第162話 四人目の子を取り戻したあとで、僕は初めて知る気持ちに出会いました
「気をつけてください!」
双子が、
目を丸くした。
卵を包んでいた羽を外し、
すぐに警戒態勢へ入った。
(魔王城からは
かなり離れています)
(人間の侍女や、
ほかの魔族たちが
こんな場所へ来る理由はありません)
ぴりっ。
エリンの感覚に、
警告が走った。
何かが、
ものすごい速さで近づいている。
(どこですか?)
エリンの目が、
素早く周囲をなぞった。
東西南北。
全部見た。
だが、
何もいない。
自分の感覚が
外れるはずはなかった。
しかも、
ポチまで
ひどく緊張している。
それなのに、
周囲に見えるのは
風に揺れる草花だけだった。
そのときだった。
ポチが空を見上げて、
わんわんと吠え始めた。
「上です!」
空の上から、
一直線に落ちてくる襲撃。
どんっ!
「くああ!」
「くはあっ!」
双子が、
その強襲の衝撃で
弾き飛ばされた。
エリンは、
すぐに右手を持ち上げた。
その瞬間、
手から電撃が走る。
ばちっ!
だが、
奇襲が速すぎた。
エリンの攻撃は
相手を捉えられず、
空を裂いただけだった。
(あれは?)
魔王城の近くでは、
見たことのない魔物だった。
とてつもなく大きな、
褐色の大鷲。
そいつは空から舞い降り、
卵を襲ったのだ。
がしっ!
鉤のように硬い爪が、
卵をぎゅっとつかんだ。
そしてそのまま、
一気に上空へ舞い上がる。
「あっ!」
エリンが叫んだ。
このまま卵を
奪われるわけにはいかない。
そのとき、
双子が鋭く叫んだ。
「くああ!」
「くあっ!」
本気で怒った。
まさに、
そんな声だった。
「弟妹を取り戻さないと!」
エリンの頭に、
図鑑で見た
あの魔物の特徴が浮かんだ。
成体になると、
人間界の鷲より
十倍は大きい魔物。
獲物や気に入ったものを見つけると、
一瞬で高空から急降下して
さらっていくのが得意だった。
あまりにも速いため、
雷鷲とも呼ばれている。
危険度で言えば、
最上位に分類される存在だった。
だが、
魔王城周辺は
本来こいつの生息域ではない。
そんな場所に現れたこと自体、
かなり異常だった。
けれど今は、
そんなことを考えている暇はなかった。
「君たちの力を借ります」
「ポチは僕の肩へ!」
ポチが素早く、
エリンの肩へ飛び乗った。
そして双子が、
エリンの両手をつかむ。
ひゅんっ!
双子はエリンを引いて、
そのまま空へ舞い上がった。
だが、
追ってきていると気づいたのか、
褐色の大鷲は
雲の中へ隠れてしまった。
「あれを見失ってはいけません」
「君たちは、
ずっと位置を追ってください」
双子の体から、
超音波が放たれた。
左右から重なる二つの超音波で、
相手の位置を
正確につかんだ。
(あそこですか)
エリンは、
双子が示す方向へ向かって
大鷲を追った。
◆◆◆
きぃぃ?
褐色の大鷲は、
自分を追ってこられる存在がいることに
驚いたようだった。
だが、
追ってきていた気配が
ふっと消えたことで、
すぐに安心し始める。
雲の中へ隠れたのは
正解だった。
どれほど追跡に長けた魔物でも、
見えない雲の中までは
追ってこられない。
そう思ったのだろう。
だが。
エリンと双子は、
その鷲よりもさらに高い空から
下を見下ろしていた。
(追いつかれたことに
気づいていませんね)
「ここ?」
双子の片方が、
攻撃したいとでも言うように
体を揺らした。
エリンは首を振る。
「だめです」
相手が驚いて、
卵を落としたら困る。
今は距離を保って、
そのまま追うしかなかった。
「どこへ向かってるんでしょう」
やがて、
ひどく高い山が見えた。
魔王城の北東にある高山地帯。
ほとんど魔王領の端と呼んでいい場所だった。
鷲はそこにある
絶壁へ向かって飛んでいく。
(本来の生息地から、
こちらへ移ってきたんでしょうか)
理由は分からなかった。
だが、
南へ下りてきて
このあたりに棲みついたのだろうとは思えた。
きぃぃぃ!
