カザマ流の闘い
『無傷の剣豪』病死のニュースは、軍が想定していたよりも大きな話題にはならなかった。
当然、事前の情報操作のおかげもあるが「最近表舞台に姿を現さなかったのは、病気のためであったのか」と民衆は納得し、『イナミナル』にいる軍人達は「弟子がこの時期に戻ってきた理由はそのせいだったのか」と察した。
だから三日もしないうちに、ギンジの死は語られなくなった。フウカは少し寂しく思ったが、本当のことを――オシデントに殺されたなどと発表してしまえば、国民は戸惑い、軍の士気は低下する。そのことを思えば、仕方が無いと納得はしていた。
*
ギンジ・カザマ唯一の肉親として、建前上の葬儀やら手続き諸々で忙殺されていたフウカが、個室宿舎を訪れたのはおよそ一週間ぶりのことであった。
色々と忙しく動き回っていた時も、彼がシャルロッテにカザマ流を教えるという事実を忘れることは無かった。
トウギの部屋をノックしても反応が無く、仕方なくシャルロッテの部屋も一応ノックしてはみたもののこちらも反応が無かった為に、二人でどこに消えたのかと少し不機嫌になりながら宿舎を後にしようとすると、建物の裏手からシャルロッテの笑い声が聞こえてくる。
宿舎の裏にはちょうど良い広さの空き地があり、二人はどうやらそこでカザマ流の稽古をしているらしかった。
フウカはそちらへ回ってみると、お昼時ということもあってか、トウギとシャルロッテは仲良くお弁当を広げていた。
「シャル、貴女……!」
フウカが驚いたのは、シャルロッテとトウギがたった一週間で弁当を囲む仲になっていたということではない。彼女の綺麗な金髪についてである。
「あら、フウカさん、お久しぶり。お爺様の件で色々とお忙しくされていると聞きましたが、もういいのですか?」
「シャル、その髪の毛、どうしたの?」
「あぁ、これ? カザマ流を学ぶのに邪魔だと思いまして」
彼女の綺麗な金髪は、フウカの栗色の髪と同じくらいの長さにまで切り揃えられている。
フウカはその金髪が、シャルロッテの自慢だということを知っていた。故に、彼女のカザマ流に対する本気さを否応なく感じ取らされる形となった。
「貴女、そこまでして」
「当然でしょう? 私は『覚悟』を決めたのですから」
人を斬らない為にカザマ流を学ぶ『覚悟』を。シャルロッテは余裕の笑みを浮かべる。
「まぁでも、俺は長い髪の方が好みなんだけどな」
トウギはおにぎりを片手に、呑気そうに言った。彼はこう言うが、髪を短く切っても顔立ちが良いだけに、美人には変わりはない。
「それならそうと、先に言ってくださればいいのに。トウギさんったら切ってしまってからそういうこと言うんですから」
そう言って、シャルロッテとトウギは笑い合う。
なんだ、この二人の雰囲気は。今は戦争中で、ここは軍隊なのよ? それなのに、弛み切っている!
フウカは、腰の剣に手を掛け、
「シャルロッテ・エセルバード少尉。貴女の一週間の成果を是非私に見せてください。さぞかし上達したことでしょうね」
抜刀しながら言った。
「よせよ、フウカ。何をムキになってんだ」
「いえ、師匠。やらせてください。今の自分の実力を確かめるには丁度良い機会ですわ。それに、フウカさんとはそろそろ決着をつけたいと思っていましたの」
シャルロッテは意気揚々と立ち上がり、レイピアを抜く。
フウカとシャルロッテは、軍学校時代の演習で幾度も剣を交えたことがある。その戦績は、十四戦で七勝七敗とお互いに一歩も引かないものとなっている。しかし最近五試合に限定すれば、フウカの三勝二敗。シャルロッテは、これが気に入らなかった。
ここで勝ち越して、完全勝利宣言をさせていただきますわ。彼女がフウカからの挑戦を受けたのは、この思いによるところが大きい。
フウカが抜刀したせいで、真剣での勝負という形になりつつある為、本来ならば止めなくてはならない。だが今の二人の勢いは、トウギが止めたところで勝手に始めてしまいそうなほどだ。
今の実力を分からせるには、確かにちょうどいい機会か。
「分かった。それなら、ルールはこうだ」
トウギは二人の熱意を感じて、対決を認めることにした。
「重傷を与えない為に認められるのは肢体、つまりは両手足への攻撃のみ。傷の深さは関係無く、相手に一太刀浴びせた方の勝利。それでいいなら、思う存分真剣勝負をしたまえよ」
