔法使いとしての実力を如実に表すものだろう。
確かに、出会った当初のマキオは恐らく今のククルゥと同じくらいの年齢だったし、今よりは確実に魔力量も少なかっただろう。だが、それを差し引いても当時のマキオよりも自分の魔力量が多かったとはどうしても思えなかったのだ。
そんなククルゥに、黒猫はくつくつと喉を鳴らして言う。
「まあ、マキオの奴は魔力量が貧弱じゃから、魔法使いの才がある大概の子供に負けるがの」
「ええ!? ……あ、それじゃあわたしも――?」
悪戯っぽく笑う師匠の爆弾発言。では昨日の明らかに高度な魔法はどうやって使ったのかと混乱しつつも、マキオの魔力量が少ないということは、それを遥かに上回ると言ってもそう大したものではないのか、と思い至ったククルゥが尋ねかけたところで、再び黒猫が言葉をかぶせる。
「いいや、それを抜きにしても、じゃ。ククルゥ、お主がご両親を吹き飛ばしたアレはなんという魔法じゃと思う?」
不意の問いかけに、忌わしい記憶が鮮明に蘇る。見えない何かが破裂したように両親の体を傷つけ、弾き飛ばす瞬間の記憶。
こみ上げるのは後悔と慙愧。
だが、少女はそれらを飲み込んだ。我儘も、恥知らずも恩知らずも承知の上で魔法を学ぶと、そう決めたのだから。
「っ……<爆発>、でしょうか?」
先輩冒険者の一人が奥の手にしていたそれは、ククルゥが知る数少ない攻撃魔法の一つだ。本来ならばそれなりに難しい魔法だと聞いていたが、今も脳裏に残る『あの光景』はそうとしか思えなかった。クロが言うように自分が桁外れの魔力量を持っているならば、ひょっとしたら突然そんな強力な魔法を使っていてもおかしくはないのではないか、というのもその仮説を裏付けてくれる気がして、ククルゥはそう答えたのだが。
「いいや、違う。意地悪な問題じゃったが、あれはの……魔法でもなんでもない。ただ魔力が吹き出しただけじゃ」
「そんな……!」
黒猫は静かに首を振った。あれだけの被害をもたらしたものが、魔法ですらないとはどういうことかと、信じられない思いが口を通じて溢れ出し、ククルゥは気が付けば問い詰めるように身を乗り出していた。
しかし、小さな師匠は全く動じず、ふむ、と一瞬だけ考える素振りをしてから教え子に諭すように言う。
「そうじゃな……ちょうど圧力鍋みたいなもんじゃ。ククルゥが鍋で、魔力が蒸気。あの日ククルゥはご両親に声をかけられて集めておった魔力の操作を手放してしまった。つまり沸かしておった鍋の蓋を不用意に開けてしまった訳じゃな。普通の鍋ならその蒸気は周りに拡散しておしまいじゃが、ククルゥの場合はなまじ感覚的に圧力をかけることができてしまった為にああなった、という訳じゃ」
圧力鍋という調理器具は、蓋を鍋本体に固定して密閉することで内部の圧力を高め、短時間で食材の芯まで柔らかくする事ができる便利な道具ではあるが、その使用にあたっては絶対にやってはいけない事がある。加熱が終わった後に圧力開放弁を操作せずに蓋を開けることだ。これをすると、内部で高まっていた圧力が一気に解放され、爆発と共に中の食材や煮汁を周囲にばら撒くことになる。火傷や怪我の恐れがあり大変危険なので使用の際は必ず取扱説明書をよく読み、部品の劣化や破損が無いことを確認して正しい手順で使用しなくてはならないのだ。
幼いククルゥが『ぽかぽか』で引き起こしたのは、まさにこの爆発事故と同じことであった。
魔法という稀少な力を説明するには随分と家庭的な喩えではあったが、ククルゥとしては朝食の用意で使っていた為むしろ分かりやすかった。まさかこの説明を見越していた訳ではあるまいが。
とはいえ、自分の行ないを理解するというのは良いことだけではない。場合によっては自身の愚かさを再認識することにもなるのだから。
「…………」
「ああ、責めておるのではない。むしろ逆じゃ。無論、結果として怪我をさせてしまったことは別じゃが、五歳やそこらでそれだけの魔力を練り上げられるというのは、間違いなく魔法の才能があるという証拠じゃよ」
そんな少女の内心などお見通しであるかのように、黒猫は優しく言い聞かせる。その読心は年の功だろうか。当人にそんなことを言えば漏れなく<風弾>が飛んでくるだろうが。
