9. 苦汁
今回、ご飯が出ません。
「何だ、これは……」
翌日、カマワンは慌てる兵に叩き起こされ、不平不満を漏らしながら言われるまま陣地の中で一番高い丘に向かい――絶句した。
その場には、このクーデターに名乗りを上げた将や貴族が並んでおり、彼らもまた、カマワンと同じ表情を浮かべていた。
彼らの眼前にあるのは黒雲。しかし、その遥か上に晴天と微かな白い雲が浮かんでおり、ものすごい勢いで大きさを増す黒雲が、その実こちらへと急接近している事態なのは明白であった。
その光景を見て、兵士――招集された農民たちは既にパニックに陥っていた。
「うわぁああ!ダメだ!もう逃げられねぇ!」
「だから嫌だと言ったんだ!ああ、おっ母!すまねぇ!」
「助けて……助けて……」
「……ええい、何だというのだ!あれがなにか知っているのか!?」
泣き喚き、要領を得ない農民に、騎士の一人が苛立ちをぶつける。胸ぐらをつかみ、殴って無理やり正気に返らせ、黒雲を指差して怒声を上げる。
それでも泣き喚き、混乱してる農民は口を割るどころか泣き喚いて話にならない。そして、ようやく一人の農民は顔を青ざめながらその正体を口にした。
「あ、あれはレギィナグオ・フライ。この辺りで飢饉が起きると発生する蝗です。
おらの爺さんの爺さんのころからおとぎ話で聞いていました」
「イナゴ……蝗害だと!?」
その内実に、話を聞いていた将たちが驚く。一方、話を聞いてキョトンとするのはカマワンだ。
「なんだ、イナゴか。とっとと焼き払えばいいではないか」
しかし、その言葉に驚きの表情で泡を吹くスディーイ将軍。彼は、かつて上司に農民上がりの騎士がおり、酒の肴の苦労話で蝗害の恐ろしさを知っていたのだ。
「王子!あれは、既にイナゴと高をくくっていい存在ではありませんぞ!
万を超え、億に届く死兵です!土魔法の礫より早く鎧を穿ち、火魔法の波よりも早くこの身を骨とする、魔物の軍勢です!」
「は、ハァ!?たかが虫けらであろう?」
しかし、王子には通じない。何を言っているんだ、と言わんばかりに眉をひそめ、軍師を呼ぶ。
「イータマよ。すぐに魔法部隊を使って虫どもを焼き払え。足りなければ農民に松明をもたせろ」
その命令に、流石の貴族の将たちも怒りに目尻を上げた。
「王子、お考え直しください!今はいたずらに挑発せず、陣を捨てて身を隠すべきです!」
「下手な挑発では、こちらに全て抱え込み全滅の憂き目に会いますぞ!」
「王子!」
今までが、蝶よ花よと持ち上げられていたところにこの反発。カマワンは、そんな彼らに逆に怒りを燃やした。
「ええい、情けない奴らめ!そんなに言うなら、私一人で行ってやるわ!
たかが虫けらに怯え追って、軟弱な奴らめ!そんな貴様らに私の覇道を手助けしてやろうと思っていた、過去の自分に腹が立つわ!」
腕を振り、駄々をこね、そんな暴論を振りかざすカマワン。そんな彼に、恐怖から立ち返った農民たちですら、シラけたような、驚いたような目を向けている。
農民にすらバカにされていると理解したカマワンは、怒りのままにその手をレギィナグオ・フライの軍勢へと向けた。
何をするのか、と呆ける農民たち。一方、カマワンの意図を察知した将軍たちは、慌ててそれを静止しようとする。
しかし、遅かった。
「極・【熱線】!」
カマワンが向けた指から、赤い魔法の光がほとばしる。虫種の魔物に効果的と言われている火属性の魔法だ。カマワンが無駄に自信を持っていたのは、この魔法の存在がある。
唯一、兄より秀でていると言われていた火魔法の腕前。しかし、自信満々に放った赤い線は、まるでまもなく距離を無くすであろう黒雲へ向かい――しかし、遥か彼方の距離を走り、まるで線香花火のような小さな爆発を起こして、一瞬で消えた。
「……は?」
さすがの王子も、射線が通れば彼我の距離がわかり、必然、遠くに存在するもののサイズが分かる。だからこそ、ここにきて漸くカマワンは気づく。
目の前の黒雲は、既に視界の中ですら片手では覆えないサイズに広がっている。しかし、それは相当の近くまで近づいたからではなく、そもそもが膨大な数が存在するからなのだと。
もし接近すれば、それは果たして王都の大きさで賄えるかも怪しい規模なのだと。
「あ、ああ……」
そして、射線による具体的な指針で、周囲の人間にもこの蝗害が、近年史上稀に見る規模のものであると。その絶望に、誰かが呆然と声を漏らした。
たとえ、ここから逃げ出したところであの蝗害から逃げることができないのだと、理解してしまったのだ。
「ああ、本当にやってしまったのですね。まさか、第一の策で話が終わるとは」
そんな中で呑気に言葉を漏らすのは、イータマ軍師だった。
「……どういうことだ?」
「ここに陣を敷いたのは、この時のためということですよ。カマワン、"元"王子」
呆然と、言葉の意味を問うカマワン。しかし、イータマはにこやかに種を明かす。
「そもそも、ムギノーカ領の人間をそのまま使おうとすることが間違いなんですよ。私は、あなたに合わせてボーショック領から派遣されてきたのですから」
「……きっ、貴様!?コートナの手の者か!」