「いいわ。シャル、その髪が以前の長さくらいに伸びるまで、病院送りにしてあげる」
「あら。それじゃあ私は、貴女の身体をこの戦争が終わるまで剣を握れない身体にして差し上げますわ」
おいおい、ちゃんとルール理解してんだろうな。しかし、トウギが口を挟む余裕など無く、女同士の仁義無き剣闘が開始される。
*
フウカが祖父の葬儀の為に一時軍を離れ、シャルロッテがトウギ・フジヤの弟子になって一日目。
彼女の弟子生活は、トウギからカザマ流の基本的概念を教わるところから始まった。
とりあえず攻撃してこいと言う彼に従い、シャルロッテはレイピアで何度か突くも、いつかの剣闘同様、その攻撃は全て回避されてしまう。
「まぁわざわざ見せるまでもなく、カザマ流の基本概念は敵の攻撃の回避にある。それじゃあ、この回避の次に何があるか分かるか?」
「当然、攻撃ですわ」
「その通り、回避をしたら次は攻撃。それじゃあ、回避をする前には何があるか分かるか?」
「回避の前、ですか?」
シャルロッテは思案し、「敵の攻撃に備える」という解を出したが、トウギに「曖昧すぎる」と却下された。
「正解は、敵の攻撃を『見て考える』ことだ」
「そんな、抽象的すぎます」
「んなことねぇよ。言葉通り、相手を『見て』、次にどんな攻撃をしてくるのかを頭で『考えて』回避行動に移る。俺も実際にこれをやってる」
彼の言葉に、シャルロッテは唇を尖らせた。
「お言葉ですが、それくらいなら私、というより剣士なら誰でもやっていることなのでは?」
「そりゃそうだ。『見る』だけなら、ほとんど全ての剣士がやってるだろうよ」
そうじゃなきゃ、斬られてる。と、トウギは笑う。
「だが『考える』ということに関して言えば、そうはいない。なら聞くが、実際に攻撃を受ける時、脳を動かして『考えている』という自覚はあるか?」
言われてみれば。と、シャルロッテは口ごもる。
「実際、ほとんどの剣士は敵の攻撃を回避、もしくは防御する際、頭では考えず反射で行っていることが多い。敵が剣を振り上げれば、上段からの攻撃を避けるために跳ねる、もしくは防御姿勢を取るってのは、身体が自然に動いて行っていることだろ?」
「確かに……」
シャルロッテは自分の経験を照らし合わせた。相手が剣を上段に構えるのを見てから、「上から攻撃がくるから、横、もしくは後ろに跳ねて回避しよう」なんて考えてから行動した記憶など無い。その時は、身体が勝手に動くものだ。
「別にそれが悪いってんじゃない。反射ってのは経験を身体が覚えてるってことだから、それだけ多くの経験を積んでいるということになる」
だけど、と、トウギは続ける。
「カザマ流はそれじゃあ駄目だ。何故ならカザマ流は敵の攻撃を最小限の動きで回避しなくてはならないからだ。反射での回避は、動きが大きくなりがちだ。防御なんてもってのほか。隙を作らずに、相手の隙を突く。これがカザマ流の美学だ」
隙を作らず、隙を突く。シャルロッテは自らに覚え込ませるように呟く。
「それをできるようになれば、人を殺さずに自分も傷付かない剣を振るうことができる……」
「その通り。理解できたようだな」
「言葉では理解しました。つまり、敵の攻撃を『見て』から『考え』、その攻撃の威力や軌道を判断してから最善の動きで回避をする、と」
「そういうことだ。中々優秀じゃないか。それじゃあ次は身体で理解してもう為に、実践だな」
そう言ってトウギは、赫刃・罪斬を手に取った。
*
勢いで弟子になってしまったものの、本当にちゃんと教えてくれるのかしら。当初、シャルロッテはこんなことを思っていた。
だが彼女はこの稽古で、剣を振るう本来の楽しさを思い出した。トウギの『褒めて伸ばす』という指導方法が、シャルロッテにその楽しさを思い出させたのだった。
彼女がいた孤児院に、剣で彼女に勝る者はいなかった。剣を振るえば、皆が自分を認めてくれた。強くなれば、皆が自分を褒めてくれた。
その時の感情を、シャルロッテは思い出していた。
だから日が暮れて稽古が終わってしまうのが、彼女には寂しかった。