師匠からのお墨付きを貰っても、少女の表情は晴れない。決意や覚悟を決めたことと、過去を引きずらないことは別なのだ。ましてや十五の少女である。
「……正直、複雑です」
「じゃが、それでも魔法を学びたいのじゃろう?」
「はい……」
そもそもの話をすれば、記憶を思い出した時点でトラウマから魔法そのものに忌避感を持ってしまってもおかしくない。事実、マキオはそちらの可能性を心配していた。
だが同時に、そうはならないだろうということをクロは半ば確信してもいたし、事実その通りになった。むしろククルゥが想定よりも(魔法使いとしてはいい意味で)我儘だったことに、柄にもなく舞い上がってさえいる。
「ならば胸を張るが良い。お主は才気溢れる魔法使いの卵で、儂という天才大魔法使いの弟子となった。こんな幸運は求めたって手に入るものではないのじゃぞ」
ふふん、と得意げに胸を反らせるクロ。その言葉に嘘はない。
本人がいつか言っていたように、魔法使いというのは非常に自己中心的というか、己の興味関心に素直というか、他者を顧みない傾向が強い。クロ自身もその典型であり、少なくとも弟子入りするのが難しいという点については事実であった。
「……そうですよね。自分で決めたんですから、ちゃんと勉強しないとですよね」
「その意気じゃ。さて話を戻すが、今現在、自分にどれだけの魔力があるのか、分かるかの?」
ただの自慢とも励ましとも取れる言葉だったが、純朴な少女は後者と取ることにしたようだ。むんっ、と気合を入れるように胸の前で拳を握れば弱気の虫も退散したようだった。
そんな少女の様子に満足気に頷いて、黒猫は次の質問に移るが、その途端、せっかく入った気合が抜けていくように少女の眉と耳が垂れ下がる。
「ええと、すみません……分かりません」
ククルゥが能動的に魔力を感じたのは、例の事件が最後である。それ以前は魔力というものが近くになかったし、それ以降は言わずもがなだ。
黒猫はさもありなんと頷いてみせ、そのまま目を瞑って目の前の少女の魔力へと意識を集中させる。
「うむ、そうじゃろうな。恐らく記憶と一緒に魔力やそれを見る感覚そのものを封じ込めてしまっておったのじゃろう。こうして向かい合っていても、今のお主からは並よりも少ない程度の魔力しか感じられぬ。……じゃが、お主の中には依然として巨大な原石が眠っておる。儂が保証しよう」
閉じていた双眸をゆっくりと開いて、クロは告げる。その自信に満ちた様子は、ククルゥを大いに安心させた。
「ど、どうしたらいいですか!?」
「まずはお主が無意識にかけている鍵を外す。次に儂が外からお主の魔力を引っ張り出す。最後にお主自身が魔力を制御する。簡単に言えば魔法を教える前にすることはこれだけじゃ」
勢い込んで尋ねるククルゥに柔らかく笑いかけながら、クロは折りたたんだ前足の指を器用に一本ずつ伸ばして、これからの予定を順に教えた。
一方のククルゥは、師匠の言葉を口の中で復唱するが聞いただけでは具体的なイメージが湧かず、
少しばかり不安げな顔で黒猫を見る。
「クロさん、なんというか、あの――」
「なに、やってみれば簡単じゃよ。では早速始めるとするかの。裏庭にゆくぞ」
言うが早いか、黒猫はするりとテーブルから降りると裏口のある家の奥へと四足を進める。こともなげに言ってのけるのは不安を軽くする為の気遣いか、それともクロにとっては本当に簡単なことなのか。
ククルゥには判断がつかず、ともかく機嫌良さげに揺れる尻尾を追いかけることにしたのだった。
ウソ予告:魔法の訓練の為、黒猫を追ったククルゥ。しかしその時、誤作動を起こした魔導書屋さんの防犯用魔道具がククルゥに襲いかかる! やめて! 酷いことする気でしょう! R-15の範囲で! 次回、『トラップにかかった女の子ってどうしてあんなに可愛く見えるの?』お楽しみに。
ユニークPVがトータル100人を超えました! 嬉しい!
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今後もエタらないようにがんばります。