ボーショック領。その単語で、カマワンの脳内に思いつくのは唯一人だ。最後まで、コートナに対する妄言から抜け出せないその様子に、イータマは苦笑で返すしかなかった。
「あなたがそう思うのならそうなんでしょう。あなたの中ではね」
カマワンは、先程までの絶望した表情から一点、怒りに震えながら手をイータマに向ける。
「私を謀った事をあの世で公開するがいい!極・【熱線】!」
カマワンの得意呪文は、イナゴの群れ相手であればこそ、その数量で封殺されたが、相手が人であればその威力は十全に発揮される。哀れイータマは、その熱線により一瞬で蒸発――とはならなかった。
あっさりと。
実にあっさりと、カマワンの手から放たれた赤い熱戦は、イータマの眼前で飛び散り、無害な光の粒子となった。
その光景に、呆然としたカマワン。その用紙に、心底小馬鹿にした笑みを浮かべるイータマ。
「火属性の魔法は、威力が出しやすく、制御が雑でもそれなりに形になります。そのため、非常に幅広く、市井に攻撃魔法として使用されております。それ故に、対処法も多岐にわたるのですよ。
――あなたは、ろくに勉強もしなかったので知らなかったでしょうが」
王子が何時、何処で癇癪を起こすかわからなかったこともあり、イータマは何時いかなる時もとある護符を身に着けていた。
それは、一般的に供給されている『火魔法無効の札』である。理論上、いかなる火魔法をも無効化するこの護符の効果は、カマワンの魔法を無効化するには十分な性能を持っていたのであった。
つまるところ、カマワンの拠り所は、世の中的には道具一つで誰でも対処可能であった、ということだったのである。
「こうやってあなたを使って扇動すれば、この通り。今の王家に対しての不穏分子もいぶり出せる。飢饉に対する口減らしも終わり、領土も空く。あなたは、十分に仕事をしてくれた。
そして、あなたの仕事はこれで終了です。ご苦労さまでした」
イータマは、そう言うと霞のように消え去った。それは、彼が使えると自己申告していなかった、高難度の魔法【転移】であった。
最初から、最後まで何者かの手のひらの上で転ばされていた。何度も味わった中で、最大の苦渋を味わったカマワンは、目をうるませながら膝から崩れ落ち、地面に拳を叩きつけた。
しかし、怒りに震えるのはカマワンだけではない。
その場に居た、誰も彼もが冷たい目をカマワンに向けていた。
――何故か。
そもそも、先日の食事にも限らず、この行軍で将軍の地位位に居るものまで泡麦粥を食べていたのか。
――何故か。
本来、この場にいる将軍はおろか、領を収める貴族に属する兵ですら、通常はそんなものは食べず、農民の餌とも言うレベルであったが、この場で将軍がこの粥を口にしている理由は唯一つ。
この年、今回の蜂起に手を貸した領の全てで、記録的な飢饉が起きたからであった。
日頃から失敗すれすれの経営をしていた領で、そのような飢饉が起きればひとたまりもなく、王都からの支援も早々に使い切っていた。
そう。この蜂起とは、そのみすぼらしい生活から抜け出すためのクーデターなのであった。
しかし、それで招集されていた農民たちは、この進軍を全力で嫌がっていた。むしろ、殺されることすら覚悟での脱走兵が幾度も出たくらいだ。
それは、記録的な飢饉が起きればレギィナグオ・フライによる蝗害が起こることが、この近辺に住む農民であれば、誰もが知っている伝説だったからである。
まして、レギィナグオ・フライに攻撃を仕掛けたことで、この場にいる全ての人間が、攻撃目標となってしまっている。
レギィナグオ・フライは、一匹が死ぬと、死んだ個体が周囲にフェロモンをばらまく。そのフェロモンには、攻撃を仕掛けてきた者の魔力が混じっている。他のレギィナグオ・フライは、そのフェロモンに従い、執拗に仇を取りに行く。
レギィナグオ・フライには、そういった習性があるのだ。
もはや、レギィナグオ・フライの群れは、攻撃してきた魔法の元をたどり、この場へと向かってきていた。攻撃をしたカマワンへと。
この愚かな男の元に居る限り、もはや逃げることはかなわないのだ。この男さえ居なければ、この場に自分は居なかったのに。
そんな身勝手さすら感じる気配の周囲の空気を感じ取ってか、ふとカマワンが顔を上げた。
「ヒッ」
その途端、自分にその場の全員から、敵意に等しい視線を向けられていることを知る。
「……な、なんだお前達!?何だその目は!?
わ、私はこの国の王になる男だぞ!そうだ、ボーッとしていないで、私を守る陣形を組め!」
その罵声で、その場にいた人間の意志は一つになった。この男がいる限り、自分たちはレギィナグオ・フライに追われ続けるのだと。
で、あればやることは一つだ。
「お、お前が……」
「お前さえ……」
「な、なんだ……!?何だ、貴様ら……!
やめろ、近づくな……!!来るなあァァァァ―――――――――っッッッ!!」
毎度、ご拝読・評価ありがとうございます。
バカ王子描写が、すごく書きやすいです。多分、似ているところがあるからだと思います。「ここでこういう事言ったらまずいけど言いたいな」というリミッターを外した、ある意味個人的に羨ましいキャラです。
個人的に必殺技の「スーパービーム」は色々とお気に入りです。