そしてその寂しいという感情が、稽古が終ってしまうという理由とは別に、師であるこの男とも別れなければならないという理由からもきていることに、彼女は気付いていた。
だからシャルロッテは、一生懸命に頑張った。上手にやれば、「いいぞ、シャルロッテ」と彼が笑顔で褒めてくれる。その言葉が、彼女を何よりもやる気にさせた。
そのやる気も相まって、シャルロッテは次々にカザマ流を飲み込んでいった。その速さは教えるトウギが驚くほどであった。
相手の攻撃を『見て考えて』から回避するという動作を、たった三日でそれなりに見れる程度には会得してしまった時には、トウギも苦笑いを浮かべるほか無かった。
彼が二人の剣闘を認めたのも、自分の弟子が――シャルロッテが、容易く負けることはないと判断したからだ。
そして攻撃を肢体に限定したのも、未熟なシャルロッテに対する配慮だった。攻撃が手足にしかこないと分かっていれば、そこだけの回避に集中できる。
果たして決着は、トウギの予想通りのものとなった。
*
汗と土にまみれながら向かいあう二人の女。息は絶え絶え、体力の限界も近い。
剣闘開始からすでに、五時間以上が経過している。それでも勝負を決定付ける一撃を、お互いに決め切れずにいた。
フウカが斬りかかり、シャルロッテがそれを避けて反撃をする。その反撃を回避したフウカが、もう一度攻勢に出るも避けられてしまい、お互いに間合いを取ってにらみ合う。これの繰り返しが、もう幾度となく続けられている。
「だから、もう終わりにしろって。引き分けだよ、引き分け。こうなるのは最初から分かってたんだって」
トウギは欠伸をし、目に涙を溜めている。彼は剣闘開始から三時間経った時点で、引き分けを宣言していた。
「トウギさんがこう言ってます。フウカさん……そろそろ終わりにしませんこと?」
息を切らし、余裕の無い笑みを浮かべながらシャルロッテは言う。
「なら……さっさと降参しなさい」
だがフウカは、この言葉を聞き入れない。
「私は、勝たないといけないのよ……たった一週間で身に付けたような……付け焼刃の『カザマ流』には負けられないの……!」
「何故私が……負けを認めなくてはいけないの……!」
二人の構えた剣先が、肩で呼吸をする度に上下する。
「はぁッ!」
フウカが短く叫び、斬りかかる。シャルロッテは口を真一文字結びこれを回避するも、反撃に出る余裕はすでに無くなっている。
「いい加減に……してくださらない? しつこい女は嫌われますわよ……」
シャルロッテの言葉に、フウカは黙ったまま剣を構える。
「日が、暮れるな。晩飯の時間だ」
貧乏ゆすりをしながら、沈む夕日を見ていたトウギが呟く。すると彼はフラフラと立ち上がり、二人の女剣士の元へと近づいていく。
これで何度目かは分からないが、フウカがシャルロッテへと斬りかかる。――その攻撃を、トウギはフウカの腕を掴み、無理矢理に止めた。
「もう終わり。引き分けだって言ってるだろ」
「離して!」
フウカはトウギの腕を振り払うと、勢いそのままに転倒しかける。膝が地面に着く寸前で、剣を支えにして留まった。
「邪魔をしないでよ、これは真剣勝負よ!」
真剣勝負だと? これが? トウギは嘲笑する。
「こんな泥仕合で勝ったところで、得られるものなんて何も無いぜ。せいぜい、安っぽい自己満足だけだ。カザマ流を使って闘ってまで、そんなものが欲しいのか?」
フウカは歯を食いしばり、悔しそうに俯く。
「だって、だって負けれらないじゃない! 私は三年もおじいちゃんから剣を教わったのに、たった一週間しか学んでないシャル相手に!」
「貴女、そんなことを考えて闘っていたの?」
シャルロッテが怪訝な顔をする。
フウカが勝敗にこだわった理由。それはカザマ流を扱う先輩としての意地だった。
まさかシャルロッテが、こんなにもカザマ流を使いこなしているなんて。フウカは自分の斬撃を避けられる度に、心の中で焦りを感じた。
「フウカ、それはシャルロッテを過小評価し過ぎだぜ」
トウギの声は、少し真面目なものへと変わっていた。
「確かにシャルロッテは一週間しかカザマ流の稽古をしていない。だが、その根本にあるのは彼女の元々の強さ、実力だ。それは同期のお前ならよく分かっていることじゃないのか?」
そうは言われても、彼女の表情は晴れることはない。
「分かってるわよ……」
