10. レギィナグオ・フライ
「あらまぁ……、これはどういうことですの?」
突然、背後から聞こえた声に、その場の全員が驚いて振り向いた。勢いのいい反応に、思わず気圧されるように少し後ずさったのは、誰であろうコートナ=ボーショックその人である。
彼らの圧に、彼女の後ろに居たゲッティーモが、庇うように前へ出る。二人もまた、イータマと同じく【転移】の魔術でやってきたのだ。
「ンーンン!ンンンー!」
彼女が驚いたそもそもの原因である、簀巻きになって転がっているカマワンが、コートナを見て声を荒げた。最も、その口には呪文を唱えられぬよう布の猿轡が噛まされており、意味のある言葉にはなっていなかったのだが。
そんな彼は、学園では評価の高かった端正な顔は、暴力によって青アザの目立つ悲惨な姿になっていた。
「……貴方は」
突然現れた謎の男女の存在に、警戒を隠さない農民たちとは違い、コートナの存在を知る貴族の末端に所属するスディーイ将軍は、一人足を進めて確認の言葉を放った。
コートナは、見たことのある人間が前に出たことに気づいて、華麗なカーテシーで挨拶をした。
「お久しぶりです、スディーイ=ディ=オクレー男爵。先日の王都以来ですわ」
「やはり。コートナ=ボーショック令嬢」
それが何者か、というのが発覚したことで、一同の面々が驚きの声を上げる。足元の元王子と比べて、騎士たちとは違う"貴族"のオーラを感じてか、何人かの農民は、うやうやしく拝み始める始末であった。
「コートナ嬢。ここは危険ですぞ。おそらく、【転移】の魔術をお持ちでしょう?早く、ここをお逃げなさい」
「あら、何故ですか?」
「何故?何故といいますか!?
この音が聞こえませぬか!?あれが、見えませぬか!?」
呑気な言葉を漏らすコートナの様子に、驚き半分、怒りを半分の感情で、スディーイ将軍はコートナの背後を指差した。
コートナが振り向けば、そこにはドンドンと視界を埋め尽くす黒雲の姿。
「……私がここを去ったとして、あなた方はどうするのでしょう?」
コートナはレギィナグオ・フライを見ており、スディーイ将軍は彼女の表情は見えない。淡々とした彼女の言葉に、彼はコートナが呆然としていると判断した。
スディーイ将軍は、彼女が見ていなくてもその場に片膝をついて頭を垂れた。さながら懺悔のように、考えを述べていく。
「……我々は、ここで可能な限り抵抗いたします。
我々をおびき出す陰謀に、のこのこと手を出した身ではありますが、王家に仇なした報いを受ける所存です。
このまま生き延びたとしても、王家の軍に捕まり、処刑されるでしょう。どうせ死ぬのであれば、せめて王都の民を少しでも救うべく、レギィナグオ・フライを一匹でも道連れにしようと思っております」
コートナが振り向くと、いつしか彼女を見ていたその場の全員はスディーイ将軍と同じように頭を垂れていた。どうも、既に徹底抗戦の意志でまとまっているようだった。
そんな彼らを見て、コートナは不思議そうに首をひねった。
「……何故、皆様がお亡くなりになるのですか?」
「「「は?」」」
呑気なコートナの言葉に、その場の全員が思わず経緯も忘れて呆けた声を漏らした。
コートナは、そんな彼らを尻目に再び振り返り、レギィナグオ・フライの群れに向き直った。
「さぁ、皆様。パーティの準備に参りましょう」
呆然とする彼らをさておいて、コートナは側で控えていたゲッティーモからレイピアを受け取ると、勢いよく一人黒雲へ駆けて行った。
そんな暴挙とも言うべき女性一人の行動に、しばらくポカンと口を開けているだけだった面々は、しばらく後に我に返る。
「……いや、いやいやいや!」
「え、何してるんだあの人!?」
「うわあぁ!?コートナ嬢!?」
ふと、彼女一人の突貫を苦笑で見守るゲッティーモに怒鳴り、掴みかかるスディーイ将軍。
「貴様!コートナ嬢の執事だろう!?何をしている!?主を止めないか!」
しかし、ゲッティーモは怒りを顕にしてくるスディーイ将軍に、困ったような表情で口を開く。
「いやいや、私ではあんな魔物の群れの中に突っ込んでも生き残れませんよ」
「何を言う!コートナ嬢も同じだろう!?」