鷲が、
絶壁の近くへ
卵を下ろした。
ようやく、
反撃の機会が来た。
「行きます!」
今度は、
エリンと一緒に飛んでいた双子が
矢のように降下した。
逃がす気はなかった。
「一撃で仕留めます」
エリンの手に、
電撃が集まり始める。
相手は、
手を出してはいけないものへ
手を出したのだ。
今まで生きていられたのは、
卵をつかんでいたからにすぎない。
本気の攻撃が、
その掌に刻まれていく。
あらゆるものを焼き払う雷撃。
攻撃されたら、
あの鷲は空へ逃げるはずだ。
だから最初の一撃は囮。
本命は、
相手が逃げるであろう経路へ
叩き込むつもりだった。
「君たちは、
僕をあの鷲のほうへ投げてください」
「そのあと君たちは、
ポチと一緒に卵を確保するんです」
「くああ?」
「くあ?」
本当にそれでいいのか、
という問いだった。
エリンはうなずいた。
「大丈夫です」
「絶壁の地面がありますから、
そこを踏めばいいです」
ポチが双子のほうへ移ると、
双子はエリンを
鷲のいるほうへ投げ飛ばした。
ひゅんっ!
すさまじい速さだった。
エリンなら、
ちゃんと着地できる。
そんな信頼が
そこにはあった。
きぃぁっ!
鷲が驚いて、
羽を大きくはためかせた。
急降下による襲撃は、
本来は自分の得意技。
なのに今、
同じやり方で
逆に襲われていた。
どぉん!
高山地帯の断崖で、
轟音が響き渡った。
山の下にいた魔族たちが、
何事かと首をかしげる。
だが、
あまりにも高い場所での出来事だったため、
詳しいことは分からなかった。
「げほっ」
土煙が舞い上がる中、
エリンは思わず咳き込んだ。
やがて、
状況を見た。
(どうして?)
煙が晴れると、
血だらけになって倒れている
鷲が見えた。
てっきり空へ逃げると思っていた。
なのにそいつは、
まったく動かずに
エリンの攻撃を正面から受けていた。
「死ぬのが少し先延ばしになっただけですよ」
逃げなかったのは意外だった。
だが、
あえて避けなかったおかげで
命だけはつながったとも言えた。
「くはは!」
「くあは!」
「わんわんっ!」
そのとき、
双子とポチが
大きな声を上げた。
卵を無事に取り戻したのだ。
双子は、
絶対にもう奪わせないと言わんばかりに、
両側から卵へぴったり張りついていた。
二人が作った
エアバリアが
周囲を包んでいる。
ポチも、
卵の周りを警戒していた。
完璧な守りだった。
これでもう、
さっきみたいな襲撃では
卵を奪われないだろう。
「よかったです」
エリンは、
ようやく胸をなで下ろした。
飛んでいく途中で、
卵を落とされるのではないかと
どれほど気が気でなかったか分からない。
「こここっ!」
双子が、
とどめを刺そうと叫んだ。
「そうですね」
エリンが、
手を持ち上げた。
黒い魔闘気が、
体を包み始める。
「さあ」
「逃げてみなさい」
「それがあなたの最後になりますから」
黒い炎が、
エリンの掌の間から
にじみ出た。
「……ん?」
だが、
妙だった。
「どうして逃げないんですか?」
今まで逃げ続けていた相手が、
今はまるで違う行動を取っていた。
何かを守るように、
その場から動かない。
「くあっ」
「くあっ」
「あれ?」
鷲の後ろに、
巣が見えた。
そこにいた雛たちが、
大きな声で鳴いていた。
「だから逃げなかったんですね」
先ほどの疑問が、
そこで解けた。
双子は、
早く殺そうと騒いだ。
だがエリンは、
二人を静かに制してから
鷲へ近づいた。
エリンが近づくと、
巣の雛たちは
さらに大きく鳴き立てた。
「子どもたちを守るためだったんですね」
ひゅるり。
エリンの手から伸びた光が、
鷲を包み込む。
すると傷が、
少しずつ癒え始めた。
「どうしてここまで来たんですか?」
エリンは以前、
ライカン・スロープの村で使った
魔力伝音のことを思い出した。