フウカはまるで、拗ねた子供みたいに顔をそむける。
「あのなぁ、別にお前が弱いわけでも、シャルロッテが強いわけでもない。二人ともよくやってるってだけの話なんだよ」
俺、何でこいつに気を遣ってんだ。トウギはフウカを労わるような口調で言いながら、そう思った。
「……何よ、私には剣術教えてくれないくせに」
フウカは頬を膨らませ、ポツリと呟くように言う。
「何ィ?」
「だってそうじゃない! シャルにだけ教えて、私には教えてくれない。どうして? 彼女が美人だから?」
はぁー。トウギの呆れという感情は、溜め息となって体外へ漏れだす。こいつ、そんな理由でムキになっていやがったのか。
「それは単に、お前には何も教えることが無いってだけだ」
「――何よそれ! 私には教える意味が無いってこと!?」
なんでそう解釈するんだよ……。トウギが反論をする前に、シャルロッテが口を挟む。
「あら、嫉妬? 見苦しいことこの上ありませんわね。私と貴女ではセンスが違うということではないのかしら?」
「別にそういうことじゃねぇよ。おいシャルロッテ、お前は余計な事を言うな」
師匠に言われ、シャルロッテはペロリと舌を出す。そしていたずらっぽく笑うのであった。
「それなら、どういうことよ?」
フウカはすこし涙声になっている。
「俺が『何も教えることが無い』って言ったのは、『技術的に教えられることは何も無い』って意味だよ」
「……それって、どういう……?」
少し充血したクリクリした目で、トウギを見つめるフウカ。
「流石、ジジイに直接鍛えらただけはあるよ。お前はカザマ流の基礎は全てできている。後は判断力と、その判断力を養う経験が必要ってだけだ」
この台詞を聞いたフウカの顔はみるみる紅潮し、満足げな笑みを浮かべる。
「なんだ、そうならそうと先に言ってくれればいいのに!」
「言ったろ! 別にお前が弱いわけじゃない、二人ともよくやってるだけだ、って」
あれ、そうでしたっけ? と笑うフウカを見て、トウギはやつれる思いだった。もうこの二人の剣闘には絶対に立ち合わない。そう心に決めた。
こうして二人の剣闘は引き分けに終わり、戦績は十五戦七勝七敗一分となった。
二人を闘わせたことを最大限に後悔しながら、トウギは腹をさすった。
「今日は余計に腹が減ったな」
かすかに残っていた夕日も地平線の彼方へと消え去り、時計の時刻も彼の腹時計も、夕食の時間を知らせていた。
「それなら食堂へ行きましょう。私、今日機嫌がいいので夕飯くらい奢りますよ」
剣を鞘に収めたフウカは、食堂へ向かうべく音頭を取る。
「それには及びませんわ」
しかし彼女の提案を却下したのは、シャルロッテだ。
「私とトウギさんは、私の部屋で食事をすることになっていますので」
フウカは一瞬、言っていることの意味が分からなかった。
「……え? シャルの、部屋で、食事?」
無意味なオウム返しに応えたのはトウギだ。
「そうそう、いやこれが凄いんだよシャルロッテって。最初晩飯に誘われた時は、専属の料理人か誰かが作るのかと思ったら、自分で料理するんだよこの人。これがまた美味くてさ」
思い出したら涎が出てきた。トウギは口元を拭った。
「淑女たるもの、料理くらいできて同然ですわ」
シャルロッテは自慢げに鼻を鳴らす。
「それ以降、飯食わせてもらうようになってな。朝昼晩お世話になっちまって面目無いんだけど、それから食堂に行かなくて済んでほんと助かってるよ」
何よりタダ飯ってのがいい。トウギは思ったが、口には出さなかった。彼にもそれくらいのデリカシーはあった。
「せっかく作るのに一人で食べても寂しいでしょう? だからトウギさんをお誘いしましたの。フウカさんがどうしても言うなら、今夜一晩くらいならご一緒させてあげてもよろしくてよ?」
「……貴方達、どうしてそんな、いつの間にそんな仲良くなったのよ?」
「そりゃ一週間も付きっきりで特訓してりゃあな」
シャルロッテは「うふふ」と含んだ笑いを漏らす。
「それでフウカさん、貴女はどうするの?」
「わ、私も、一緒に食べます!」
二人の仲がどうなっているのか気になるフウカであったが、今は腹ごしらえを優先するという選択肢に誤りはない。
三人の騎士は、宿舎の中へと入っていった。