「……同じ?」
スディーイ将軍の物言いに、ゲッティーモは心底不思議そうに片眉を上げた。
「まさか」
あまりに自信満々なその言葉に、訝しげにレギィナグオ・フライの群れへと視線を移したスディーイ将軍は、またも驚きに大きく顎を開くことになった。
気がつけば、あれだけ慌てていた周囲も、同じようにあんぐりと口を開けて驚愕に固まっていた。
遥か彼方。黒雲の中に、稲光のような赤光が瞬く。彼らが驚いたのは、その光が何度も何度も――そう、何度も瞬くのだ。そしてその度に広がる黒雲が徐々に小さくなっていくのだ。
それは、正しくコートナがあの場で戦っている証左であった。黒雲が狭まっているのは、中央で殲滅されたレギィナグオ・フライの群れの空白を、周囲が補填しているからだ。
「バカな……」
レギィナグオ・フライの群れは、歴史に残る蝗害である。それは、人間には対処できない自然災害と同意である。
しかし、そんな共通認識を根底から覆す光景が、今目の前で繰り広げられているのだ。
みるみる内にその規模を減らしていくレギィナグオ・フライ。かくして、自分たちの命はどうやら助かったらしい、という事実に、安心からかへたり込む面々。
スディーイ将軍もすっかり腰を落とし、既に掃討戦の段階に入っている眼の前の光景を呆然と見ている。
「一体何故、我々を救うのだ……?」
彼の口から漏れた言葉に、ゲッティーモは大きなため息を吐いて答えた。
「そんなわけ無いでしょう。お嬢様は、食事に来ただけです」
「食事……?しかし、この地は飢饉で、到底もてなすことなど」
根本的にズレている回答――常人の思考ではないので当然だ――に、ゲッティーモは諦めの表情で首を振り、黒雲を指差した。
それが意味する内容に、しばらく思い当たらなかったものの、事実に考えが至ったスディーイは、ポカンとしていた目を見開いた。
「――おや、終わったようですね。……行きましょうか皆様。
……はぁ……」
黒雲が霞すらなくなったのを見て取って、ゲッティーモは座り込む面々に手を伸ばし、無理やり立ち上がらせてはコートナの下へと向かう。何人家の座り込んだ農民たちも、のそのそとコートナの下へ向かう他の面々を見て、釣られるように立ち上がり付いて行く。
彼らの殆どは、ゲッティーモが最後に漏らした溜息の意味を知らない。
そうして、全員がコートナの元へたどり着いた時には、彼女はホクホクとした笑顔でレギィナグオ・フライの死骸を一箇所にまとめているところだった。
「あら、皆様。ごきげんよう。
ちょっと手伝ってもらってもよろしいですか?」
「あっはい」
「あら、こんなにたくさんお手伝いくださるのね。じゃあ、貴方達と、貴方達はこちらを組み立ててもらえるかしら」
「あっはい」
ニコニコと上機嫌な彼女は、先程まで天災の化身を一人でなぎ倒した猛者だ。機嫌良く頼まれれば、断る道理はない。声をかけられた農民も将軍も、老いも若きも彼女の手伝いに奔走することになった。
そんな彼らを尻目に、コートナは一人着々と調理の準備を進めていた。
ふと我に返ったスディーイ将軍が、今自分が持っているものに疑問を持った。
「あの、コートナ嬢。これは?」
「鍋ですわね」
「コートナ嬢、これは?」
「種実花の種油ですわ」
「……一体、何をしているのでしょうか」
「無論、料理の準備ですわ」
「……料理?」
「お嬢様!集めた死骸はこちらにまとめておきますねー!」
理解できない――いや、理解したくないような内容の単語がチラホラと聞こえてきたところで、遠くからレギィナグオ・フライの死骸を袋詰にしたゲッティーモが大声を出しながら近づいてきた。
「はい!では、始めましょう!」
コートナは、器具の準備ができたことを確認すると、材料を見てニンマリと笑うと、そう宣言した。
まずはレギィナグオ・フライの死骸が詰まった袋、コートナの用意した朝冠ツォト鶏の卵の黄身だけを潰したものを入れた丸い器、白麦の実100%の粉がたっぷり入った箱と、大鍋に大量の種実花の種油を並べる。
種実花の種油は火魔法で高熱に熱しており、水魔法で油の発火を抑えて事故を防いである。