それを応用して、
魔物との対話を試みる。
(地中を動く魔物たちのせいで)
(住んでいた場所が
荒れてしまったんですね)
(そういえば……)
アトランティス島が
魔界から人間界へ転移してから、
すでにかなり時間が経っていた。
その影響が、
今になって
地下深くにまで
及び始めているのだ。
島そのものが、
少しずつ変わりつつあった。
対策が必要かもしれない。
「本当は、
生かしておくつもりはありませんでしたが……」
エリンが、
地面を軽く叩いた。
するとしばらくして、
離れた場所の土が盛り上がった。
その下から、
巨大なミミズのようなものたちが
うごめきながら姿を現した。
ジャイアントワーム。
島の南に棲む、
地中を移動する魔物の一種だった。
「この子たちには、
これを食べさせなさい」
「それから、
あれを狙うなら
雨の日に地面をよく見てください」
「呼吸するために、
上へ出てきますから」
鷲が元いた場所には、
ジャイアントワームはいなかった。
だから、
どう狩ればいいのか分からなかったのだ。
エリンは、
その方法を教えた。
「増えすぎると、
土地が荒れてしまいます」
「だから、
どうせ定期的に狩らないといけない相手なんです」
鷲にとっての新しい餌としては、
ちょうどよかった。
エリンは、
まっすぐ鷲を見た。
「ここは、
僕の父上と母上が治める土地です」
「勝手なことをしたら、
次は許しません」
ほかの魔族たちへ
被害を出さないよう、
しっかり釘を刺したのだ。
こくり。
こくり。
鷲が、
ゆっくりと頭を動かした。
エリンの言葉を、
理解したのだった。
「もし、
この土地で暮らす中で
問題が起きたら、
魔王城へ来て僕を訪ねてください」
そう言って、
エリンは背を向けた。
するとそこには、
頬をふくらませた双子がいた。
弟妹をさらった相手を
なぜ殺さないのかと、
そんな顔だった。
「この子も、
自分の子どもたちを
お腹いっぱいにしたかっただけなんです」
「くああ」
「くるる」
それでも双子は、
まだ納得できないらしく
足をどんどん鳴らした。
自分たちが
どれだけ驚いたと思ってるの。
弟妹を失うかと思って、
泣きそうだったのに。
そう言わんばかりだった。
ちゃんと守ると言ったのに、
それでも卵を奪われた。
その怒りが、
まだ残っているのだろう。
エリンは二人を見て、
静かに言った。
「君たち」
「よくやりました」
「君たちがいなかったら、
弟妹は取り戻せませんでした」
ぴくり。
双子の耳が動いた。
エリンは、
もう一度言った。
「本当に、
すごかったです」
まさか。
エリン兄ちゃんが、
褒めてくれた。
褒めてくれた。
にぱっ。
双子の目元と口元が、
細い月みたいに曲がった。
たちまち、
機嫌が直ったのだ。
ポチは、
そんな双子を見た。
扱いやすい子たちだな。
そんな顔だった。
「では帰りましょう」
「あまり遅いと、
みなさんが心配します」
そうして戻り始めたエリンは、
ふと振り返って
下を見下ろした。
さっきの鷲が、
嘴にジャイアントワームをくわえて、
口を開ける雛たちへ
餌を分け与えていた。
不思議だった。
言葉にはしにくい、
微妙な感情が
胸の中に湧き上がってくる。
(これは、
いったい何という感情なんでしょう)
それはそのまま、
新しい疑問になった。
けれど、
どれほど名高い魔族の賢者でも、
その答えは教えられないだろう。
いや、
それ以前に
質問そのものを理解できないかもしれなかった。
魔王城の書庫にある本は
ほとんど読み尽くした。
それでも、
こんな感情について書かれた本は
一冊もなかった。
きっと、
ずっと分からないままの疑問になる。
でも、
エリンにはママがいた。
ママなら。
きっと、
エリンの問いにも
ちゃんと答えてくれるはずだった。




