最強《Overwhelming》⑨
クロエは刀の切っ先を静かに、真っ直ぐとクレトに向ける。グラウンドを満遍なく照らすライトの光が反射して、その刀身を冷たく光らせた。
「……ひと思いに殺れ」と、クレトが覚悟を決めたつもりで目を閉じる――。
しかしその時、彼の額が細く美しい指でトンッと突つかれた。不意の小さな衝撃に「っ?!」と戸惑うクレトに対し、クロエが一言。
「生徒を手に掛ける教師があるか、バカ者」
彼女がそう言って刀から手を離すと、刀は浮遊したまま宙で縦に回転して、雅な柄をクレトに向けた。
「そういうふうに最悪を《《投げ出す》》んじゃない、と言っているんだよ、私は」
クロエがクレトに施した『ユグドラシルの王』による制止を解除すると、彼は身体の張力を失ったかのように片膝からガクンッと落ちた。
「投げ出す? だが、死という最悪は受け容れるしかないだろう」と、クレト。
するとそれを見下ろし――「いいか神堂」と諭すようにクロエが言った。
「死は人が生まれた瞬間から目の前にある。お前が受け容れようが容れまいが、そんなことは関係ない。その時が来れば皆終わりだ」
「そんなことは解っている。だから俺は負けを認めた」
達観した顔で言うクレトに、クロエは呆れたように小さな溜め息。だがその表情には微かに憐れみの色があった。
「いや解ってないよ。だからお前はその若さで悟った顔をしてしまうんだ。きっとお前が優秀過ぎるせいで、誰もお前に当たり前のことを教えてくれなかったんだろう」
「………………」
「神堂。人間というのは誰しも生きていれば壁にぶつかり、躓き、転ぶことがある。そしてその中で自分の弱さを知り、覚悟を決めることで前に進む。だが今のお前は、諦めと覚悟を錯覚して悦に入っているだけだ。自分にとって心地良い空想だけに浸り、都合の悪い現実を想像すらしない。そんなものは子供の《《ごっこ遊び》》と同じだ」
クレトは屈んだまま考え込むように暫く沈黙し、クロエの次の言葉を待った。
「覚悟とは『諦めない者に用意された答え』だ。それが切り拓いた道は終わりの先にまで届く」
「終わりの……先に……?」
「そうだ、それは遺志とも云う。死を覚悟することと生を諦めることは全く違う――塔金ヒデキは、そんな当たり前のことすら理解していなかった。だからディソーダーになったんだ」
浮遊していた刀は、膝を突いているクレトの高さにまでゆっくりと水平に降下してきた。
「だがお前はまだ若い。今ならあの男のようにはならずに済む。――受け取れ」
クロエの言葉と同時にフッと落下した刀を、クレトは反射的に手に取った。
「これは――神威?!」
夜露に濡れたような静かな輝きの中に、揺らめく月の如き見事な打除け(刃文)――その刀を彼は一度だけ文献で見たことがあった。かつて神堂家が塔金家との契りの際に譲り渡した、古今無二の名刀『守堂神威』である。直近では塔金ヒデキが愛用していたとされるが、彼の殉職時に紛失となり、今では鞘だけが神堂家に戻ってきて保管されていた。
「本物は私が粉々に砕いてしまったのでな、それは複製品だ。私の情報を元に、見た目はナノレベルまで同一にしてある。もっとも材質は私なりにアレンジしたので強度は増しているが」
掌に吸い付いて腕と一体化したかと錯覚してしまうほどに、丁度良い重みとバランス。正に名刀と呼ぶに相応しい刀を見ながら、クレトは尋ねた。
「何故これを……俺に?」
「私に楯突いた罰、というところだ。お前が塔金ヒデキと同じ道を辿るようなら、神威はそれ自身の意思でお前を斬るぞ?」
そう言ってからクロエは振り返り、シュン達の立っている横――クレトが時間を停止させた時の場所へと戻る。
「俺を……(斬る――?)」
この妖しく煌く刀にそんな仕掛けがあるのかと、クロエに対するのと同じ畏敬の眼差しを守堂神威に向けるクレト――。既に彼の目に敵意を宿した高慢さは無く、替わりに若者らしい純朴な輝きがあった。そして彼が体感した彼我の力量差――『ユグドラシルの王』の絶対的な強さと、それを使うクロエの圧倒的な存在感は、彼女が何を言おうとも納得してしまうだけの威力があったのである。
しかしその様子を見たクロエは、意外そうに小首を傾げた。
「あれ、通じなかったか? 軽い冗談のつもりだったんだが……。すまん、それはただの刀だ。好きに使え」
「…………」
なんとなく不満そうな顔で見返すクレトに、困り顔のクロエ。
「なるほど、愉しい授業というのは存外難しいものだな。八重樫が手を焼くのも頷ける……。私は教育者には向いていないのかもしれない」
無論シュンの気苦労は笑えるか否かにあるのではなかったが、クロエは彼女なりに勝手に同情して気難しい顔をした。
「まあ神威を使う使わないはお前の自由だが、戒めとして持っておけよ。捨てたら怒るぞ? せっかく作ったんだからな」
それはアドバイスというよりも有無を言わさぬ命令の響きであったが、クレトは素直に黙って頷いた。
「それと最後に神堂――」と、クロエは真面目な顔に戻る。
「躓いて転ぶことを恥じるな。それはお前が自分の足で歩いている証拠だ」
「はい……解りました。肝に銘じておきます、白峰先生」
「よし。では個人授業はここまでだ」
クロエがそう言うと『ユグドラシルの王』とともに『ウルズの刻』も強制的に解除され、周囲は元通りに動き出す――クレトの殊能によって断ち切られていた、コノエの直前の台詞が繋がる。
「――ってください! ……って、あれ?」
コノエが周囲を見回すと変化はすぐに目に付いた。クレトの立ち位置が変わり、片手には何故か抜き身の刀。5つあったはずのガンタレットが4つに減っている。そして何より、烈火の如く怒りに燃えていたクレトの表情からは険が取れ、驚くほどに晴れやかで清々しい顔つきに変わっていた。それでコノエ達は、どうやら『ウルズの刻』が使用され、止まった時間の中で何事かが起きた後であるということを理解した。
「一体――」
シュンが「一体何を?」と問う前に、クロエは彼らの疑問を察して伝えた。
「神堂に個人授業をつけてやったのさ。なかなか良い経験になったろう? 神堂」
「はい。ありがとうございました」と、クレトは礼儀正しく頭を下げた。