「では、お願いしますね。【風の精霊】、召喚」
コートナが、己の左の中指にはめたエメラルドの指輪にキスを落とすと、一瞬の突風が渦を巻き、瞬間魔法陣を結ぶ。
すると、魔法陣の中から白い粒子でできた体を持った、2mほどの身長の禿頭の巨人が腕を組んで現れた。表情も見えず、いかつい雰囲気だけが醸し出されるその威容に、周囲の人間が「おお……」と声を漏らした。
当の巨人は、周囲を見渡し、非常に目立った熱されている大鍋を視界に収めると、がっくりと肩を落とした。その姿は、先程までの威容は欠片も見当たらなかった。
『……毎度毎度、もっとマシな理由で呼んでくれぬか』
絞り出すような、低い男の声がした。この風の精霊が、苦悩の末に吐き出した溜息であることは、誰の目にも明らかであった。
しかし、その言葉を向けられたコートナは、にこやかに手を合わせてお願いするのだった。
「じゃあ、いつもどおりお願いしますね」
『……我にも捧げるのだぞ』
風の精霊はそれに答えると、その手をレギィナグオ・フライの死骸が詰まった袋に向けた。すると、袋に詰められたレギィナグオ・フライの死骸が飛び出て来た。
精霊の魔法によるものか、袋の中から生み出された風のレールをたどって、レギィナグオ・フライは並べられた順番に朝冠ツォト鶏の卵の黄身をくぐり、白麦の実の粉をくぐり、大鍋へ向かう。
勢い良く大鍋に向かったのとは逆に、油の中に入る前に急に速度を落とし、そのまま油の中へとゆっくりと繊細に突っ込む。
じゅわり、と音がして油に突っ込んだレギィナグオ・フライは、やがでパチパチと音を建てては香ばしい香りを漂わせてきた。飢饉で満足に食事を取れていない農民たちは、既に香りにやられて口の中によだれを溜めては飲み込んでいる。
一方、将軍の一部は虫食、しかも自然の怒りとも言われる人類の天敵を食べるという、恐れていた事実が目の前で繰り広げられ、顔を青ざめている。しかし、それは領を納めている側であるが故に、まだ貴族として食うには困っていなかった貴族だ。そうではない、末端貴族は農民たちと同じく口の中に込み上げる涎を飲み込んでは目を奪われて立ち尽くしていた。
こんなものを食べるなんて。そんな表情ではあったが、この場で物理的にも魔力的にも地位的にも一番力を持っているコートナが、カラッと揚げられたレギィナグオ揚げの一匹目を、嬉々として手にとったことで、更に顔を青ざめる。
なにせ、虫である。
どう見ても、それはまるまるイナゴがそのまま衣に包まれただけの見た目だ。しかも、そのサイズは大の大人の掌ほどの大きさだ。
それに、見た目がシルクのような手袋をしているとはいえ、揚げたてのデカブツを持って、彼女の手は熱くないのか?
「それでは」
「コートナ嬢!?それは」
「戴きます」
そんな違和感も、彼女が口を開けて脇腹からかぶりつこうとする光景に吹き飛ばされる。
周りの貴族が止める声も意に介さず、彼女は頭の付いたままのレギィナグオ揚げを、腹から豪快にかぶりついた。
ぷつり。
最初の歯ごたえは、ソフトシェル。小気味のいい音と歯ごたえが、まずは触感を楽しませてくれる。次に、揚げ物の衣の甘みが想像以上の強さでやってくる。レギィナグオの身の苦味で、衣の甘みが引き立っているのだ。
噛んでいるうちに、割れた甲殻が口の中を傷つける――こともない。熱が通ったことで、ある程度の質の刃物でもなければ断ち切ることが難しいレギィナグオ・フライの甲殻が、軽く歯で噛み切れるようになっている。むしろ、パリパリと弾けるような触感が咀嚼の楽しみを後押ししてくれるスパイスになっている。
次の一口はほとんど衣がなくなり、徐々にレギィナグオ・フライの肉の味がダイレクトに感じられる。ぷりぷりとした噛みごたえが、一噛み毎に粘りを増し、やがて濃厚なカスタードクリームへ。味も甘みが強く、弾ける殻の触感とほのかな苦味が、本当にクリームブリュレでも食べているような感想を抱く。
「はぁ……これが、レギィナグオ・フライ」
嚥下したコートナは、ほう、と満足そうな笑みを浮かべた。
毎度、ご拝読・評価ありがとうございます。
なんか、気づくとゲテモノばっかり食べてますねこの令嬢。




