源世界《Reality》④
穏やかに映える海の上、高度3500メートルに浮かぶ雄大な楕円盤の建造物はWIRAである。その外壁の横に葡萄の房のように生えた小型の球体群が、地球から火星の首都へと向かう星間航行用ポッドであった。
――ユウが源世界に帰還してから2日後。
WIRA内部の細まった白い通路の途中で、クロエに従って俯きがちに歩くユウに、彼女は淡々と説明する。
「火星には5日で到着するが、航行中はノンレム睡眠になる。個人差はあるが体感的には30分程度だろう。長い旅ではないが、もし移動にストレスを感じるようならポッドが対処してくれる。気がかりがあれば現地の担当者も対応してくれるはずだ。まあ気楽に行けばいい」
「………………」
「受け入れ手続きや君について必要と思われる情報は、全て事前に伝達してある。生活に必要な物はインテレイドが用意してくれるが、入居後に元素デバイスの結合手術を受ければ日用品もすぐ不要になる。OLSの使い方はチュートリアルを」
「………………」
「それと任務中でなければ、月に一度は私が暫定保護者として面会を行う予定になっている。無論OLS経由でだが。何かあればその時に言ってくれても構わないし、緊急であればいつ声を掛けてくれても構わない。もっとも常にインテレイドがケアしてくれるので、そういった心配は無いと思うが」
「………………」
「ポッドの出発は5分後を予定している。――何か質問は?」
「…………あの――」
ユウは足を止めて、先を歩くクロエの背中に目を向けた。「なにか?」と振り返るクロエ。
「あの――僕……、やっぱり行きません」
「? 何を言っている?」
クロエは表情を変えることなくユウを見つめた。その視線に一瞬物怖じしたようなユウであったが、すぐに覚悟を決めて真っ直ぐに見返した。
「すみません、クロエさん。でもやっぱり僕は行けません。行きたくないんです。……火星に僕の道は無いと思うから」
「道――? 酷な言い方だが、この源世界で君に行くところは他に無いぞ、少年」
「……解っています。《《この世界には》》僕の居場所は無い。でも《《別の世界なら》》僕が進むべき道がある。そう思うんです」
「ああなるほど、そういうことか。つまり君は――」
言いかけたクロエの言葉を遮って、ユウは頭を下げながら声を上げた。
「僕をWIRAで働かせてください! お願いします!」
(やれやれ、よくあるパターンだな……)とその姿を見据えるクロエに、ユウは下を向いたまま語り始めた。
「僕は、今まで『何者でもなかった』んです。記憶が戻ってそれを思い出しました」
「…………(話ぐらいは聴いてやるか)」
「僕は亜世界に行く前、両親と弟の4人で暮らしていました。でも僕はいつも失敗して怒られていて、何をやっても上手くできなくて……。だけど弟はすぐに何でも覚えて完璧にこなせたんです。勉強もスポーツもゲームも、小学生なのに料理だって上手いし、友達もすごく多くて、弟の周りはいつも笑顔で溢れてました。だからいつからか、両親は弟だけを見るようになった――まるで僕なんて存在してないみたいに……」
最後の言葉は、クロエがかろうじて聴き取れる程度の小さな声。
「小学校を卒業してから、僕は田舎のおばあちゃんの家に預けられました。多分両親はもう、僕の顔を見たくなかったんだと思います。おばあちゃんは優しくしてくれたけど、僕が中学校でイジメにあってすぐ不登校になってしまって……おばあちゃんは僕の心配をしたまま、病気で死にました。それで僕の居場所はなくなりました。だから、僕は雨の日に、交差点で――」
その先の単語を口を出すのを憚ってユウは思わず口を噤んだが、クロエには容易に察することが出来た。
(自殺したのか。それを契機に転移を……)
何故なら源世界から亜世界へと転移するきっかけの大半は、事故などの生命の危機に対する『逃避』であったからである。そしてその逃避が《《現実そのもの》》からである場合、過去の記憶を失うことも多い、という統計結果が調査から明らかになっている。
「――亜世界、でしたよね。僕がいたアーマンティル。僕はあの世界で初めて何者かになれたんです。それはきっと、勇者としての僕です。僕はその道を諦めたくない。でも――(ガァラムギーナはもういない。あの世界に勇者の居場所は無くなってしまったんだ……)」
しかし他の亜世界であれば。
「もし僕に、まだ何者かとしての道があるなら、僕はその道を進みたいんです」
キッパリとした彼の言葉と表情に、クロエは「やれやれ」と小さな溜め息を吐いた。
「君の言い分は理解した。だが少年――もし仮に君が、このWIRAで働くことが認められたとして、源世界の知識すら持たない君に何ができる? それに君はまだ子供だ」
クロエの指摘は辛辣なものであったが、ユウもそれは理解出来たし当然予測もしていることであった。しかし彼がそれでも敢えてその希望を口にしたのには、彼なりの考えがあるからであった。
「それは理解しています。でもあの人――リアムさんが言っていました。あの人も以前は別の世界の転移者だったって。そして転移者が亜世界で持っていた能力は、別の亜世界に行っても使えると」
(あいつ――余計なことを……)と、再び溜め息のクロエ。
そこへ彼女の頭の中に直接アナウンスが響く。
[間もなく火星行きポッドの出航時間ですが、如何なさいますか?]
[――待機していろ。少し時間がかかる]
[承知致しました]
そのやり取りは当然ユウには聴こえず、彼にはクロエがただ黙って次の言葉を待っているように見えた。
「僕は子供ですけど、剣と魔法が使える世界なら誰にも負けない……つもりです。だから僕も――」
「『僕も規制官になりたい』か? 残念だがそれは難しいな」
「なんでですか……?」
「確かに転移者が亜世界で身に付けた能力は他の世界でも有効だ。それが故に、元転移者の規制官が多いというのも事実ではある。だが正直言って、君には荷が重い」
「それは――僕が子供だから、ということですか」
「いや。亜世界での任務はアルテントロピーの強さが物を言う。子供だからどうこうという話ではないよ」
「じゃあなんで……」
「《《君が弱いから》》だ」
「!!」
ユウは予想だにしないクロエの評価に言葉を失った。
彼は少なくともアーマンティルという広大な剣と魔法の世界においては、数百年ぶりに誕生したと謂われる最強の勇者であった。
剣技においては王国随一の剣士であった師レグノイにも引けを取らず、魔法の技術は劣るものの魔力の高さにおいては大魔法使いであるレンゾをも凌ぐ。そしてその両方を用いた彼の戦闘能力は、1匹が1国の戦力に匹敵するとも云われるドラゴンにすら勝るものであった。





